消えた即妙筆 二
消えた即妙筆 二
まるで映画の名探偵然とした清夜の台詞が、月太を、そして剛蔵をも幻惑するように響いた。
清夜のカフスボタンには瑪瑙か珊瑚の細工だろうか、赤い曼珠沙華が刻まれていて金で縁取られている。
シャツの白にズボンと皮手袋の黒、ネクタイの濃い紫に、鈍い光沢のある小さな赤のアクセント。
生来の美貌から立ち姿からどれを取っても、清夜は舞台上の役者のようだ。
比べて、品性を含め如何にも見劣りするのが銀山剛蔵だったが、その自覚に乏しいのもまた小物の哀しさである。
「大口を叩きますな。あとで恥をかくのは貴方ですぞ」
太い帯の上に突き出た腹の前で腕を組んで、剛蔵がせせら笑う。着物を纏う体躯が小山のように揺れた。
本当であれば剛蔵は、ここで飽くまで白を切るべきだった。
だが自ら発した言葉で、図らずも清夜の挑発に乗ったことを証明してしまったのだ。
「あなたが椿先生の即妙筆に執心していたことを、僕も知っています。月太君の疑惑は決して的外れなものでないと思いますが」
やんわりと根拠を言い指した清夜は、話を有利に展開させようとしていた。
舌先で人の心を転がし操る。探偵に必須な話術を『空玩具探偵事務所』の魔魅は心得ている。
月太は二人の遣り取りを固唾を呑んで見守っていた。
「そう――――まず、大雑把に当てましょうか。椿先生の即妙筆は、この応接間にある」
「え―――――!?」
月太は驚きの声を上げ、剛蔵を見る。
剛蔵の強張った表情は答えたも同然だ。
本当にあるのだ。この応接間の中に。
だが他の部屋を捜した訳でもあるまいに、なぜ清夜はそれを確信出来たのか。
「この応接間のテーブルや絨毯などを、少年に捜させてやってはくれませんか、銀山さん?」
「…良いでしょう。しかし見つからなかった時には、相応の対処を覚悟していただきますからな」
ここで月太は怪訝に感じた。
応接間を自分に捜させろという清夜の要求を聴いた途端に、剛蔵が余裕を取り戻したように見えたからだ。
しかしともかく、捜さねばならない。
清夜がああ宣言するからには、筆は確かにこの応接間にあるのだ。
性癖は置くとして、清夜の実力は確かだと月太は知っている。筆が隠された詳細な場所までは判明していないのなら、それを突き止めるのが自分の役割だ。
冷たい大理石の床を這い、波斯絨毯を裏返し、背丈程もある色彩鮮やかな伊万里焼の壺を横にして中を覗き込み、果ては本物の暖炉の中を火掻き棒で探った。
薔薇の花を押し遣り花瓶の水に手を突っ込んだりもした。
勿論、天鵞絨張りのソファの上下左右は特に念入りに調べた。
だが、筆は無い。
窓硝子から入る秋の陽射しだけが無情に移行してゆく。
移行するぶん、皮膚を時間にちくちく刺されるように月太は焦った。
まさかシャンデリアの上などということは、と月太が考えていた時、優雅にソファに腰掛けていた清夜がふあぁ、と小さく欠伸を洩らす。
月太と剛蔵の双方から白い目で見られたのに気づき、両手を挙げ謝意を表した。
「これは失敬。昨晩はよく眠れなかったもので」
「…へん、たい………っ」
昨晩もだろうが、と月太は言いたい。
麗しい妹と――――――――……。
万年寝不足の万年変態、と。
「ん?月太君。何か?」
しかし堪える。
「いえ何も」
今は清夜の協力が欠かせないのだ。面罵するのは賢くない。
月太の懸命の捜索にも関わらず、その後も即妙筆は見つからなかった。
間も無く正午になろうとしていた。
「……さあ、小僧のお遊びにも随分、付き合いましたよ、向神さん」
「そうですね」
「豪語された割りに不甲斐無い結末でしたな」
「そうですね」
清夜の神妙な物言いに気を良くしたのか剛蔵が鷹揚に笑って見せる。
「儂も大人ですからなあ、相応の対処など冗談ですよ。昼食でも召し上がって行かれますか?丁度、時分どきだ。ああ、もしやそれが目当てでいらしたのかな?」
にやにやと唇を嫌らしく歪める。
清夜は意に介さずに答えた。
「いえ、昼食は結構。では月太君。僕は銀山さんと大人の話があるので、ちょっと部屋から出ていてくれないか?」
「え?」
意気消沈していた月太だけでなく、剛蔵も驚いた。てっきり話はこれで終わり、自分の勝利だと確信していたからだ。
「いや、もう話すことなど何も…」
「まあまあまあ」
立ち上がろうとする剛蔵の両肩に手を置いて座らせながら、清夜は月太に早く行けと目で命じる。
ぎい、と扉を軋ませながら応接間を出た月太は不安な心持ちのまま、立ち尽くしていた。
清夜はどうするつもりだろう。応接間に筆は無かったと言うのに――――――。
数秒後、漆喰の壁の向こうから、どん、と鈍い衝撃音がした。
(何だ!?)
