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その場所で貴方を待つ  作者: 水無月とおる
16/30

痛みと涙


 敬助が帰ってきて暫くして、アヤメは再びお使いで町に出るようになった。フデの話ではアヤメのほうからお使いに行く意思を表してきたようだ。


 最初のうちは心配した面々が心配して送り迎えしていたがそのうち明るい人通りの多い時間ならアヤメ一人で行くようになった。アヤメは町の人間とも顔見知りになり、それなりに上手くやっているようだ。


 この間敬助が所要で町に出たとき、甘味屋のリクにあったのだ。そのときリクからこんな話を聞いた。


「あんたんところで預かっているお嬢さん、居るでしょうが。」

「ええ、アヤメのことですか?」

「そうそう、そのお嬢さん。宗次郎君がね、随分前のことなんだけれど、女の子には何あげればいいのか迷っててね。だから甘いものはどうかって、金平糖あげたんだけど。多分その相手の娘さんねえ。」


 そういえば以前、宗次郎が金平糖を持って帰ってきたことがあったなと思い出した。



「それで、そのぉアヤメちゃん、だっけ?その子賢い子なんだねえ。前にアヤメちゃんとやらがそこの万屋さんにいたときのことなんだけど、万屋の旦那がつり銭間違えて多く渡しちゃったみたいで、そしたらそれに気付いて銭を返してたんだよ。」



 びっくりしたわ~とコロコロ笑うリクの言葉に敬助の頬も緩んだ。そうか、いい印象を与えられているなら何よりだ。


「そろばんでも教えているのかい?山南さん。」

「いいえ、私があの子に教えたのは読み書きくらいのもんですよ。」

「あら、じゃあ教えといたら?そのうち奉公に出すならきっと重宝されるよ。」

「奉公・・・ですか。」



 確かに本来ならそのくらいの歳のころだ。だが言葉の話せぬ今は苦笑いでかわすしかなかった。奉公もなにも、あの子はまだ――。

 


 * * *


 穏やかな秋末期の日差しが差し込む試衛館の道場で周助え、勝太、宗次郎、源三郎、そしてまたか勝太と手合わせにきた歳三ら試衛館の面々は一休みしていた。 


「それにしても、アヤメは元気になってきたなあ。」

 

 勝太の言葉にみな一様に頷いた。確かにそうだ。ここに来たばかりの頃は誰にでも怯え、外に出ようとしなかったのに、今ではお使いをするまでになったのだ。



「これも山南さんのお陰だな。」

「違いますよ。あの子ががんばったからです。」


 勝太の言葉がどうにもこそばゆい。

 事実、自分一人の力ではここまで出来なかった。

 周助、勝太や歳三、源三郎に宗次郎――試衛館の皆がいたからこそであろう。


 

「だががんばらせたのはあんただ。」

「土方君・・・。」


 


 最近顔をよく出すようになった歳三は竹刀を振りながら言葉を吐いた。

 照れくさいのか、こちらから目を逸らして。彼は滅多と人を褒めない。それが信頼を寄せる勝太であったとしてもである。

 その彼が照れながらも掛けてくれたこの言葉に敬助は驚きを隠せなかった。


「全くだ。トシなんか逆にアヤメを怯えさせてたからな。」

「けっ!」


 周助の言葉に眉根を寄せる歳三を皆笑った。

 穏やかな時間。安らかな午後。


 だがそれは、裏から響いてきた男の声に打ち消された。





「先生!周助先生!いらっしゃるかい!?」

「なんだ、裏が騒がしいな。」

「あれは・・・葵屋の茂吉ですかね。」


 周助と勝太が訝しげな口調で顔を合わせる。

 敬助も思わず木刀を振る腕を止めた。


「ともかく行ってくらぁ。急を要するようだからな。」

「あ、俺も行きます。」


 勝太がその後に続けば、


「私も。」

「え?ぼ、僕も。」

「なんだよ、皆行っちまったら相手がいねえじゃねえか。」


 敬助、宗次郎、歳三がそれに続いて出て行った。


 源三郎は苦笑交じりにそれを見届けると他の門弟に指示を出し自分も外に出た。

 

 六人が裏口に駆けつけると慌てた様子の茂吉がそこに立っていた。


「どうした茂吉。おめえがそんなに慌ててるなんて珍しいじゃねえか。」


 周助の科白にもどかしそうに眉を寄せ口をゆがめた茂吉は早口で用件を伝えた。


「大変なんだ!あんたんとこにいる女子が・・・!」

「アヤメがどうかしたのですか!?」


 茂吉の言葉にすぐに敬助が身を乗り出した。


「それが・・・町で、浪士に―――。」



 その言葉を聞いた途端全員顔の色を変えた。


「どういうことだ茂吉!」

「お、俺にもよくわかんねえんだが・・・ともかく急いでくれ!やばいんだ!」


 そう言うと茂吉は道に飛び出した。敬助、勝太、歳三、宗次郎、源三郎がその後に続く。周助も後に続いていこうとしたが源三郎が制した。


「もし本当に浪士が関っているならば道場主の先生が出て行けばややこしいことになります。ともかく私どもだけで何とかしますので!!」

「おい、待て!」


 だがもう若くはない周助は前を行く敬助たちとの距離はあっという間に開いていった。

 走りながら勝太が叫ぶように問うた。


「どうしたんだ、茂吉!?何があった!?」

「それが・・・酔っ払った武家のお方に絡まれたようで。俺も最初から見てたわけじゃねえから、詳しくはわからねえんだ。ただあの子に謝れと喚き散らして、だがあの子は口が利けねえから、それが相手方の癇に障って更にやべえことになって・・・。」


