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その場所で貴方を待つ  作者: 水無月とおる
15/30

贈り物


 夕暮れ時の道を、敬助は一人で試衛館に向かって歩いていた。試衛館から玄武館道場に向かったのは十日以上も前のことだ。思っていたよりも手間が掛かった。平助の言葉の通り、道場にいたのはごろつきばかりだった。だが中には中々興味深い男もいた。その男だけは玄武館道場と縁のある道場に紹介された。

 そのまま道場に留まらないかと声をかけてきた恩師を何とか振り切って帰ってこれた。

 敬助の懐にはアヤメへの土産が入っている。アヤメが待っていると思うと自然足も速まる。

 川沿いの道に出た。その道に出た途端、行きに起こった不思議な出来事を思い出した。あの奇妙な男のことを――。一体あの男は何者だったのだろうか。平助には見えていなかった、だが敬助にはあれが夢幻の類とはとても思えなかった。それにあの男が言っていた言葉。


『やや子を頼んだよ・・・。』


 あの科白はどう考えても自分に向けられたものだった。ならばやや子とはアヤメのことではないかと、なんとなく敬助はそんな気がした。


 * * *


 

 道場に戻る時には既に日が落ちてしまっていた。


「あらあら山南さん、お戻りになられたんですか。」


 最初に敬助に気がついたのはフデだった。


「ただいま戻りました、おフデさん。遅くなり申し訳ありません。」

「思ったより長かったですね。余り物でよければ夕飯お出ししますが?」

「ああ、お気遣いありがとうございます。じゃあ、申し訳ありませんが頼めますか?」



 フデと軽く会話を交わし、そのまま周助の部屋に向かう。


 襖の向こうからは微かに人の気配がする。


「周助先生。」


 襖の前で膝を突き呼びかけると、一瞬の間の後勢いよく襖が開き、周助が顔を覗かせた。



「おう!敬助か。驚いたじゃねえか。」

「すみません。遅くなりましたがただいま帰りました。」


 周助はニシシと歯を見せて笑うと



「思ったより長かったかたら少し心配したぞ。アヤメにはもう顔を見せたのか?」

「いえ、未だです。」

「そうか、じゃあ早く行ってやれ。最近明らかに元気が無かったからな。」

「また、何かあったんですか?」


 敬助の脳裏に平助が訪ねてきた日のことが甦る。


 近所の子どもに苛められたアヤメのことが。


 またそんなことがあったのか?

 だがそんな敬助の思案に対し、周助は豪快に笑うと



「そんなんじゃねえよ、馬鹿。お前が居なくて寂しがってたんだよ。」

「え?寂しがってた?」

「ああ。まああんなことが起こったすぐ後だったしな・・・。」


 周助が言葉尻を濁らす。周助の言う“あんなこと”が近所の子どもに苛められたらしいことであるのは敬助にもわかった。思わず顔をうつむかせた。あんなことが起こってすぐだというのに出て行ってしまった。恩師がわざわざ平助を遣してまで頼んできた依頼を断ることは出来ない、だがアヤメを置いていったのは失敗だったかもしれない。周助や勝太、宗次郎に任せておいたほうが慣れない土地に連れ出すより安心と思ったが、せめてもう少し平助に待っていてもらったほうが良かったか――?


