蒼の失踪
ベガとアルタイルの距離は十六光年。
では、わたくしとにいさまとの間に嘗てあった、または今もある距離は何光年なのでしょうか。
あの月光が揺蕩うピアノの下で禁断の境を越えたわたくしたち。
天の川は、浅瀬と思われました。
夢の中、にいさまが天の川の金砂銀砂を戯れてわたくしに掛けられます。
わたくしは星の粒だらけとなり、にいさまの腕に身を委ねます。
濃い群青を背景に、星の川はどこまでも流れてゆきます。
ぽつりと、川傍に佇む女性がいます。
美麗な衣に絹の羽衣。
静かに涙を流している。
わたくしが近寄り、どうしたのかと尋ねると、恋しい人に逢えないのだと嘆きます。
川が邪魔をして渡れないのだと嘆きます。
川は浅いから入って渡れば良いとわたくしが言うと、彼女は暗い目で言いました。
あの川は本当はとても深いの。
貴方たちはそれを知らないだけなのよ。
今に、きっと
そこでわたくしは夢から醒めました。
夢の中で、織女と思われる女性から言われた言葉を思い出します。
今にきっと思い知る。
七夕の日の翌日です。わたくしの隣で微睡んでおられたにいさまは、身を起こすと、わたくしに口づけます。びくり、と震えたわたくしに、にいさまが驚いたように瞬きしました。
「鈴子さん?」
「すみません、にいさま。ちょっと、驚いてしまって」
「…………」
わたくしがそう言うとにいさまはより深く口づけられました。
執拗な程に、熱く。
「今日の仕事は遠出するから、遅くなりそうだったら連絡するよ」
「はい」
「海沿いの家にお邪魔するから、磯の香りのするお土産を買ってこよう。鈴子さんに、似合うような」
「はい、にいさま」
にいさまが手の甲でわたくしの頬を撫でられました。
その日は晴れた一日で、わたくしは家事などをして時を過ごしました。
にいさまのおられない家は風がすうすうと通るようで、どこかわたくしに余所余所しく感じられます。いつもこうなのです。この家は、にいさまという構成要素を欠かすことが出来ないのです。少なくともわたくしにとってはそうでした。
まだ薄明るい日没。居間に置かれた銀色の、正三角形の置時計を見つめます。
午後七時。
食事の支度の都合などもあるので、もうにいさまから連絡が入っても良い頃です。
その時、固定電話が鳴りました。
わたくしは何だか嫌な予感がしました。
受話器を取ります。
「はい、空玩具探偵事務所でございます」
『鈴子さんですか。和正です』
「わっさんさん?どうされましたか。今日は、にいさまとご一緒の筈では」
『……鈴子さん。落ち着いて聴いてください』
「……はい」
『向神先生が、崖から海に転落しました』




