第126話~鬼人族の里で話し合い(物理)をしました~
また明日!_(:3」∠)_
「よく来たな。久々にお前の顔を見た気がするよ」
「ああ、長らくご無沙汰してたな」
「蜘蛛のも久しぶりだな」
「そうじゃな、久し振りじゃな。妾の織った着物を大事にしてくれているようで何よりじゃ」
鬼人族の里を訪れた俺達を出迎えてくれたのはイロリ――鬼人族の里の長であるエンキの妻――だった。童女のように小柄で可愛らしい女性なのだが、これで中々の猛者であるらしい。少なくとも旦那のエンキは殴り合いで勝てないのだそうだ。
以前も見事な刺繍の施されたアルケニア製の黒い着物を着ていたが、今日は薄紫色の生地に何かの植物の柄が染め抜かれている着物だ。紫色の着物は着こなすのが難しいと聞くけど、見事に着こなしているように見えるな。
「そちらの耳の長い女性は初めてだな。私はイロリ、この里の長の妻だ」
「エルミナよ。タイシくんの妻の一人です」
イロリとエルミナさんが互いに微笑みあう。そこはかとなく緊張感が漂ってるんですけど、一体何が起こってるんです?
「……ふむ、中々の使い手のようだ。蜘蛛の、お前よりやるんじゃないか?」
「まだ一度も本気でやりあってはおらぬが、与し易いとは口が裂けても言えぬな」
そんなやり取りをするイロリとクスハをエルミナさんはにこにこと微笑んだまま見つめている。
「ええと、エルミナさん?」
「うふふ、ちょっと楽しくなってきちゃった。いるところにはいるものね」
「ひぇっ……」
エルミナさんから闘気のような何かが迸っている気がする。強者は強者を知る、ということだろうか。イロリとエンキに関しては以前鑑定眼で見ようとしたら何らかの妨害をかけられたので、それ以降鑑定眼で見ようともしてないんだよな。いや、正確にはエンキを見ようとしたら妨害されて、その仕組みを理解してそうなことをイロリが仄めかしていたから見ようとも思わなかったんだけどさ。
「エルミナさんってそんな戦闘狂でしたっけ」
「別にそんなのじゃないわよ。でも、自分と同じくらいの強さの相手を見つけるのってワクワクするのは確かね。色々と張り合いが出るし」
「そういうものですか」
俺にはどうもピンとこない感覚だな。圧倒的優位でいいじゃない。楽だものって感じだ。正直ヴォールトだのディオールだのといった奴らと戦うなんてゴメンだ。痛いし装備は壊されるし良いことが一つもない。
「それにしても蜘蛛のといい、耳長といい、お前の女の好みはあれだな。年増が好みなのか?」
ニヤニヤと人を食ったような笑みを浮かべてイロリがそんなことを言い出した。ビシリ、と場の空気が凍ったのが感じられる。ああ、いけません! いけませんお客様! あー! いけません!
「妾が年増ならお主も年増じゃろうが? おぉ?」
「私は身の程を弁えて旦那と随分前に結婚したからな。おぼこを拗らせた蜘蛛のと一緒にされてもな。それにしてもお前はよくこんな面倒くさい女を娶ったものだ。生傷が絶えんだろう?」
「それはまぁ、気合で」
やめろ! 俺に話を振るな! エルミナさんの反応がないのが怖い……と思ったらいきなりエルミナさんが腕に抱きつてきた。クスハやフラムほどではないが、なかなかの柔らかさ。ああ、幸せはここにあったんだ。
「羨ましい? 戦っても強いけど、タイシくんは夜も強いわよ?」
「おお、熱い熱い。新婚には敵わないな。さて、これ以上の立ち話もなんだ、旦那のところに案内しよう」
呵々と笑ってイロリは踵を返した。そんな飄々とした振る舞いにクスハは嘆息し、エルミナさんは抱きついた腕に力を込める。ちょ、ちょっと痛いですよ?
