新たな出会い
夕暮れ時の川原沿いを一人の男が歩いている。よく晴れているというのにボロボロの藤色の番傘を差して。少し緑がかった艶のある髪を揺らし草笛を吹きながらゆらゆらと歩く姿はどこか異様である。そして川べりのかれた菖蒲の花の茎を切り取りそれに息を吹きかけた。するとその花は見る見るうちに潤いを取り戻し、季節を無視して咲き誇った。そして男はこう呟いたのだ。
「さあて、どうしたものか。あのやや子は。」
そうして男は夕日を反射した水面の光とともに何処知れず消えてしまったのだった。
――――
―――――
「山南さん!」
「ああ、源さん。」
試衛館の道場へと続く廊下で敬助は源三郎に声をかけられた。穏やかな笑みを浮かべた源三郎は敬助と同様道場で一汗かこうというのだろう、二人は自然並んで歩いた。のんきに天気や今日の身体の調子を話す。
「そういえばアヤメはどうしましたか。今日はまったく姿を見ませんが。」
今思い出したかのような源三郎の問に敬助は満足そうな微笑を浮かべ答えた。
「ああ、今日はおつかいなんです。」
「おつかい、ですか?」
細い目を少し丸くして、源三郎が首を傾げる。
「ふふ。最近ね、おフデさんの手伝いで外に出るようになったんです。」
アヤメは少しずつ外に出るようになった。とはいっても口は利けぬまま。おつかいの際はフデが必要なものを紙に書いてそれを持たせていた。行き先も馴染みの店ばかりだ。その店にも事情は伝えてある。
「いやはや、アヤメもここに来た頃に比べると大分元気になりましたね。」
「そうですね。」
源三郎の言葉に敬助も頷いたが、少し困ったような表情も入り混じっていた。確かに元気にはなったが、まだだ。まだ彼女には足りまいものがある。それが敬助にはとても重要なものに感じられてならないのだ。
あの子にはもっと――。
ぼんやり考え込み始めた敬助を源三郎はあえて放っておいた。ただ足だけは道場へと向かわせる。
道場に入るとそこには久しく見なかった男の姿があった。
「おや。」
「ああ、歳三君じゃないか!久しぶりだな。」
二人は笑顔で久しぶりの来客を迎えたが、それに対して土方は少々不機嫌そうである。腕を組み、右手の人差指だけぴんと立てていらいらと左の上腕を叩いている。その後ろでは勝太が面を脱いでいた。
「どうかしたのか歳三君。いつもより眉間の皴が深いようだが。」
「ふん、このご時勢だ。みんな不機嫌だ。」
そういって顔を逸らしてしまった歳三に代わって宗次郎が口をはさんでくる。
「違いますよ、山南さん!歳三さんはまた若先生に負けたんで不機嫌なんです。」
「うるせい、宗次郎!この糞餓鬼が!!」
そう言うと歳三は拳骨を宗次郎に食らわした。
「うわ~ん!歳三さんがまた殴った!」
「おいおい、トシ。大人気ないぞ!」
「かっちゃん!大体あんたがこいつを甘やかすからこんなに付け上がるんだ。」
いつも通り、泣き叫ぶ宗次郎と歳三との間に入って宥める勝太とそれに反抗する歳三。
その光景に敬助は源三郎と二人、微笑んでいた。
すると歳三はくるりと敬助に向き直り、
「ところで最近どうなんだ?あの餓鬼は。」
「え?」
「ほら、あの餓鬼さ。アヤメとか言う。」
「ああ。」
思わず笑みがこぼれた。なんのかんの言っても彼は彼なりにあの子のことを気にかけてくれているのだ。
「実はねえ、最近調子がいいようだ。おフデさんとも上手くやっているようで、なんと町までおつかいが出来るようになったんだ。」
「・・・へえ。」
自分から聞いておきながら歳三はそう素っ気無く返しただけであった。
「なんだ、トシ。気になるのか。」
「誰が!」
からかうような勝太の口調にまた怒鳴り返す。
「まあまあ。落ち着いて。久しぶりに来たんだ。私とも一戦交えないかね?」
源三郎のその言葉で少し落ち着いたのか、歳三は腕を組み
「おう、手加減はしないからな。」
「もちろんだよ。」
そういって道場に入っていく二人に苦笑を浮かべ、敬助と勝太はその様子を見つめた。
「ところで山南さん、アヤメは何処までいったんですか?」
「今日は米問屋につかいです。」
勝太の問に笑みをうかべそう答える。最近はこの試衛館の金銭的理由で多くの女中に暇を出しており、フデも家事を率先して行なっている。それが逆に良かったのかもしれない。人間は言葉を使う生物でありながらそれだけで関りを持つことが苦手だ。アヤメにとって家事の手伝いを介する機会はフデとの交流をより円滑なものにしたと言えるだろう。フデもフデできちんとアヤメが無理なく行なえる範囲の仕事を任せているようだ。
