第八十六話〜駄神に名前をつけました〜
増量ちう_(:3」∠)_
目が覚める。
ぼんやりとした頭でテントの天井を見上げ、状況を思い出して横に顔を向けた。リファナが無邪気な表情でスゥスゥと寝息を立てている。どうやらツンツン褐色エルフ娘よりも早く目を覚ましたらしい。
魔力溜まりの燐光はテントを透過して内部に侵入してきているので、光源には事欠かない。しかしこうして見るとエルフというのまことに整った顔立ちをしているものだ。あどけない表情で眠るリファナの寝顔を眺めながら心からそう思う。
『食べちゃう? 食べちゃう?』
できるわけ無いだろう。殺されるわ。
『そうかなー? 意外と許してくれそうな気もするけど』
無理。精神的に無理。というか立場的にも状況的にも無理。黙っててくれる?
『ちぇっ』
駄神が黙ったので、リファナの寝顔観察を続ける。可愛い女の子の寝顔はいくら見てても飽きないし、見てるだけで心が癒やされるね。
そうして暫く寝顔を眺めているとリファナが僅かに身じろぎし、目を覚ました。数秒ぼーっとした感じで俺の顔を見つめたかと思うと、次の瞬間顔を真っ赤にして境界線に置いていた矢を素早く手に取った。
「よう、おはよう」
ズザザザッ! っと凄い勢いでテント内の俺から一番遠い場所まで後退ったリファナが赤い顔のまま両手で持った矢の矢じりをこちらに向ける。
「待て、ラインは越えてないぞ。俺は悪くないよな?」
「ぐっ、むむ……うぅ!」
真っ赤な顔のまま涙目で唸るリファナが可愛い。こうなるといじりたくなるよな。
「可愛い寝顔だったぞ」
「ーーーっ!?」
ついに羞恥心が限界に達したのか、真っ赤な顔のまま涙目になったリファナがテントから飛び出していった。
え? ちょっと?
それなんかまるで俺がリファナにセクハラでもしたみたいな感じに外の二人に取られない? ちょっと?
面倒くさいことになったなぁと思いながら溜息を吐き、俺もテントから出る。テントから出てみると、リファナは耳まで真っ赤にしたままエルミナさんに縋り付いていた。エルミナさんとブリーダから向けられる視線が痛い。
「待て、話をしよう。君達は誤解をしている」
そう前置きしてから俺は状況を説明した。寝る前に境界線として矢が置かれ、俺はそれを一切侵犯していないこと。目が覚めたらまだリファナが寝ていたので、起こすのも悪いと思って静かにしていたこと、そしてただぼんやりするのもなんなのでリファナの寝顔を見ていたらリファナが目を覚まして今の騒ぎになったこと。
「というわけで俺は悪くねぇ」
「ふむ」
「うーん……まぁ、うん」
一応俺への不名誉な嫌疑は晴れたようなのでほっと胸を撫で下ろす。
「不躾に寝顔を眺めたことは詫びる。申し訳なかった」
「タイシくんも謝ってるし、機嫌を直しなさい。ね?」
エルミナさんがそうとりなしてくれたが、出発するまでの間リファナは一度も口を開かず、俺と目を合わせてくれなかった。
そして軽く朝食を取って出発。今日はちょっと移動距離が長いということで普段よりスローペースで、かつ警戒を強めて行く。次の集落までの距離が長い分魔物の勢力が強いため、この道程ではいつも魔物と戦闘になるらしい。
気を引き締めて移動すること一時間――すでに何度か魔物に遭遇している。
とは言ってもむやみに戦闘をすることはなく、基本的に移動速度でもって振り切っている。今までと同じペースで移動していれば追いついて来られる魔物はそんなに多くはないということで、群れの真っ只中に突っ込むというような凡ミスを犯さない限りは問題ないらしい。
逆に振り切れないような相手が出た場合は速やかに仕留める必要があるということで、今回の移動はかなりの緊張を強いられる。
隊列は前にリファナとブリーダ、中衛が俺、殿がエルミナさんだ。鬱蒼と木が生い茂る森の中を全員で風のように駆ける。
飛ぶように流れていく森の様子は今までと違い穏やかさが全く感じられない。この雰囲気はどこか大樹海を彷彿とさせる。言うなれば瘴気のようなものが感じられるような気がした。
『その表現はあながち間違いでもないね。魔物の多い領域では魔物の代謝によって魔力が澱むから。そして澱んだ魔力が更に魔物を呼び寄せる。そうして魔物の領域というものが作られるのさ』
魔物も古代人関連のものなのか?
