名残の色 二
かあさま。
お顔を見るのは何時振りでしょう。
変わらずお美しくて、お若い。ほんの少し、髪に白いものが見られるくらいは、最後にお会いした時と同じようなお姿です。
わたくしの胸にかあさまへの思慕の念が込み上げ、溢れました。ごく稀に、かあさまは、まだ幼かったにいさまとわたくしに絵本を読み聞かせなどもしてくれたのです。かあさまのにいさまへの態度は気紛れで、悲しいことに専ら蔑んでおられましたが、水底から泡の浮き出るように、優しさが滲むことも確かにあったのです。
茜色の慕情増す時間に押されるように、わたくしは玄関の戸を開けました。
かあさまがわたくしを見て破顔されます。
「鈴子」
「かあさま。お久し振りです」
「元気だった?」
「ええ。にいさまも」
にいさま、とわたくしが発声した途端、かあさまの顔に薄暗い色がさっと横切り、表情が硬質になられたのが解りました。
「そう。それは良かったわ」
その声音の空々しいこと。
かあさまは、にいさまのおられない時間を予めご存じの上で来られたのだとわたくしは悟りました。悲しみに囚われるわたくしに対して、かあさまは作った笑顔で腕を伸ばしました。
「今日は貴女を迎えに来たのよ」
「迎え……?」
「そう。私たちと一緒に暮らしましょう。昔のように」
「にいさまは、」
「――――清夜は屹度、嫌がるでしょう。だから、貴女だけでも」
「そんな」
「鈴子」
懇願の声と同時に、わたくしはかあさまの胸に抱かれました。その懐かしさに、慕わしさに流されてしまえばどれ程楽だったことでしょう。けれどかあさまの世界ににいさまはいない。
それは、鳥に空を飛ぶことを、魚に水を泳ぐことを、禁じることと同じでした。
わたくしは弱くも渾身の力でかあさまの身体を突き放しました。かあさまの傷ついたお顔を見て、わたくしの胸もまた痛みました。
けれど。
「にいさまのおられないところに、わたくしは参りません」
「……貴女たちはまだ……」
かあさまはその先を言われませんでした。ただ、それまでよりお顔が厳しくなっておいででした。目を左に、それから右に動かし、かあさまの淡く塗られた唇が動きます。
「お父様がご病気なのよ」
「え、」
「もう、だいぶ悪いの」
「そんな」
「ねえ、鈴子。ずっとでなくても良いわ。少しの間だけでも、お父様を喜ばせると思って、私たちと過ごしてくれないかしら」
とうさま。
わたくしを誰より慈しみ、愛おしんでくれたとうさまが。
かあさまに比べて、にいさまへの当たりもまだ柔らかだった。
「まあ、鈴子。泣かないで。ね? 清夜には置手紙を残せば良いわ。……一緒に来てくれるわね?」
わたくしは熱くなった目頭を押さえて頷きました。
世界が急に冷えて、茜色が凝固したように感じました。




