第一章 13 難関
ふわふわと浮かんでいるような、自分が自分ではないような、そんな変な感じがしました。
ああ、これはきっと夢なんだと。いつものあれなんだと認識する程度には慣れたものです。
一ヶ月に一度、僕はこうして変な夢を見ます。
体の感覚がなく、ただ意識だけが存在する空間。
自分よりもいくらか大きい、自分と同じようなものが他に四つ。
春の草原で日向ぼっこをしているときのような、とても大きくて暖かいなにか。
そして僕はその夢の中で、それらと一緒に遊ぶのです。まぁ、遊ぶと言っても合わせて動いたりとかそういうものです。
ですが、今日は初めて見るパターンでした。
普段は六人――と表現していいのかわかりませんが――ですが、大きいなにかしかいなかったのです。
そのなにかもいつものような暖かさを感じられず、今にも消えてしまいそうに思えたのです。
怖くなった僕は慌ててなにかに近づいて……どうすればいいんでしょう?
慌てる僕でしたが、どうやら近付くだけで良かったみたいです。少しずつ暖かくなってきたのがわかります。僕の気持ちが通じたんでしょうか。
次第に、僕自身もその暖かさに包まれてきて。
それはどうしようもなくお母様を思い出させるものでした。
◇
「……おか、さ……」
すぅっと、自然と目が開いて頭が冴えてきます。
いつもはここまで寝起きが良いわけではありませんが、これはあの夢を見たときの特徴の一つです。
ですので眠気はまったく残っておらず、頭の中もすっきりしているのですが。
「……うー……」
目覚める直前に自分が何を口走ったのかもしっかりと理解してしまっているのです。顔に熱が溜まるのがよくわかります。
七歳にもなって母親を恋しく思うだなんて……十五歳はまだ先とは言っても、洗礼式はすでに過ぎているのです。社会の一員として認められている以上、もっとしっかりしないといけません。
よし、と気を取り直した僕は、今日の予定を思い浮かべつつ身だしなみのチェックに入るのでした。
おはようございます。ハルフィです。
僕の一日の予定はおおよそ決まっていて、トールさんとトーコさんの気分によって変わります。あとホムラさんの思いつき。
身だしなみを整えた僕が向かうのは台所です。そこではすでにトールさんが朝ごはんの支度を始めていました。
「おはようございます、トールさん」
「ああ、おはようハル。相変わらず早起きだな。子どもなんだからもっと寝ていても良いのだぞ」
「子ども扱いしないでくださいって言ってるじゃないですか」
言葉は強めですが、このやり取りはすでに何度も繰り返しているので、毎朝の恒例になりそうな予感がします。だってお互いに笑いながらの会話ですし。
「今日も一日よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそだ」
さて、朝ごはんはなんでしょうか。トールさんの作るご飯は美味しいんですよね。
「そろそろいいだろう。ハル、私は魚を焼くから二人を起こしてきてくれ」
「わかりました」
今日のメインはトールさんが獲ってきたお魚だそうです。鮮度ばっちりでとても美味しそうですが……トールさんはいつから起きているのでしょうか。ここでの暮らしの不思議その一です。
それはさておき、トールさんが朝ごはんの仕上げをしている間に残るお二人を起こしにいく、これが僕の決まっているお仕事の一つで……第一の難関でもあります。
まずは近い方、トーコさんのお部屋です。
普通のお屋敷と違って神社は和室ですから、マナーが異なります。幸いそれらも教わったことがあったので、戸惑ったのは最初の一日だけです。
まぁ、ここに住むみなさまはそんなマナーとか気にしていないというか、逆に堅苦しいと怒られるのですけど。
「トーコさん、朝ですよ」
襖越しに声をかけますが、当然のごとく返事はありません。わかりきっていたことなので僕も失礼しますとひと声かけてお部屋の中へ。
トーコさんのお部屋はとても質素、というか寝ることと読書をすること以外しないと言わんばかりのお部屋です。
そのお部屋の主ですが、ぴしっと一切の乱れがない寝姿でお布団に横になっていました。美人なトーコさんですから、その姿は神聖さすら感じられる……なんてことはなく、狐の姿です。この方が楽なんだそうです。
「トーコさん、起きてください」
もふ、もふ。優しく揺すって声をかけますが、起きる気配はありません。
ここに何も知らない第三者がいれば、布団で眠る狐を優しく揺すって起こそうとする少年の図ですから、さぞ意味がわからないことでしょう。
「トーコさん、朝ですよ」
もふもふもふもふ。それでも彼女は起きません。
ええ、これが難関の理由です。
トーコさんは普段からよく眠っていますが、何かあればすぐに起きて行動するかっこいい方です。その代わりなのかわかりませんが、朝はとにかく起きてくれないのです。
「トーコさん!」
終いには耳元で大きい声を出します。トールさんが言うにはここまでやって起きるかどうかは半々だそうです。
一応お布団から放り出すとかの実力行使をしてもいいとは言われていますが、さすがにちょっと気が引けるのでここで起きてほしいものです。
と、眠っていた狐さんがくぁーと大きい欠伸をしました。どうやら起きてくれたようです。
起き上がって一度体を震わせると、目を離したわけでもないのに次の瞬間には狐から人の姿に変わっていました。
「おはよう、ハル」
「はい、おはようございますトーコさん」
起きるまでが大変なだけで、起きてしまえばぴしっと決めるのがトーコさんです。いつものだらけた姿はホムラさんの目があるときだけ、と言っていいのでしょう。
ちなみにトーコさんはいつも通りの和服姿です。一瞬で姿が変わるのも含めて、どうなっているのか気になるところです。
無事にトーコさんを起こせたところで、次に向かうのは残るもう一人、ホムラさんのお部屋です。
はっきり言うと、トーコさんと比べてこちらの方が圧倒的に辛いです。襖を前にして深呼吸、精神を落ち着かせます。
「……おはようございます、ホムラさん。朝ですよ」
こちらでもやはり返事はありません。ここで起きてくれていたらどれほど楽かと思いますが、現実は甘くありません。
覚悟を決めて、突入するとしましょう。
「……失礼します!」
◆
目を覚ますと、ハルがそこにいた。どうやら起こしに来てくれたらしい。
この数日でもうそれが日課になりつつあって……お父さんとしては不甲斐なく思うけれど、布団が気持ちいいのが悪い。
「……んー……おはよぅ、はる……」
とりあえず上半身だけ起こして、半分以上眠っている頭で朝の挨拶をする。本来睡眠も食事も必要としないこの体ではあるものの、できないわけじゃない。ついでに体もそれに合わせて調整してあるため、事情を知らない人が俺のそういった姿を見ても何も違和感は感じないだろう。形だけ真似しているわけではないのだ。
まぁ、結果として寝相や寝起きが非常に悪くなってしまったけれども、この微睡みに揺蕩う心地よさは嫌いじゃないからプラスマイナスゼロだ。
「おはようございますホムラさん! 朝ごはんがもうすぐできますので身支度整えたら来てくださいね!!」
早口で言い切ったハルはそそくさと部屋を出ていってしまう。ごめんねだらしないお父さんで。
窓から入る光は今日もいい天気だと教えてくれる。昨夜に感じた寒さは微塵も感じられず、じっとしていてもじんわりと汗ばむような暖かさだ。
立ち上がって背伸びをする頃には眠気も完全に消えていた。いい匂いも仄かに漂ってくる。
今日の朝ごはんはなにかなと考えながら、俺は寝相のせいで乱れた寝間着を脱いでいつもの巫女装束に着替え始めた。