 その言葉に更に不安が掻き立てられる。ここまで町までの道を遠く感じたことがあったろうか。アヤメ、アヤメ。無事で居てくれ――!!


 騒ぎの場は町に入るとすぐにわかった。大通りに面した古い蕎麦屋の前に大きな人だかりが出来ている。


「すみません!通してください!!」

「山南さん!!」


 人ごみを掻き分け前に行こうとすると、ぐっと腕を押さえられた。蕎麦屋の前に店を構える苑屋の旦那だ。


「申し訳ない!!あの子がうちの店を出たら、あの浪人とぶつかって!!」」


「苑屋さん・・・。」


「相手方は酔っ払ってはいるが、どうやら水戸藩の方だそうです。今出て行っては・・・!!」



 そんなことに構っている暇はない。アヤメは今まさにつらい思いをしているのだから。


 苑屋の腕を振り払うと敬助は人垣を押しやって前に出た。



 * * *


 少し時はさかのぼり、昼下がりの暖かな日差しに包まれた町。


 今日はフデに頼まれ、野菜と明かり用の油を買いに町にやってきた。


 野菜をいつもの店で買って、油を買いに苑屋の暖簾を潜る。苑屋の旦那様はアヤメの姿を認めると、細い目をさらに細くして微笑んだ。


「ああ、アヤちゃん。いらっしゃい。今日はなんだい?」


 アヤメは黙ったまま手に握り締めていたフデから預かった紙を渡す。


「ああ、はいはい。」


 苑屋は奥に引っ込むと甕を取り出し紙に書いているとおりの量の油をはかりとってくれた。


「はい、毎度どうも。いつもえらいね。」


 その言葉にアヤメは不思議そうに首を傾げると丁寧に頭を下げて店から出て行こうと再び出口に駆け寄る。そして通りに飛び出した途端、ふらふらと歩いていた男の袴に思い切り頭をぶつけてしまったのだ。


 慌てて離れるが相手の男はぎろりとアヤメを上からねめつけた。酒でも飲んでいたのか独特のにおいを全身から漂わせ、目は真っ赤になっている。さらにその男の後ろにいた二人の男たちもアヤメを見ると


「なんだあこのガキ!」


「中本様にぶつかるとはいい度胸だな。唯の町人のガキが。謝りもしねえで。」



 中本と呼ばれた男はぐいっと顔をアヤメのほうに近づけると


「おい、ガキ。親に口の利き方を習わなかったのかい?お武家の方にぶつかったらどうするか教わらなかったか?」


 そういうと酒臭い息をアヤメにかけた。思わず体を縮める。その仕草が気に入らなかったのか、中本は左手でむんずとアヤメの髪の毛を掴むとそのまま体を起こした。自然、小柄なアヤメはそれに引っ張られる。痛みが頭皮に走った。だがその痛みに顔をゆがめる間もなく乱暴に地面に叩きつけられる。


 その様子を見て通行人も異変に気づいたらしい。次々と足を止めたり、逆に巻き込まれぬようにと足早に去っていったりする。


 土が口に入ってくる。思わずむせると今度はまた髪の毛を引っ張られる。フデが結ってくれた髪が解ける。


 手を振り上げ頬を殴る男。


 男は口に笑みを浮かべている。


 男の後ろに母の姿を見た気がした。


 痛い。


 痛い。



 痛い――!!










 * * *



「アヤメ!!」


 少女の元に駆け寄ると、アヤメの髪の毛を掴んでいた浪士の手が緩む。

 すっかり力の抜けきったアヤメの体が重力に従い倒れこむ。


「なんだあ、おめえ?」

「このガキの兄貴かなにかか。」



 呂律の十分回らぬ言葉、赤い目、酒ぐさい息。思わず眉を顰めたが、目を逸らさずにまっすぐ男の目を見つめる。男の背後に控えていた他の男二人が前に出てきた。


「なんだあ、貴様。」

「中本様になんか文句でもあるのかあ?」



 中本と呼ばれた男が唇をゆがめるようにして笑った。

 その表情に思わず拳を強く握ると後ろから強く腕を引かれた。


「勝太さん・・・。」

「お武家様、その娘は私どもの身内の者です。何があったかは存じ上げませぬが、失礼があったのならばお詫びいたします。どうかご勘弁いただけないでしょうか?」


 敬助の左腕を握った勝太はそう言って頭を深く下げた。


「・・・山南さん。」


 頭を下げる瞬間、近くに居た敬助にしか聞こえないくらいの小さな声でそう呟くと目配せして敬助にも頭を下げるように促した。


「・・・。」



 不本意ながらも敬助もゆっくりと頭を下げる。


「ほお、お前このガキの兄貴かなんかかい?」


 中本という男は前に立つ手下二人の後ろでにんまり笑った。そして足元に転がり動かないアヤメの頭を軽く蹴った。それを見た敬助はさらに拳を硬くした。それを視線で制し、勝太が先程よりも低い声で中本に迫った。