* * *
「やあ、アヤメちゃん。こんにちは。今日は何の用かな?」
米問屋の番頭はおどおどしながら見せに入って来たアヤメに笑顔をむけ応対した。アヤメは恐る恐る番頭のところにフデに渡された紙と袋を差し出した。
「ああ、注文だね。はいはい。」
番頭はアヤメの手からその紙を受け取ると眼鏡の奥の目を細め文字を読んで、袋の中にあった銭を確かめた。そして帳簿と照らし合わせると顔を上げ、
「はい、確かにこの前の分収めました。これを奥さんに渡してくれるかな?」
番頭から借用書を受け取るとアヤメはぺこりと頭を下げると店から出て行った。
とことこと町を歩きぬけ、道場への道を行く。
その途中の道で近所の子供達が遊んでいた。高い声が響く。
アヤメがその横をすり抜けようとした時、そのうちの一人の八つ位の年ごろの男子がアヤメに気がついた。試衛館の近くに住む子どもで、兄が試衛館の門下生の子だ。
「あ!」
兄にくっついて時々試衛館に顔を出すことがあり、アヤメの顔を覚えていたのだろう。アヤメのことを指差し、
「捨て子の女だ!」
その一人の言葉に周りの子達も連鎖的に反応した。
「捨て子ってー?」
「あの子捨て子なの?」
「うん、兄上が言ってた。いきなり兄上の道場に来たって。それで若先生たちが面倒見てるんだぞ!」
周りの子達にそう説明する中心の男児が意地の悪い笑みを浮かべアヤメに視線を向けた。
その視線にアヤメはピクリと体を震わせじりっと後ずさりした。
「待てよ!」
恐れをなしたアヤメはくるりと体の向きを変え帰路を走り出した。
後ろから子供達が追いかけてくる足音が聞こえてくる。アヤメは振り返る余裕もなく、その細い足を必死に動かした。だがすぐに捕まってしまう。最初にアヤメに気がついた少年に腕を掴まれ恐怖に身を震わした。
「なんだよ、この細い腕!気持ち悪い!!」
だが少年はすぐにその手を振り払うように投げ出した。その反動でアヤメの体も大きく揺れ動いたが、何とか持ち直し掴まれた腕を摩りながら震える体を益々小さくしながら周りを取り囲む子供達を見た。
「骨と皮だけじゃないか!!気味が悪い!」
「やっぱり捨て子だからメシ食わせてもらってないんじゃねえの?」
クスクス、ゲラゲラ。
残酷な笑い声。アヤメは体を震わせると子供達の輪の合間かに体を潜らせ何とかこの場を逃れようとした。しかし
「逃げようとしてんなよ。」
また輪の中に戻される。誰も彼もがアヤメより体格がいい。自然彼女を見下ろすようなかたちになる。
アヤメは恐怖のあまりしゃがみこんでしまった。
頭上から降ってくる笑い声に思わず手の中にあった袋と借用書を握り締めると、輪の中にいた女の子の一人がそれに気がついた。
「なに、それ?」
そしてそれを素早くアヤメの手からひったくると
「あ、お金入ってるー!」
袋の中にあった余った銭を見つけ声を上げる。アヤメはそれを取り返そうとしたがそれも上手くいかず、ひょいと袋を上に上げてアヤメの手が届かないようにしてしまう。
それを取り返そうと必死に背伸びするアヤメを面白がって男の子たちは彼女の細い体を蹴り飛ばした。唯でさえ細い体は背伸びをして不安定だ。すぐに地面に倒れこんだ。
「何か文句でもあるなら言ってみろよ!」
「おい、何している!」
アヤメに蹴りを入れた少年の後ろから鋭い声が飛んできた。
皆その声に一斉に振り返るとそこには立派な出で立ちの少年が仁王立ちで立っていた。年のころは十かそこらであろう。まだ幼さの残る顔立ちではあるが着ているものやその放つ雰囲気からそこらの子どもとは明らかに違うものがあった。
「な、なんだよお前!!」
アヤメを苛めていた子供達もそれに感づいたのか少し焦ったような声で、しかしそれを隠そうと虚勢を張りながら向き直った。だが少年は落ち着き払った様子で一歩こちらに近づいた。
「男も入り混じって、よってたかって女子一人に乱暴か?あまつさえ、金品まで盗ろうというのか?」
鋭い眼光で子どもたちを睨みつける。
「恥を知れ!!」
決して低くもなく、迫力のある声とはいえないのにどこか人を威圧する勢いのある声であった。子供達はびくりと震え上がりその中の主犯の少年は悔しそうに唇を噛むと
「憶えてろ!」
と捨て台詞とアヤメから奪い取ったものを置いて立ち去った。ほかの子たちもそれにならってわらわらと後に続いて逃げていった。
