第一章 08 巫女
その後、長い戦いを経て俺は無事いつもの巫女装束を勝ち取った。代わりに装飾品を多めにすることが条件になったものの、フリルとリボンで飾り付けられるよりは格段にマシと言える。
一方で、俺が他の服を持っていないのが冗談ではなく本当のことだと知ったハルがなにやら気合を入れていたのが見えて、少し、すこーしだけ嫌な予感がした。
「それじゃあ、引越しするうえで何か必要なこととかはほんとに何もないんですね?」
「ああ、これについてはこの世界の魔術でどうこうとかじゃなくて、正真正銘、神の権能の一つみたいなものだからさ」
そう答えると、ハルの赤い瞳がわずかにスっと細くなった。睨むようなその眼差しはちょっと怖いと言うか――いや違う怖くなんかない。お父さんが子どもにビビるなんてことはないのだ。
頭を振って気持ちを切り替え、ふふんと慎ましやかな胸を張って見返す。返ってきたのは力の抜けたようなため息。
それと同時に一瞬ハルが視線を向けた先を見ると、トールと目が合った。しみじみした顔で頷かれたのはなんだろう、トールとハルの間で何か通じるものがあったのだろうか。
なんとなく、面白くないと思った。
そうして一夜明ける。
いつもより装飾品が多く、また歩くとりんと軽やかな鈴の音がする、いつも通りの巫女装束に身を包んだ俺。
一方でトールとトーコはいつもの着物とは違って、宮司のようなデザインの服でいかにも出来る夫婦っぽい。着ているものだけ見るなら俺よりも二人のほうが立場が上になるのだけど、そこはあまり気にしていない。
そしてハル。どうしようか非常に迷ったのだけれど、どこからかトールが子どもサイズの簡易版宮司装束とでもいうようなものを持ってきた。ハルの体にぴったりのそれは若干手直ししてあるようで、実際はもう少し大きいのだろうと思う。なんでそんな服があるのか疑問である。
肝心の央の街での騒動だけれども、フィラーさんが頑張ってくれたようで、変な話ではあるものの街を挙げての大騒動で済んだ。
門に張られていた超大型の横断幕、街中を鮮やかに飾り立てる赤を基本とした旗の数々、道から窓から屋根の上からと全方位から届けられる数え切れない笑顔に喝采そして振られる手。
……どこの英雄の凱旋だよ!?
まさか一日でこれらの準備を整えたのかと思うと、この街に住む人々のフットワークの軽さには畏敬の念がこみ上げてくる。
一歩間違えれば暴動、というか変なことを企むやつなんかも出てきそうなものだけれど、こうして街の広場に着いても何も問題は発生していない。いやこの状況がすでに問題あるんじゃないかとは思わなくもないけれど。
打ち合わせは昨日してあって、門のところでも他の人たちに知らしめるという意味も込めてこのあとの予定は確認した。と言っても大したことはなくて、ようは改めて『これからよろしくお願いします』と挨拶をするだけだ。
だというのに、見渡す限りの人の海である。仕事をしている人とかこれどうしてるんだろう。正直、真面目に街中の人が集まってるんじゃあるまいな。
衛兵さんにはあとで何かお詫びの品というか、贈り物をしたほうがいいかもしれない。
移動中を含めてずっと上がっていた歓声も、俺たち一行が所定の場所に着くと少しずつ静かになっていった。
「みなさん、今日は歴史に残る一日になるでしょう。みなさんはその、歴史が動いた瞬間の目撃者となるのです」
フィラーさんの声は風の魔術に乗せられて遠くの人にまで届いたらしい。ざわめきが強くなる。
ところで初っ端からハードル上げすぎじゃないですかね。
「すでにみなさんもご存知のことと思いますが、ホムラさんが、ある一大決心をなさいました」
そう言うと、フィラーさんはこちらを振り返って……あれ、そんな段取り知らないぞ俺。
困惑する俺を他所に、一切の迷いもなくトールとトーコが立ち上がった。
「ホムラ様はイナリ様の使徒として、巫女として、長きに渡り山の上から人々を見守られてきた。それは皆もよくわかっていることだろう」
「けれど、ホムラ様は必要以上にヒトと触れ合い、関わることは避けてきた。たった一日、それ以外はすべてを断ち切った。それにはある理由が存在する」
……えええええええええええちょっとお前ら何してんの!?
予定にないはずの演説により完全に置いてけぼりで混乱の極みにいる俺だけれども、人々はそれに気づかず二人の声を聞き漏らすまいと真剣な表情で耳を傾けていた。
「それは、ホムラ様の存在が大きくなりすぎないようにするためだ。常にホムラ様が人々の輪の中にいたのでは、この街のためにならないと、ホムラ様はそうお考えになったのだ」
「街を大きくし、人々が成長する。それはヒトの手でやらなくてはならない。ホムラ様はそれをほんの少し助けるだけ。そうでなくてはいつの日かヒトは頼ることに慣れきってしまい堕落する」
「ゆえに、ホムラ様は一年に一日だけを特別な日とし、それ以外のすべてを皆の手に委ねた。それが百五十年前のことだ」
どうやら俺はとても崇高な意思のもとに行動していたらしい。初耳だ。
止めるタイミングを逃した俺には、この張り詰めた空気の中ただ黙って話を聞くことしかできない。
「しかし! ホムラ様はついに一つの決断をなさった! 人々は、皆はもう大丈夫であると確信したのだ!」
「ホムラ様とイナリ様のご加護に溺れることなく、その心の強さを証明してみせた。でもそれは人々を見捨てる決断じゃない。我らは共に在ると、共に暮らすことができるということ」
空気が変わったのを感じた。なんというか、こう、民衆は力をためている、みたいな。
練習でもしたのか演説も息ピッタリだったトールとトーコが、ゆっくりを俺を振り返って、膝をつく。
……え、待ってこれ俺にバトンタッチされた感じ?
学生時代でもまともに舞台上には上がったことがない俺に、これに続けと?
困惑を続ける俺の意識とは裏腹に、俺の体はためらいもなくスッと立ち上がる。
りん、という音が街中に響き渡った。
「私は喜びましょう。みなさんとこの街の成長を。怒りましょう。ここまで勇気を出せなかった自分を。哀しみましょう。触れ合いも少なく別れてしまった友人たちを。そして、楽しみましょう。これからの生を。みなさんと共に歩ける時間を。今まで見られなかったすべてを。
だから、みなさん。どうぞよろしくお願いします」
ぺこりと下げられた頭。一拍遅れて、りん、と鈴が鳴る。
その鈴の音を皮切りに、街中を嵐のような歓声が駆け巡った。
◇
「まぁ一言で言うと仕返しというか、基礎はフィラー殿に作ってもらって大事なところは主にビシっと決めてもらおうという話になったんだが……」
「主様、想定以上」
事が終わりフィラーさんのお屋敷の中。にこにこと上機嫌な二人とは違って、俺はテーブルに突っ伏していた。
二人が言うにはかっこいい俺が見られて嬉しい、だけれども、俺にとってあれは認めたくないものだ。
俺は何もしていない。あれは体が勝手に動いた結果だ。いやイナリかも知れないけども。
言うまでもなく、一連のイベントは大成功であった。
フィラーさんとトール、トーコの間でどんなやり取りがあったのかは知らないけれど、演説によって人々の間で俺の評価が天井知らず……ってイナリの名前を売れよと思う。
ただ間違いなくとどめを刺したのは俺の最後のアレなので、強く言えない。
ここまで大きく、事を荒立てるつもりはなかったのに。
ため息と一緒に魂も漏れていかないかな、なんて思わずにはいられなかった。