「失礼ながら、貴方様がどちらの御方かは存じ上げませんが、この江戸の城下で幼き女子を殴るのはそちらの顔に自ら泥を塗るようなものではないかと。」

「な、なにおぉ・・・!」


 勝太の慇懃無礼な言葉に取巻き達が怒りを顕にした。

 それでも勝太は動じない。敬助も前に出た。


「そちらはどうやら酒の力をお借りの様子。奉行所に申し出ればそちらにも何かしらの対処がなされるかと思いますが?」

「くっ・・・!!」


 取巻きが言い返す言葉を見つけられず悔しそうにこちらを睨みつける。

 すると静かに中本が口を開いた。


「・・・なるほど、わかった。確かにこれ以上の騒ぎは俺達の面汚しだな。」

「「中本様!」」

「だがしかし、ここで黙って引き下がるわけにも行くまい?」


 そういってニヤリと笑うとアヤメの髪を引っ張った。


「なにを!」


 慌てて敬助が止めようとすると、中本はニヤリと口元に笑みを浮かべると、そのまま腰に差していた脇差を抜き、そしてそのままそれを彼女の髪に当てた。


「止めろ!」


 敬助が慌てて前に出る。それを二人の取り巻きが遮った。


「タダで帰るのは武士として許せるものではなくてね。」


 バサリ。


 アヤメの柔らかな髪が静かに路上に散らばった。


「命の代わりに髪をもらっていくとしよう。」


 中本はアヤメの髪を持ったまま敬助たちに背を向けた。


「行くぞ。」

「は、はあ。」


 取り巻きたちは唾を吐いてその場所を去った。


「アヤメ!!」


 敬助は慌ててアヤメに駆け寄った。


 横たわっていたアヤメが顔を上げる。そしてその細い腕を、敬助に向かって伸ばした。


「アヤメ・・・。」


 その体を抱き寄せ、握り締める。


「アヤメ、大丈夫か?」

「っつ。ふ・・・。」


 胸に寄せたアヤメの口から空気の漏れる音がした。


「大丈夫か!?」

「おい!」

「アヤメ!!」


 次々と後ろから声がかけられる。試衛館の面々は二人を取り囲んだ。


「アヤメ・・・!」


 胸が濡れていくのを感じた。そっとアヤメの体を離す。しかしアヤメはそれに抗して敬助の首に回した腕の力を強めた。そして胸に顔を埋めた。


 その瞳は綺麗な雫を溜めている。


「アヤメ、ごめん。ごめんよ・・・。帰ろう、帰ろうな。」


 敬助の言葉に何度も何度も頷く。


 その彼女の頭を敬助は優しく撫でた。


 












 夜の帳も下りようという頃合、周助、勝太、歳三、源三郎、そしてフデは周助の部屋に集まっていた。


「・・・。敬助と宗次郎は?」


「二人とも山南さんの部屋です。アヤメもそこに居ます。」


 神妙な顔をして勝太の言葉に頷くと、


「兎も角、無事で何よりだ。」

「無事なもんですか!髪の毛を、女子の髪を・・・!!」


 そういってフデは声を詰まらせた。

 その背中を周助がそっと撫でた。


「だが、下手すれば体にもっと酷い傷が出来てたぞ。最悪斬られていたかもしれん状況だ。」

「ええ、勝太さんと山南さんが上手く言ってくれたから良かったものの・・・。」

「・・・。」

 

 周助と源三郎のその思い言葉に皆押し黙る。


「でも・・・。」



 その沈黙を破ったのは歳三だった。


「アイツが泣くとこ、初めて見たな・・・。」



 いつも怯えてはいたが、あんなふうに泣いたことはない。あんなふうに人に縋り付いたことなど――。









 敬助とアヤメの部屋では敬助と宗次郎が眠るアヤメを見つめていた。


「離れようとしなかったですね、アヤメ。」

「うん。余程怖かったんだろうさ。」


 敬助の膝にその小さな頭を乗せ、眠るアヤメはまるで赤子のようだ。時々鼻をすすりながらも規則正しい呼吸を繰り返すアヤメの頬をそっと撫でた。泪の痕がとても痛々しい。


 切られた髪の毛を優しく撫でる。せっかく伸ばした細い髪は無残な姿に成り代わっていた。


「アヤメ、泣いてましたね。」


 宗次郎の言葉に頷く。

 初めて見た彼女の泪。とても痛々しい悲しみの発露。


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