『一概には言えないけど大体そうかな。奉仕種族が野生化して知能を失ったようなのもいるし、単純に生物兵器が野生化したのもいるし、普通の動物が澱んだ魔力に長期間接して変異、定着したようなのもいるし』
あー、オークとかゴブリンとか?
『そうだね、その辺は劣化・退化した奉仕種族だね。まぁ人間や奉仕種族と交配できるのは大体劣化・退化した奉仕種族だね』
なるほど、でさっきから気配察知にちらちら引っかかってるしつこく後ろを着けてきているアレは?
『劣化した奉仕種族だね。元を正せば狼の獣人と祖を同じくしてるよ』
まじかよ。元を正せばソーンと同じか……複雑な気分だな。
『系統的には大分昔に別れてるだろうからあまり気にする必要はないと思うけどね』
頭のなかで駄神が肩を竦めたような気配がする。こいつ、なんか俺に伝えるイメージの鮮明さがどんどん洗練されてきているような……まぁいい。
「エルミナさん」
「振り切れないわね。やるわよ」
「んじゃ俺が突っ込みますんで、援護よろしく」
「ちょっと! もう!」
文句を言うエルミナさんを放置して木に向かって真っ直ぐ跳び、蹴って180°ターンする。そうするとすぐに茂みから人型の影が飛び出して襲い掛かってきた。
「さて」
刃のような鋭い鉤爪を振りかざして飛びかかってきた黒い影。その動きは俊敏で、鋭い爪は的確に急所である首筋に迫ってくる。
突き出されてきたその爪を紙一重で避け、伸び切ったその腕を腰の鞘から逆手で抜いたブッシュナイフで切り上げる。
「ギャンッ!?」
黒い剛毛に覆われた腕が突き出された勢いをそのままに血の尾を引いて飛んだ。瞬時に順手に持ち替えたブッシュナイフを抉りこむように胴体に突き立て、ねじりながら引き抜いて蹴り飛ばす。
地面に血溜まりを広げながら痙攣するその姿は正にステロタイプな人狼だ。二足歩行の狼そのもの。しかし狼の獣人と違いその姿にはどこにも人間味を感じない。血走った眼に理性の色は無く、また刃物のように長く、鋭く、歪な鉤爪をもつその腕は異形そのものだ。
刃に魔力を通したブッシュナイフは仄かに光を放ち、その刀身に血脂を寄せ付けない。太くて頑丈な骨を断ち切っても刃毀れ一つ起こしてもいない。
「良いナイフだ」
そう呟き、辺りの気配を探る。どうやら真っ先に飛びかかった一匹があっけなく俺に倒されたので様子を窺っているらしい。エルミナさん達の気配は突っ込んだ俺から遠ざかって追えなくなってしまった。見捨てられるということは無いと思うから、恐らく一度離れてから迂回し、人狼達を包囲するつもりなんだろう。
次が飛びかかってこないので、足元で痙攣している人狼の頭部に刃を打ち込んでトドメを刺しておく。死んだと思って放置した挙句いきなり襲いかかられて怪我するのも面白くない。
頭部に刃を打ち込まれた人狼がビクンと大きく震えて動かなくなった。俺が仲間にトドメを刺したことに激昂したのか、残る人狼が一斉に飛びかかってきた。その数は三、一体は正面から首筋狙い、もう一体は右側面からナイフを持った右腕狙い、最後の一体は真後ろだから見えないが、足狙いだろうか。
魔力を足に集中しながら左に大きくステップし、人狼達を避ける。その回避先に更に二匹の人狼が飛びかかってきた。恐らくこちらが本命なんだろうが、気配察知ができる俺にはバレバレだ。
ステップしたその勢いのままナイフを振るい、回避先の俺に飛びかかってきた人狼の首を飛ばす。そして足に集中しておいた魔力を爆風として放ち、飛びかかってきていたもう一匹を吹き飛ばす。対してダメージは無いだろうが、狙い通り数メートルは吹き飛んだようだ。
最初に飛びかかってきた三匹が向きを変えて俺に飛びかかってこようとしたが、どこからか飛来した矢が三匹の人狼に一本ずつ突き刺さってその強靭な体躯を吹き飛ばす。そのうち一本は正確に頭を射抜いて吹き飛ばしていた。
エルフの矢こえぇな。これライフル弾並みの威力あるんじゃないか?
