波立
その数日後、太陽が南中に近づく頃。
とんとんとんというかわいらしい足音が響く。
試衛館の廊下を小柄な影が雑巾掛けしているのだ。アヤメは何度も袖を捲くりあげ、雑巾掛けを黙々と続けている。宗次郎が幼い頃使っていた着物を借りているために、その長い袖が邪魔なのだろう。
道場からは野太い男たちの声が響く。アヤメが少し怯えたような目でそちらに視線を送る。そんな彼女の背後に影が近づいてきた。
「おい。」
その低い声色に大げさに肩を跳ねさせるアヤメ。
恐る恐る振り返るとそこに居たのは腕を組み、仁王立ちで佇む歳三だった。
「・・・!!」
アヤメは思わず息を呑んだ。以前歳三と会ったとき、彼はアヤメに対して強い口調で言葉をぶつけたのだから当然のことだろう。
そんな彼女の様子に歳三は思いっきり眉根を寄せた。
「おい、ガキ。」
少女の体が小刻みに震える。その様子に歳三は一息吐いて、
「・・・。今日もおフデさんの手伝いか?」
歳三が静かにそう尋ねるとゆっくりと頭を縦にふる。
「別に取って食いはしねえよ。びびるな。」
だがそ声にすらアヤメはびくついた様子を示す。
「はあ・・・。」
そんなアヤメに思わず溜息を零せば更に彼女の体の振るえが酷くなった。
「・・・まあがんばれよ。」
それだけ言うと歳三はその場を後にした。
道場に向かって足を進める。そして中に入ろうとしたその時だった。
「と~し~、見たぞ~。」
そんな歳三の後ろから勝太が顔をのぞかせる。
「なんだよ、かっちゃん。」
「いやいや、お前らしいよ。本当に不器用だな。」
勝太の言葉に、歳三はこれでもかというほどに眉をしかめた。
「なんだと?これでも俺は兄弟の仲でも器用なほうだよ。」
「よくいうよ。あの子との接し方もわからないのに。何とか話をしようとしたんだろ?前に会ったときは酷かったもんな。忙しいのに今日来たのも、あの子の様子を見に来たんじゃないのか?」
「・・・そんなんじゃねえよ。」
「照れるな、照れるな!」
「誰が!」
声を荒げる歳三にまったく動じることもなく、勝太はにやりと笑みを浮かべ、
「じゃあ何でわざわざ来た?もう昼前の稽古も終わろうというときに。」
「ふん。ちょっと遅れただけだ。」
「お前はまったく、素直じゃないよな。」
「だあ、かあ、らあ。」
額に青筋を浮かべる歳三に対し、あっけらかんとした態度の勝太。短気な歳三とは長い付き合いだ。道場のものを震え上がらせる歳三のすごみも、勝太にはなんということはない。
「まったく、お前は。あの子が気にかかるならもう少し表情を和らげろ。そのうち眉間の皴が取れなくなるぞ。」
「なるか!ってか人の話を聞けよ。俺はあんな餓鬼のことなんて・・・。」
「あ、そういえば!」
眉間の皴を更に深める歳三にまったく構うことなく、勝太は思い出したように向き直った。
「おミツさんがきてるぞ。」
「だからヒトの話を聞けって・・・。」
そこまで言うと、歳三ははたと動きを止めた。
そして首をゆっくり回して勝太の顔を見つめた。
「・・・今、なんて言った?かっちゃん・・・。」
「だから、おミツさんが来てるって。」
「・・・。」
「トシ?」
黙り込んでしまった歳三の顔の前で手を振ってみる。だが特に反応はない。暫くそうしていると歳三はゴクリと喉を鳴らし、
「来て早々だが、俺は帰る。」
「ああ、相変らずだなトシ。」
勝太はニヤリと笑って、
「お前は前から苦手だったもんなあ、おミツさんが。」
「あのやかましい女と渡り合えるあんたらが理解できねえ。」
「あら、“やかましい女”って誰かしらね。歳三さん。」
突如二人の横から高い声が響く。
その声を聴いた途端、歳三は顔を引きつらせた。
二人が話していた廊下に面した襖の一つがゆっくりと開き、中から輝くばかりの笑顔を引き下げたミツが顔をだした。
「まあ、黙って聞いていれば随分な言いようですね。歳三さん。」
「ふん、あんたが黙っていられるときなんて寝てるとき以外にあったんだな。」
「なんですって!?」
「ああ、違ったな。あんたは寝てるときも五月蝿い。」
「私の寝てるところなんて見たこと無いでしょう!?それとも覗いたことあるんですか?いやらしい!」
