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その場所で貴方を待つ  作者: 水無月とおる
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友達①

 アヤメの声が戻り、十日と経たぬうちに、多摩の町にまで黒船が再来航したという噂が流れてきて、人々の話題の中心を攫っていった。江戸湾に再びやってきた水上の城は一年前の開国要求の答えを求めるものだ。


 幕府の誘導により、二月六日武蔵の国の横浜村に停泊所を変えた黒船はより多くの庶民の目に入ることとなった。黒船や偉人に関してあることないこと、噂はあまねく広がるばかりだった。

 そして同年三月三日(1854年3月31日)、日本國米利堅合衆国和親条約、後に日米和親条約と呼ばれる条約に調印。二百年以上の永木にわたる鎖国に終わりを告げる出来事であった。


 異国の船は、これにより益々江戸の話題を独り占めする状態となった。そして試衛館内でもこのことは噂に常に上がっていた。特に勝太と歳三はその話題になると時間も忘れて話し出す。周助は“そのうち二人して横浜村まで船を見におくのではないか”と苦笑を漏らしている。


 敬助はそんな二人程ではないながらもやはり黒船騒動には興味を持っているのだろう。この話題になると珍しく少し興奮するのだ。宗次郎は特に関心がなくこれらの話を適当に受け流していたがアヤメはそんな勝太たちの話も頷きながら聞いていた。


 アヤメは喋れるようになった後も口数は余り増えなかった。それでも表情は豊かで子どもらしくなった。話し方は未だたどたどしく拙いため敬助が書物などを使って教えている。

 以前アヤメを苛めていた男児は、源三郎からその子の兄に話が通ったのだろう、敬助が帰ってきた次の日に兄弟揃って謝罪しにきた。その後はアヤメとは関わりがない。


 そのうち、桜の花が咲く時分にはアヤメは近所の寺で開かれている手習い所に通い始めた。宗次郎も世話になった寺だ。


 最初は敬助が寺近くまで送り届けていた。外に対する恐怖が少しでも和らげられるように。

 大人しい上、同じ年ごろの子よりも小柄な体格なのでまた苛められやしないかと、内心敬助は冷や冷やものだったが特になにも問題が起こらないまま、暦では夏が近づいていた。敬助が送り迎えすることもほとんどなくなっていた。


「いってきまあす。」


 今日もアヤメが出る時間だ。この道場にはそぐわないアヤメの高い声が響く。


「おう、行って来い。」

「気をつけて。忘れ物はないか?」


 朝、周助と勝太の見送りに笑顔で応えたアヤメは元気よく出かけて行った。髪には昨年敬助があげた菖蒲の花の描かれた櫛が刺さっていた。


 周助と勝太が中に戻ると奥から敬助が出てきた。

「ああ、アヤメはもういきましたか。」

「敬助。アヤメならもう出かけたぞ。」

 二人同時に同じことを敬助に告げる。


「そうですか。どうせなら一緒に出ようかと思ったのですが。」


 そういいながら敬助も身支度を整えた状態だ。


「出稽古ですか、ご苦労様です。」

「ええ、勝太さんもそろそろ出るのでは?」

「はい、すぐ出ますよ。」

「おう、敬助。帰る時間は多分アヤメの帰る頃合と被るだろう、拾ってやれ。」


 周助の言葉に敬助は頷き

「はい、そうしましょう。」


 そういって敬助は出稽古に出ていった。




 * * *


 昼は過ぎ、アヤメは寺子屋を終え帰る支度を整えていた。周囲の子供達はふざけあいながら騒がしく出て行く。その様子を横目で見ながら丁寧に使った筆を包み荷を整えた。そんなアヤメの頭上からしわがれた声が降ってきた。


