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その場所で貴方を待つ  作者: 水無月とおる
22/30

雪解け①

「あけましておめでとうございます、先生方。」

「ああ、おめでとう。」



 年が明けた。アヤメが試衛館に来て最初の正月だ。嘉永七年(1854年)、敬助はアヤメとともに周助、フデ、勝太に新年の挨拶をしていた。

 敬助が頭を下げるのにあわせてアヤメも手を付き頭を下げる。


「山南さんがここに来てもう少しで一年かあ。早いもんですね。」

「アヤメは今年で十か・・・。細いからそう見えないけどなあ。」


 周助はアヤメの頭を撫で、微笑んだ。


「メシちゃんと食えよ~。」


 わしゃわしゃとアヤメの髪を乱暴に乱す周助。


「ちょっとお前さん!せっかく結ったのに!!」

「おお悪い悪い、アヤメの髪は錦糸みてえでさわり心地がいいんだよ。」


 フデがすかさず文句を唱え止めさせたが、アヤメは少し照れくさそうな表情を隠さなかった。


 フデはアヤメの髪から落ちた敬助がアヤメに贈った櫛を拾って


「もう・・・。アヤメおいでなさい。結いなおしますから。」


 素直に頷くとフデの後をひょこひょことついていく。

 その様子を残された男衆は優しい瞳で見つめた。

「ひよこ見てえだな。」

「可愛らしいじゃないですか、父上。元気になってきましたな、アヤメは。」

「ええ、夜もうなされることは少なくなって。」


 勝太の言葉に敬助も同意した。



「いつか…喋ってくれるといいんだがな。」

「先生、焦りは禁物ですよ。ゆっくりでいいんです。」


 敬助の言葉に周助は苦笑いを浮かべた。


「まあそうだな。」

「・・・でも本当に元気になった。髪も長くなってきましたね。山南さんの贈った櫛も使えるぐらいに。」

「そうですね、でもあれは夏向けなんですよね。」


 勝太と敬助のやり取りに、周助は


「じゃあ俺が新しい簪か櫛を買って・・・。いや、どっちも必要だな。春向けなら梅か桜だな。冬物も・・・」

「ふふふ。またおフデさんに怒られますよ。アヤメに甘すぎるって。」

「いやあ、孫みてえんでついな。」


 敬助の言葉に頭を掻く周助は、思い出したように表情を変え


「そういや、敬助。お前に前に頼んでいた出稽古のことだがな。」


 周助はここ最近の道場の経営難から敬助に出稽古を依頼したのだ。試衛館のほうを見なくてはならない周助には無理だし、勝太も出稽古と試衛館の稽古でこれ以上出稽古場所を増やせなかったのだ。

 敬助は周助に微笑み

 

「ああ、わかっております。十日ですよね。アヤメにも説明しておきました。宗次郎がついていきたいとぼやいていましたよ。」

「ははは!まあ別に俺はどっちでもいいが、お前ら二人とも出て行くと流石にアヤメも不安がるだろうしな。距離もあるし。一泊する必要があるからな。」

「・・・そうですね。」


 敬助だけでなく勝太も頷いた。


「こんな時期にすまんなあ。だがまあこの苦しい道場の状況を考えると、な。」

「わかってます。大丈夫です。あと、ついでに千葉先生のところによって帰ろうかと思っています。帰るときには遠回りになりますが新年の挨拶もしたいんです。今回は本当に挨拶するだけで帰りますよ。」

