第1話
僕の本名は、ルカ・クラーレ。
クラーレは姓で、本来は親の名前を受け継ぐものだが、僕は親が誰なのかわからない。森で倒れていた僕をクラーレさんが助けてくれたのだ。
歳は15歳程だと思うのだが、親の遺伝子のせいなのか、髪色が脱色してしまったのか、僕の髪は真っ白に染まっている。
なぜ森にいたのか、自分の親が誰なのか、自分の名前以外の記憶を失い、今はここで生活をしている。
ここは、クラーレさんがマスターを務めるギルドで、街から離れた場所に立っている。
「ルカくん。おかわりはいる?」
「あ、じゃあ少しだけ…。」
栗色の長い髪をしている彼女は、シェリア・セシル。
クラーレさんの妹で、このギルドで家事全般と雑用をこなす、お母さんのような存在だ。
「ねールカくん。ごはん食べたら何する?」
「片付けを手伝って…そのあとは掃除の手伝いでしょ?あとは、花瓶の花を変えないと…。」
「えー!一緒に遊ぼうよ~。」
「リアーナ。あなたもルカくん見習って少しは手伝いしたらどうなの?」
僕よりも幼い彼女はリアーナ・ロゼッタ。
朝、窓の外から声をかけてきた赤い髪の少女だ。とても明るい彼女を見て、いつも元気を貰っている。
「で、でもー…。昨日、依頼頑張ったし…。」
「そういえばリアーナ。今日も依頼が沢山きてるんだけど、全部こなせるか自信ないんだよねー。」
「あたしがやります!!!」
「それは助かるな~。あとで僕の部屋に来てくれるかい?」
「はーい!」
彼女に優しく笑いかける青年。彼がこのギルドのマスターである、クラーレ・セシルだ。
「ほんと、お兄様には弱いのよねーあの子。」
「そ、そうですね…。」
「あ、ルカくん。お寝坊さんな二人に朝食を届けてくれない?」
「あ、はい!わかりました。」
玄関から奥へ奥へ廊下を進んでいった先に、たくさんの本が保管してある部屋がある。
本棚にはもちろん、机の上にまで本が積まれているその部屋は、彼の寝床になってしまっている。
「リーガルさーん。朝ですよ~。」
「…あぁ。ルカか。」
「おはようございます。朝食、ここに置いておきますね。」
「ありがとう。」
両脇に本を積み重ね、その間で突っ伏して寝ていた彼は、クラーレさんとシェリアさんの弟のリーガル・セシル。彼も同じ栗色の髪をしているが、部屋が薄暗いせいで茶色のようにも見える。
「昨日も遅くまで本を読んでたんですか?えっと…これは魔導書かな?」
「魔導書に興味があるなら1冊持って…いや。1冊と言わずこの魔導書シリーズ全18巻を読むといい!これは、初心者でもわかりやすく、使い方はもちろん魔法を扱う上での基礎知識や、その魔法に込められた意味もすべて書か…」
「ま、魔導書はまた今度にします…!僕はこれで!!」
普段は口数が少なく、物静かなのだが、興味のあることに対してものすごく熱く語り始めることがある。彼はソーサラー(魔法使い)で、あのように夜遅くまで書斎で本を読んでいることが多い。
今日のように、朝食を運んでくるのが僕の日課になってしまっている。
ーコンコン
「アリサー?起きてるー?」
扉の向こうへ声をかけるが、部屋の中からは物音一つ聞こえなかった。
「まだ寝てるのかな…。はいるよー?」
ピンクのカーテンが外の光を遮り、部屋が薄暗くなっている。足元に注意しながらベッドへ近づくと、中で何やらもぞもぞと動いていた。
「アリサー?朝だよー。」
「んん…。」
「もー…。こっちに置いとくからね。」
中々起きない彼女を見て、渋々持ってきた朝食をテーブルに置こうと背を向けた。
一歩踏み出した瞬間、服の裾がなにかに引っかかった感覚がして、後ろを振り返った。ベッドから伸びた白くて細い彼女の腕が、僕の服の裾を掴んでいた。
「……だめ…いかな……いで………。」
「ア、アリサ…?」
「わ…たしが………るか…ら……。」
何かを訴えるように手を伸ばしてくる彼女を見て、何気なくその手を握りしめ、その場に腰を下ろした。彼女の温もりが、じんわりと伝わってくる。
「……………ん?」
「ア、アリサ。おは…」
「なっ!?」
ービシッ!!!
