閑話 旅人
乾いた風が砂をはらんで、頬を撫でつける。
足を止めて周囲を見渡してみると、地平線の続く限り広がっている砂の大地に、恨めしいほど晴れ渡った真っ青な空。森には腐るほどいた魔物すら、この砂漠では一匹たりとも見当たらない。
眼に砂が入らないように、直射日光から身を守るようにと、風で捲られそうになった目深に被ったフードを片手で抑える。
「...」
真昼の砂漠だというのに、温度はそこまで高くない。なんなら春の陽気のように快適な気温だと言ってもいい程だ。しかし、この障害物のない大地に吹く風は、他と比べてとても強い。
この広大な砂漠にただ一人、一面に広がった砂の大地を踏みしめ、真っ黒なローブを大きくはためかせて進む。
捲れ上がった黒いローブの隙間から、腰に括りつけた鈍く光る30㎝程の杖が覗き見えた。
ふと、声がした。
『なぁ主さんよ、本当にここを進むってのか? 今ならまだ引き返せるぜ?』
「...」
一人で進む黒いローブの男の周囲が少しぼやけると、黒い靄のような人影がどこからともなく現れた。
まるで悪霊のように輪郭はぼやけ、姿形も顔すらもいまいちはっきりとしないその存在は、どうやら黒ローブの男の身を案じているようだ。
黒ローブの男の周りをふわふわと飛び回りながら、靄の悪霊は更に話しかけてくる。
『...ま、それでも進むってんならそれでいいんだがよ...。主さんがぶっ倒れちまったら全部お釈迦になっちまうんだぜ?』
「...」
『はぁ...また黙りか、つまらんなぁ。...ぶっ倒れちまう前に声かけろよ? そんときゃ助けてやるからよ』
「...あぁ」
話しながらも一歩、また一歩と歩みを止めない。たった数十歩前に付けた足跡が、強い風に吹かれて消えている。
暑くはないとはいえ、真上から照りつける太陽が鬱陶しい。なんならさっきから話しかけてくる悪霊のような黒い靄も鬱陶しい。
『にしても、本当にこの先に主さんの求めるものがあるのかねぇ...? こんだけ辛い思いして骨折り損じゃ浮かばれねぇよな』
「...うるさいな」
『おっと、そりゃ悪かったな。うるさい亡霊はここらでお暇しますよっと』
靄の悪霊がそう呟くと、体を形作っていた黒い靄が空気に溶けるように霧散した。
再び一人になった黒ローブの男は、変わらぬスピードで少しづつ進む。地平線の先には、ほんの少しだけ緑色の大地が見えてきた。
「くっ...」
不意に吹いた突風に、目深に被っていたフードが捲れ上がる。
フードで隠されていた長くも短くもない黒い髪が風に吹かれて暴れ、切れ長な鋭い目が面倒そうに細まる。
思わず舌打ちをしながらフードを被りなおした男は、青少年のようにしっかりした体躯に似合わず中性的な顔立ちをしていた。
その男の頭には、捻じれた四本の角が生えていた。