「ああ、そうだな。そうしてくれ。」

「お願いしますよ、山南さん。」

「ええ。じゃあ私が居ない間はあの子のことを頼みますね。」


 敬助がそう頭を下げれば


「ああ、任しとけ。」

「まあ敬助さんほど上手くはいかないかもしれないですが、善処しますよ。」



「あらあら、何の話です?」


 話が一段落した丁度そのときに髪を結いなおしたアヤメとフデが入って来た。髪には敬助の土産の櫛が緩く突き刺さっている。


――やはりこの時分の着物とは合わないな。


 新しい簪を買ってやらねばと、敬助は決めた。

 周助にはああいったが、やはり自分もあの子には甘いのだ。









 * * *



「じゃあお願いしますね、敬助さん。」

「ええ、では。」


 年明け十日を向かえ、敬助は約束どおり出稽古に出る支度を整えた。


「千葉先生のところによって明日には帰ります。」

「ええ。」


 門の前に立ち敬助を送る勝太の後ろから小さな影が覗く。


「アヤメ。」


 声をかければひょこりと顔を出すアヤメに微笑みかける。屈んで目線の高さをあわせ


「今回は本当にすぐ帰る。約束だ。」


 そういって右の小指を差し出す。アヤメは不思議そうにその指をっ見つめたがはっとしたように自分の小指を立てた。前に宗次郎とでも指切りをしたのだろう。

 敬助はアヤメの小指と自分のそれを絡めた。


「じゃあね。」


 指をほどくとそっと少女の頭を撫で、試衛館を離れた。







「あれ?もう山南さん行っちゃったんですか?」


 勝太とアヤメが敬助を見送って中に入ると宗次郎が走り寄ってきた。


「ああ、ついさっきね。」

「ええ!僕も見送ろうと思ったのに!」

「まあまあ。すぐ帰るさ。」



 頬を膨らませる宗次郎を勝太がなだめると


「どうせ、山南さんに土産でもねだるつもりだったんだろうが。」


 後ろからひょっこりと歳三が顔を出した。


「おお!トシじゃないか。」

「遅くなったが新年のあいさつに来たぜ。」


 歳三の言葉に「違います」と反論する宗次郎をあしらって勝太と歳三が会話を進める。


「山南さん、出ちまったのか。相手してもらおうと思ったがな。」

「ははは!じゃあ私と手合せ願おうか。」

「ええ!僕の相手はどうするんですか!若先生!」

「お前は後だ。年上を敬え。」


 宗次郎の悲鳴にしっしと払うしぐさをすると宗次郎はますます不機嫌になった。


「ふんだ!歳三さんなんて年取ってんの体だけじゃないですか!!」

「んなんだとお~!いいだろう宗次郎!まずお前から倒してやる!」

「できるもんならどうぞ!」


 言い合う二人に苦笑いして勝太は


「アヤメ、この後母上の手伝いかな?」


 首を横に振るアヤメに微笑みかけ


「じゃあ・・・二人の試合でも見ておくか?」


 その言葉を聞いた途端、アヤメが目を丸くした。お茶を配りに道場に出入りしたことはあっても試合をしている場面には居合わせたことがなかった。


「どうする?」

「アヤメ見ててよ!僕歳三さんこてんぱんに倒すからさ!」


 勝太の後ろから宗次郎が声をかけ、アヤメは逡巡する気配をみせて頷いた。


「何生意気言ってるんだ宗次郎!」


 二人が競うように道場に駆けていく後ろをアヤメは勝太と並んで着いていく。



 道場にはまだだれも居ない。歳三と宗次郎は早速試合の準備を始めた。アヤメは勝太の様子を見つめる。


「ほら、アヤメ。ここに座んな。」


 勝太が促し、アヤメを隣に座らせた。


「ちょっと大きな声出しながらやるから、怖かったら耳ふさぎな。」

「・・・。」


 ゆっくりと頷くアヤメに口元を緩ませると、


「おい、かっちゃん!!もう準備できたぞ!」

「若先生、早く!一本勝負です!」

「はいはい、まったく似たもの兄弟なんだから。」


 最後のほうはアヤメにしか聞こえないように言って勝太が立ち上がり二人の間に立つ。


「では、始め!」


 鋭い掛け声とともに歳三と宗次郎が間を空ける。凛とした空気が道場を包み込んだ。


「やあ!」


 宗次郎が先に仕掛けた。一気に間合いを詰めるが、歳三がすかさずそれを受け流す。そしてそのまま宗次郎の胴を狙う。宗次郎がそれを竹刀で受ける。暫くその状態が続いた。しかし徐々に宗次郎が押されてきた。


