卵
今宵、にいさまは仕事で遅くなるのだそうです。
先に寝ていなさい、と言われましたわ。
子供扱いなさって…。
よろしくてよ。
それならわたくしは意地でもにいさまが戻られるまで起きていますから。
わたくしは一人分のローストビーフとコーンポタージュ、それからサラダと少しのフランスパンで夕食を摂りました。
柄の細く長い華奢なグラスに、形ばかりの赤ワインを注いで。
繊細な細工の玻璃の小さなシャンデリアの下、わたくしの影が一つきり。
猫足つきのバスタブに身を沈めると、戯れに散らした薔薇の花びらが湯の波に合わせて揺れ動きました。
わたくしは小さな声で西洋の歌を歌いながら、身体を清めます。
ふと手を止めると赤い夜の花が肌に咲いていました。薔薇とは違います。
それはにいさまの愛の痕跡。
色の組み合わせでも白と赤というものは、それだけで熱情を秘めているように思うのはわたくしだけでしょうか。
「………」
わたくしはそっとそこに触れます。
湿り気を帯びた吐息が湯煙に紛れました。
「主よ」
わたくしの声がバスルームに密やかに響きます。花の蜜を吸うように。
「主よ。我らをお赦しください」
戯れです。
本当は赦されなくとも良いのです。
にいさまがわたくしに「鈴子さん」と呼びかける。
その眼差しに宿る愛しさと優しさ。
きついくらいの抱擁と口づけや……。
天井の、球形をした電灯が円やかで、それで良いのだよと呼びかけてくれるようです。
球形は少し黄色じみて、何かの卵のよう。
卵…。
わたくしは湯に揺らめく髪を一房掬うと、それをじっと見つめました。
清夜が帰宅して鈴子の部屋を覗くと、鈴子は既に眠りに落ちていた。
清夜はくすりと笑う。
「おやすみ、僕の小夜啼鳥」
今宵ばかりは鳴かずに、安眠に揺蕩ってくれれば良いと思った。