「アヤメ、お前は他の子たちと遊ばんのか?」


 顔を上げれば和尚の親言がアヤメを見下ろしていた。


「・・・と、友達、いないので・・・。」

「・・・そうか。」


 親言はそれだけ言うと膝を折って、座ったままのアヤメに視線の高さを合わせた。


 親言はアヤメに何か小言を言うわけでもなくアヤメの顔を覗き込むと


「では、私の友人と友達になってくれるかい?」


 それだけ言うと親言は立ち上がり歩き出した。どうやらついて来いということらしい。アヤメは慌てて立ち上がり親言の後に着いていった。


 親言は寺の裏に歩いていった。その後ろを黙って歩く。すると動物の高い鳴き声が二人を迎えた。


「わん!わんわん!」


 それは子犬だった。身体が汚れているがもとはきれいな茶色の毛並みだったろう。まだようやく歩き回れるようになったくらいだろう。アヤメでも片手で簡単に抱えられそうな大きさだ。


「…。」

「私の新しい友達だ。いつの間にかここに入り込んでいたんだ。」


 子犬は尻尾をぶんぶんと力の限りに振り回している。アヤメはただその様子をじっと見つめていた。そして一言言葉をこぼす。


「わんちゃん…。」

「ああ、名前もまだ付けてないんだ。こいつと友達になってやってくれるかい?」

「…はい。」


 人懐っこい子犬はアヤメに擦り寄り高い声で繰り返し鳴いた。その様子に思わずアヤメも破顔する。


「・・・かわいい。」

「そうか、よかった。」


 親言と顔を見合わせ微笑むとアヤメはそっと名のない子犬の頭を撫でた。アヤメの手に頭をこすりつける子犬を見つめていると


「アヤメ!もう終わったのかい?」


 後ろから良く知った声が掛かった。


「敬助お兄ちゃん!」


 ぱっと表情を変えて大好きな兄のもとに走りより飛びつくアヤメの後を子犬も追いかけた。


「もう終わったのかな?」

「うん。」

「その犬は?」

「えっと・・・と、友達?」

「キャウン!」


 子犬はアヤメの言葉を後押しするかのように声をあげる。


「随分かわいいお友達が出来たじゃないか。」


 敬助はくすくす笑いながらアヤメの頭を撫で、膝を折った。


「山南さん。アヤメの迎えですか。」


「ええ。その子犬は和尚様の飼い犬ですか?」


「いいえ、迷い犬です。気まぐれにここに餌をもらいに来るのですよ。アヤメが仲良くしてくれればと思いましてね。」

「そうですか・・・。」

「はっはっは!ご心配なく。別にこの子を飼えというわけではないのですよ。」

「いや、そんなことを考えていたわけではないですよ。」


 敬助と親言和尚がそのまま立ち話を続けている間にアヤメと子犬は二人の周りを駆け回っていた。

 暫くそうしていたが、そろそろ試衛館に戻らなければと敬助が声を掛けた。


「アヤメ、そろそろ帰ろうか。」

「はあい。」



 その言葉ですぐにアヤメは足を止め敬助のすぐ横に立った。

 子犬も利口にアヤメの杉傍に“お座り”して尻尾を名一杯振っている。その様子に敬助はくすくすと笑ってしまった。


「悪いが君は連れて行けないんだ。私達は二人とも先生方に衣食住お世話になっている身だからね。」


「クウウン・・・。」


 子犬はまるで何を言われているのかわかっているかの様に耳を垂れ下げた。


「・・・またね、わんちゃん。ごめんね。」


 アヤメは白い手をヒラヒラと子犬に向けて振り、反対の手で敬助の着物の袖を握った。


「アヤメ、良ければお前がこいつの名前をつけてやってくれ。」


 敬助と帰ろうとするアヤメの後ろから親言は声をかけた。

 アヤメが振り返ると


「どうだろう、頼めるだろうか。」

「いいじゃないか、アヤメ。お前が考えてあげたらどうだ?」


 困ったように眉をハの字に下げるアヤメに敬助も後押しするように声をかけた。敬助にもそう言われたことで


「・・・はい。」

「そうか、ありがとう。頼んだよ。」



 親言の言葉に頷くと


「ではまた明日もお願いします、和尚様。」

「はい、また。」



 丁寧に頭を下げるとアヤメと敬助は寺を出た。




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