月太が応接間を透かし見るように振り返ると、しばらくして清夜が扉からひょっこり出て来た。扉の真横に立っていた月太に微笑みかける。
「椿先生の即妙筆だよ、月太君」
信じられないことを言って気負いなく差し出される紫の布の包みを解くと。
「あ…、」
柄の上部に、夜光貝が椿の花弁と葉の形に嵌め込まれた即妙筆が顔を出した。
間違いない。龍鳳の即妙筆だ。
廊下の天井のランプの灯りを受けてきらりと光る。
月太には龍鳳の笑顔に見えた。
両手で大切に受け取った月太の胸に安堵が押し寄せる。
目尻にも少し滲むものがあった。鼻を啜り上げてから清夜に尋ねる。
「―――――でもどこに?あ、浮いてシャンデリアの上を見たんですか?」
清夜が空中浮遊出来る能力を知っている月太ならではの発想だ。
しかし清夜は胡乱な目をした。
「シャンデリア?まさか。あのね、月太君。即妙筆はずっと銀山さんの懐にあったんだよ」
「…ええっっ?」
「あいつの着ている着物の胸元あたり、違和感を覚えなかったかい?一本の細いつっぱり棒を抱いてるような。懐に後生大事な物を抱えてたら、挙動も不自然になる。妄執する品なら尚のことね。手に入れた獲物を片時も手放せない蒐集の権化の哀しさだな」
「………最初から解ってて、僕に部屋を捜させたんですか?」
恨みがましい月太の声に、清夜の唇の端が上がる。
「味方をも欺いて敵の油断を誘うのは古来よりの常套戦術だ。君が必死に見当違いの行動を起こす程、僕に全て見通されていたと知った時の奴の衝撃は、大きくなり揺さぶりやすくもなる。丁度、今の君のようにね。ほら、睨まない」
「僕、丸きり道化じゃないですかあああ!」
月太が頭を抱えて叫ぶ。
「道化を莫迦にしたものではないよ、月太君。彼らは封建社会の中で重要な役割を担っていたんだ」
(どういうフォローだよ!?)
膨れっ面になった月太に清夜が今度は苦笑した。
「まあでも、奴は強情だったよ。真実を言い当てられて動揺し、あの広い応接間をあちこち逃げ回るものだから、僕もつい、望まぬ『壁ドン』なぞをすることになった。失禁までされたのは参ったがね……盗みを働くくらいならもっと豪胆でなくては」
苦笑の苦味が増す。
「…あの音…。でも、廊下まで音が聴こえるなんて」
どれだけの怪力で『壁ドン』したのだ。
「ああ、浮いたから」
「――――はい?」
「少しばかり浮遊したところから壁際の銀山氏まで斜線上に急降下し、掌底を壁に当てた。斜め上から落下すれば圧もそれだけ大きくなる。単純な物理学さ」
例え剛蔵が、清夜の浮遊術を口外しても、本人が奇異の目で見られるだけだ。
おまけに剛蔵には窃盗の負い目がある。何も喋るまい。
「その黒皮手袋って厨二病アイテムじゃなかったんですね…」
掌と甲だけを覆う黒皮手袋は、月太にアニメやドラマを彷彿させていたのだ。
「君は何だか僕を誤解しているなあ。探偵稼業には荒事も付き物。入念にしているだけさ。それに鈴子さんも、似合うと言ってくれたんだ」
はにかむような清夜の笑顔。
冷徹な洞察と策謀を巡らせた男と同一人物とは思えない。
〝愛に偏見は良くないのだよう…〟
龍鳳の言うことは正しいのかもしれない。
ともあれ、即妙筆は戻って来た。