第一章 15 衛兵
山を駆けて跳ね下りる。巫女装束の緋袴と違って柔らかい布だから、ちょっと跳ねただけで簡単に翻ってしまう。
もちろん周囲には誰もいないのだから、そんなことは気にしていない。歩くと時間がかかって面倒なだけである。
「ん、よっと……」
途中の石や木の枝を大きく避ける。翻りやすいスカートはそれだけ引っ掛けやすくもあって、いつも以上に気を使わなくてはならない。
回避の訓練だと思えばなんとなく楽しく感じられるから不思議だ。
「はい到着っと」
門から少しだけ離れたところにある森の中の広場、ここを抜けると門からも見える位置に出る。つまり人と遭遇する可能性があるためにもう変なことはできない。
さっと身だしなみを整えて、軽く体を捻ったりしてみる。これで服の一部が裂けていたりしたら悲しすぎるのだけど……どこにも異常ないことが確認できて一安心。
一息入れて、元々乱れてもいなかったけれど息を整えて。さて行こうかと思ったときだ。
進行方向、自分の位置からは反対になるけれど、門へ近付いている変な気配を感じた。気配と言ってもそんな剣の達人みたいなものがわかるわけではなく、精霊魔術――つまり精霊の気配である。それも切羽詰まっているというか、慌てて精霊魔術を使用しているような気配であった。
これがもし悪意ある存在が襲撃のために、とかであるなら考えものなのだけれど……どうもそういった感じではないようで。
数秒悩んで、以前耳にしたあることを思い出した。
トールたちが見回りをしているから滅多にないのだけれど、それでも稀に大型の熊なんかが街の近くまで下りてきてしまうことがあるらしい。
百年くらい前からこのあたりでは魔物が見られなくなっているために危険度は下がっているものの、その代わりか野生の獣が増えている。そういった野生動物にたまたま周辺で採取などをしていた人が襲われることがあるのだと。
その襲われた人が、逃げながら精霊魔術を使っているのでは?
そう考えつつも、ひとまず俺は万が一に備えて門へ向かう足を早めた。
門のところでは、ちょうど見慣れない集団が街の中へと入っていくところだった。
おそらく他の国から来た組合員なのだろう。あまり柄が良くないというか、衛兵さんも顔をしかめてなにやら連絡を取り合っている。気にはなるけれど、今はそっちじゃない。
近付く俺が見えたのか、こちらを見た衛兵さんが一拍遅れて笑顔になった。
「これはホムラ様、おはようございます!」
「おはようございます、お仕事おつかれさまです」
「お気遣いありがとうございます! 今日もそちらのお召し物なのですね。やはりとてもお似合いですよ」
「ありがとうございます。……すみません、話に花を咲かせる暇がなくて。魔術を使用しながらこちらに近付く存在がいます。おそらく獣かなにかから逃げているんじゃないかと思うんですが、警戒をお願いします」
そう言うと、笑顔だった衛兵さんの顔が一瞬で引き締まる。
「ご報告ありがとうございます。ホムラ様は後方へお下がりください」
「気をつけてくださいね」
まだ近くにいた別の衛兵さんにも聞こえていたようで、俺たちが会話をしている最中すでに笛を吹いているのが見えた。
笛の音を聞いて詰め所からも人員がやってきて――情報のやり取りからその後の連携まで、とてもいい動きができているように思えた。
そうして準備が整った頃には、鳥の鳴き声や木々をへし折る音が響いてきた。相変わらず魔術を使用しているようだけど、結果としては芳しくなかったらしい。
「見えたぞ! 人影が一、その後方に大型生物が一!」
「他には!」
「それだけだ! あれは……猪か!? あんなサイズ見たことがないぞ!? 人の方はやはり追われているようだ!」
「ならば魔術の用意! 定石通り地と風で行くぞ!」
「「了解!!」」
対象と状況を確認して、即座に立ち位置を変更。慣れているというか、魔物ではないただの野生の獣相手でも一切油断しないという意思がよく見える。
まぁ今回の場合追われている人がいるということで、怪我人を出さないためにもより気合が入っているのかもしれない。一歩間違えたら大怪我は済まないもんね、猪の牙って。
「いいかお前ら! 後ろにはホムラ様がいらっしゃるんだ! 絶対に無様な姿は晒すなよ!!」
「「「了解ッ!!!」」」
……そっちかよ!? さっきより気合入った返事してんじゃねーか!