「よく我慢したの」
「あんな安い挑発に乗らないわよ。年増なのは自覚してるし、ね?」
「エルミナさんもクスハも綺麗ですし、歳とかどうでもいいですね」
そもそも寿命の違う相手に歳が云々とか言っても不毛である。そんなこと言ったらエルミナさんどころかメルキナでさえ元の世界の俺の母親と同い年くらいとか下手したら年上とかだし、多少はね?
「主殿の器の大きさは流石じゃな」
「そうね、本当にね」
「そんな大げさな話じゃないと思うんだけどなぁ」
こんなことで器が大きいとか言われても困る。それが女性の好みとなれば尚更である。俺はストライクゾーンがちょっと広いだけだと思うんだ。ただの女好きと言えばそうかもしれない。
先を歩くイロリの後を追い、里と外界を隔てる関所の如き門を抜けると目の前に鬼人族の里の風景が広がった。広大な畑と、素朴な茅葺屋根の木造住宅、それに各所に発つ赤い鳥居のような構造物や社、門から続く目抜き通りのような道のずっと先には以前の『話し合い』で使われていた相撲の土俵の如き特設リングのようなものと、一際大きな建物も見える。あれは集会場として使われている建物であるらしい。
「確かに見たことのない建物が多いわね。あの赤いのは何なのかしら?」
「俺の世界にあったのと似てますけど、鬼人族がどんな意味で建てているものなのかは聞いたことないですね。俺の世界ではああいうのを鳥居って言って、確か神様の遣いである鳥がとまるためのものだとか、神様の世界に繋がっている門だとか、神域と俗の世界を隔てる結界みたいなものだとか、色々な意味があったような気がしますけど、正直うろ覚えです」
「ふぅん、神聖なものなのね?」
「俺の知っているものと同じものとは限らないですけど、概ねそういう感じのものでした。この里にも複数ありますし、魔除けとかですかね?」
「妾もあれの来歴は知らんの。昔からあるようじゃがな。鬼人族の里以外では妾もとんと見た覚えがない」
クスハに視線を向けてみるが、彼女はそう言って首を横に振った。俺も鬼人族の里でしか見たことがないし、なんなんだろうな、あれ。もしあれが本当に鳥居だとしたら、鬼人族の祖先に元の世界の日本人とかが関わっている可能性はあるな。独自に発祥した文化なのかも知れないから決めつけることは出来ないけど。
「あれは結界の楔だ。私は詳しい理屈はわからないが、正しい方向に鳥居と社を建立することによって、里に魔物を寄せ付けない効果があるらしい」
俺達の会話が耳に入ったのか、イロリが前を向いたまま説明をしてくれた。やはり鳥居と社なのか。俺の結界魔法のスキルではあの鳥居と社にそういった効果があると判別することができなかった。根本的に技術体系が違うのかもしれない。
正しい方向……方角? 風水術みたいなものかな。或いは陰陽術とか? うーん、オカルトはよくわからんなぁ。いや、魔法をバンバン撃ってる身で何言ってんだって感じだけど。技術的な話はさっぱりだよ。
「大きな建物ね」
「集会所みたいに使われてる建物だそうで」
「ふむ、妾は初めて見る建物じゃの」
「この集会所を建ててまだ十年ほどだからな。蜘蛛のが前にうちの集落を訪れたのは五十年くらい前の話だろう?」
「そんなに経つか。刺激のない日々は過ぎるのが早いの」
五十年とかスケールのでかい話をしてるな……半世紀とか随分な年月だと思うんだけどな。長命種の彼女達にとってはほんの数年前、みたいなイメージなのかも知れない。俺の寿命はどうなってるんだろうな? なんか色々と常人離れしちゃってるから、人間らしい寿命なのかどうかも正直自信がないな。これも今度リアルに聞いてみるかな。
