3章
3
時間は実力テストの日に巻き戻る。
「お兄ちゃん、起きて?」
司の部屋。壁に掛けられた時計は登校時間の一時間前を示している。兄である司を起こす明里の声は、司の布団の中から聞こえた。
「んぁ? 明里?」
「お兄ちゃん朝だよ?」
明里は司の胸に顔を埋めていた。
「……明里、また勝手に布団に入ってきたのか……」
「うん!」
「うんじゃねーよ! いつになったら一人で眠れるようになるんだよ……」
「とか言ってるわりにはしっかり私の身体を足で挟んでるんだけど」
「そりゃ挟めそうなものがあれば挟むよ!」
「それになんかお腹に当たってるし……」
「それは生理現象だよ!」
明里は布団から這い出て司の頬にキスをした。
「ほら起きて! 今日は大事な日だよ!」
頬を拭いながら司も起き上がった。
「ちょっ! なんで拭うの!」
「や、なんとなく……」
司は喚く明里を布団に残し、カーテンを開け放つ。
「ついに来たな、この日が! 獲るぜ! 一位!」
明里は意気込んでる司を見て目を曇らせる。
「お兄ちゃん、テストなんだけどさ……」
「うん?」
「上位には入らない方が……」
「明里、今日一位になることは一〇年間の俺の目標だ。そして俺は壱組になる!」
「う……、そうだよね、頑張ってね」
「何言ってんだ! お前も今日は俺のライバルだぜ? 兄妹だからって手加減しねぇからな?」
兄の自信満々の発言に対し、明里は決心を固める。どうにかして兄を倒し一位になることを止めないと……、兄は零組へ進んでしまう。危険度で言うと壱組の方がまだマシなのだ。
「望むところだよ。こっちだって手加減してあげない!」
兄は妹の決意の瞳を笑顔で返した。二人にとって今日という日は運命の日なのだ。一〇年前の廃墟の前で誓い合った約束を果たす日。
風前高校に向かう中、司と明里は後ろから迫りくる気迫を感じた。
「二人ともおっはよー!」
がばっと二人そろって挨拶をしてきた人物の両脇に頭を抱え込まれる。
「ちょっ燕……っ 苦しい……」
苦し紛れに明里は声を絞り出せたが司はというと、鼻から赤い液体を垂れ流し昇天していた。
「あら? 司! 大丈夫?」
燕が急いでヘッドロックを解く。
「ふへへぇ、ここはどこだぁ~? マシュマロ王国かぁ~」
昇天した司は別の世界にまで逝ってしまっていた。それを見た明里は、身体を回転させ
遠心力により勢いを増した蹴りを放つ。
「ぐぼぉ!」
明里の回し蹴りは見事に司の鳩尾にめり込んだ。
「ごほっ! うぅ……」
「良かった! お兄ちゃんが戻ってこれたわ!」
「いや……、またしても別の国に行きかけました。帰ってこれない奈落の底に……」
「いやぁー、いつも通り大袈裟兄妹だなぁ~」
「もう! 燕! あんたちょっとは気をつけなさいよ! あんたの身体は男にとって全身凶器なんだから!」
「ひどいなぁ~明里は! ま、凶器で思い出したけどどうなの? 今日の二人の調子は?」
「ああ、絶好調だ! 一位は俺が頂くぜ?」
「おーおー、そりゃ楽しみ~! あーしに負けるまでちゃんと勝っておいでよぉ~」
「ふん、こっちの台詞よ!」
いつの間にか三人の周囲には人だかりが出来ていた。「おいおい、見たかよ? 今の一色妹の蹴り……、やっぱパネぇな……」「俺、棄権しようかな……、あんなの食らっちゃ即病院行きだぜ……」などの恐怖の嘆きがところどころで囁かれていた。明里は恥ずかしさに頬を真っ赤に染め、司の手を引き風前高校へと急いだ。
「あ~あ、恥ずかしかった……」
「いいんじゃねえか? いいデモンストレーションになっただろ?」
俯きながら歩く明里の後ろを含み笑いを携えながら司が歩く。その横にそびえ立つ民家の塀の上を燕は器用に歩いていた。
「燕? お兄ちゃんにパンツ見えるから降りて」
「いいじゃん、減るもんじゃないし? ねぇ司?」
「うん!」
ぎろりと明里は司を睨み付けた。
「うぅ……、ごほん! そうだぞ燕! 俺に血を流させて弱体化を図ってるつもりみたいだがそうはいかない! お前の……パンツなんて、その……見たくないんだからな!」
「……お兄ちゃん。悔しそうな顔でその台詞はやめよっか?」
「はい。すいません」
燕は二人をからかうのに飽きたのか、塀から二人の元へ飛び降りた。
「それにしてもさぁ~、多分決勝はあーしらになりそうだね?」
「そーだなー」