吹き飛んだ三匹から視線を外し、俺が足からの爆風で吹き飛ばした一匹に向かう。既に体勢を立て直していた人狼は不利を悟ると身を翻して逃げ出した。俺は魔力を集中しながらその背中に左手を振るう。
「魔弾」
空中に発生した三発の光弾が光の尾を引いて高速で飛翔し、逃げる人狼の背中に突き刺さって小爆発を起こす。ドドドン、という連続した爆発音を立てて人狼の上半身が弾け飛んだ。確認するまでもなく即死だろう。
次いで矢を受けて倒れている人狼達に目を向ける。
「すまんね」
一言そう言って俺はブッシュナイフを振りかざした。
☆★☆
「ニャ? このウェアウルフ随分新鮮ネ?」
「ああ、それは昼前に仕留めた奴だから」
「四人でウェアウルフ五匹を仕留めたネ? 流石エルフネ」
ウェアウルフを仕留めてから数時間。俺達は昼過ぎになって次の集落に辿り着いた。目の前でエルミナさんと話しているのはネコである。二足歩行のネコである。というか、クロスロードの武器屋以来久しぶりに見たケットシー族である。
今日辿り着いたのはケットシー族の集落だった。二足歩行のネコがそこらじゅうを闊歩するという猫好きにはたまらないスポットなのではなかろうか。だが、俺は知っている。ケットシー族は見た目に反して割と武闘派だということを。
いや、あのクロスロードの店主だけなのかもしれないし先入観は良くないか?
「人間なんて珍しいネ?」
「しかもエルフと一緒に行動してるなんて本当に珍しいネ。何十年ぶりネ?」
何十年ぶりという単位で話すということは、エルミナさんの旦那さんだろうか? 旦那さんも今の俺みたいに行商に参加してたのかね。
しかし商いの内容を見ている限り、どうやらここで荷の半分くらいを捌くようだ。どうもケットシーの集落には大森林の外の製品が多いように見える。
「なぁ、ケットシーは外と交易をしているのか?」
「交易ってほどじゃないネ。外に出稼ぎに出てるのが何人か居て、年に何回かお土産をたくさん持って帰ってくるネ」
「へぇ、そういやクロスロードでケットシーに会ったな。武器屋の店主だったよ」
「ン? 知り合いネ? あいつは暫く帰ってきてないネ」
「そうか。もしいるなら頼みたい事があったんだけどな」
クロスロードに戻るならヒューイ経由でクローバーに手紙を届けて貰えると思ったが、世の中そう甘くはないようだ。
ケットシー族の住居は小さすぎて中に入れないので、俺達は昨日に引き続き野営をすることになった。もっとも、今日は見張りをしなくて良い分ぐっすりと眠れるわけだが。
今日はテントを二つ建てて男女で別れて眠ることになった。結局今日一日言葉を交わすどころか視線すら合わせてくれなかったリファナに配慮したらしい。俺は悪くねぇ!