「力勝負に持ち込むと不利だぞ、宗次郎。」


 勝太が声を掛けると、宗次郎は体をかがませ歳三の剣先を滑らせて何とか姿勢を立て直そうとした。しかし、歳三もそれを許すまいと踏ん張る。

「・・・いい試合になりそうだな。」


 勝太が静かに呟く隣でアヤメは不安げな目で試合を見つめている。


 すると宗次郎が強く踏み込み、歳三が一瞬ひるんだ隙に体を離し体勢を立て直した。だが――


「面!」


 すかさず構えなおした歳三が鋭く叫びながら竹刀を振り下ろした。


「くっ・・・!!」


 何とか受け止めるが、身長差があるため、上からの攻撃はつらい。徐々に膝が折れて



「やあああ!!」


 宗次郎の手から竹刀が弾かれ、宗次郎の額に歳三の一撃が入った。


「面一本!」


 勝太が告げると


「ああ!負けた!」

「へっへえん!これでちょっとは年上に対する態度を改めるんだな。」


 悔しげに眉間に皴を寄せて座り込む宗次郎に大人気なくそんな言葉を投げかける歳三に勝太が声をかけた。


「いいや、前の試合に比べると宗次郎が危機的状況を上手く乗り切れてきた。」


「それだってかっちゃんが声を掛けたからだろ?」


「それにしても、さ。それに以前の宗次郎だったら最初に組み合ったとき、あんなに長くはあの体勢を保てなかった。成長してるんだ。それに今回のお前の勝ちは身長の差によるものも大きいぞ。こいつがもっとでかくなれば、あんな勝ち方は出来ないんじゃないか?」