「面子はもう集会所に揃えてある。今日はとことん話し合おうじゃないか」
「言葉で? 拳で?」
「どちらでも良いぞ。拳の方が色々と早いがね」
「じゃ、最終手段として使わせてもらおうかね」
できれば言葉で解決したいが、拳で語るほうが早いとなれば活用するのも吝かではないな。
集会所に入ると、イロリの言っていた通り鬼人族の主だった面子が揃っていた。里の長、つまり鬼人族の長であるエンキを始めとして大鬼族のまとめ役でエンキの右腕に当たるギュウキ、小鬼族のまとめ役でイロリの血縁だというゲンキ、鬼人族の戦士団を纏めるセンキ、農地の管理を纏めているソウガイ、陶器や酒造りの職人や大工職人達を纏めるテツザン、あとは名前を知らない鬼人族の若い男や女が数人。纏め役達の腹心とか右腕とか後継者とかまぁそんなところだろう。
鬼人族は大きく分けて大鬼族と子鬼族に別れ、更に肌の色も様々だ。真っ赤な肌の者もいれば、青い肌の者もいるし、人間とさほど変わらない肌色の者もいる。黒や紫なんてのもいるし、本当に様々だ。角の数も一本だったり二本だったり生えてる場所が微妙に違ったりするしな。
「俺達のことなんぞ忘れ去られたかと思っていた頃だったんだがな?」
「なんだ、寂しかったのか? 残念ながら俺はノンケだしヒトのモノを盗る趣味は――」
脳裏に『結果として』婚約者を二人……いや、ネーラも入れると三人か? を掻っ攫われる形になった哀れな冷血野郎の顔が思い浮かぶ。
「――あんまりない。少なくとも能動的にやろうとは、思ってないよ?」
「主殿、説得力がないのう……まぁそれは置いておいて、じゃ。主殿とてこの里を蔑ろにしていたわけではない。長く空けて最初に訪れたのもこの鬼人族の里じゃし、今回の話し合いにおいて最初に訪れたのもやはり鬼人族の里じゃ。そこは汲んで欲しいものじゃの?」
「ふん……いいだろう。それで、今回はなんだ? 俺としては実入りのある話だと嬉しいんだがな?」
「実入りのある話、ねぇ。俺としてはいつも良い話を持ってきてると思うんだがな。実際、鬼人族は今まで得こそすれど損をしたことはないだろ?」
そう言って俺はこの場に集まった鬼人族達の顔を見回す。纏め役衆はほとんどその表情を動かすことはなかったが、若い衆は納得したような表情を浮かべている者が多かった。
「ここらで俺のお願いを聞いてもらいたいと思ってな。なに、難しいことじゃない。勇魔連邦として掲げる三ヶ条を策定してきたから、それに同意して遵守してもらいたいって話だ。今までどおりの自治権は勿論認めるが、この三ヶ条だけはしっかりと守ってほしい」
「自治ってのは、里のことは俺達で全部決めていいってことだろう。お前はそれを破って、上から決まりごとを押し付けようってのか?」
「勇魔連邦は自治を認める。鬼人族は勇魔連邦の一員としての責務を果たす。俺は何かおかしいことを言っているか? それと、文句を言うのは提案の中身を見てからにしたほうが良いと思うんだがな。鬼人族にとっても悪い内容じゃないはずだぞ」
ストレージから三ヶ条の書かれた紙を取り出し、剣呑な気配を放ち続けるエンキへと突きつける。エンキは赤ら顔をしかめつつ、受け取った紙の内容に目を通してからすぐ隣に座るイロリへと紙を手渡した。三ヶ条が回し読みされていくのをしばし待ち、全員が目を通したのを確認してから口を開く。
