第10話
「ん…。」
目を開けると、辺りは薄暗く、物がたくさん置いてある埃っぽい場所だった。広い部屋の天井に、ぽつんぽつんと裸の豆電球がぶら下がっている。
「ここは…?」
「…だ…誰か……。」
「だ、誰?」
「………お兄…ちゃ……ん。」
「え?お兄ちゃん…?」
か細い少女の声が微かに聞こえて来る。辺りを見渡すが、暗いせいで少女の姿はどこにも見つからなかった。
「どこにいるの?」
「助け…て…お兄ちゃ……ん…。」
「わ、わかった!待ってて!今行……って…あれ…。」
ーガチャガチャ
金属がぶつかり合う音と共に、動かそうとした足の動きが止まる。足元を見ると、足枷がはめられて動けない状態になっていた。
「な、なにこれ…。」
「……い…や…やだ………やめ…て!」
「大丈夫!?えっと…どこかに鍵は…。」
足だけでなく、手まで拘束されていて、思うように動くことができなかった。体を捩りながら、少しずつ前に進んでいく。
「どこだ…鍵…どこかにあるはずなのに…っ。」
「お前が探しているのはこれか?」
突然、目の前に黒い人影が現れた。その影の中にキラリと光る鍵が握られていた。
「鍵…!そ、それです!」
「これを使ってお前は何をしたい?」
「何って…手足を動かすために鍵を…。」
「手足を自由にして、お前は何をしたい?」
「自由に…したら…?えっと…。」
手足が自由になれば、歩くことも走ることも出来る。この薄暗い場所から抜け出すことも出来る。その影の問いかけに自分が何をしたいのか、わからなくなってしまった。
「お前はここから逃げたいと思っているな?」
「それは…。」
「それでは彼女は救えない。お前にはまだ早かったようだな。」
「彼女って誰の事…?早いって何が…!」
「元いた場所に戻りなさい。お前にはまだ教えられない。」
「…っ!」
目を開けるとベッドの上に横たわっていた。そのすぐ隣に、ヴェルが目を閉じて眠っている。自分の部屋ではない窓が視界に入り、ここがヴェルの部屋である事がわかる。
「あれ…?なんで、ここで寝て…。」
「…ん?なんだ?何かあったか?」
「ヴェラ…?…そ、そうだ!身体は!?ヴェルは大丈夫なの!?」
「大声をだすな!全く…今何時だと思って…。心配するな。何事もなく治ったよ。」
「よかった…。…っ。本当によかっ…。」
「ちょ、ちょっと。なんで泣いて…。」
「ご、ごめん…。ホッとしたら…なんか…涙が…。」
「お前のおかげだ。ありがとう。」
「ヴェラ…。」
「明日一日、安静に休む為にヴェルが部屋から出ないように見張ってやってくれ。」
「うん。わかった。」
「頑張った褒美だ。よく眠れるまじないをかけてやろう。目を閉じて、体から力を抜いて、深呼吸。」
「すー…はー…。」
彼女の小さい手が、僕の額に乗せられた。その重さが心地よく、徐々に意識は薄れていった。
ゆっくりと瞼を開くと、部屋の窓から明るい日差しが差し込んでいる。心地よい風が吹き込み、カーテンが静かに揺れている。
「ここは…ヴェルの部屋…。あれ?ヴェルは…?」
隣にいたはずの彼女の姿がなく、身体を起こすと扉の前で言い争っているヴェルとルルの姿があった。
「ルルー!痛い痛い!そんなに引っ張らないでよー!」
「一日安静に!ヴェラ様の命令です!勝手に部屋から出ていかれては困ります!」
「あ!ルカ!やっと起きたのー?」
「え?やっとって今朝じゃないの?」
「何言ってるの!もうお昼過ぎたよ?」
「ええ!?僕そんなに寝てたんだ…。」
「ヴェラ様のまじないの効果でしょうね。よく眠れたようでよかったです。」
「昨日はありがとうルカ。あたし結構危なかったみたいだね…あはは…。」
「笑い事ではありませんよ。いくらヴェラ様でも治せないものもありますからね?」
「う…あたしが勉強不足だからでしょ?わかってるよ…。」
「勉強って、ルルが教えるの?」
「はい。ヴェラ様からどのように教えるか仰せつかっております。」
「僕も一緒に勉強しようかな。吸血鬼の事知りたいし。」
「おー!なんか、2人なら勉強出来そうかも!そうしよ!ルル!」
「かしこまりました。ではまずは基礎から勉強して参りましょう。」
ヴェルは机の椅子を引き、僕はその隣に椅子を寄せて腰を下ろした。机に飛び乗ったルルが、僕達2人の前に背筋を伸ばして座った。
「まず吸血鬼はなんの為に血を吸うでしょうか?」
「えっと…血を吸うことで寿命を伸ばして生き長らえるんだよね?」
「他には何があるでしょうか。」
「血を使って色んなことが出来るのも血を吸う目的の一つだよね?」
「その通りです。色々と目的はありますが大きくわけてその二つがあげられます。」
「出来ることってどんなものがあるの?」
「えーっと…。んー…出来る事かぁ…。」
「そうですね…1つ例を挙げるとすれば、自身の思い通りにイメージする事で、どんな物でも作り出す事が出来ます。ただし、生き物を作り出すことだけは出来ませんね。」
「そうなんだ…。」
「試しに生き物を作って見た事があったんだけど、動くだけのただの人形しか作れなかったんだよねぇ。」
「理性、本能、感情。そういったものまでは作りだす事は出来ないようです。」
「ふぅん…。」
ーぐ~…
「あ、ごめん…。お腹すいたみたい…。」