思わぬことにがくっと力が抜けたものの、彼らは本気である。
俺としてはなんとも言えない緊張感が漂う中、彼らの祈りと願いの言葉が紡がれる。
「「地の神よ、大いなる大地を操る術を与えたまえ!」」
シンプルなその詠唱は、地の加護が強くない人でも使用できるためによく使われるもの。その分効果は多少地面を動かして穴を掘ったり小さな壁にしたりする程度なのだけれど……十分過ぎるくらいだ。
突然発生した段差に躓いた大猪が、盛大な咆哮と土煙を上げて転倒する。追われていた人――女性だ――も驚いて一瞬後ろを振り返るけれど、何が起こったのか理解したようでその足を早めた。
「すみません! 私では仕留めきれなくて連れて来てしまいました!」
「そんなことより怪我はないか嬢ちゃん?」
「あ、はい大丈夫です!」
「よし、なら下がっていてくれ。お前ら追撃行くぞ!」
安全が確保できてからは呆気ないもので、起き上がる前に地の精霊魔術で拘束、暴れることを防いだ上で風の魔術を乗せた槍でとどめと、危なげもない見事な連携だった。
肝心の大猪は損傷も少なく仕留められているし、精霊魔術も安定して使用できていた。正直なところ、思っていた以上に彼らは優秀なようだ。
「……周囲の警戒のために二人残そう。残りは各所への報告と、大猪を運ぶ人員を連れてきてくれ……っと、大猪は街の税金として徴収させてもらうが、何か問題はあるか?」
「いえ。むしろ問題を持ち込んで申し訳ありません」
「ふむ、そのあたりの事情も含めて、詰め所の方で話を聞かせてもらえるかな?」
「はい、もちろんで……っ」
追われていた女性は隊長さんらしき人と話していたのだけれど、いきなりかくんと膝が折れた。足を抑えながら、その顔は明らかに苦痛で歪んでいる。
「お、おい大丈夫か!? やはり怪我してるんじゃないか!?」
「いえ、大丈夫です……風の魔術を体に乗せて走っていたものですから、その反動が……」
ああ、なるほど。道理であんな猪に追いつかれず逃げられたわけだ。風に乗って走ったのか、あるいは直接体を動かしたのか、どういった手段を取ったのかはわからないけれど、風の精霊魔術が得意でないとできないことだ。
見たところ命に関わる状態ではないとはいえ、結構辛いようで。まぁ、これくらいなら俺が手を出してもいいかなと思う。
「はいちょっと失礼しますねー」
「え、なん……」
「動かないでくださいねーっと……よし――おいでませ」
足に手を当てて、イメージはいたいのいたいのとんでけーってやつ。具体的な症状がわからなかったから、今回は特定の精霊に対しての願いではなく全精霊に対してだ。こんな無茶なやり方でもいけるのは神の特権です。
自分の手と、触れている足がほぅっと暖かくなって、驚いたのか彼女が身動ぎした。
「どうだろ、まだ辛いですか?」
「……あ、あれ? なんともない……」
「よし。念のため少し安静にしてて、またぶり返すようなら言ってください。衛兵さんたちに言ってもらえれば連絡は取れると思うので」
「え、あ、はい。ありがとうございます……あの、あなたは……?」
俺は、と自己紹介しようとしたところで、先に隊長さん(仮)が口を開いた。
「この方はホムラ様、農業の神イナリ様の使徒様である」
「……人の自己紹介を取らないでくださいよ」
「おっと、これは失礼をいたしました」
「あ、そうださっきの大猪狩り、とても見事なものでした。みなさんが守っているならこの街も安心ですね」
「お、おお……光栄の極みであります!」
聞いたかお前らー!と隊長さん(仮)が叫ぶと、他の衛兵さんや街の人からも歓声が……って、いつの間にかすっごい人だかりができていた。
……そりゃこんだけやってれば人も集まるか。
「ほ、ほほ……」
「ん?」
変な声が聞こえたかと思ったら、その次の瞬間。
「ホムラさまぁあああああああああ!!!」
「わぷっ!?」
いきなり抱きついてきた彼女の勢いに、まったく警戒していなかった俺は為す術もなく押し倒されることとなってしまった。
すみません、夏コミ行ってて遅くなりました。