「全員目は通したな? 俺が今回持ってきたその三ヶ条は今後、勇魔連邦が掲げていく国是だ。つまり国としての目標、国民への約束みたいなものだな。生まれや種族に対する差別を無くし、よく働き、老若男女が健やかに暮らしていけるようにしようってことだ。この三ヶ条は勇魔連邦内全域に対して有効になる。つまり、この里でも、クローバーでも、アルケニアの里でも、川の民の領域でも、妖精族の里でもだ」
俺の発言に対し、鬼人族達はしばし黙り込んだ。三ヶ条の内容を反芻しているのか、それとも俺の言葉に対する反論を考えているのか……最初に口を開いたのはエンキではなく、その妻のイロリだった。
「内容的にはどれも問題ないと言えば問題ないが……我々として引っかかるのは第一条だな。我々は強さを尊ぶ。弱き者は弱き者の領分を弁える必要があると思う」
「うーん……まぁ、そうだよな。その言い分はわからないでもない。命を張って戦っている奴に、安全なところからやいのやいのと言ってくるような奴は俺も嫌いだし。戦士は敬われるべきだ」
治安は守られて当然、税金で飯食ってるんだから市民に尽くすのは当たり前、休憩なんぞけしからん、みたいな言葉を外敵や災害、犯罪者や火事なんかから皆を守る人達に投げかける社会にはなってほしくない。
「でもな、俺は体を張って魔物やなんかの敵と戦う者だけが戦士ってわけじゃないとも思うんだよ。例えば職人は日夜自分の相手となる素材や仕事と戦ってる。鍛冶師は自分が作った不出来な武具のせいで誰かが死ぬかも知れないなんて思いと戦ってるし、大工は自分が不出来な仕事をしたらちょっとした大風や地震で家が崩れるかも知れない、って思いを持っているんじゃないかと思う。誰しもが自分と、家族と、それ以外の誰かのために戦ってるんじゃないか?」
俺の言葉に頷く鬼人族が数人。職人や農作業者を纏める立場の者達だ。
「まぁ、鬼人族の里の中だけの話じゃない。勇魔連邦っていう大きな組織の中にいるのは鬼人族やアルケニアだけじゃない。獣人やケンタウロス、リザードマンにエルフ、アンティール族、今は数はそんなにいないけど、いずれは人間だって増えてくるだろう。そんな中で、鬼人族やアルケニア、あとは妖精族も種としての力が突出しているんじゃないかと俺は思っている。里の外に出れば、鬼人族よりも『弱い』連中なんて掃いて捨てるほど居るような状況になるだろう、将来的にな。そんな人々と関わる時に、無用な軋轢を生んでほしくないと俺は思っているわけだ」
「私達に我慢を強いるわけか?」
「別に無礼を許せとか、そんなことを言うつもりは無いぞ。ただ、互いに敬意を持って接して欲しいって話だ。自分達は他の奴らより強い、だから偉い、って振る舞いはしてくれるなよって言いたいんだ、俺は」
イロリの言葉に俺は首を振って答えた。俺は単に鬼人族が傲慢に振る舞い、その結果鬼人族以外の種族から嫌われるような事態にはなってほしくないだけである。
「そうは言うが、弱者は弱者だろう? 強き者の庇護が無ければ生きられないのだから、相応の振る舞いをするのは当然ではないかな?」
薄ら笑いを浮かべながらそう言うイロリは果たしてどこまで本気でそう思っているのだろうか。どうにも、イロリのペースに乗せられているような気がしてならない。
「どれだけ腕っぷしが強くても独りでは生きられないだろう。武具、酒と飯、寝床、そういったものを用意してくれる人々がいるからこそ戦士は力強く武器を振るえる筈だ。持ちつ持たれつの関係なんだから、互いに敬意を持つべきなんじゃないかって話だよ。一斉にそっぽを向かれたら干上がるのは戦士の方だろ?」
「その時は力で従わせれば良いだろう?」
「はい出ました、脳筋発言。力こそ正義、ってのは俺は好きじゃないね。言葉と心で通じ合い、互いに敬意を払って生きていくのが文化的な生活ってものだろ。それに」