取引は翌日の昼前までかけて行われ、積み荷のうちの半数弱ほど――大体四割ほどはケットシーの集落で捌いたようだ。その代わりに多数の金属製品や色鮮やかな布、大森林では採れない保存食の類や書物などを得た。取引された品の中には若干ながら煙草や酒、香辛料や砂糖などの嗜好品もあった。
俺もウェアウルフの素材で得た分前でミスクロニア王国製の醤油の瓶を一つといくらかの香辛料を手に入れた。これで食生活の幅が広がる。米や味噌が無かったのが残念だな。
ついでに何か良さげな武器は無いかと聞いてみたが、残念ながら今使ってるナイフ以上の品は見つからなかった。数打ちの鉄剣はあったが、簡単に折れるか曲がるかしそうだったのでやめておいたのだ。せめて頑丈な鋼の剣だったらなぁ。
いっそ工具を揃えて自分で打ったほうが良いかもしれない。鉄の精錬なら地魔法で作った炉と火魔法の火力でなんとかなりそうだし、ハンマーと鉄床が調達できれば……いや、鋳造なら鉄鉱石さえあれば道具そのものもなんとかなるか?
そんなことを考えていると、今日はケットシーの集落でもう一泊するということになった。今から出て森の中で野営をするくらいならもう一泊して明日の朝早くに出発し、日暮れ前に鳥人族の集落に着けるようにした方が危険が少ないという判断らしい。
「確かに魔物がいつ襲ってくるかわからない場所で一晩過ごすよりもそっちのほうが安全ですね」
「そういうこと。それに少し疲労もあるしね、万全に体調を整えるに越したことはないわ」
「ごもっとも」
というわけで俺達は丸一日をケットシーの集落で過ごすことになった。とは言ってもやることも特に無いのでぶっちゃけ暇である。折角の休みなのに無闇に身体を動かして疲れてしまっては元も子もないし。
というわけで俺はケットシーの集落を回って怪我人や病気に苦しんでいるような者はいないかと聞いて回ることにした。魔力は有り余っているし、治癒魔法の訓練にもなる。ついでに恩も売れるしあわよくば何かお礼に貰えるかもしれない。
「おおお、腰痛が良くなったネ」
「ニャ、よかったらこれ食え」
さほど多くはなかったが年配のケットシーの腰痛治療やちょっとしたかすり傷の治療などを行なった。お礼に川魚の焼干しを沢山もらった。炙って食っても良いし、スープの出汁にするのも良いらしい。近くの小川で取れた魚だという。
「小川があるのか。水浴びでもしてくるかな?」
「村から出てあっちに少し歩けばすぐヨ。周辺の魔物は狩ってるから居ないと思うけど、いくなら気をつけるネ」
「アイヨー」
なんかケットシーのイントネーションが移った気がする。
ケットシー達の言う通り、集落を出て少し歩くとちょっとした清流に行き当たった。さほど大きくはない川だが、流れる水は清らかで川のせせらぎが耳に心地よい。
川に来た目的はいくつかある。
一つは水浴び。ここ数日浄化はしているが、風呂に入っていないので身体を洗いたい。基本的には浄化で事足りるのだが、やはり気分的に水浴びくらいはしておきたいのだ。
もう一つは鉄鉱石探し。
河原では砂鉄や鉄鉱石が取れることがよくあるらしいので、見つかりはしないかと探しに来てみたのだ。その辺の知識はこの世界に来る前から知識として知っていたのに加え、一気に鍛冶レベル5にした際に流れ込んできた知識もある。スキルシステムが無くなっても得た知識をすべて失うわけではないようだ。というか、数千本単位で武器を作ったせいか鍛冶関連に関してはさして力を失った感じがしない。今でも余裕でスキルレベル3、もしかしたら4くらいは残ってるんじゃなかろうか。ある意味一番よく使ったスキルだよね、鍛冶。
最後の一つは単純に癒やしを求めてである。ハーピィさんに癒やしてもらってなんとなく風魔法が上達したっぽいので、実際に水と触れ合って癒やされることで水魔法でも同じようなことが起こらないかと思っている。まぁそううまく行きはしないと思うけど。
そんなことを考えながら河原を歩き、ゴロゴロと転がっている角の丸まった石を眺めながら川を上っていく。どうせ水浴びするし濡れても構わないので服のまま川に入ってザブザブと川の流れに逆らっていく。
