第一章 12 「おいでませ」
……どうしてこうなったのだろう?
俺はただ気になった服を、面白そうだなという思いで見ていただけのはずだ。気に入ったとも着てみたいとも言っていない。
だと言うのに、いつの間にか俺の手の中にはぴったりに調整されたのであろう衣服が、俺に着られるのを今か今かと待っている。
広げてみると――うむ、思ったことは先ほどと同じだ。そのまま自分の身体にあてがってみると、確かにジャストフィットしそうな感じがした。
視線を横に逸らすと、そこには大きな姿見。俺の全身なんて簡単に取り込める大きさのそれには、二度にわたって想像した通りの俺の姿が映っている。
「……んー……?」
何か、違和感があった。
ただの鏡だ。女物の服を自分の身体にあてがう俺の姿が映っているだけの。何もおかしなところはない。
と、考えていたら結構な時間が経ってしまっていることに気が付いた。早く戻らないと、店主さんたちが不安がってしまう。
まぁ、好意によるものだし、最初から逃げ場などなかったのだ。素直に諦めて、ファッションショーに挑むとしよう。
呆れ半分と恥ずかしさ半分。そこにほんの少し、少しだけだ、嬉しさを感じながら袖を通したこの服は、見事なまでに俺にぴったりで。
違和感も何も感じないほどに、しっくりきた。
◇
「まぁ! とてもお似合いですホムラ様!」
「あはは、ありがとうございます」
作業スペースから出た俺を迎えたのは、まずは一瞬の沈黙。次いで、大歓声。数人の声とは思えない声量に思わず後ずさってしまったほどだ。そうして店主さんからお褒めの言葉を頂いた。
まぁ、似合ってるよなと内心では複雑だけれど、気合でそれを隠して笑ってみる。きゃあきゃあと店員さんたちもテンションが高い。
そんな中で、唯一のはずの男の声が聞こえなかった。いやまだ声変わりしていないから女性の声に混じってしまっていてもおかしくはないのだけれど……聞き間違いではないようで。
「あー、ハルくん? 何かしら反応してほしいかな?」
せめて笑ってくれればこっちとしてもうるさいよと笑い飛ばせる。無言が一番困るのだ。
ハルはぽかんと口を半開きにしていて、じっと俺を見るだけだった。この数日、ある意味ではよく見るハルの表情となっている。
何の前振りもなく、乾いた音が店内に響き渡る。針子さんの一人がハルの背中を強めに叩いたようだ。
我に返ったらしいハルは「ええっと……」と言葉を探して、視線もあちらこちらへと忙しない。その様子がどうにもおかしくて、くすりと笑うと同調したように店主さんたちも笑いだした。
俺のそれと違って、仕方ないなぁというような、そんな笑みだけれど。
「おうハル、笑いたきゃさっさと笑え」
「わ、笑いませんよ!?」
「だったら何か気の利いた一言でも言わなきゃ駄目ですよ、ハルさん」
「そうですよー。女の子の服を見て黙るなんてダメです」
針子さんたちにもダメ出しをされる七歳児の図。対女性の英才教育、将来はさぞ中身イケメンになることだろう。今から楽しみだ。
「すみません、ホムラ様。つい言葉を失ってしまいました」
そう言ってハルは頭を少し下げた。
困ったような笑顔を浮かべて、恥ずかしいのか頬に赤みが差していて。
「その、とても綺麗です。いつもの服とは全然印象が違って、まるで春に咲く草花と精霊みたいな……すみません、僕にはそれをなんと表現したらいいのかわからないです」
やばいな、こいつすでに中身イケメンだわ。
タラシの素質バッチリじゃねーか。
言われた俺のほうがだいぶ恥ずかしくなってしまって、今更ながら自分が女装に近いことをしている事実を思い出す。違和感がなさすぎて失念していたけれど、外見上は何一つ問題がないのが面倒くさい。
なんとなく黄色みが増したように感じられる針子さんたちの歓声を他所に、気まずさを我慢して店主さんに声をかける。
「すみません、忙しいときにこんな素敵なものを……おいくらですか?」
