第六十八話〜サクっと『交渉』しました〜
「さぁ、『交渉』をはじめようか」
ゲッペルス王国の魔法使い達の放った魔法の影響で謁見の間が埃っぽくなってしまったため、俺とゲッペルス王国の王であるレニエード王、そして幾人かの重臣達は場所を移して交渉に臨んでいた。
この部屋は謁見の間からほど近い場所にある。本来は国王と限られた重臣のみが会議を行う格調高い会議室であるらしい。確かにこの黒檀のテーブルを始めとした調度は落ち着いた色合いで趣味が良いし、部屋自体に何かしらの細工をしてあるのか空調もしっかり効いている。後々同じような会議室を作る事があれば大いに参考にするとしよう。
「交渉、か。交渉になるとは思えんが」
「そりゃごもっとも。こっちとしてももう少し穏便に関係を築きたかったけどな。これもまぁ巡り合わせだろう」
レニエード王の言葉に肩を竦めて応じる。
そもそも、といったところを辿れば俺がクロスロードの街でマールと出会った瞬間からこの関係は決まっていたようなものだろうしな。ティナまでもが俺に嫁ぐ羽目になったのは……はて、ミスクロニア王家のメルキス皇太子に対する反応を考えると一概に俺のせいとも言えないのではないか?
今思えばメルキス王太子はマールだけでなく他の王家の面々にも蛇蝎の如く嫌われていたように思うが。そもそもマールが出奔したのもメルキス王太子と結婚したくないからではなかったか。
まぁここでその話をほじくり返したところで何がどうなるわけでもないか。
「この期に及んで多くの言葉は必要あるまい。そちらの要求を聞かせてもらおう」
「ではゲッペルス王国には俺に対する全面的な恭順を示してもらおうか。その証として国中の貴族から一人ずつ姫を差し出してもらおう。年頃の未婚の姫が居ない場合は当主、あるいは次期当主の配偶者のうち一番年若く、美しい者を差し出してもらうこととする」
俺がニヤニヤと笑いながら突きつけた条件に重臣達や話し合いを書面に起こす役目の書記官が息を呑んで固まる。
「タイシ殿、あまり虐めんでやってくれ。小奴らは肝が小さい」
しかし、レニエード王だけは全く動じず苦笑いを浮かべるだけだった。なかなか肝が据わってるなぁ、このおっさん。俺が本気で言ってないってことを見透かしているようだぞ?
「ご期待に沿って魔王らしい要求をしてやっただけなんだがね? ご子息にもそう言われたことだしな」
「いくら我が偉大な王でも人の口に戸は立てられんよ。国として公式にタイシ殿を魔王呼ばわりはせんと約束することはできるがな」
「まぁどう呼ばれても構わんっちゃ構わんがね。別に凶悪な要求をするつもりはない。俺としては無益な争いをしたくなくて止めにきたわけだしな」
「無益な争いか」
そう呟いてレニエード王は苦笑いを浮かべた。
「そう、俺にとってはすこぶる無益な争いだ。名誉や誇りや面子が何よりも大事なあんたらには悪いがね」
ゲッペルス王国としても王太子の婚約者が二度に渡って奪われ、その上内戦の相手であったケンタウロス達を自分の国土内から連れ去られ、その際に王国兵を傷つけられ、更には王城を襲撃されと散々俺に虚仮にされたわけで、ここで泣き寝入りするのは威信に関わるだろう。
そうなればこれからのゲッペルス王国は安泰とはいかない。ボコボコに殴られても反撃せずに泣き寝入りするリーダーに従おうと思う奴なんていないだろうからな。
おお? 実はこいつ弱いんじゃね? と考えてリーダーに成り代わろうとする奴が出てくるかもしれないし、こいつの方がリーダーに相応しい、そうだそうだとグループが割れてしまうかもしれない。
国だ王だ貴族だなんだといっても結局人間は人間でしかないわけだ。
「正直こっちとしては今戦争を仕掛けられるのは困るわけだ。困るというよりは面倒、だな。そっちに振る時間と労力が惜しいんだよ」
「まるで最初から勝負にならないような口ぶりではないか。少々自分の力というものを過信し過ぎではないかな?」
とうとう我慢できなくなったのか、横から口を出してきた重臣の言葉に俺は深くため息を吐く。そりゃ勝負にならないに決まってる。