ついでに探しているのは砥石になりそうな手頃な大きさの岩だ。色は概ね黒っぽく、割と柔らかい岩で鋼のナイフで傷つける事ができるようなものが良い。
ザブザブ水を掻き分けながら歩いていると良さげな岩がすぐに見つかった。地魔法で手早く成形して手頃な大きさに加工する。もしかしたら鳥人族の集落で売れるだろうか? そう考えた俺は砥石に使えそうな岩を次々と直方体に切り出してトレジャーボックスに収納していく。荒砥に使えそうなものから仕上げ砥に使えそうなものまで色々と揃えられたと思う。実際にあとで試してみよう。
しかし鉄鉱石の方はなかなか見つからんね。餅鉄でもあれば最高だったんだが……お? いいね、一つ見っけ。
ふと思いついて地魔法を使って鉄鉱石の選り分けができないかと試してみると、思ったより簡単に鉄鉱石を選り分ける事ができた。一応地魔法では土だけでなく石や金属もある程度操れるのだが、土や泥、石、貴石、金属の順で操るのが難しくなる。それを利用して地魔法への抵抗が高い石を選別すれば簡単に選り分けることができた。
なんか楽しくなってきたぞ。夢中になって地魔法を使いながらざぶざぶと川を遡っていく。そうやって夢中になっていたのがいけなかった。
「あら? タイシくん?」
「へっ? ちょぉ――!?」
急に声をかけられたのでびっくりしてそちらに顔を向けると、そこには一糸纏わぬ姿のエルミナさんがいた。水に濡れたスレンダーな肉体に美しい金色の髪の毛を纏わりつかせ、キョトンとした表情でこちらをみつめている。その輝くような姿に思わずゴクリと生唾を呑み込んでしまい、ハッと我に返る。
「やっ、あのっ、なんというかすみませんっ!」
『いいぞー、ラッキースケベいいぞー』
マジで黙って? 今俺すごいテンパってるから! うわあああどうしようこれ!?
「ふふっ、まぁ別に見て減るものでもないし良いわよ。そんな川のど真ん中を遡ってきて覗きに来たってわけでもないだろうし。夢中になって何か探していたみたいね?」
俺に見られていることなどまるで気にしていない様子でエルミナさんが笑う。これが大人の余裕ってやつか。だがガン見するのも失礼なので一応背を向ける。
「餅鉄……鉄鉱石を探してました。いくつか見つけてるうちに夢中になってしまって」
「ふぅん? それで、私の裸はどうだった?」
「ええと、最高に綺麗でした。こう、輝くような感じで」
「そう……そう言われて悪い気はしないわね」
クスクスとエルミナさんの楽しそうな笑い声が聞こえる。そしてすぐに背後でざぶり、とエルミナさんが川から上がったと思しき音が聞こた。次いで轟々と風が唸る。
「もうこっちを見ても大丈夫よ」
そう言われたので振り返ると、エルミナさんは既に薄い肌着を身に着けていた。確かに隠れるところは隠れたが、まだ目に毒なお姿である。
「急いで乾かしたからちょっと冷えたわ」
そう言ってエルミナさんが少し震えながら苦笑いする。俺も川から上がり、ずぶ濡れになっている上着を脱いだ。
「いや、すみませんほんと……」
「良いわよ。ちょっと火を出してくれる?」
脱いだ上着を絞りながら謝る。
「はい」
言われるがままに火魔法でバレーボールサイズの火の玉を出してみせると、エルミナさんが操った風が火球の周りで渦を巻いた。そして渦を巻いた温風が俺を包み、身体を温めながら服を乾かしていく。エルミナさんも同じように自身を温風で包んでいるようだ。
「器用っすね」
「伊達に歳は取ってないわよ」
全身にドライヤーをかけられてるような感じでなんか気持ちいいな、これ。
「歳っていったってエルミナさんは綺麗じゃないですか。覚えてるかどうかわかりませんけど、最初はメルキナのお姉さんだと思いましたよ」
「そういえばそんなことを言ってたわね。じゃあ息子だと思って接しない方が良いかしら?」
「あー、んー……返答に困りますね」
正直に言えば綺麗で若々しいエルミナさんをお義母さんとして見るのはなかなかに難しい。メルキナのお姉さんにしか見えないしな。しかし今更他人行儀に接されるのも正直言って寂しい。