「だ・れ・が!そんなもん見なくてもわかるわ!この自意識過剰女!」
全く生産性のない言い争いを続ける二人に苦笑を漏らしながら勝太は二人の間に割って入った。
「まあまあ落ち着いて、おミツさん。トシも、女子に対してそんな言葉遣いは無いだろう。」
「・・・これが女子かよ。」
「トシ!」
なんとか二人を諌めて、勝太はミツに向き直った。
「すみませんね、おミツさん。」
「変わらないわね、歳三さんは。」
ミツはふうっと息を吐くと
「そういえば、これ。」
「「ん?」」
ミツが二人の前に差し出してきたのは赤を基調とした小さな着物だった。
「この先の気候に合わせたものですけど。」
「もう出来たんですか。早いですね。」
「ふふん。」
得意そうに胸を張るミツに対し、事情のわからぬ歳三は眉間に皴を寄せた。
「なんだ?」
「ああ、おミツさんがアヤメの為に着物を仕立ててくれて。」
「何時までも宗ちゃんのじゃね、これから涼しくなるのにかわいそうでしょ。去年使ったあまり布も使えてよかった。こっち来たついでに売ろうと思ってたんだけどね。」
二人の説明に歳三は先ほど見たアヤメの姿を思い浮かべてみた。確かに少し大きい着物に苦労しているように見えた。得心がいき、
「なるほどな。」
「いやあ、かわいらしいですね。」
「ふふふ。」
「いやあ、誰にでも取り柄は一つはあるもん・・・。」
「トシ。」
歳三の科白を勝太は笑顔で遮った。
「これはもうあの子に見せたのですか?
「いいえ、未だです。」
「兎も角、これをアヤメに見せに行きましょう。」
「そうですね。」
勝太の言葉に、ミツは素直に頷いた。
* * *
今アヤメの前には仮縫いを終えた朱色の衣があった。そしてそれを持ってきたミツと付き添いの勝太も。
「・・・。」
「どうですか。可愛い小袖でしょ?」
「そうですねえ。」
のんびりした声で同意する敬助。その科白にミツは得意顔で続けた。
「これにあわせた帯は頼んでおいたので。お代も収めておきましたからまた取りに行きましょう。」
「え?そこまでしていただくわけには。」
敬助が慌てて声を掛けるがミツは全く気にもしていない。
「気になさらず!こんなかわいらしい子の世話なんて中々出来るものじゃないですから嬉しいんですよ?」
「ですが、帯くらいは私が・・・。」
「いいですって!それよりもその帯と襦袢はまだ呉服問屋に届いてないから。また取りに行ってください。」
「いいじゃねえか。もらっとけよ。」
渋る敬助に部屋に入ってきた周助が声を掛けた。だがそういうわけにもいかぬと敬助は眉を顰めた。
「周助先生・・・。」
「合いも変わらず世話焼きなようだな、おミツちゃん。」
「そんなことないですって!」
ニコニコ顔のミツに押し切られる形で結局その場は収まった。
「それより聞いたか?」
「何をです?」
神妙な顔つきになった周助に対しミツは呑気な顔だ。
「黒船だよ。知らないわけあるまい?もうこんな田舎にまで噂が飛んできたんだ。」
「そう。異人を乗せた大層立派な船らしいですよ。船の着いた港は大変な騒ぎだとか。」
敬助の言葉に更に勝太が続けた。
「鎖国以来最大の変事だ。天地がひっくり返るかもしれんな。」
「ああ、その話なら私も耳にしました。乗っていた異人は鼻が高く目は鋭く、まるで鬼のようだとか!」
ミツの興奮入り混じった声にアヤメの肩がびくりと震えた。
「・・・子どもの前でする話ではないね。」
その様子に気がついた敬助が笑顔でその話題を中断させると他のものもはっとして口を噤む。
「アヤメ、鬼さんが居るのはここより遠くの海だ。これやしないよ。」
敬助の言葉に安堵の表情を浮かべるアヤメ。
この年、嘉永六年の旧暦六月三日に浦賀にやってきた黒船の噂は徐々に日本全土に広がっていった。
時期悪く、将軍徳川家慶が逝去し、次に将軍職に就いた家定も国政を委ねられるような人間ではないということもあり、徐々に国政の混乱が波及していた。
その影響か、このところ門下生の間にも黒船の噂に興奮する血気盛んな若者が出てきた。その気配を肌で感じ取っているのかアヤメは益々他の門下生を避けるようになっていた。
* * *