「大丈夫?」
先ほどの鋭い声とは打って変わって、穏やかな声に優しげな表情を浮かべた少年が未だ地面に座り込んだままのアヤメに歩み寄ってきた。
「立てる?」
先ほどまで眉間によっていた皴は綺麗になくなっている。
そしてそっと彼女のほうに手を差し伸べてきた。
「・・・。」
アヤメはその手をじっと見つめるばかりである。少年はアヤメの手を掴むと引っ張り挙げた。そして土で汚れたアヤメの着物をパンパンと手で払った。
「汚れちゃったね。ねえ君家は何処?送るよ。」
「・・・。」
アヤメは困ったように手をすり合わせている。
「?」
何も答えないアヤメに首を傾げ、少年は言葉を続けた。
「えっと、怪しいものじゃないよ、僕。ちょっとこの近くにある試衛館って道場に用があってきたんだけど迷っちゃって。」
アヤメが少年のことを怪しんでいると思ったのかまるで言い訳するかのように少し早口でそう伝える少年。アヤメはその言葉にはっと顔をあげた。
* * *
「ごめんください!!」
試衛館の玄関先から声変わり前の少年の声が響く。
そのどこか聞き覚えのある声に敬助は足を止め玄関へと向かった。
庭から回り込んで門に近づくと、そこに居たのはよく見知った顔であった。
「へ、平助!」
「あ、敬助さんだ!よかった、まだこの道場に居て!」
前に世話になった北辰一刀流の千葉周作の玄武館道場で同門だった藤堂平助がアヤメを連れてそこに立っていた。
「どうしてここに?それにアヤメ・・・。」
「ああ、やっぱりここの道場の子なんですね!実はそこで会って送るっていったらここに連れてきてもらったんです。で、試衛館って書いてあるからもしかしてここって敬助さんの居る道場かなって思ったんですけど、当たってた!」
「そこで会った?それに君はまだ千葉先生のところでお世話になっていると思っていたが・・・。どうしてこんな所に?」
「ええっと、まあ色々あって・・・。実は今日ここに来たのは千葉先生から敬助さんに伝言があって・・・。」
「伝言?手紙じゃすまないのかい?」
「実は少々込み入った話で・・・。大事な届け物もあって。」
驚きの表情を隠せない敬助に笑顔を見せながら平助が受け答えをした。
「まあ、ともかく中に。」
「はい。」
「・・・。」
嬉しくてたまらないというような表情を浮かべる平助に見るからに落ち込んでいるアヤメ。この不自然な組み合わせに若干の疑問を抱きながらも敬助は道場内に戻った。
―――
「苛め?」
「ええ。平助によると・・・。」
夜、周助の部屋で敬助、周助、勝太、源三郎は今日の突然の訪問者のもたらした知らせを話していた。平助は空いている客間に泊まることとなり、今は歳の近い宗次郎やアヤメと一緒にいる。
「まあ、あの子は体も年の割りに小さいし、口も利けない。苛めの標的にはなりやすいでしょうな。」
神妙な顔でそう呟く勝太に眉を顰め、源三郎はいつもより低い声で
「しかし・・・哀れな。」
その言葉に誰も何も言わなかった。言えなかった。
平助は何故アヤメが苛められていたのか、誰が苛めていたのかはわからないということだ。
この先も外に出るたびに彼女はこんな苦しい思いをしなくてはならないのか――?
重苦しい空気がその場を支配した。
敬助はあの細い体を震わしながらも泣くことも笑うこともしない少女の頼りなさげな背中を思い浮かべた。
あの子は――・・・。
「・・・ところで山南さん、その平助とかいう子はそもそも山南さんに用事があってここまで来たのでしょう?一体何用だったのですか?」
この空気に耐えかねたのだろう、勝太がわざとらしいほど明るい声でそう話を変えれば、他の二人もそれに応じた。
「そういえばそうですな、一体どうしたのでしょうか。」
「手紙は何回か来てたが、道場の人間よこすなんて珍しいな。」
「そうですね。」
確かに何度か手紙は来ていた。その中には戻ってこないかという風な事が遠まわしに含まれていた。だがそれをやんわりと断り続けていたのだ。
それがわざわざ敬助が弟のように可愛がってきた平助をよこすとは・・・よほど帰ってきて欲しいということだろうか?
「まあ、私もまだ平助に話を聞いていないのでなんとも言いがたいのですがね。彼と兎も角話をしてきますよ。」
「そうか。あの坊主は今宗次郎とアヤメと一緒だったか。」
「ええ。」
周助の言葉に頷くと、敬助は部屋を出て行った。




