蒼の失踪 二
転落?転落ですって?
にいさまが?
「そんな莫迦な」
『……事実です。今、海上保安庁が行方を捜しています』
「おかしいわ、そんなの。にいさまは飛べるのに」
『酒が入っていて脚を滑らせた、というのが目撃者の証言です。……鈴子さん、大丈夫ですか?』
大丈夫な筈がございません。わたくしの天翔ける魔魅が、海の藻屑となるなんて、有り得て良い話ではないのです。
「わっさんさんが直接ご覧になった訳ではないのですね」
『――――ええ。でも、崖の縁から先生のカフスボタンが見つかりました。先生お気に入りの、瑪瑙で曼珠沙華が彫られて、金で縁取られた』
わたくしの胸が恐怖に震えました。ここに来てわたくしはようやく、にいさまが崖から転落されたことを事実として認識したのです。わっさんさんが仰るカフスボタンは、わたくしもよく知る物でございました。
今回の依頼は、そもそもどういった内容だったのでしょう。
わたくしはにいさまの足取りを追う決意をしました。
「わっさんさん。わたくしもそちらに向かいます」
『……仰ると思いました。止めても無駄でしょうから、明日の朝、俺が迎えに上がります。泊まりになると思いますので、鈴子さんは支度をして待っていてください』
「はい、解りました」
カチャリ、と受話器を置いたわたくしの指先は、夏だというのに冷え切っていました。
その晩、わたくしは久し振りに独りで眠りました。
青い波涛が見えます。
にいさまが笑って宙に浮いています。
大丈夫なのだ、とわたくしが安心すると同時に、にいさまが宙から転落する――――。
そんな夢を繰り返し見ては起きました。
翌朝、旅行支度を済ませて待っていると、呼び鈴が鳴りました。
扉を開けるとそこにはわっさんさんの他に、なぜかレオさん、月太さんまでおられました。
わたくしが視線でその理由を問いますと。
「助っ人は多いほうが良いだろう?」
レオさんが片目を瞑り、月太さんが頷かれます。
「鈴子には先日の貸しもあるしね」
こうしてわたくしたち四人は、にいさまの行方を求めて出発したのでした。
「で?わっさん。あいつはどんな仕事を請け負っていたんだい?」
レオさんが運転するわっさんさんに尋ねられます。
「水産物の加工会社で、最近、帳簿の辻褄が合わないと社長が不審に思い」
「その調査を依頼されたって訳か。あいつにしては地味な仕事だ」
「向神先生は概ね、その理由と犯人を突き止めていたようです」
「そして都合よく事故に遭った……。警察は飲み過ぎで転落したと考えてるって?莫迦げてる。その犯人が邪魔な清夜を消そうとしたと考えるのが妥当じゃないか」
わっさんさんの糸目が煌めき、頷きます。
「目撃者が一番、怪しいな。まあ、会えば一発で謎は解ける」
こんな時、人の心を垣間見れるレオさんがいると頼もしく思えます。
わたくしたちは高速道路を使い、昼前には件の加工会社社長宅に着いたのでございます。