柔らかな風の中揺れる洗濯物を取り込んでいた。すると、捲り上げた袖をツンツンと引っ張られるのを感じた。
振り返るとそこにはアヤメが立ってフデの袖を引っ張っていた。
「あら。」
アヤメはフデと目が合うと洗濯物を指差した。
取り込むのを手伝うといいたいのだろう。
「じゃあ、お願いします。私が洗濯物を取るのでそれを受け取ってあの籠に入れてください。」
フデの言葉にアヤメはコクリと一つ頷いた。
以前初めて掃除を手伝ってからというもの、アヤメは度々手伝いを申し出るようになった。
最初のころに比べると大分とフデに慣れてきたように見える。そうはいっても、やはり敬助や宗次郎、源三郎らに比べれば警戒されているほうだろうが。
「じゃあそれ、畳んでいただけます?」
フデの言葉にまた首を縦にふり、取り込んだ洗濯物を縁側で畳みだした。
フデや女中がやるほど綺麗ではないし、時間も掛かるが一つ一つ丁寧に畳んでいく。
この作業も最初にこれを手伝った時に比べればましになった。
憶えは早いほうなのだろう。
「はい、ご苦労様。もういいです。」
全て畳み終わるとアヤメから畳まれた洗濯物を受け取り、腰を上げた。
「・・・。」
アヤメはちらりとフデの様子をみやると、ほっとしたような表情を僅かに見せ同じように立ち上がった。
そんな少女の姿を見て、フデは何か考え込むような素振りを見せ、もう一度顔を上げ、
「・・・ちょっと待ってください。」
フデの声にアヤメは顔をあげ、小首を傾げた。
「もう一つ頼めますか?」
「・・・。」
フデの言葉に不思議そうな表情を浮かべながらも頷いた。
* * *
「アヤメ?」
日が少し西に傾きかけた頃、敬助はアヤメを探して歩き回っていた。
周助らと黒船や政の話をしていると何時の間にかアヤメは部屋から出てしまっていた。彼女が行きそうな場所はここでは限られているがその何処にも見当たらなかった。
「山南さん!」
「ああ、おミツさん。」
そんな敬助に声をかけたミツ。
「どうかしたの?」
「いやね、アヤメが見当たらないんですよ。しりませんか?」
「アヤメちゃんならおフデさんと外に出てましたよ。」
「え?」
アヤメは一度この道場から出て以降、フデの手伝い以外には殆ど自室にこもっていた。それが外に出ていた?
「それ、本当ですか?」
「ええ。何処に行くとかはわかりませんが、門を出て行くところは確かに見ましたよ。」
「裏門ですか?」
「ええ。」
その返事を聞くと敬助は裏門へと向かった。
裏門から出てあたりを見渡すがあたりには行商の商人以外は見当たらなかった。
「一体何処へ・・・。」
最近はフデの手伝いを積極的に行なっているアヤメだが、そうは言ってもどこかフデに対して苦手意識を持っていることは確かだろう。必要以上に顔色を伺い、フデが機嫌を損ねているときはあまり関ろうとしない。
そんなアヤメがフデと外に出るなんて――。
もう一度あたりを見渡してみると道の向こう側に二人分の影が見えた。女性と子どもらしき二人――。
「アヤメ、おフデさん。」
声を張って呼びかけると、小さな影がうつ向き気味だった頭<コウベ>を上げた。
「山南さん、どうかされましたか?」
近づいてきたフデの問いかけに対し、敬助は
「それはこちらの科白ですよ。二人で何処に行っていたのです?」
「何処って・・・。墓掃除に。」
もう盆も近いですから――というフデの言葉に敬助は目をまるくした。
「そ、そうですか・・・。それで、あの・・・大丈夫でしたか?」
「ええ。」
素っ気無くそれだけ言うとフデは門を潜って行った。取り残されたアヤメは、どうすればいいのかと、フデの背中と敬助を交互に見やっている。
「アヤメ。」
そんなアヤメに優しく声を掛け、頭をポンポンと撫でる。
「おフデさんと出かけてきたのかい?」
敬助の問いかけにアヤメは静かに頷いた。その顔に怯えは見えない。そのことにひどく安堵した。
「・・・そうかい。」
敬助は優しく微笑むとしゃがみこんでアヤメと視線を合わせた。
「外に出たのは久しぶりで疲れたろ。お茶にしよう。」
「・・・。」
アヤメは静かに頷くと、敬助の後ろをとことことついて行った。