ゲッペルス王国にだって高い戦闘力を持つ一騎当千の勇者みたいなのがいるとしよう。まぁ実際何人かはいるんじゃないかとは思う。だが、その戦力はそう高くないと見積もっている。少なくとも、俺と同等レベルのやつはいないだろう。もしいるならケンタウロス達はとっくの昔に全滅していただろうし、王太子も銃なんぞに頼る必要は無かったはずだ。
そういや勇者は国家間の諍いに参加しちゃならないって話があった気がする。俺は国家元首そのものだから良いのかね? 誰にも指摘されてないけど。
まぁ兎に角、ゲッペルス王国を痛めつけるということであれば真正面からその一騎当千の戦力と戦う必要なんて全く無いわけだからな。俺は高速で飛び回り、或いは転移しながら大きな街道や鉱山、水源、港を破壊して回ればいい。それだけでゲッペルス王国を充分追い詰められる。
対して俺が守るべき場所は天然の要害である大樹海のど真ん中にある領都クローバーだけだ。勿論アルケニアの里や川の民の生活域、鬼人族の里も防衛対象ではあるが、領都から遠く離れているから攻撃対象にはなる可能性は極めて低いだろう。
というか、ゲッペルス王国は領都クローバーの正確な位置も知らないはずだ。位置を調べている間に俺がゲッペルス王国の領土を蹂躙して終了になるのが目に見えている。
不測の事態というのはいくらでも考えられるが、それにしても俺がゲッペルス王国を殺す速度のほうが早いはずだ。
それにしてもなんだ。どうやらお行儀よく話しているうちにこいつらは自分達の立場を忘れたかね。
「最初に言ったが、交渉をするつもりはない。この場は俺が要求し、あんたらがそれを唯々諾々と受け入れるだけの場だ。俺の提案が気に入らないのなら蹴ってくれて結構だぞ?」
「ディルク、止めよ。タイシ殿も矛を収めてもらいたい」
「しかし陛下!」
「止めよと言っておる。ここは我に任せよ」
レニエード王はいきり立つ重臣を諌め、俺に向き直った。
「タイシ殿の要望を受けよう。メルキスの計画していた侵攻については王命により止める」
「そりゃ僥倖。ついでにと言っちゃなんだが、王太子の眼も潰させてもらう」
「目を潰す……? どういう意味かね?」
レニエード王が怪訝な表情をする。言葉通りの意味で受け取っているわけではないようだが、言葉通りの意味なんだよなぁ。
「そのまんまの意味だよ。メルキスの眼は魔眼だろうが。それも人の心を支配する邪眼の類だ。あんなのを俺の嫁や知り合いに向けられたらと思うと夜も眠れないんでね。潰させてもらう」
「そんな条件を飲めると思っているのか? あやつは儂の後継だぞ」
「あんたから王位を継げば次の王は奴だ。本来は今のうちに殺しておくほうが利口だよな。そこを目を潰すだけで許してやろうっていうんだ。お得だろ?」
思わず口元が緩む。上の立場から一方的に無理難題を押し付けるのは気分が良いな! 自分からする分には。やられる方はたまったものじゃないだろうけど。
「その条件は呑めぬ。襲撃してきたタイシ殿の要求を聞いて王太子から光を奪うなどということをすれば、王家の権威は失墜する。それでは国の体を維持することができん、間違いなく国は割れることとなる。タイシ殿も我が国が無法地帯となることは望んでおるまい? 我が国の国土が荒れればその影響はカレンディル王国やミスクロニア王国にも及ぶ。タイシ殿の望む『安定した交易』ができなくなってしまうぞ」
「なるほど。だがカレンディル王国もミスクロニア王国も『大氾濫』に備えて用意した戦力には余裕がある。そうなれば領土が切り取り放題で万々歳じゃないかな?」
「或いはそうかもしれん。だが混乱は十年以上にも及ぶだろう。完全に混乱が治まるまでに積み上がる怨嗟は大きな厄災を招きもするだろう。それがタイシ殿の望む未来かね?」
「残念ながら俺は俺の目が行き届く範囲だけ幸せであれば良い小さな男でね」
話を大きくして論点をずらそうとしているようだが、そうは行かない。俺の望むものは決まっているのだ。俺が望むのは家族と、俺が面倒を見ようとしている連中の安全と幸福だ。極論、それ以外はどうでもいい。俺の手の届く範囲なんぞ高が知れているのだ。