「ごめんごめん、悪かったからそんな寂しそうな顔しないで」
エルミナさんがカラカラと笑う。
『君はあれだね、見境ないよね』
そうは言うがな、いくらお義母さんとはいえこんな若々しい美人が親しげに接してくれるんだぞ。全く意識するなってのも無理な話だ。それに若くて綺麗な未亡人のお義母さんとかエルミナさんが属性盛り過ぎなだけだから。そこにロマン感じちゃうのは男として自然な反応だから。
『業が深いね』
それは自覚してる。
「それで、まだ鉄鉱石探しを続けるの? 私としては可愛い義理の息子に風邪を引かれるのは困るんだけど?」
「そこそこの量は見つかったんでもうやめときます」
そう言ってゴトゴトと川から拾った鉄鉱石を出して見せる。手の中に握りこめるような大きさのものから拳大のものまでそこそこの量が見つかった。ただ、鉄床とハンマーを自作したら大した量も残らないだろうしせいぜいナイフくらいしか打てないだろうな。
鳥人族の集落で鉄床とかハンマーとか鍛冶道具が手に入ると助かるんだが。
「鳥人族の集落で鍛冶道具が手に入れば助かるんですけどね」
「鍛冶道具?」
「ええ、これでもそこそこの腕なんですよ」
そう言って右腕で力こぶを作って見せ、左手でポンと叩いて見せる。
「妙な特技持ってるのね。そういえばタイシくん自身のことはあまり聞いてなかったわ。教えてくれる?」
「ええ? そう言われればそうですかね」
河原の岩に腰掛け、エルミナさんに請われるままに俺自身の話をする。主にこの世界に来てからの話だ。既に神々との争いのことを話しているエルミナさんに隠すことは何も無いので、ありのままに話す。
エルミナさんはこの世界に来てマールと出会ったその日に食われた話で呆れ、フラムとの出会いをきっかけとしたカレンディル王国との諍いの件を神妙な様子で聞き入り、大氾濫での大暴れに関しては半信半疑といった様子だった。
「今のタイシくんを見ているとホラ話にしか聞こえないなぁ」
「ですよねぇ。自分でもそう思いますよ」
実際、空を飛べるというアドバンテージと極大爆破の組み合わせが凶悪すぎた。超音速戦闘機の機動性に戦略爆撃機の火力を併せ持ってるような状態だったからな。案外飛行魔法と転移魔法を使用禁止にしたら神々許してくれたりしないだろうか? ダメそうだなぁ、あの雷野郎は頭固そうだったし。
「タイシくんはここじゃない世界から神様に連れてこられたって言ってたよね?」
「ですね」
「その世界の話も聞かせてくれる?」
「ええ……うーん、まぁ差し障りのない範囲で良いなら」
「うん、どんな国に住んでいたの?」
「そうですね、物凄く平和な国でしたよ。最後に戦争をしたのは俺が生まれるよりずっと前で、俺が生まれたのはもう戦後の復興が終わって暫くしてからでした。だから、戦争と言うか戦い、争いごととは無縁の社会でしたね。経済的にも世界有数の国で、治安も世界でトップクラスに良い国でした」
「ふぅん、良さそうな国ね」
「そうですね。平均寿命も高くて医療や福祉も充実してましたし、実際に良い国だったと思います。他所の国で戦争で何十万、何百万って単位の難民が出てたりしてたみたいですし」
「難民ねぇ。そんなに魔物が凶暴な世界だったの?」
「いえ、魔物なんて一匹も居ませんでしたよ。俺の住んでいた世界はいつもどこかで人間同士で戦争をしている、そんな世界だったんです」
「それは……想像の付かない世界ね。魔物が居なければそんなものなのかしら?」
「魔法もなければ魔物も居ない、人の世に介入する神もいない。人間と動物だけがいる、そんな世界だったんですよ。俺の国は豊かで平和でしたけど。まぁ幸運でしたね」
豊かで平和だからといっても幸福であったかどうかはまた別の話だが。自殺者数はかなり高かった筈だし、世界の幸福度ランキングでもそんなに上位ではなかった気がする。豊かで平均寿命が高くて戦争がなくて安全である代わりに何か大切なものを犠牲にしている社会だったんだろう。