「そーだねー。はぁ~やだな~、この組み合わせ……」
「まぁ、どっちにしろどこかで当たるんだし、しょうがないだろ?」
「そうだけどさ……」
「ほれほれ、早く行かないと遅刻だ、急ごうぜ?」
三人は風前高校の校舎内に吸い込まれていった。
風前高校体育館。
「では、これよりクラス編成の為の実力テストを開催する!」
校長先生が体育館の舞台に上がり、開会の挨拶をしている。
「皆、ジェノサイド戦を目標として、この風前高校入学し、一年間己を鍛え上げてきたことだろう! 今日この日、お前たちの修業の成果を示せ!」
校長の校長らしからぬ開会宣言に生徒たちの胸は高鳴る。司も皆のように雄叫びは発さないものの、腰の横に下げている拳を握りしめた。
決勝までの対戦は圧倒的だった。誰が見ても、司、明里、燕の力が群を抜いていることがわかる。まず、この三人は決勝に至るまで無傷だった。誰一人して三人は触れることすら許さない。攻撃を受けないことは、対ジェノサイド戦において必須のスキルだからだ。
「やっぱりこうなったねぇ?」
「ああ」
「はぁ~」
司と燕には緊張の糸は見えないが、明里はというと落胆の色を前面に押し出している。決勝は三人の総当たり戦。一人二戦ずつ行うルール。時期に決勝戦が始まる。
ルールは単純、相手に参ったと言わせればいいだけだ。場外も反則もなにもない。体育館の中央には総当たり一回戦の明里と燕が戦うことになっていた。試合会場である一階にはまだ誰もいない。しかし二階三階とすり鉢状に作られた観客席には試合の行く末を見届けるギャラリーに溢れていた。同じ階に、観客を置かない理由は至極簡単。巻き添えを受けてしまうからだ。それ程に風前高校の実力テスト決勝戦は激しいものとなる。
「レディース、エン、ジェントルメェン!」
ふいに体育館内にスピーカーから実況が流れ出す。
「今宵、学年ナンバーワンを決める戦いが今始まるぅ!」
芝居掛かったしゃべり方の実況に会場はざわめき立つ。
「決勝戦実況役はこの私、生徒会長の我利勉と、校長だぁ!」
おぉ~! とgyラリーがその豪華キャスティングに驚きの声を上げる。
「では早速ぅ! 決勝戦の選手入場だぁーー!」
先の驚きの声とは比較にならない歓声が館内に巻き起こる。
ギャラリーと同様、司も二階の観客席に身を置いていた。
「まじかよこの演出……、やだな~、こんなとこに出てくるの」
司はげんなりと溜め息を付いた。
「赤コーナー! 先読みの女王! 一色明里の入場だぁ~~!」
会場の中央へ歩みを進める明里。顔を真っ赤にしながら俯いている。かなり恥ずかしいようだ。そんな明里の入場を見たギャラリーは「うおーーーー、明里たーーーーん!」と野太い声援を贈った。凄い人気である。
「ていうかあいつ……、なんであんな格好なんだよ……?」
明里は肌にぴっちりとした赤のレオタードのような服装をしていた。あまりにも洗濯板な胸に、兄の司は目に涙を溜めていた。
「うぅ……、妹があまりに不憫でならない……」
そんな涙声を上げながらも司は明里のレアな姿を網膜に焼き付ける。
「校長! どうですか? 一色選手の出で立ちは?」
「……良い」
校長はかなりのアホだった。
明里が会場の中央でぎこちなく観客にぺこりぺこりと会釈をし終えるのと同時に生徒会長はマイクを握り直す。
「そしてェー! 青コーナーー! 我らの目の保養! 心の潤滑油! 超高校級スタイルと美貌を持っているにも関わらずぅ! 我らに対するサービス精神も忘れないぃ! バカなところにギャップ萌えすら感じてしまう、我らの女神! 真咲燕入場だーーーー!」
「「「――――――っ!!!!」」」
会場が壊れてしまうのではないかというほど、震える。震度四はあるのではないだろうか。その割れん程の歓声の中を、燕は歩いてこない。
「おーーーーっと、真咲選手、現れない! これもプレイの一環なのかぁーー! ――ッ! 否、皆の者ぉーー! 上空を見ろーーーーっ!」
生徒会中の指示通り、ギャラリーは天井を見上げる。司もまた、何事かと目線を上げた。「――羽根?」
ゆっくりと大量の白い羽根が舞い降りる。羽根が舞い散る中を、白のビキニのような服装で、背中に羽根を付けた燕が舞い降りてきていた。
「いや……、バカすぎるだろ? コレ……」
