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空玩具  作者: 九藤 朋
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一並びの睦言

 スパイダー・コーヒー・テーブルの上で、今日はカフェオレを召し上がりながら、にいさまが遊戯を思いついた、というお顔をされました。

 広げていた新聞を脇に置かれます。

 にいさまが背から受けられる陽光も、季節が移ろうにつれ、落とす影の場所を変えてゆきます。けれど純白のシャツを着たにいさまが変わられることはありません。

 ジャケットでも羽織られたら如何ですか、と勧めても、室内で、わたくしの前でそれでは恰好がつかない、などと渋られるのです。殿方とは解りません。それで今のところ、わたくしの差し上げた黒いベストを着て妥協して頂いております。毎年、冬が近づくにつれこの問答は持ち上がるのですから、もう恒例行事でございます。

 だと申しますのに、わたくしが薄着をしていると綺麗な眉をひそめ、風邪をひくよ、と小言を言われるのです。

 斯様に空玩具探偵事務所の日常は、今日も今日とてちぐはぐに営まれておりました。


 そこでにいさまの、いたずら顔です。

「どうされました?所長」

「うん。今日の日付を見て、鈴子さんに頼みたいお使いを思い出したんだよ」

「お使いですか?」

「そう」

 今日は十一月十一日。

 依頼客の来る予定も無く、わたくしが短時間外出したところで、にいさまが難儀されるとも思えません。

「解りましたわ。何を買ってくれば宜しいのでしょうか?」

 わたくしの魔魅がにこりと美しく微笑みました。


 ところでわたくし、外でお買い物をしたことが数える程しかございません。

 家に要り様な物は取り寄せるか、にいさまが買って来られます。

 にいさまは、わたくしが独りで外出することを昔からとても嫌がりました。

 けれど今日は、お供をつけるから買って来ておいで、とわたくしを送り出されたのです。

 そのお供、呼び出された()(どう)(げっ)()少年はわたくしの横で、唇をへの字に曲げて立腹を露わにしております。本来であれば椿龍鳳画伯の元で画業を学んでいるべき少年です。この成り行きを不快に思うのも当然でございましょう。

「…すみません、月太さん」

「鈴子さんは悪くないですっ。あのへんた、…向神さんが即妙筆の恩をちらつかせて僕に無理を言っただけですから。あんの野郎、いえ、」

 ぼそぼそ、と何か勢いづけて仰っています。

 わたくしには聴かせにくい、にいさまの悪口でしょう。わたくしは一層、少年に済まなく思うと同時に、純朴な彼の様子に微笑ましさを覚えました。

 にいさまは余り、子供らしくない子供でいらしたので、月太少年の様子がわたくしには新鮮だったのです。

「製菓店に行けばよろしいですわよね?」

 取り成すように声を掛けると、月太少年は、え?と妙な顔をしました。

「ポッキーでしょう?コンビニに行けばありますよ」

「そうなのですか?」

「…鈴子さん。もしかしてコンビニエンスストアーに行ったことが…」

「はい。ございません」

 月太少年の丁寧な発声にわたくしも丁寧に答えました。

「………嘘…」

 かくーん、と顎の落ちた表情の月太少年に、わたくしは再度、答えます。

「いいえ。本当にございませんわ」

 わたくしと彼の間を、落ち葉を絡めた木枯らしが吹き過ぎました。



 わたくしがコンビニエンスストアーの外で待っている間、月太少年が三種類のポッキーの箱を買い求めて戻って来てくれました。

 ビター、モカ、ストロベリー。

 ポッキーとしかお願いしなかったのに、味の違う物を買って来てくれた少年の気配りにわたくしは感謝しました。

 けれど彼がどうしてその箱をげんなりした目で見ているかは解りませんでした。

 あれはそう、胡乱な眼差しと申すものでしょう。



「所長。只今戻りました」

「ご苦労様、鈴子さん」

 白いビニール袋をわたくしから受け取ったにいさまは中身を確認し、頷きます。

「じゃあ、今日はもう事務所は閉めよう。僕は所長の肩書きを外す」

「え?」

 にいさまの気紛れはよくあることですが、今日の宣言の意味がわたくしには解りません。

 にいさまがわたくしの麻のコートを取り、コート掛けに掛けてくださいます。

 それからスパイダー・コーヒー・テーブルの上に行儀悪く腰掛け、ポッキーの袋を三種類共、開けてしまわれました。ばらばら、と細い棒の彩りが散らばって。

「にいさま、そんなにお腹が空いておられましたの?」

「うん。でも別に食事がしたい訳じゃない」

 わたくしの手首を掴み、引き寄せられるにいさまのシャツのカフスボタンは、今日は淡色の翡翠。蓮の葉が刻まれています。にいさまはこうした細工のカフスがお好きなのです。

「甘味をご所望ですか?それでポッキーを?」

「今日は1が揃う日。ポッキーを食べながらの睦言が好まれる一日なんだよ」

「…存じませんでしたわ」

 にいさまの朗らかな笑い声が抱き留められた身体を通しても響きます。

 テーブルの上に二人で腰掛けるなんて。

 抗議しようとした瞬間、わたくしは宙にふわりと抱き上げられておりました。

 にいさまに先手を打たれたのです。

「僕は甘味を所望しているよ」

「にいさま」

 浮遊していては縋りつくしか出来ません。

「降ろしてください……、」

「良いよ。―――――――ベッドの上ならね」

 耳朶(じだ)を甘噛みして、嫌でも意味が通るように仰います。

「だって。だって、お菓子は、」

「あんなの口実だよ」

「―――――――嫌なにいさま」

「嫌いになった?」

「…嫌なにいさま」

「睦言ならベッドで聴くよ」

 また、耳たぶを噛む。今度は唇だけで。

「もう、…知りません」

 勝ち誇った魔魅の笑い声。

 わたくしは、せめてシャワーを浴びたかった、と、ベッドの衣擦れに紛らせてにいさまに苦情をぶつけました。



挿絵(By みてみん)




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