「そういえば、ルカは起きてから何も食べてないもんね。」
「何か簡単に作ってくるよ。ヴェルは、部屋から出ないように…ね!」
「はいはーい。」
「ベッドに縛り付けてでも部屋から出しませんのでご安心を。」
「こ、怖~…。」
「ただいま~。」
「おかえりなさいませ。」
「早かったね!もう食べてきたの?」
「ううん。作って持ってきた!」
パン、オムレツ、サラダを盛り付けたお皿をテーブルに置くと、彼女が目を見開いてそれを眺めていた。
「これが人間の食べ物か~。」
「見たことないの?」
「うーん…覚えてないなぁ。」
「食べないものですからねぇ…。」
「食べられるのかな?」
「食べられると思いますよ。栄養にはなりませんが、人間に近い味覚はあるはずですから。」
「その黄色いやつ食べたい!」
「はいはい…。はいじゃあ、口開けてー…。」
フォークで突き刺したオムレツを彼女の口元へ運ぶと、パクッと口に含むみ、しばらく噛んで飲み込んだ。
「おいしー!人間の食べ物っておいしいね!」
「サラダも食べてみる?」
「うん!」
「あまり食べない方がいいと思うのですが…。」
「うー…これ苦い…。」
「野菜は口に合わないみたいだね…。」
「ひとまずヴェル様。人間の食べ物を食べる事について私の方で調べてみますので、安全が確認されるまで食べないでくださいね?」
「はぁーい。」
「よし。今日はこれくらいにしようルカ。」
庭の一角を使い、いつものようにガゼルと銃の練習をしていた。
「ふぅ…。いつも練習に付き合ってくれてありがとうガゼル。」
「それはいいけど…。それよりも、最近ヴェルとずっと一緒に居ないか?」
「え?そうかな?」
「仲がいいのはいい事だろうが…。ウナが寂しがってたぞ?」
「そっか…ウナが…。」
「おーい!ルカくーん。マスターがヴェルを連れて、2人で一緒に部屋に来て欲しいってー。」
2階の窓から顔を出したリアーナが、離れている僕に対して聞こえるように、大きめの声でそう言った。
「あ、うん!わかったー!」
クラーレさんの部屋に入ると、すでに窓から夕日が差し込み始めていた。彼女は交代の時間を迎えた後で、ヴェルの見た目をしたヴェラが、僕の後ろから続いて部屋に入った。
「クラーレさん。僕とヴェルに…用事ですか?」
「わざわざごめんね。ちょっと聞きたい事があって。」
「なんですか?」
「…僕の勘違いだったらいいんだけど。」
彼は僕達2人に背を向けて、窓の外の夕日を見ながらそう呟いた。
「勘違い…?」
「君…ヴェルじゃないよね?」
「っ!?」
こちらを振り向いた彼の表情は、どこか冷たく、彼女の目を真っ直ぐ見つめていた。
「どうして…そう思うんですか?」
「目を見ればわかるよ。僕が何も見てないように見えた?」
彼は僕達に微笑みかけている。顔は笑っていても、彼の琥珀色の瞳は笑っていなかった。
「そんなことは…ないですけど…。」
「どうして2人も、同じ身体に存在する事が出来るの?まさかとは思うけど…吸血鬼じゃないよね?」
「えっ…。そ、そんなわけないじゃないですか…。」
「ルカくん。君は嘘をつくのが下手だね。心が綺麗だから隠し事が出来ないのかな?」
「う…。」
彼の声が次第に低くなっているような気がした。彼の言葉の圧力により、手にうっすらと汗をかき、呼吸が乱れ始める。
「ヴェル。君はこれ以上、僕に嘘をつけるかな?」
「あたし…嘘なんて…。」
ヴェルを演じるヴェラの声が、彼に怯えるように震えていた。
「申し訳ないけど、これ以上吸血鬼をここに置いておくことは出来ない。…黙って出ていくなら、僕は何もしないよ。」
「もし…出ていかなかったら…?」
「…力ずくでも、ここから追い出す。」
「クラーレさん!なんでそこま…」
「吸血鬼が憎いからだよ!」
聞いたことの無い彼の声。見たことの無い彼の表情。部屋に張り詰めた重い空気に、背筋が凍るような悪寒を感じた。
「君自身に恨みはない。でも…。…僕の両親を…殺した…吸血鬼への憎しみは…一生消えない。」
怒りと悲しみ、憎しみを同時に吐き出すようにそう口にした。
「殺し…た…?」
「目の前で力尽きた…母の姿が忘れられない…。子供を必死に守り抜いた…父の姿も忘れられない…。」
彼の声は次第に震え、目に溜まった涙が頬を伝って床に染み込んでいった。
「そんなに憎いなら殺せばいい。」
「ヴェル!?」
「殺しはしないよ。僕は吸血鬼じゃないからね。」
「2人共…やめ…」
今にもぶつかり合いそうな2人を止めようと、1歩前に踏み出した足が、突如床に沈み始めた。足元に広がる赤い液体に見覚えがあった。以前彼女が部屋にやってきた時に、手紙から滴り落ちた血のように真っ赤な液体だ。
「ぅわ!?」
「ルカくん!」
「私が出ていくなら、こいつも連れていく。」
後ろの扉が開き、バタバタと足音を立てながらガゼルとリアーナが部屋に入ってきた。
「え!?な、なに…これ…!?」
「大丈夫か、ルカ!手を…!」
液体にどんどんと沈んでいく中、必死に手を伸ばした。1度は彼の手を掴んだものの、体の力が抜けて呆気なく離れてしまった。完全に床に吸い込まれると、目の前は真っ暗で何も見えなくなった。
どこからか聞こえる声も、意識が薄れていくのと同時に何も聞こえなくなっていった。