降りてくる燕を、死んだ魚のような目で見つめる司。周りの観客は顔を真っ赤に染めた後、大歓声を燕へと贈る。ついと司は眼下を見下ろす。そこには歯を食いしばる妹の姿があった。
「……なによコレェ! 私の扱いとえらい違いじゃない!」
その言葉を読心術で読み取ってしまった司は、今度は涙を流した。
「うぅ……、妹がぁ、妹がぁ~。誰かあいつも見てやってくれぇ~!」
燕は舞い降りている最中、司の姿を見つけた。
「あん?」
目が合った燕は、バチコン! と司にウインクを贈る。瞬間司はギャラリーに一斉に睨まれる。
「頼む、そういうのはやめてくれ、殺されてしまう……」
燕は華麗に明里の前へと降り立った。
「随分な登場じゃない!」
「ありがとう、あんたも可愛かったよぉ? 小動物みたいでさぁ」
「ぐぬぬっ! これで負けたら燕生きていけないよ?」
「大丈夫ぅ! あーし負けるつもりないしぃ?」
「おおーーっと! 早速魔法発動かぁ! 私の目には見える! 互いの目から火花がバチバチと発生しているぞぉぉ! ねぇ? 校長!」
「うむ、生きてて良かった……」
「っと、校長! これは失礼しましたー! 真咲選手の感想ですね! 『生きてて良かった』、素晴らしいコメントです! もうこの時点で今年の流行語大賞が決定しました!」
またしても会場は凄まじい歓声に揺れる。生きてて良かったコールが渦を巻いているようだった。
「うちの校長やばいだろ? ていうか、この学校がやばいだろ……」
「さぁ、両者のボルテージは全開のようだ! 今、戦いのゴングが鳴り響いたーー!」
「じゃあ、最初から全力で行くよぉーーーー!」
燕は開始早々、後方へ跳躍する。そう、跳躍だ。バックステップどころではない、燕の立っていた床が抉れる程の脚力で後方へと弾丸の如きスピードで跳ねる。
後方にはバスケットゴールが鉄骨で繋げられている。燕はその鉄骨に手を掛け、根元から観客席もろとも引き抜いた。生徒がバラバラと一階に落下する。
「みんなごめーん! 早く会場から逃げてー!」
燕は一応謝って見せたが少しも悪びれた様子は無い。私の戦いを見るならそれなりの覚悟があるのだろうと決めつけていた。
「なんということでしょう! 真咲選手、バスケットゴールもろとも鉄骨を引き抜いたー! これをそのまま武器にするようだー!」
「うむ……、かなり揺れたな!」
「校長! そうですね! なんてったって二階の観客席が一部崩れちゃいましたもんね!」
「うむ……、お乳が」
「こーーちょーー! さすがお目が鋭い! 私も集中して追っていきますぅ!」
恐ろしい武器を手にした燕に、明里は一切動じていない。
「そうすることは最初からわかってる。来なさい、次は横薙ぎの一撃でしょう?」
「さすが先読みの女王! 私の行動は見え見えね! でもそれが何? 私がその予想ごとぶち壊す!」
燕はすでに攻撃態勢に入っていた。明里の予想通り巨大な鉄骨を横に薙ぐ。しかし、予想通りではあるものの、スピードが尋常じゃない。横薙ぎの風圧で竜巻を起こしてしまいそうなほどの強烈な一振り。しかし、明里はそれを避けない。
「っな!?」
明里は燕の高速の横薙ぎを気にもとめずそのまま距離を詰める。燕の横薙ぎは高速、されど明里の突進もまた高速。
明里の能力は先読みだけではない。魔法を使用する者、ブラスターの能力でも学年上位を誇る。高速の突進のタネは足に、風の魔法を施したのだ。風の力を借り、燕の目前へと迫る明里。だが、
「それでもあーしの方が早い!」
ギャラリーの目から燕の言葉通り、渾身の一撃が明里の右半身にめり込んだように見えた。
「明里……、すげぇぞ!」
瞬間、ギャラリーには何が起こったかわからなかった。実況の生徒会長もまた同様に。
「こ……これは、一体? えー、えっとその、ダウン! 真咲選手ダウンです!」
会場には息を切らせて明里が立っていた。明里の視線の先には会場の壁が抉れ、仰向けに倒れる燕の姿があった。
「これは、一体どういうことでしょう! 私の目からは真咲選手の一撃が一色選手を捉えたように見えましたが……。校長、説明をお願いできますか?」
「……これは」
「これは!?」
「……明里たんの太もも最高!」
「おーい! もう駄目だこいつ! 誰か代わってくれー!」
「明里、強いな。まさかあんな躱し方するなんて……」
司には見えていた。燕が放った高速の一撃をギリギリ躱す明里の姿が。