「・・・けっ!」


 歳三も自覚していたのだろう、勝太から視線を逸らし悪態を吐く。


「宗次郎、お前はどんどん強くなってるぞ。道場で同じ体格の者の仲じゃ一番だろう。」



「でも、そんな理由で歳三さんに負けたくない!」


 そういって頬を膨らませる宗次郎。


「勿論それだけじゃない。トシの太刀筋は独特だし、速さもある。まあお互い学ぶものがあるいい試合じゃないか。」


 それでもなお不機嫌な宗次郎の頭をポンポンと撫でて


「おいおい、アヤメにいいところ見せられなかったからってそう拗ねるな。」


「なっ・・・!!ち、違いますよ若先生!」

「なんでえいっちょ前に。いつもより剣気があるとおもったらそういうことか。」


 歳三が意地悪くニヤニヤ笑うと宗次郎は耳まで赤く染めて反発する。



「違います!違うから!」


 宗次郎はアヤメに向き直ると


「違うよ!アヤメ、違うからね!?」

「・・・!」


 アヤメは気押しされたように何度も頷いた。


「こら!宗次郎、怖がらせるなよ。」

「あ、ごめん!」



 歳三の言葉に冷静さを取り戻した宗次郎がアヤメから一歩引いた。


「じゃあ試合は終わりだな。次は私と・・・勝ったのはトシだし、トシとの試合だな。」

「おう。」


 勝太が立ち上がり準備を整え、宗次郎が審判に入って再び試合が始まった。

 今度は先ほどのにらみ合いとは違い、攻守が激しく入れ替わる展開となった。


 勝太が踏み込むたびに道場に足音と竹刀の打ち合いの音が激しく響いた。


 試合に見入っていた宗次郎は不意に自分の袖が引っ張られるのを感じた。


 見ると自分の横に立つアヤメがじっと試合の行方を見守りながら宗次郎の袖を握り締めている。かすかに震えているが真剣な瞳で見つめている。


 そんなアヤメの様子に宗次郎は何ともいえぬ不可思議な感情を抱いた。胸の奥を何か小さな生き物にくすぐられるような――。


 “こそばゆい”。そんな言葉が合うだろうか。


 それを誤魔化すように下唇を噛み前を向くと



「胴!!!」


 野太い勝太の声が道場に響き鋭い一本が歳三の胴に決まった。


「胴一本!」


 宗次郎が慌てて勝太の勝利を告げると


「おい、こら宗次郎!ちゃんと見てなかったろ!?」


 歳三が宗次郎に向かって叫んだ。


「で、でも歳三さんが負けたとこは見ましたもん!」

「このクソガキ!」

「はいはい!そこまで。アヤメ、どうだった?怖くなかったか?」



 勝太は二人の間に割って入り優しい瞳でアヤメに問いかけたがアヤメは首を横に振り口を開いたが逡巡する素振りを見せまた俯いてしまった。


 その様子は勝太には彼女が何か言いたいことを抱えているように見えた。


「なんだ?」


 膝を折りアヤメに視線を合わせる。


「・・・。」


 少し怯えた瞳を見せるアヤメに首を傾げて促すが話が出来ないアヤメは困った表情を見せるだけだった。


「なにか伝えたいことがあるのかな?紙と筆・・・。」



 道場に置かれた、試合結果や稽古代の集計を記す為の筆と半紙を取り出しアヤメを手招きした。


「・・・。」


 アヤメは筆をとると、困ったように勝太を見上げた。勝太はなにも言わず微笑む。アヤメはその微笑みに後押しされるようにわたされた紙にそっと筆を滑らせた。


――すごかった


 その文字が記されたのを見ると勝太は更に顔をほころばせた。


「そうか。すごいと思ったか。トシと宗次郎はうちの道場に出入りするやつらの中でも別格だからな。」


「山南さんも強いんだよ、アヤメ!僕なんて最初に山南さんと手合せした時全然歯が立たなかったんだから!!」


 宗次郎の言葉にアヤメが目を丸くした。


「ああ、山南さんは強いぞ。トシや宗次郎とはまた違った種類の強さだがな。」


 勝太がそう続ければアヤメは口元を綻ばせた。それを見た皆も目じりを下げる。勝太はアヤメの頭を優しく撫でた。


「また今度山南さんの試合を見せてやろうな。山南さんは恥ずかしがるかもしれんが。」


 嬉しそうに頷くアヤメ。歳三はその笑顔をまぶしそうに見つめた。


「アヤメ!アヤメ?いないんですか?」


 不意に響くフデの声にアヤメが素早く反応し立ち上がった。


「なにか手伝いかな。行っておいで。」


 勝太が肩をポンポンと叩いて促すと、アヤメはコクリと頷き急いで声のするほうへとかけていった。


 トタトタという足音を響かせ去っていく後姿を皆で見送る歳三の表情を盗み見た勝太は息を呑んだ。


――なんて優しい顔をするようになったんだ、こいつは。


 口元を緩めたその表情、眉もハの字に下がっている。いつも眉間に皴を寄せるか、人を揶揄するような笑みを浮かべる奴なのに、まるで娘を見守る父のような眼差しじゃないか。

 勝太の視線に気づいた歳三は咳払いをひとつすると


「おい、そろそろ他の門弟も来る頃だろう?周助先生は?」

「ああ、もう来るだろ。」

「じゃあもう少し稽古して今日は帰る。」


 それだけ言って勝太に背を向け素振りを始める歳三の耳が少し赤くなっているように見えたが勝太はなにも言わなかった。



 * * *


 勝手口までフデに呼ばれたアヤメは指示を促すように視線をフデに送った。


「アヤメ、いくつか持ってきてください。」


 アヤメは黙って頷くとフデが指差した三つの麻袋に入った野菜類に手を掛けた。

 重たい荷の中からいくつか選び出し運び込む。


「はい、ありがとう。すみませんが少し離れますのでそれを片付けて置いてくださいます?」


 素直に頷くアヤメを確認したフデは買い物にもっていった財布を自室に戻しにいった。

 アヤメはその様子を見送ると早速作業に移った。ただ黙々と少しずつ野菜を運び片付けていく。

 簡単に洗って種類ごとに分けていく。そうこうしていると徐々に道場に人が集まる気配がしてくる。それは次第に野太い掛け声と道場の床を踏む音に変化していく。空気が振るえ、覇気が伝わってくるのを肌で感じた。


 アヤメはその覇気に誘われるようにそっと台所から道場のほうを覗き込んだ。庭に植えられた木々の間からかすかに人がせわしなく動いているのがわかった。


 そっと外に出てみる。ふと宗次郎らしき後姿が見え隠れして思わず口元を緩めた。

 そのときだった。道場から小さな影が飛び出してきた。


「・・・!」


 その影はいつかのあの少年たちだった。おつかい帰りのアヤメを取り囲んで罵倒した子どもらの大将とそれより頭一つ背丈の低い少年だ。


「お前、まだ居たのか。」

「・・・。」



 何も言えずに後ずさるアヤメを鼻で笑ってドンと押した。


「なに道場覗いてんだ。唖者が道場に近づくな!」


 しりもちをついたアヤメを罵る少年。


「女の入るところじゃないんだよ!!先生たちに可愛がられて調子に乗るなよ。」


 背が低いほうの少年が続ける。


「・・・。」

「だんまりこいてんなよ。面白くないやつだな。」


 大将の少年はアヤメの髪の毛を掴んで俯いていたアヤメの顔を無理矢理上に向けた。震えるアヤメをあざ笑い



「なんか言い返してみろよ!」

「何してる!」


 そのとき後ろから鋭い声が飛んだ。


「げ!」


 その声の主を目にして少年らは声を上げ一斉に逃げていった。アヤメが声がした方に目をやると


「アヤメちゃん・・・。大丈夫か?」 

「・・・。」


 道場に向かう途中だった様子の源三郎が焦った様子でこちらに向かってくるのが見えた。

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