「タイシくんの優しいところはそういう国で育ったからなのかしらね」
「優しいですか?」
「優しいという言葉では表現しきれていないかもしれないけれどね。縁もゆかりもない獣人達を助けるために住む場所から何から全部用意するなんて普通の人にはできないわよ」
エルミナさんがそう言って俺の目をじっと見つめてきた。なんだか気恥ずかしくなって俺はそっと目を逸らす。
「ただの自己満足ですよ。事情を聞いて可哀想だと思ったから、できる範囲で手助けしてやろうって思っただけで……いや、なんか言ってて偉そうなこと言ってるなホント。それに下心もあったわけですし」
あわよくば可愛い獣人とお近づきになれるかなとかそんな思いも全く無かったわけではない。何より勇者として活躍した結果、欲が出てお山の大将になりたかったんだと思うし。
「タイシくんの思惑はどうであれ、やったことは間違いなく立派なことでしょう? そうでなかったらあの子が貴方に惹かれるわけないわ」
「いやその……」
真っ直ぐに賞賛されてとてつもなくむず痒い気分になる。
「どうしてメルキナさんは俺の言うことを信じてくれるんです? 俺の言っていることなんて何の証立てもないことなのに」
「あら、嘘なの?」
「いや、嘘は一切言ってませんけど。不思議で」
俺がそう言うと、いつの間に近づいたのかエルミナさんが俺の両頬に手を添えてグイッと自分の方に俺の顔を向けさせた。
「ええと……?」
「タイシくん、私の目をじっと見てくれるかしら?」
「はい」
言われるがままにエルミナさんの目をジッと見つめる。互いの顔の距離が近い。吐息が感じられそうな距離だ。ふわりと花のようないい香りが俺の鼻孔をくすぐる。
「実はね、私達エルフは相手とじっと見つめ合うことでその人が嘘を吐いているかどうか判別できるのよ」
「えっ? マジですか?」
ちょっと近すぎる距離にドギマギしながら聞きかえす。少し近づけば唇が触れてしまいそうな距離にエルミナさんの綺麗な顔があることに非常に落ち着かない気分になる。
「嘘よ」
「ちょっと?」
エルミナさんがニコッと笑って俺の胸を軽く突き放した。突然の事で思わず仰け反り、姿勢を戻したときにはすでにエルミナさんは俺から離れていた。
どうやらサービスタイムは終わりらしい。安心したような残念なような少し複雑な気持ちだ。
『お義母さんにドキドキしちゃっていいのかなぁ?』
良くないよ! 良くないけどドキドキしちゃうんだよ! こういうとこが制御できるならもう少し違う人生歩んでたわ! 少なくとも……あれ? あまり変わらないような? いやきっと違う、違ったはず。
というかなんか変じゃね? もう少し分別があった気がするわ。お前なんか仕込んでない? パラメータをいじったとかなんとか言ってたよね?
『人のせいにするのはよくないナー?』
すげぇ疑わしい! ゲロ以下の匂いがプンプンするぜぇ!
「タイシくん、大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫です」
急に額に手をやって悩みだした俺を心配したのか、エルミナさんが声をかけてくる。大丈夫ですからちょっと放置してください。お願いします。
「頭のなかで例の駄神が騒いでまして……ああ、言葉そのままだとめっちゃヤバい人だ俺。でも本当なんですよ」
「あー、例の神様ねぇ。何者なのかしらね? 複数の神を相手に戦って時間稼ぎができるってだけでも普通じゃないのはわかるけれど、少なくとも私の知っている神様の中にそんなことができそうな神様はいないわ」
「そうなんですか。いや、そういやこいつの名前聞いたことなかったな」
いつも駄神とか邪神とか呼んでたし。
『ボクの名前? ないよ。神がボクしかいなくなってしまった今、そんなものは必要なくなってしまったからね。まぁ強いて言うなら神、あるいはこの世界の名であるエリアルドって呼ぶのが正しいかもね』
「ブフォッwwwwww」
「ちょっ!? 急にどうしたのタイシくん?」
あまりの痛さに全俺が噴いた。お前どこ中だよ?
