第一章 06 非常識
俺が考えている引っ越しについて、街に近い山の中なら黙ってやってしまってもそこまで影響はない。近い分見つかりやすくはなるものの、そこは神の力とかでなんとかできる。実際に一部の神の使徒はそうやって引きこもっているらしい。
フィラーさんも俺の説明を聞いてそう思ったのか、だいぶ落ち着きが戻ったように見える。
ということで、ハルにも言わなかった爆弾を投下しよう。
「そんなわけで、せっかく近くなるんだし今後は俺自身も街に下りようと思うんですよ」
「………………は?」
おお、珍しい。フィラーさんの素っぽいところは初めて見た。ハルも驚いてこちらを見ている。
一方でトールはいつも通りだし、トーコもふんふんと頷いてるから二人はわかっていたようだ。
「えっと……ホムラ様、それは本気ですか?」
「もちろん。だから街の中と山の中、フィラーさん的にはどっちの方がいいのかなって話ですよ」
フィラーさんは少し待ってほしいと、必死な顔で考え始めた。
まぁなにせ神の使徒である。俺の場合は年に一度というある種のプレミア感に近いものがあったとはいえ、それが街に住むとなれば大変な大事だ。
人は集まるし、活気が良くなるのは間違いないだろう。それだけの人気はあると自負している。
反面、人が増えればそれだけトラブルの種も増える。
特に、街に住む使徒の力が強い場所では領主がただのお飾りになっているという話も聞く。人々の心を惹きつけるという面ではまず使徒に勝つことは不可能であり、神の意志と言われてしまえば何も言い返せない。
結局のところ、フィラーさんは良くも悪くも苦労することになるわけだ。
「……正直な心情を言ってもよろしいでしょうか」
「ええ。というか、俺としても一応聞いておこうって感じの話ですし」
「助かります……私としては、街の中に住むのは控えていただいた方がホムラ様方の都合としてもよろしいかと」
「でしょうね」
同意の意味を込めて微苦笑を返す。
最初から住んでいたならともかく、今になっていきなりこの街に住むのは面倒事が多すぎる。まず住む場所を決めるだけでも大騒ぎになるのは間違いない。
もちろんすべては俺がこうだ、と言えばすんなり決められるし、今まで通りでと言えばみんな従ってくれるだろうとは思う。けれども悪いことを考えるやつというのは絶対にいるものだ。
「街の近く、歩いて三十分くらいのところなら影響はどうでしょう?」
「山道から外れていれば問題はないかと。なんらかの対策はするのでしょうし」
「無意識のうちに近付くのを避けるような、そういう魔術で神社を囲うつもりです。まぁ引っ越し自体は隠すつもりありませんし、魔術をすり抜ける人もいるかもしれませんが」
害意がなければ別に神社まで来てもいいのだ。俺が対応するかはともかく。
そのあとも細かいところを相談した結果、明日改めて街に下りることになった。
そのときはしっかりと姿を見せた状態で、街の人々にハルのことも合わせて挨拶をするのだ。フィラーさんが今日のうちに街中に通達を出してくれるそうなので、騒ぎにはなるだろうがまぁなんとかなるだろう。
フィラーさんと別れの挨拶を済ませたあと、目を閉じて願う。
「――おいでませ」
胸に両手を当てるようにして声を紡ぐ。暖かいものを感じたところで目を開くと、フィラーさんがなにやら諦めたような顔をしていた。
それを慰めるようにトールが肩に手をやっているのだけれど……お前やけに馴れ馴れしいというか、失礼だな?
と思えば、トーコは欠伸を噛み殺そうともしていない。
……もしかしてこいつら駄狐コンビなんじゃないだろうな?
今後の生活に若干の不安を感じる俺であった。
◆
ホムラさんが一言、ただそれだけを呟くと、すうっとその姿が消えて見えなくなってしまいました。
来るときにも見た光景ですが、やはり尋常ではありません。ええ、すべてがです。
僕自身非常に強い風の加護を受けていますが、それでもたった一言の詠唱で魔術を使用するなんてことはできないのです。
本来魔術の詠唱とは、神々へ祈り、その祈りと願いを言葉に変換し、声に出して伝えることで初めて意味を成します。神々からその力の一部を借り受け、発現するのです。
より加護の強い者や熟練した者はそうした神々との繋がりが強固なものとなり、発現までの隙が減ったり詠唱を短くすることが出来るのです。
だったのです、が。
正真正銘の神様であるホムラさんにはそんな常識は通用しないようでした。
山を降りる前のことなのですが、万が一ということで自分の身を守るのに何ができるかという話になったのです。
風の魔術で身を守れると言ったところ、実際にやってみてくれと言われました。力量を調べるのは当然のことですから、僕は気合を入れます。
「それでは……風の神よ、私に力を貸しておくれ。その羽衣で害為すものから守っておくれ」
歌うように祈りと願いを紡ぐと、服がなびくように僕の周りで風が舞い始めました。
見た目は貧弱そうですが、野生の動物が飛び込んできても吹き飛ばせる程度には便利なものです。
どうでしょうか、とホムラさんに聞いてみたところ、まぁなんとかなるかなとのことでした。
少しくらい褒めてもらえるかなーなんて、そんなことを思っていたんですが……
ちょっと残念に思いつつ風の護りを解除して髪や服を整えていると、頭に何か柔らかいものが乗せられました。驚いて顔をあげると、優しく微笑んだホムラさんが僕の頭を撫でていたのです。
自分でもわかるくらい赤くなった顔を隠したくて顔を背けましたが、ふとホムラさんは何かを思い出したように顎に手をやって。
うんと頷いたあとで僕に手をかざして動くなよ、と。
……待ってすっごい怖いんですけど!?
覚悟を決める隙もなくホムラさんの口からあの言葉が紡がれると、一瞬視界がブレるような感覚がありました。思わずぎゅっと目をつぶってしまいましたが、それ以外には何もありません。
なんだろうと思いつつも恐る恐る目を開けると、ホムラさんはなんとも得意げな顔をしていました。可愛らしい……じゃなくて。
ホムラさんが白衣の隙間に手を入れると、その手には鏡がありました。どういう仕組みになっているのかぜひとも調べさせて……じゃなくて!
鏡を覗き込むと、そこには見慣れた僕の顔が…………あれ?
そこに映っているのは、緑ではなく赤みがかった金髪。さらに透き通る緑の瞳ではなく、一般的な明るさの赤い瞳。
どういうことかとホムラさんに尋ねると、魔術で見た目を変えた、と。
うん、意味がわかりません。僕は理解することを止めました。
そのままホムラさんは魔術で姿を消してしまったので、僕は何も言えませんでした。
もし言えたのならば、僕は我慢せず言ってしまったかもしれません。
……魔術って言えば何してもいいわけじゃないですからね!?
非常識なんですよホムラさんは!
◇
「主は意地が悪い、というか悪戯好きだな」
「いきなりどうした、トール」
「目的は親としてハルと一緒に街を、なんだろう?」
「不便だしハルの身の安全のためっていうのも嘘じゃないし」
「素直に言ってやったらどうだ、喜ぶぞ」
「甘やかしすぎるのも良くないだろ?」
「今更何を言っているのだ……」
「ところで、トール」
「どうした、主」
「なんかさ、街から帰ってきてからハルがちょっと冷たいというか、呆れてるような、そんな雰囲気あるんだけど」
「なに、ハルも直に慣れるだろうよ。それまでの辛抱だ主」
「お、おう? 俺が耐える感じなのかこれ?」
「恨むなら神を恨め、ってところだな主」
「俺じゃねーか!」