レニエード王は俺の言葉を吟味するかのように押し黙り、自分の顎を撫でて考え込んだ。暫く考えてから口を開く。
「儂が在位している間は儂の名においてあやつにはタイシ殿とその家族に一切干渉しないよう確約する。それで手打ちにはしてもらえんものかな?」
「随分と安くなったな?」
「タイシ殿が懸念しておるのはそういうことだろう。今回タイシ殿が大立ち回りしたのも、要はタイシ殿の家族や領民にあやつが牙を剥こうとしたからであろう。あやつの光を奪おうというのも、あやつが今後タイシ殿達に害意を持って何かしらの行動を取るのを防ぐためだ。なら、そこを儂が保証すれば良いのではないかな?」
「ジョークとしては面白いな。俺の危険性も見抜けず、あんなふざけた布告を止めることもしなかったあんたを信用しろって?」
「そうだ。ゲッペルス王国の王である儂を信用してもらおう」
レニエード王は俺の疑惑に満ちた視線を受けながら堂々とそう言い切った。その風格は堂々たる王者そのものではある。この自信がどこから来るのかわからんが、さて。
ここで拒否してゴネるべきか、この提案を受けるべきか否か。
まぁ、あの王太子の目を潰したり殺したりするのに頷かないのは想定内ではある。力にモノを言わせてぶっ殺してしまうのは簡単だが、そうなった場合ゲッペルス王国を完全に敵に回すことになるだろう。
王城をまるごと粉砕して更地にしてしまえば俺を相手にするどころの騒ぎじゃ無くなるだろうが、そうするとゲッペルス王国そのものが崩壊する可能性が出て来る。王位継承権を持つ者がこの城にだけいるとは限らないから、そうなれば群雄割拠の時代に突入するかもしれない。そうじゃなくても国内の治安は一気に悪化するだろう。
そうなった場合、カレンディル王国とミスクロニア王国でどういう動きが起こるかは予測できない。俺の言ったようにゲッペルス王国の領土を切り取る方向に向かうかもしれないし、難民を受け入れるような体勢になるかもしれない。
何れにせよ、力を持ってゲッペルス王国を破滅させれば俺を危険視する勢力がカレンディル王国にもミスクロニア王国にも出てくるのは確実だろう。それもまた力によって制圧することはできるだろうが、力で延々と反対勢力を潰し続けるという底の見えない泥沼にはまっていく未来が見える気がする。
レニエード王にメルキスを抑えるよう確約させる。
今回無理をしてゲッペルス王国で大暴れした戦果としては充分だろうか? 少し足りない気もするが、あまり欲張るのも良くない。
「……レニエード王がその名において王太子やその他貴族による俺達への敵対行動を封じる。勿論、ゲッペルス王国としても俺達に一切の敵対行動をしない。そう確約するなら今回は退こう。何から何まで力で全て解決する、というのも問題があるのはわかってるからな」
「英断だな。では書面を――」
「必要無い。レニエード王、俺は威風堂々と俺の視線を受け止めた貴方の王としての格というものを信じる。互いを信頼した俺と王の仲だ、互いに固く信頼を結んでいるんだから、口約束で構わない。そうだろう?」
そう言って俺はにっこりと笑みを作ってみせる。
書面の字面で言葉遊びをするつもりは無い。別にこの口約束を破られたら、それはそれで良いのだ。魔眼に関しては俺が対策を講じた魔導具なりなんなりをしっかりと用意しておけば良い。
「この約束が破られる。そんなことには勿論ならないと俺は確信しているが、もし破られたならその時は……有望な鉱山が更地になったり、美しい主街道がズタズタに寸断されたり、整備された港が暗礁だらけの危険海域になったり、どこかの貴族が一夜にしてまるごと失踪したりするかもしれないな」
「脅しかね?」
「約束が破られなければお互いに幸せって話さ」
片眉を上げてこちらを見てくるレニエード王に肩を竦めて答える。落とし所としてはこんなところか。強制力はないが、充分に脅しはかけられただろう。