ぐるりと集会所の中を見回す。
「その理論で言えば俺に意見できる人なんて誰もいなくなっちまうじゃないか。力が強いものが正しいってんなら、俺が何よりも誰よりも正しい絶対正義ってことになるぞ? イロリ、それが鬼人族の見解、総意だということでいいのか?」
この一言で集会場内の空気が変わった。怒り……いや怒りじゃないな。なんだろう、この空気。
「よく言った! では存分に『話し合おう』じゃないか!」
「あっ」
「見事に嵌められたの」
「ちょっと? こうならないための補佐じゃないの? ちょっと?」
「手っ取り早くて良いじゃないの。タイシくんが負けるなんてことはないだろうし」
「じゃろ。そもそも此奴等相手に理屈を捏ねる事自体が間違いよ。こやつらは何でもかんでも殴り合いで解決する生粋の脳筋じゃぞ?」
「うがーっ! そういうのをやめさせたいから理屈捏ねたんだよぉ!」
感情のやり場に困って思わず頭を掻き毟る。そんな俺を見てイロリが呵々と笑い声を上げた。
「はっはっは、我々ももう長いことこの流儀を通してきたんだ。今更やめろと言われてもはいわかりました、とはそう簡単にはならないよ。今まで避けてきたツケが回ってきたと思って諦めてくれ」
いつの間にか隣に立っていたイロリが俺の背中を叩いてくる。結構強く叩かれたけど、その程度じゃなんともないんだよなぁ。お化けVITと物理耐性スキルレベル3を舐めないほうが良い。
「あー、はいはい。意図的に避けてたからね、殴り合いは。前に色々話し合った時にも絶対に殴り合いをするつもりはなかったし」
席を立ち、集会場の外に足を向ける。集会場に集まっていた鬼人族の大半は既に集会場から出て土俵っぽい特設リングに向かったらしく、既に内部はガラガラだ。
集会場の外に出ると特設リングはもう目の前である。そこには既に上半身の衣装を脱ぎ、肌を晒している鬼人族の男達の姿があった。ウホッ、女性も透けるような薄着じゃないか。
鬼人族の女性は大鬼族も小鬼族もボンキュッボンのグラマラススタイルな人が多いので、実に眼福である。ありがたやありがたや。
「おごぉっ!?」
「主殿、見過ぎじゃ」
「うふふ、露骨なのは良くないわよ?」
振り返ると、拳に魔力を纏わせたエルミナさんとごっつい攻撃碗を素振りしているクスハの姿があった。流石にそれでぶん殴るのは命の危険があると思うんですがそれは。
「ま、行ってこい。妾達はここで応援しておるからの」
「女の子相手でも手加減しちゃだめよ?」
「うぇーい」
上着を脱ぎ、エルミナさんに預けて特設リングに上がる。一番槍は戦士団の纏め役を務めているセンキであるようだ。センキは筋肉もりもりマッチョマンって感じの青肌の大鬼族である。骨格も太く、体中が戦いで負った傷跡だらけだ。
「まともにサシで向かい合う初めてだな」
「ああ」
「お前は俺の持ってきた三ヶ条に反対か?」
「いや」
「それでもやるのか」
「ああ」
「そうか。これ以上の言葉は不要だな、かかってこい」
俺がそう言うが早いか、センキはぬるりとした動きで間合いを詰めてきた。大げさに重心動かさず、最低限の動きで突きを放ってくる。
「ふんっ」
俺はその右拳に同じく右拳を合わせて打ち出した。拳と拳がぶつかり合い、鈍い音が鳴る。しかし、センキは僅かに眉を顰めただけで、即座に左足で蹴りを放ってきた。いやいや、確実に拳を砕いたはずだぞ、僅かに眉を顰めるだけとかどうなってんだよ。
横薙ぎに迫ってきた蹴り足に左肘を落とす。骨を打った感触は無かったが、これも酷い打ち身になって――!?