『別に厨二病とかじゃないし! ほんとーのことだし! そんなん言うならキミが名前をつければいいじゃないか!』
「くっ、ぶふっ……必死すぎワロタ」
「タイシくん?」
「ああいえ、すみません。駄神が痛々しいことを言うものでつい笑っちゃいました」
「い、痛々しい?」
「自分以外に神はいないから名前などない。敢えて言うならこの世界の名であるエリアルドです、キリッて感じで」
「ぷふっ」
『エルフの小娘にまで笑われた!?』
しかし名前ね、名前。うーん、そうだな。エリアルドから取ってエリーとかリアなんて良いんじゃないか。エリアとかアルドとかでも良いかもしれんけど、二文字の方が呼びやすいな。ああ、でも『リアル』なんてのは皮肉が効いてて良いんじゃないか? ファンタジーな世界の神の名前が『現実』なんてな。名目上でも表面的でもない『真の』なんて意味でも。
『ふむ? リアル、リアルね……名前の響きも可愛らしい気がするし、悪くないね』
気に入ったみたいね。
「リアルって名前をつけてやったら喜んでるようです」
「リアル、可愛らしい名前ね。女神様なの?」
「……両方あるのって女神って呼んでいいんですかね?」
「りょ、両方あるのね」
「まぁ見た目は悪くないし女神でいいんじゃないですかね。そう、見た目は悪くないんだよなぁ……」
この世のものとは思えないような可愛らしい顔に見る角度によって色彩を変える虹色に近い銀髪、無垢さを感じさせる瑞々しい肉体――見た目だけなら間違いなく女神そのものなんだよなぁ。
『あん、そんなに褒められるとその気になっちゃう』
典型的な喋らなければ美人ってやつだよな。なんて残念なやつだ。
『今更清楚な女神様を演じてもねぇ。それよりもっとボクに熱くてドロドロとしたリビドーをぶつけても良いんだよ? 今晩辺りする?』
しねぇよ。
『えー、名前をつけてくれたお礼をしたいのになぁ……それじゃあ他の方法でお礼をしてあげるね☆』
おい待て馬鹿やめろ何もすんなおいコラ返事せんかい! あの駄神、また潜りやがった。何をするつもりなんだよ。勘弁してくれ。
「えっと、どうしたの? 急に顔色が悪くなってるけど」
「……名前をつけてくれたお礼に何かやらかすそうです」
「えぇ……何かって?」
「皆目見当がつきませんが、多分、あー……あっち方面かと」
「あっち方面?」
メルキナさんがこてんと小首を傾げる。美人のこういうあざとい仕草ってなんというか可愛らしいよな。ずるいと思う。
「その、この前ハーピィの集落であったような……どうにもあいつはそっち方面に拘る性質でして」
「ああ、そういう……えぇ? どうやって?」
「夢の中だと俺に直接干渉できるんですよね。でもそれを断ったら別の方法でとか言ってたんで、何をする気なのか皆目見当がつきません」
意識がこの前みたいに潜り込んでいったから、きっとまた碌でもないことだろうが……俺をいじるのはともかく、他の人までいじったりしないだろうな? それこそエルミナさんやリファナの魂をいじってきましたとか言ったら洒落にならんぞ。今身近にいる異性ってこの二人だけだし、非常に心配なんだが。
「そ、そう……まぁ、気にしても仕方がないんじゃない? 相手は神様なんでしょう?」
「それもそうなんですがね」
エルミナさんに歯切れの悪い返事をしながら頭を掻く。
俺の中に勝手に居座っているあいつに俺から何かすることはできない。共生というよりは寄生みたいなもんだよな、今の関係。まぁ俺も多分に助けられている部分はあるんだけどさ。あいつが居なかったらとっくに神々に見つけられて殺されているんだろうし。
「ええと……そろそろ戻ります? 陽も落ちますし」
「そ、そうね。戻りましょうか」
なんとなくよそよそしい雰囲気になりつつ、エルミナさんと一緒にケットシーの集落へと戻った。俺とエルミナさんが二人で集落の外から戻ってきたところをリファナに目撃され、凄い目つきで睨まれた。なんでやねん。