第一章 05 悪戯
前話にもありましたが、「◆」は視点が切り替わるところで使用しています。今回は前半と後半で視点が変わります。
見た目に大きな怪我はなかったとはいえ、小さな怪我や疲れは確実にハルの体力を削っていたらしい。俺のお父さん宣言のあと、気が緩んだのかハルはすぐに穏やかな表情で眠ってしまった。
気を失っていたときのそれ以上に幼く見える――そう言えば何歳か聞くの忘れた――表情は、ハルが本来ならまだ親と一緒に暮らしているはずの年齢だと改めて感じさせる。
ふと湧き上がる感情のままに、俺はそっと布団を掛け直し、その綺麗で柔らかな髪に指を滑らせた。
翌日、俺はハルに一日大人しくしているようにと言いつけた。
本人曰く大丈夫らしいけど、件の暴走がどう影響しているかもわからない。気持ちの整理をする時間も必要だろうと思い、紹介も合わせてトールとトーコを呼んで、敷地内から出ないよう交代で見張っておくよう厳命した。もふもふパワーで存分に癒やされるといい。
夜になって、ハルとトールが想定以上に仲良くなっていたのを知ってちょっと嫉妬してしまい、どっちにだろうと変に頭を悩ませる事になってしまった。
まぁ、男同士何か通じる部分があったのだろうと思う。俺は外見的に仲間に入れないから、トーコと遊ぶことにした。
呼びかけた俺の声は、すでに夢の世界へ旅立っていたトーコには届かなかった。
二日目はハルの行動を解禁した。
と言っても山の中の神社でやることなど大してない。主な仕事は家事である。
そういえばハルはまだ七歳になったばかりだと言う。十歳にもなっていないだろうとは思っていたけれど、ちょっと予想以上に幼くて焦る。やはりこの世界の子どもは成長が早い。というか俺が外見で何歳に見られるのか不安で仕方がない。
そんな子どもに力仕事はあまりやらせられない。そう思ったのだけれど、ふんすと気合を入れるハルを見たら駄目とは言えなかった。
そして衝撃の事実。
俺がやるよりもハルがやった方が効率が良かった。いやもちろん二人でやるのがいいのだけど、一人でやる場合はの話。
掃除や洗濯なんかは道具の場所と簡単な注意事項を教えたらもう早かった。めっちゃ手慣れていて、普段からこういうことをしていたのだろうと容易に想像できた。
さすがに筋力は年相応でどうしようもないものだから、力仕事はトールのお手伝いという形で頑張ってもらう。俺は精霊魔術を使わない限り最初から戦力外です。
しかし、現状でこれということは、ハルが大きくなったら本格的に俺の出番はなくなってしまうのではないだろうか。
お父さん宣言に早くも暗雲が立ち込めた気がした。
◇
「引っ越し……ですか?」
明くる日、朝食を終えたあとのお茶を飲みつつ過ごすまったりとした時間に俺は考えていたことを切り出した。
俺の言葉を反復するハル。なるほどという顔で頷くトール。座布団に顎を乗せたままこちらを見ようともしないトーコ。
とりあえず駄女狐には一発蹴りを入れて、話を再開する。うめき声なんて聞こえない。
「簡単な話、街への移動が不便過ぎるってことだ。俺とトールたちだけならそれでも問題ないんだけど、今後はハルにも街へ行ってもらうことがあるだろうから、もっと街へ近いところか、なんだったら街の中でもいいかなって」
「なんというか……随分と軽いんですね」
「別にここじゃなきゃ駄目ってことはないからな。たまたま最初にあったのがここってだけで、移動も難しくないし」
ふと視線をハルから外すと、微笑ましいというか若干にやにやした表情のトールと目があった。
……なんだその俺はわかってるぞ主とでも言いたげな顔は。
こほん。
「とにかく、そんなわけだから引っ越しをしようと思う。で、もし街の中に引っ越すならフィラーさんに話をしておく必要があるし、どちらにしろハルのことも紹介しないといけない」