「随分頑丈だな、お前」
たった今手酷い打撃を受けて撃ち落とされたはずの左足を軸足にして今度は右足で蹴りが飛んできた。これは打ち落とさず、左手で受け止める。センキは俺の言葉に答えず、無言で右足を引き戻して右拳で殴りかかってきた。砕けたはずの右拳で。
理屈はわからないが、どうもこいつは異常に頑丈か、あるいは自然回復力が並外れているかしているらしい。拳を砕いた感触は確かにあったから、自然回復力……いや、最早再生能力と言ったほうが適当か。恐らく強力な再生能力のようなものをセンキは持っているんだろう。それがわかればこちらの打つ手はいくらでもある。
「死ぬなよ」
右拳に魔力を込め、迫る右拳に同じく右拳を打ち付ける。パッと見は初撃の再現に見えるだろう。だが、その結果の違いは明らかだ。
「があぁぁぁぁっ!?」
俺の拳を受けたセンキの右拳が――いや、右腕全体が血飛沫を挙げた。まるで血液が行き場を失って右腕全体の血管が破裂でも起こしたかのような凄惨な有様だ。拳を砕かれても眉をピクリと動かす程度のリアクションしかしなかったセンキも、流石にこの一撃をくらっては平常心ではいられなかったらしい。
「そこまで!」
まだ闘志の消えていないセンキにもう一撃魔力撃を叩き込もうと拳に魔力を込めた瞬間、横から制止の声がかかった。誰かと思えば今まで存在感が欠片もなかった里長のエンキである。
「小僧の勝ちだ。良いな?」
「……仕方あるまい」
右腕から血を滴らせたセンキが無念そうに嘆息する。右腕を潰してもかかってこられたら、もう四肢を潰していくしかないしな。止めてくれて良かったか。
「治療するぞ」
「無用だ。これくらいなら放っておけば治る」
いや、多分それ腕の骨がバッキバキに複雑骨折してると思うんだけどな……ってもう血が止まってやがる。それになんかミシミシ聞こえる……骨までそんな速度で治るのかよ、こえぇなオイ。
「で、まだやるんだろ? どんどんかかってこい。全員捻り潰してやるから」
「チッ、余裕たっぷりでいけすかねぇ小僧だ。小僧がそう言うならどんどんいけ」
次々に土俵に上がって殴りかかってくる鬼人族達をバッタバッタと薙ぎ倒す。殴りかかってきた大鬼の胸を打って吹き飛ばし、飛び蹴りを放ってきた小鬼族の足を掴んで振り回し、他の鬼人族をぶん殴る。薄着の女の鬼も嬉々として殴りかかってくる。流石に女を殴るのは気が咎めるので、やんわりと受け止めて土俵の外に放り投げる。
え? 男女平等にぶん殴れって? そりゃぶん殴ることなんてわけないが、手加減しても余裕で全員捌けるだけの力の差があるのにわざわざぶん殴る気にはなれないね。別に恨みがあるわけでもないしな。放り投げる際にお尻や胸に手が当たってしまうのは役得げふんげふん不慮の事故ってやつだよ。
「主殿? あまりおいたをするのは感心せんの?」
「私達ならいくらでも触り放題よ?」
「はいすみません」
クスハとエルミナさんの目を誤魔化すことは出来なかった。
実際問題、放り投げるだけだと何度でも復帰して殴りかかってくるしどうしたものか。社会的殺人拳を振るうのも吝かではないが、嫁入り前かも知れない女性の肌を衆目に晒すのも良くないしなぁ。こうなればもう一つの奥の手を使うしかあるまい。
「やぁっ!」
殴りかかってきた大鬼族の女性の腕を取り、捻り上げて関節を極める。
「くっ、このっ!?」
「すまんな……許せ!」
「何を……ひゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
女性の身体に俺の魔力を流し込み、逆に女性の身体からは魔力を収奪する。始原魔法を用いた魔力循環……これをされた相手は多幸感に包まれてしぬ! 嘘です、気持ちよくなりすぎてちょっとだけ我を失ってしまうだけです。実際安全。
