第一章 04 ハルフィ
「さて、からかうのはこれくらいにするとして、だ」
ぽん、と手を打つと少年はいかにも不服であるといわんばかりの表情でこちらを見た。
上半身を起こした状態の少年と正座している俺では当然目線の高さが違う。つまり、この少年はかわいらしい顔で若干の上目遣いをしつつこちらを睨むような形になっているわけで。
……なんだろう、この、うん。
ぞくぞくするとまでは言わないけれど、込み上げてくる何かがここにある。守ってあげたくなるような、愛でたくなるような、なんというか保護者の気持ちだろうか。
これくらいにすると言ったばかりなのにもっとからかってあげたくなる。
こほん。
「ここは央の山にある神社で、俺はここに住む巫女のホムラだ。山の中で倒れていたキミを……まぁ同居人の一人がだけど、見つけたんだ。で、とりあえず保護したわけだけども……少年、キミの名前を聞いてもいいかな?」
「……ハルフィ……ハルフィです」
「ハルフィね、ならハルって呼んでいいかな?」
少年――ハルは小さく頷いた。
「ん、そんじゃハル、話せる限りでいいから事情を教えてもらいたいかな」
◇
結論から言うと、俺はハルから何も教えてもらえなかった。と言うか、聞かないことにした。
いや、事情を聞こうとしたら俯いちゃって、しかもそのまま泣きそうになったものだから耐えられなくなったのだ。
慌てて「辛いこと思い出させてゴメンな! もう大丈夫だから!」って落ち着くまで抱きしめてあげて、ひとまずは事なきを得たのだけれど。
さて、どうしようか。ハルを抱きしめたまま考えてみるけれど、いまいち思いつかない。
んー、と唸っていたら、無意識のうちに尻尾がぽふんぽふんと畳を叩いていることに気がついた。
正確に言うと、ハルが俺の尻尾を穴が開きそうなほど見つめていて、そこで初めて自分が尻尾を動かしていることに気がついた。
……んん?
尻尾を縦じゃなくて横に動かしてみる。
ハルの目も横に動いた。
円を描いてみる。
ハルはばっちり目で追っている。
「……なぁ、ハルくんや」
「……」
「……これ、見えてるの?」
ハルは尻尾から目を離して、俺の顔をじっと見た。
その視線が少しだけ上に動いたのを見て、俺は確信する。
「そう、ですね……尻尾も、その耳も、です」
「あー……」
「あの……えっと……かわいらしくて素敵だと思います」
「ありがとう。でもちょっと待ってくれる?」
何が何だかわからない。誰か説明してくれないだろうか。耳と尻尾が見えるのはどういう人間かっていうのは大事だと思うのだけど、こういうとき役に立たないイナペディアである。
とりあえず、普通の人間には見えないというのはこの百五十年間でよくわかっている。そしてハルが普通じゃないというのは目覚める前からわかっていたことなわけで。
その『普通じゃない』のレベルが数段階上がっただけの話だ。
さて、何をどこまで説明しようかと天井に視線を向ける。
今まで隠してきたことではあるけれど、別に知られたところでどうでもいいというのが本音だ。むしろ変に誤解される方が精神的によろしくない。
抱きしめたままだったハルに視線を下ろす。その綺麗なエメラルドの瞳と俺の焔のような瞳が交差した。
その瞬間、俺ははっきりと胸の内に何か暖かいものが灯るのを感じた。それはさっき感じた保護者の気持ちをより確かなものにしたような感覚。庇護欲と言っても差し支えないもので。
「……」
「……ハル?」
「お姉さんは、もしかして……」
お姉さん、という言葉にむず痒いものを感じる。今でも一応、気持ちは彰常のままなのだ。
変な顔になりそうなのを我慢して、真剣な眼差しで見つめるハルに視線を返すと。
「……ホムラ様は、……いや……神さま、ですね?」
このとき受けた衝撃を、俺はいつまでも忘れられないと思う。
◇
「……神の体に、巫女の魂……そんなことが……」
「あるんだよねぇ、これが」
結局、俺は全部話すことにした。ハルには話しても大丈夫だと、そんな確信があったからだ。
もしかしたら俺のことを知ってほしいと、そういう思いもいくらか含まれていたのかもしれないけれど。
「いえ、それは……信じられるのですけど……」
「信じられるのか。神の降臨なんて四人の使徒の頃の話だろうに」
「それよりも、その……ホムラ様は、男性なんですか?」
そっちか。
「様付けなんてしなくていいよ。それに好きなように呼んでくれていい。この体は魂まで間違いなく女だしね」
「……わかりました。それではホムラさん、お願いしたいことがあります」
「ん、言ってみ?」
ハルは姿勢を正すと、まっすぐに俺の目を見たあと頭を下げた。
「僕には帰る場所がありません。ホムラさんとイナリ様が許してくれるなら、ここに置いてほしいのです。もちろん、僕にできることはなんでもします」
「……事情の説明もできないのに、調子のいいこと言ってる自覚はあるんだな?」
「……ごめんなさい」
そう言って俯くハルの姿は年相応のそれで、それまでの大人びた話し方は子どもが精一杯背伸びをしていたかのように思える。
良く言えばしっかりしているのだろう。逆を言えば、それはひどく不安定なように感じられた。
帰る場所がないということは、頼れる大人がいないということでもある。
まぁ、そもそも見捨てるという考えは欠片も持っていないのだ。
俺は一度咳き込むと喉の調子を見て、普段より明るい声が出ることを意識した。
「よしっ、それじゃあ俺がハルの新しいお父さんになってあげよう」
「……えっ」
「子育てをしたことはないけど、伊達に長生きしてないぞ俺は。だから俺に、お父さんに好きなだけ甘えて、いくらでも頼ってくれていいぞ?」
満面の笑顔……はできているだろうか。
両手を広げながらの俺のお父さん宣言に、ハルはぽかんと口を半開きにしたまま停止した。
そのまま数秒の時間が経過して、いい加減俺が恥ずかしさで震えそうになったころ、やっとハルはくすりと笑った。
「……そこはお母さんじゃないんですか?」
「こんな男っぽいお母さんは嫌だろ? 外見はこんなんだけどさ、中身的にまだお父さんの方がらしいだろ」
「残念ですが、それはまだ僕にはわかりませんね」
「お、じゃあ見とけよ。立派なお父さんをやってやるからな?」
二人で笑うと、不思議と気分が落ち着いた。
こうして、俺とハルのちょっと変わった親子生活は始まったのだ。
◆
それは、僕にとって間違いなく人生が変わった瞬間でした。
七歳になり、洗礼式を経て一度変わった僕の人生。ただ一人、お母様を除いて全員の僕を見る目が変わったあの瞬間は今でも夢に見るのです。
央の山に住むという巫女様を頼るようにと聞き、なんとか逃げ出したまでは良かったものの、追いつかれたときはほんとうに死を覚悟しました。
ですが、こうして助かったのです。あのとき、僕は命だけでなく心までも救ってもらったのです。
あの方はまっすぐに僕を、ハルフィを見てくれたのです。事情も何も話せないこの僕を、一人の子供として見ると。守ってあげると。
正直に言うと、一目惚れでした。それがあの瞬間、心からのものに変わったのです。
僕は、あの方に――ホムラさんに一生ついていきたいと、隣に立って支えてあげられるようになりたいと、そう願いました。
そのためなら僕は――ハルフィードはなんでもしようと誓いを立てたのです。




