第一章 17 特に何も
はっと意識を戻したときには、すでにフィラーさんの屋敷の前まで辿り着いていた。
警護の人がなにやら心配そうな顔でこちらを見ているけれど、笑って誤魔化しておく。どうやら自分でも無意識のうちに行動していたようで、間もなくフィラーさんに迎え入れられることになった。
「――なるほど、まさかアイリア商会のお嬢さんが来ているとは……」
「有名なんですか?」
「直接お会いしたことはありませんが……非常に優秀だと評判ですね。良くも悪くも決断力、行動力に秀でていて、空回りすることもありますが神に愛されていると」
当初の目的であったフィラーさんとの簡単な打ち合わせ――このあとどこに顔見せに行くか――を済ませ、予定の時間まで情報交換という名の雑談の時間である。そこで俺はさっきの出来事を話しておくことにした。
……それにしても、神、ねえ。
ハルほどではないとはいえ、神が気にかけているということを考えるにそれも間違っていないのかもと思う。
最初から強い好意を向けられていたというのもあるのかもしれないけれど、実際「また会える日を楽しみにしている」と伝えたのは俺の本心からなのだ。
「それで、エイミーさんとの話の流れで考えたんですが……数年経って生活が落ち着いたら、神社のみんなで旅行に行きたいなと思いまして」
「旅行、ですか?」
「ええ、恥ずかしいことですが俺は山の中とこの街しか知りませんし……みんなにもいろいろなものを見せてあげたいんですよね」
「なるほど……そうですね。でしたら、そのときは個人的に何かお土産を期待してもよろしいですかな?」
いたずらっぽくフィラーさんが笑って言う。
「あー……うん、もちろんです。面白そうなものがあったら、持って帰りますね」
苦笑、というには些か心穏やかな笑みが浮かぶ。
長という立場で言うなら、俺がこの街を離れるなんて歓迎はできないのだろうけど……そこは目を瞑ってくれるらしい。ただし、ちゃんと無事に帰ってくること、ということで。
お父さんか何かですか、まったく。
「ところで、エイミー嬢のお話で一つ気になったのですが」
そんなどこか暖かい空気の最中で、ふと思い出したようにフィラーさんが話を戻した。
なんでしょうと俺が先を促すと、若干の変な、としか言えない微妙な顔で。
「エイミー嬢が遭遇したというその大猪についての詳細はお聞きしたのですか?」
「…………あっ」
そういえば……身元の確認と、俺の話。主にそれで話が逸れてしまって、肝心の「何があったのか」を俺は聞いていない。
まぁ、たぶん、あのあとで隊長さんが思い出して聞いているだろう。聞いていると思う。
「そんなことだろうと思いましたよ」
「あはは……いやあ、すみません」
「ホムラ様にもこうして気が抜けるというか、普通の人らしいところがあるんですね」
……似たようなことをトールにも言われたな。
「ですが、その大猪に関してはおそらくですが予想がつきます」
「あれ、そうなんですか?」
「先程連絡があったのですが、組合の方に多数の獣が納品されたそうです。その中には子どもの猪や熊もあったと」
「その子猪の親がそうではないかってことですか」
「あくまでも可能性です。が、どちらにしても注意するよう通達を出したほうが良さそうですね」
フィラーさんがさらさらとペンを走らせる。
そういう仕事としてあるのかと思ったけれど、さすがに多数の獣の納品があったくらいでフィラーさんに連絡が行くものなのだろうか?
そんな俺の疑問が顔に出ていたのか、フィラーさんは少し悩んだあと姿勢を正した。
「ホムラ様にも念のためお伝えしておきますが……その納品した集団、ちょっと注意しておいてほしいのです」
集団というその言葉に、門の前で見たものを思い出す。
もしかして、と言ってみるとはたしてその集団で間違いないとのことだった。
「確かに嫌な感じはしましたけど、なにかあるんですか?」
フィラーさんは苦虫を噛み潰したような顔で教えてくれた。
「簡単に言ってしまうと、評判が良くないんです。よくトラブルを起こし、時には非合法な仕事にも関わっているとの噂ですが……実力は確かなだけに扱いに困るんだそうです」
「それは……なんとまぁわかりやすいというか」
「今のホムラ様は、その、お召し物が……」
「あー……」
そいつらと出会ったらただの町娘と勘違いして絡んでくる可能性がある、か。
いくら事前に伝えたところで、全員がしっかり把握してくれるとも思えない。
と、したら面倒事を避けるためには出会わないようにするのが一番なわけで、組合の方には近づかないようにしようと思うのだけれど。
「組合には個人的に顔を出そうと思ってたんですよねー」
俺自身は組合になにかあるわけでもないのだけど、トールが普段仕留めた獲物は組合に卸しているはずだ。
正直なところ、絡まれたところで人間に俺がどうこうできるとは思えない。このハイスペックボディはそういうものだし、そもそもこの世界における"神"というのがどういった存在なのか、甘く見てはいけない。俺はそちら側の存在である。
ふと見ればフィラーさんが困ったような表情をしていて――ああ、さっきの発言で俺がどうするのか迷っているのだろうか。
「でしたらフィラーさん、あとで組合の方によろしく言っておいてくれませんか? 直接行けないお詫びも込めて、後日トールに何か持たせますから」
「申し訳ありません。組合には組合員の管理体制についてよく言っておきます」
当然のことだけど、街の長というのも大変だ。
◇
その後、予定の時間になったのでフィラーさんや重役数人とともに挨拶回りに出発した。
まぁ大したことがあるわけでもなく、改めてよろしくお願いしますという程度の意味でしかない。それが大切なのだけれど。
俺が動くことで良くも悪くも何か起こる可能性は高いのだから、いざという時の味方は多いに越したことはない。
懸念事項だった集団とも出会うことはなかった。
仮に出会ったとしても、さすがにフィラーさんなどと一緒にいるところで何かしてきたらそれはただの馬鹿である。逆を言えば、別れたあと。俺が一人になってからが狙い目といえるのだけど。
「今日はありがとうございました、ホムラ様」
「いえいえこちらこそ。お忙しい中ありがとうございました」
「はい。それと、組合の方にはしっかりと言っておきますので」
フィラーさんは随分と気にしているようで、周囲の警戒もいつも以上だった。
……複雑ではあるけれど、俺の外見を考慮すると仕方がないというか、当然というか。
「いっそのこと派手に暴れてみせた方がいいのかね……」
「よくわかりませんがその不穏な言葉は聞かなかったことにしておきますので止めてくださいね?」
「冗談ですよ」
目がマジだった。
「明日は確か下りて来られないんですよね?」
「はい。トールたちはわかりませんが……俺はやることがあるので、すみませんが今日の続きはまた後日に」
そうして別れの挨拶も済ませて……さて、どうしようか。なにか買い物をしていってもいいのだけれど。
数秒考えて、なんとなく面倒になってしまった。このまままっすぐ帰るとしよう。
門を出て、森の中の広場まであっという間に到着する。風の精霊に聞いてみたりもしたけれど、なにもおかしなことはなかった。
正直言うと、件の集団が襲撃でもしてくれないかなー……なんて、思っていたのに。
合法的に処理できると期待していたようなこともなく、俺はただいまを告げた。