だから、と続ける。
「俺が一年に複数回街へ下りるのは百五十年目にして初めてだ。さぞや大騒ぎになるだろうよ」
「主様、悪い顔」
二度目のうめき声はよく聞こえた。
◆
央の街の長であるフィラーさんの住むお屋敷は、街で一番大きいだけあって内装も相応のものでした。
本来こういった立場にある人には事前に連絡をして予定を作ってもらった上で会いに行くものなのですが、トールさんたちが北門の衛兵さんたちと少し話して、そのままのんびりお屋敷に向かったところ即座に入れてもらえたのです。
衛兵さんが猛烈な勢いで走っていくのが見えましたから、彼のおかげなのでしょう。
「これはトールさんにトーコさん、ようこそいらっしゃいました」
「フィラー殿、忙しいところ突然の訪問申し訳ない」
「いやいやホムラ様のことで大事なお話があると伺ってますから、それ以上に優先することなどありませんよ」
トーコさんもトールさんに合わせて頭を下げています。
ホムラさんのお手伝いとして近い立場にいる――という設定の――お二人は、この街にとって間違いなく重要人物です。フィラーさんはまだ継いだばかりと聞いていますので、お二人に対する敬意が見て取れます。
と、やり取りを見ていた僕とフィラーさんの目が合いました。トールさんもそれに気づいたようで、僕の頭に手をやって紹介してくれます。
「この子はハル。我らとともに神社で暮らすことになったもので、今後はこうして街に来ることもあるだろうからその顔合わせにと思ったのだ」
「なんと……そうでしたか。ハルさん、私はこの街の長を務めるフィラーという者です。何か困ったことがあったら遠慮なく言ってくださいね」
「ハル、と申します。ありがとうございます、フィラーさん。どうぞよろしくお願いします」
……うん、聞いてはいたけど、フィラーさんは良い人だ。
「さて、大事なお話ということですから場所を変えましょう。執務室なら人の目も少ないですし、使用人たちにも言い含めやすいのでよろしいかと」
「お気遣い感謝する」
長としては頼りない、なんて声もあるのかもしれないけれど、僕の印象としては安心できて頼りになる人で。ここはいい街なんだと思います。
思わず緩みそうになる頬を我慢しつつ、僕はトールさんに触れられた赤みがかった金髪を整えながら応接室を出るみんなの後ろに着いていきました。
「――それで本題なのだが……フィラー殿。なんというか……これから頑張ってほしい」
執務室に据えられた上品なテーブル。それを囲った僕たちはお茶をいただいて、そうして一息入れた直後のトールさんの言葉です。
フィラーさんはその意味を考えるようにほんの少し不思議そうな顔をしましたが。
「その言い方はないだろトール。フィラーさんが困ってるじゃないか」
直後に聞こえた、ここにはいないはずのヒトの声に目を見開いていました。
さっきまで誰もいなかったはずの場所。僕の隣にいつの間にかホムラさんが座っていたのです。
……ほんと、規格外の魔術ですね。
ホムラさんは悪戯を成功させた子どもみたいな顔で――実際僕より少し年上にしか見えませんが――笑うと、フィラーさんに謝りました。
「いきなり俺が街に姿を見せると大騒ぎになると思いましてね。失礼とは思いましたがこうして姿を消して、先にフィラーさんだけ事情を説明する形にしようかなと」
「は、はぁ……いや、私の心臓が大騒ぎしておりますが……」
それはそうだろうなぁとつい肩を竦めます。姿を見えなくすることも、そんな状態で他人の家に入ることも、どちらも信じられないことです。もちろん、そんなことができるのかという意味で。
よくはわかりませんが、火と風の魔術の複合で周囲の景色と同化してるとかなんとか……僕には理解できる気がしません。
フィラーさんが落ち着くのを待ってから、今回の本題をホムラさんが話し始めることになりました。