僕の右頬に、彼女の平手打ちが見事に命中した。
「はい。ルカくん。治療終わったよ。」
「ありがとうございます…。」
クラーレさんの部屋で頬の腫れを治療してもらった。彼はプリースト(聖職者)で、命に関わらない程度の傷をたちまち治すことが出来る特別な力を持っている。
「アリサ。せっかく起こしに行ってくれたルカくんに、平手打ちはよくないと思うよ。」
「正当防衛です!私が寝てる時に手を握ってこっちをじっと見てたんですよ!?気持ち悪い!」
彼女は自分の身体の前で腕を組むと、こちらを睨むようにして冷たい視線を送った。
「そ、それは、アリサが手を伸ばして来たから…。」
「手を握ったのはあんたでしょ!?」
「落ち着いて、アリサ。…とにかく、この場は二人とも謝って仲直りでどうかな?」
「…ごめんアリサ。」
「私は悪くないから。じゃ。」
「こら!アリ…」
大きな音を立てて扉を閉めると、クラーレさんが小さくため息をついた。
「ごめんねルカくん。」
「い、いえ…!僕が悪かったので…。」
「2人共、僕の子供だと思って接してきたつもりなんだけどな…。中々難しいね。」
「クラーレさん…。」
彼は僕に苦笑いをして見せた。
アリサも僕と同じように親がいない。クラーレさんはまだ23歳という若さで、親というよりは年の離れた兄弟くらいの年の差だというのに、僕と彼女2人の親代わりになってくれている。
一応、僕が兄で彼女とは兄妹ということになっているのだが、彼女が心を開いてくれない。仲良くなろうと出来る限りの努力はしているつもりだ。しかし、しつこく追いかけ回すわけにも行かず、彼女からは避けられてしまい、ほとんど会話することもない。
「ルカくんは、アリサの事どう思ってる?」
「仲良くしたいと思ってはいるんですけど…。」
「アリサも年頃の女の子だから難しいよね…。僕の方でも何とかならないか考えてみるよ。」
「ありがとうございます。」
「今日は何をして過ごすつもりかな?」
「シェリアさんの掃除の手伝いをしようと思ってます。」
「そっか。よろしく頼むよ。」
「はい!」
僕がここに来てからもうすぐ1年程が経とうとしている。来たばかりの頃は言葉を話す事も忘れ、もちろん読み書きも出来ない赤子同然の状態だった。
そんな僕をこのギルドの人達は暖かく迎えてくれた。話し方も読み書きも、食事のマナーや家事のやり方、あらゆる事を教えてもらった。今では歳相応の知識やモラルが身につき、少しでもギルドの力になろうとシェリアさんと共に家事を手伝っている。
「毎日毎日手伝ってもらっちゃってごめんね~ルカくん。」
「いえ!少ししか役に立ててないですけど…。」
「あら、そんな事ないわよ~。とっても助かってるわ。」
「僕も依頼が出来るようになれば、もっとギルドの力になれると思うんですけど…。」
依頼とは、このギルドが受け持っている業務の1つで、街で困っている人達の為に代わりに頼まれた事をこなしている。森で薬草を集めたり、人探し、荷物の配達などその内容は様々だ。
ここで拾われてお世話になっている以上、家事だけでなくもっとギルドの為になろうと、自分に出来る事を増やしたいと考え始めていた。
「どんな依頼があるかお兄様に聞きに行ってみたらどうかしら?いろんな依頼があるはずだから、簡単なものならできるかもしれないわ。」
「そうですね!聞いてみます!」
「このまま、家事をしてくれたほうが、私としては助かるんだけどね?うふふ。」
「もちろん、依頼はしますけど、家事もお手伝いしますよ!」
「あら、頼もしいわね~。」
掃除を終えたあと、早速クラーレさんの元へ行ってみることにした。
「あれ?ルカくんどうかした?」
彼の部屋に入ると、テーブルの上に大量の草花が広げられていた。近くには透明な瓶が置いてあり、中には液体が入っているものもある。
「これ…薬を作ってたんですか?」
「うん。頼まれた物をね。何か話をしに来たのかな?散らかってるけど、よかったらそこ座って?」
「あ、はい…!」
薬草で溢れたテーブルを挟んで、向こう側のソファーに腰を下ろした。
「あの…僕でも出来そうな簡単な依頼ってあったりしますか…?」
「依頼をしてみたいのかな?」
「はい…!僕も、シェリアさんの手伝いだけじゃなくて、ギルドの為に何かしたいと思って…!」
「なるほどね…。」
彼はその場に立ち上がると机の方に歩いて行き、積んであった書類を手に取った。
「そうだな…どの依頼も、ある程度戦闘技術がないと難しいものばかりだから…。」
「出来そうなもの…なさそうですね…。」
「採集系の依頼は結構簡単なんだけど、万が一の時に備えて自分の身を守れるくらいは出来ないと、僕は安心して送り出してあげられないんだ。」
「そう…ですか…。」
「でも、ここに届いてる依頼だけが全てじゃない。街にある集会場にいけば、街の中で出来る安全な依頼もあるはずだから、そこを見てきたらどうかな?」
「わかりました!じゃあ、早速行ってみます!」
「あ、ルカく…!」
クラーレさんに言われるがまま、僕は街の集会場を目指した。