「そう考え込むな。まあ宗次郎も看てたし大丈夫だ。兎も角すぐ行ってやれ。」



 眉間に皴を刻んで黙り込んでいた敬助を励ますように大きな声でそう言うと


「アヤメは多分宗次郎と一緒に自分の部屋にいるぞ。」

「・・・はい。」



 周助に追い立てられるように部屋を出ると、敬助はアヤメと自分の部屋に足を向けた。


 廊下に出る。ほんの数日の間しか離れていなかったのに、そこに吹く風や庭に咲く花が季節の変わり様を伝えていた。

 いくつかの部屋の前を通り過ぎ、自室の前に着いた。

 襖の向こうは静かだ。微かに衣擦れの音が聞こえ、それでようやく人が居るとわかる程度だ。


「アヤメ、宗次郎。居るのかい?」



 そう問いかけると、部屋の中の気配が動いた。


 軽い足音がこちらに近づいてきて勢いよく目の前の襖が開いた。


「ああ!!山南さんだあ!!」


 襖を開けた宗次郎は満面の笑みを敬助に向けると、そのまま首をひねって部屋の中に呼びかけた。


「アヤメ、山南さんが帰ってきたよ。」


 部屋の中からもう一つの気配がこちらに近づき、宗次郎の後ろからアヤメがそのかわいらしい顔をのぞかせた。


「やあ、アヤメ。ただいま。」

「…。」


 アヤメはどこかためらいがちに、そっと宗次郎の前に出てきた。


「アヤメ、悪かったね。中々帰ってこれなくて。」


 敬助の言葉にアヤメはただ静かに顔を伏せるだけだ。


「ほら、ちゃんと帰ってきたろ?」


 宗次郎はそう言ってアヤメの背中をポンポンと押した。


「『ちゃんと帰ってきた』?」


 宗次郎の言葉に敬助が首をひねった。


「ああ、アヤメが元気なくて…。『大丈夫、ちゃんと山南さんは帰ってくるよ』って。」

「…そう、だったのか?アヤメ。」

「…。」


 アヤメはただそこに立ったまま動かなかった。俯き加減のその顔を覗き込むように膝をつくと、不安げに揺らいだ瞳がある。


「ごめんよ。不安にさせたね。」

 

 そっと頭を撫でる。優しく優しく。柔らかな髪は敬助の骨ばった指の間をするりと抜けていく。


 少しでも寂しさを埋めてやれるように。


 そんな思いをこめて。


「山南さん。兎も角入ったらどうです?」


 宗次郎の声で撫でる手を止め、立ち上がる。そしてアヤメの小さな白い手を握って共に部屋の中に入った。


「はい、山南さんどうぞ。」

「ははは、ありがとう宗次郎。」



 宗次郎はそそくさと座布団を取り出しそこに敬助を誘った。


「なんだか変な感じだね。自分の部屋でもてなされるなんて。」

「へへへえ。」


 少し得意げな笑顔を浮かべ宗次郎は敬助の隣にアヤメを座らせた。


「宗次郎、これお土産。」

「わあ、何ですか?」

「饅頭だよ。」



 敬助の言葉に目を輝かせると宗次郎はすくっと立ち上がり


「お茶貰ってきます!!」


 そう言って勢いよく出て行った。

 

「・・・。」


 アヤメと敬助、二人だけになった途端、部屋を静けさが襲う。


 蛙の鳴き声がさっきより大きくなった気がした。


「アヤメ。」


 そっと声をかけるとアヤメはびくりと肩を震わせた。


「すぐ帰って来るって言ったのに長くなってごめんね。」

「・・・。」


 アヤメは何の反応もない。泣いて責めてくることもない。ただじっとしているだけだ。


「アヤメ、お土産買ってきたんだよ。」


 敬助は懐から帰り道で買った櫛を出した。


 京丸型の櫛だ。菖蒲の花の模様の入った竹櫛だ。江戸で売れるようにと色は控えめではあるが上品な品である。これを一目見た瞬間に菖蒲の土産にはこれがいいと思ったのだ。


 だがアヤメはただじっとその櫛を見つめるばかりで手を伸ばそうとしない。なのでその細い腕をそっと持ち上げ掌の上に櫛を置いた。


「これはアヤメ、君のものだよ。」


 そう言って櫛をそっと握らせた。


「・・・。」


 不思議そうにそれを見つめるアヤメ。細い指で細工の部分をそっとなぞる。



「髪に挿すんだよ。」


 