「ほんとだったらホムラ様からお金なんて、って言うところなのですけど……」
「はい、俺はちゃんとみなさんから買い物をしてますので。特別扱いは無しでお願いします」
店主さんは指を口元にやってうーんと唸り始めた。
……やたら様になってますね、それ。色気が凄いわ。
「……そう、そうですね。でしたら、一つ提案……いえ、ぜひともやらせていただきたいことがあるのです」
「やりたいこと?」
「ええ。今回の服はあくまでも既製品をホムラ様に合わせて手直ししただけです。もちろんそれはそれでとてもお似合いなのですけど、それでも既製品なのです」
ですから、と店主さんは俺の手を取って続けた。
「わたくしどもの総力を上げて、ホムラ様のためだけの一着を仕立てさせてはもらえませんか!?」
「……と、言いますと?」
「ホムラ様に既製品をお渡ししたとあっては服飾店の名折れ! いやそんな建前はともかくわたくしどもが仕立てた一点物をホムラ様に認めていただければ、それは至上の喜びなのです! ですのでその一着を正式な依頼として、こちらは長い時間お待たせすることへのお詫びという形でどうでしょう?」
一点物と既製品では値段は雲泥の差ですしね、と店主さんは言う。
まぁ……一応納得できる内容ではある。一つ買うと今ならもう一つ付いてくる、みたいなものだ。
「わかりました。それでお願いします」
「やったー!!」
両手を挙げて喜ぶ店主さんに、ハイタッチやらハグやらで大歓声の店員さん&針子さん。そんなに嬉しいことなのかとちょっと驚く。
とはいえ、このままその好意に甘えるのはちょっとどうかと思うので。
「その様子ではさぞ素敵なものが出来上がるのでしょうね、楽しみです」
「必ずや! ご期待に添えるものを仕立て上げてみせましょう!!」
「はい、よろしくお願いします。……間違いなく良い物が出来るのでしょうし、報酬に少し上乗せしても何も問題はありませんよね」
店主さんににやりと笑いかける。
数秒間、ぱちりと丸っこい瞳を瞬かせて……俺の言葉を理解したのか、微苦笑を浮かべた。
「まったくもう……これだからホムラ様はみんなから愛されるんですよ」
俺は聞こえないふりをした。
◇
今日は一日ずっといい天気だった。
それは夜になっても変わらず、俺の目には満月に近い綺麗な月が映っている。
「ハルに聞いたが、いろいろと大変だったみたいだな、主よ」
いつの間にかトールが隣りに座っていたらしい。全然気が付かなかった。
「んー……そうだな……アイドルが一日大統領やってるみたいな感じだった」
「わかるようなわからないような……まぁ、おつかれだ、主」
事実、そんな感じだったのだ。具体的に言うと、服飾店を出てから帰ってくるまで。
当然のごとく、あれだけきゃあきゃあ騒げば外にも聞こえる。何事かと人が集まれば、俺が店内に入ったのを見ていた人もそこにいるわけで、察した人はその場を離れることなく俺が出てくるのを待ち始める。
結果、俺が外に出た瞬間の沈黙と一拍遅れた大歓声は……筆舌に尽くしがたい。
「……楽しかった」
ぽつりと言葉が漏れた。
けれども、それ以上言葉が続かなかった。
「……引っ越しも挨拶も無事に終わったのだ。この機会を逃してはいけないと思ってフィラー殿には無理を頼んだが……私達の判断は間違っていなかった」
なんだよ、私達って。やっぱりトールとトーコは油断ならない。
「主はこの長い時を一人で過ごしてきたのだ。私達はハルに感謝している。主はもっと……」
トールの瞳の中に、俺の赤い瞳がきらりと光った。
何かを言いたそうなトールは……そのまま、申し訳ないと一言だけ謝って姿を消した。
日を追うごとに少しずつ気温が上がっていく季節だけれど、夜の、俺一人だけになった縁側は少し寒く感じられる。
「――おいでませ」
漏れ出た願いは、俺の胸の中で確かに暖かかった。




