ぬくもりを感じたい
「お~い、かっちゃん。居るか?」
敬助が出て行った翌日、試衛館の裏口からなじみの声が響いた。そしてすぐに裏門がぎしりと軋んだ音がして歳三が顔を出した。
そのとき、アヤメは丁度裏庭の掃除をしていた。顔をのぞかせた歳三と目が合った。
「おう、ガキ。かっちゃんは何処居る?」
歳三の呼びかけにそっと腕をあげ、母屋のほうを指差した。
「母屋か?」
少し目を逸らしてコクリと頷いたアヤメ。
その姿を確認した歳三は彼女の前を通り、母屋のほうに向かおうとした。
だが何か思うことがあったのか、ふと立ち止まり数歩戻ってアヤメのすぐ目の前に立った。
そして――
「・・・ありがとうな。」
そう言って、アヤメの頭を撫でたのだった。
そして歳三はすぐに身を翻し行ってしまった。
アヤメは唖然とした様子で、口をぽかんと開け暫くその場所で突っ立っていた。そして歳三が撫でた頭をそっと自分の手で触ってみたりしている。
そんな彼女の様子を、歳三は母屋に入る前にちらりと視界に入れていた。
歳三は母屋の裏口から中に入り、勝太の姿を探した。
どうせ勝太は自室に居るのであろう。ずかずかと遠慮なく廊下を歩いていくと勝太の部屋の襖が空いて勝太が顔を覗かせた。
「はははっ。やっぱりトシだ。足音でわかるな、お前は。」
「どういう意味だ。」
「そのまんまだよ。やかましい足音だ。」
ふんっと鼻を鳴らすと、歳三は勝太の部屋に入り、腰を下ろした。
「宗次郎や山南さんはどうした?」
「ああ、宗次郎は道場だ。山南さんは千葉先生の所だ。」
勝太の言葉に歳三は片眉を少し上げて
「なんだ?千葉先生の所?」
暫く道場に来なかった歳三としてはその言葉だけではよく状況がわからない。
勝太に説明を促すような視線を送る。
「ああ、実は一昨日千葉先生の所の門下生が来てな。道場に怪しい輩が門下にしろとやってきて困っているから追い返すのを手伝ってくれとのことだったのでな、昨日その門下の子と共に一度玄武館に戻ったんだよ。」
「ほお。まったく、そんなんですぐに戻るなんて・・・。」
「そんな言い方はないだろう、トシ。山南さんにとっては大事な師の頼みごと。断れるものではない。」
困ったように笑いながら歳三を諌める勝太。
だが歳三はフンと鼻を鳴らすと、
「じゃあその間、あのガキはどうすんだ?」
「あのガキ?ああ、アヤメか。まあ数日のことだし、大丈夫だろう。」
特に気にする様子もない勝太に益々機嫌を損ねた様子の歳三。
そんな歳三の様子に勝太は頬を緩ませた。
「なんだ、歳三。心配なのか?それなら素直にそういえばいいのに。」
「そんなんじゃ・・・ねえよ。」
不機嫌な顔を背け胡坐を組んだ足を揺する歳三。
勝太はそんな彼の動きに笑いを必死にこらえながら
「それで?今日はどうした?家を手伝わなくていいのか?」
「ん?ああ、まあな。少し手が空いた。」
「そうか、最近忙しそうにしてたもんなあ。」
のんびりとした口調の勝太に対し、苛立ちを隠しきれない歳三は
「まったく、人使いが荒いんだから。」
「ははは、お前が奉公先から追い出されなきゃこんなことにならなかったんじゃないのか?」
「ふん。」
痛いところを付かれ、歳三は唇を尖らす。
「まあ、アヤメが心配なら時々来てやってくれ。」
「別に心配だなんていってねえよ。」
「照れるな照れるな!!」
勝太は豪快に笑ってバシバシと歳三の肩を勢いよく叩いた。
「いてえよ!」
益々不機嫌になる歳三の様子にまた顔を緩ます勝太。
歳三が怒るとわかっていても、勝太は嬉しかった。最初はアヤメに怯えられていた歳三が彼女を案じていることが。
女たらしで自分にも人にも厳しい歳三にとって、本来アヤメのような弱者は苛立ちの対象でしかなかったはずだ。
それが、一人になったアヤメを心配しているのだから。
――少しは人間味ってものが出てきたのかね。
「何だよ、かっちゃん。ニヤニヤしやがって。」
「いや別に。なんのかんの言って仲良くやっているようだな。」
「だからそんなんじゃねえよ。」
まるで子どものようにむくれる歳三は大人ぶっているがまだまだ子どもである。
「まあせっかく来たんだ。手合わせしていけよ。」
「ふん、勿論だ。その為に来たんだからな。」
大きく伸びをして立ち上がると、歳三は勝太の先に立って道場に向かった。
* * *
蛙の鳴き声だけが夜の静寂<シジマ>を遮っている。
障子越しに見える月の明かりがほのかに部屋の中を照らしていた。
敬助が平助と一緒に試衛館をでて三日。
普段敬助と二人で使っているこの部屋は、アヤメ一人で寝るには少し広すぎる。
フデに手伝ってもらって引いた布団のなかでアヤメは身を丸くしていた。
頭から布団をかぶって落ちつか無げに何度も寝返りをうつ。
布団の隙間からそっと右隣を見る。いつもならそこにある温もりはここ数日そこにないままだ。静かに腕を伸ばしてみても指先から伝わってくるのはひんやりとした畳の感触だけ。恐ろしい夢を見て布団の中で震えるアヤメの背中を撫でる暖かな手はそこにはない。
『いい子で待っててね。』
荷を背負い出て行く敬助の背中。その姿に重なる影にアヤメはブルリと身を震わせた。そして静かに布団から這い出ると押入れ襖を開けた。そこには敬助が普段使っている布団がしまわれている。ボスンと体をその布団に倒れこませた。だがその布団は押入れの中で冷たく冷えていて、敬助の温もりは残っていなかった――。