 アヤメの手からその櫛をとると結い上げられた髪にそっと挿しこんだ。


「鏡があればいいんだけどね。」


 アヤメ位の歳の子には少し大人っぽいが、それでもその櫛は彼女の柔らかな髪色によくなじんでいた。


「うん、よく似合っている。」


 アヤメは気になるのか、そっと頭に触れた。

 まだ普通に結い上げるには短い彼女の髪では少し櫛が安定しない。すぐに取れて畳みの上に転がった。


「ああ、やはり未だだめかな。もう少し髪の毛が伸びたらもっとしっかり挿せるのにな。」


 櫛をまたアヤメに握らせると、大事にしまっておきなさい、と頭を撫でた。


 そうしていると廊下のほうから足音が響いてきた。ああ、きっと宗次郎だ。お茶を持ってきているからか、出て行ったときより足音が静かだ。


「さあ、お茶にしようか。」


 久しぶりに三人でお菓子を食べれることが、何故かとても嬉しかった。



 微笑みが自然にこぼれる。途端に襖が勢いよくひらいた。


 器用に足で襖を開けた宗次郎の手には簡単な食事と急須を乗せた膳があった。

 こらこら、下品だよとその行為を窘め膳を宗次郎から受け取った。


「これ、おフデさんからです。」

「ああ、ありがとう。食事を取りにいくのすっかり忘れていたよ。」


 アヤメのことが気にかかっていてすっかり頭から飛んでいた。宗次郎は再び座布団に座ると先ほど敬助が渡した包みを広げている。広げた包みの中にあるのは数種類の饅頭だ。

 

「アヤメ、どれがいい?」


 宗次郎がアヤメの目を覗き込んで尋ねた。途端アヤメの瞳に戸惑いの色が浮かんだ。まただ。アヤメはこんな場面がどうにも苦手のようだ。自分に選択権が与えられるような状況を彼女は嫌がる。


「アヤメ。どれでも好きなものを選んでいいんだよ。」


 敬助も言葉を挟んだが、それでも瞳の中の不安げな色は消えない。どうすればいいのかわからないという様子だ。見るに見かねた宗次郎が助け舟を出そうと一つの饅頭に手を出しそれをアヤメに渡そうとした。しかし敬助はそれを制した。


「山南さん?」


「・・・アヤメ。どれでもいいんだ。お前の好きなのを選びなさい。」



 アヤメは逡巡する素振りを見せる。まるで間違えられない選択を迫られているかのようだ。暫くの間のあと、そっと手を伸ばし、包みの中から蓬の饅頭を選び取った。


「それでいいのかい?」


 敬助が訪ねると、びくっと身を震わせた。


「怒っちゃいないよ。お前がそれを食べたいのかい?」


 アヤメはその問いかけに少し困ったような表情をみせた。


「・・・。それでいいの?」


 繰り返される敬助の言葉に頷く。


「そうか。じゃあそれを食べようか。」


 そう言って頭を撫でた。残された二つの饅頭を見る。一つはよく敬助が買ってくるごく普通の豆大福、そしてよく宗次郎が食べている金鍔だ。何故アヤメがこれを選んだのか、なんとなくわかってしまう。気を使い無難なものを選んだのだろう。


 物寂しいような、だがそれでも自身の判断が出来るようになったことを喜ぶべきなのか――。


 この子はまだ九つで、大人になりかけてはいるがやはり未だ子どもなのだ。このような事で大人に気を使っているのだ。もう少し、自分勝手になったっていいのに。思わずそう思ってしまう。


「よし、食べよう。」

「はい!」


 アヤメは少しほっとしたような表情を見せて手のなかの草もちに目を落とした。


「アヤメ、食べていいよ。」


 敬助の言葉に頷いてそっと草もちを口に含んだ。


「おいしい?」


 小さく首を縦に振ったアヤメに敬助と素地郎は微笑みかけた。敬助は宗次郎が運んできた食事に手を付けアヤメ、宗次郎の二人のやり取りを見ながら、長い遠出の終わりを実感していた。


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