ぐんにゃりとなった大鬼族の女性を土俵の外で待機している女性の鬼人族に向かって放り投げる。
「まだかかってくるならばこのタイシ、容赦はせん! 無様なアヘ顔を晒したい者からかかってくるが良い!」
「はっ! 女にしか効かないんだろ!? やってやらぁ!」
他の鬼人族達が尻込みして飛びかかってくるのを躊躇する中、一人の若い小鬼族の男がそう啖呵を切って突っ込んでくる。疾い、が実に直線的な動きだ。俺は難なく男を捕獲する。
「女にしか効果がない、と誰が言った……?」
「なん……だと……?」
「光になれえぇぇぇぇぇぇ!」
「ま、まて、やめ……んほぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
物凄い表情で昇天した小鬼族の男を土俵の外に投げ捨てる。体中からなんか汁が出てた気がするが、きっと気のせいだ。
「さぁ、次は誰だ? なぁに、痛くないから怖くないぞ。かかってくると良い」
普通に殴り飛ばされたり投げ飛ばされたりするのはともかく、始原魔法で気持ちよくなってアヘ顔を晒すのは抵抗があるらしい。うん、当たり前だよな。俺も嫌だわ。
「臆するな。あの手が使えるのは同時に精々二人と見た。こうなれば一斉にかかるぞ」
「しかし、それは流石に卑怯では?」
「おうおう、かかってこいかかってこい。俺を対等の相手と思わないほうが良いぞ。大型の魔物か何かだと思え」
一斉にかかってくるというのであればこちらとしても手間が省ける。こういう時のためにおふざけで開眼しておいた奥義があるのだよ。体内で魔力を練り、集中する。これも大樹海で魔力のコントロールをこつこつと積み重ね、研鑽したからこそ再現できた殺人拳の一つ。
「行くぞぉ!」
「うおおおおぉぉぉ!」
「いやあぁぁぁぁっ!」
迫る鬼人族達を無視し、俺は土俵のど真ん中に座して胡座をかいた。それと同時に目を瞑り、両手を軽く振り上げ、全周囲に複雑な結界を展開する。ククク、見えるぞ。私にも敵の動きが見える。
「ぐっ!? か、身体が動かん!?」
「くっ、結界か!? なんて緻密な!」
すぐさま両手から魔力を放射し、周りを取り囲んで動けなくなっている鬼人族達全員と魔力の経路を繋げる。一人一人と相互に接続するのではなく、全員で一つの回路となるように繋げるのがコツだ。
程なくして俺の右手と左手から伸びた魔力経路が全ての鬼人族と繋がり、一つになる。何かを感じたのだろう、鬼人族達が顔を引き攣らせる。
「や、やめ……」
「○斗! 有情○顔拳!」
奥義の名前を叫びながら両手の魔力経路に魔力を流し、収奪して一気に魔力を循環させた。人数が多いから出力は強めだ。その結果は推して知るべしである。
「「「おほおおぉぉぉぉぉぉぉっ!?」」」
断末魔の嬌声を上げて俺の周りを取り囲んでいた鬼人族達が崩れ落ちた。
「せめて痛みを知らず安らかに死ぬがよい……」
「これは酷い」
「大惨事ね」
全員痙攣しながら気を失っているので阿鼻叫喚すら起こらない。皆怪我もせず気持ち良く終わった。流石だよな、俺。
「さぁーてぇ? 次はてめぇの番だなぁエンキのおっさんよぉ? イロリも覚悟しろよオラ。人妻だからって容赦しねぇぞ」
「待て、落ち着け、話せば分かる」
「問答無用!」
「くっ、おい蜘蛛の! なんとかしろ!」
「断る。最初から唯々諾々と従っておれば良いものを、変に色気を出すからこうなるのじゃ」
「うーん……私もパスね。自業自得よ、受け容れなさい。でなければ抗いなさい」
「ヒャッハー! お仕置きタイムだー!」
「この性悪どもめぇぇぇぇぇっ!」
数分後、鬼人族の里にエンキ夫妻の情けない叫び声が響き渡った。うん、割と本気の俺相手に数分でも抗ったのは素晴らしい。感動的だな。だが無意味だ。