「さぁ、立ち上がれるか? 真咲選手? もちろん決勝にはカウントなんてありません! このまま一色選手が追撃をするか、真咲選手が気絶するかのどちらかです! しかし、一色選手は追撃をしない! 警戒しているのか?」
むくりと何事もなかったかのように燕は起き上がった。そのケロッとした表情に明里は驚く。
「うはー、びっくしたぁ~、まさかあの攻撃をベリーロール? 背面跳びで躱すなんて……」
そう、明里にとっては一か八かだったが、先読みの能力を飲み込んでしまうほどの強力な一撃を躱すには、一撃が織りなす風圧を利用するしかなかった。身体に風の魔法を纏わせた後、身体を一撃へと預けたのだ。まるで巻き込まれるようにして回転しながら一撃を躱し、そのまま拳を燕の顔面に叩き込んだ。
「やっぱ強いねぇ! 明里! いいよ、あんた凄く良い! ひょっとしたら私負けるかも……」
言いながら立ち上がりファイティングポーズを取った燕の姿を見て、またしてもギャラリーは沸き立つ。しかし、この歓声を明里は裏切った。
「降参。私の負けよ」
ギャラリーが一瞬にして静まりかえる。
「強いのはあなたの方よ? まったく、どんな反射神経してんの? まさか私の一撃に頭突きを入れてくるなんて……。おかげで私の腕は粉々じゃない」
ざわざわとギャラリーがどよめきをだすが実況役がそれを遮断する。
「……えっと、一色選手、降参です。よって勝者真咲選手……」
そうして総当たり一回戦は幕を閉じた。
「ちょっと? あんたどういうつもりよ?」
「なにが?」
控え室へ向かう明里を、燕は呼び止めた。
「あれぐらいの骨折、あなたならすぐ治せるでしょお?」
「ごめん、燕……」
「あによ?」
「どうしてもお兄ちゃんとの試合のために体力を温存しておきたいの……」
「……なんでよ」
「お兄ちゃんに優勝してほしくない。燕には理由を話すときがくるから、もう少し待ってて」
「何だそりゃ?」
「あと、もしかすると私はあなたを巻き込んじゃうかもしれない。それもごめん……」
「まぁ、あんたがそんな顔するってことはそれなりの理由があるんだろうけどさ……」
燕はふぅ、と息を吐き壁に寄りかかる。
「大丈夫だよ、私が司を倒すから」
「うん。お願い」
一回戦が終わり、一時間の休憩を挟み二回戦が始まる。先程まで盛り上がりを見せた会場だったが、ギャラリー一同緊張の面持ちが見てとれる。それは今回の選手が片方男だからだろうか? それとも各々が先の試合のレベルの高さに、危機感を覚えたからだろうか。ギャラリーたちももちろんジェノサイド戦に駆り出される。このような凄まじい力を持つ選手たちに自分たちは到底適わない。考えたくはないが、この選手たちがジェノサイドに適わなかった場合、自分たちはどうなるのだろう? ゴミクズのように虐殺されるだけなのだろうか? 誰しもそうはなりたくない。そうならないためにも今は試合を楽しむのではなく、一つでも強くなる努力をするべきだ。一つでもこのハイレベルの試合から選手の技術を盗むべきなんだ。もはや、ギャラリーたちには選手に声援を贈る暇などなかった。
「では、総当たり第二回戦。真咲燕対一色司の試合を始める!」
一瞬の動きも見逃すまいとギャラリーは選手二人に集中する。選手二人は周りの集中力など非にならないほど、互いを牽制し合っている。
「司、悪いけど負けてくんない?」
「ふざけんな。ジェノサイドは誰にもやらねぇ。俺が殺す」
「そう、私も譲れないんだぁ、大切な友達のお願いだからね!」
控え室で砕けた腕の治療魔法を受けていた明里に、大きな歓声が届いた。並の歓声じゃない。控え室の壁までもが揺れている。
「先生! まだ治療は終わらないのですか!」
「大丈夫! 今終わったところだよ! 気になるんだろ? 試合。 さっさと見ておいで!」
「ありがとうございます!」
控え室を飛び出し、会場へと続く廊下を全力疾走する。
「何? なんなのこの歓声!」
会場にたどり着き三階客席側面に備え付けられた電光掲示板が目に入る。時間が止まっている。電光掲示板の時間が止まるのは、どちらかがダウンしたときだけだ。
「……え?」
電光掲示板に映される時間を見た瞬間、明里は驚きの声を上げた。
「……四秒?」
開始四秒。見間違いなどではない。四分でも四十分でもない。なんど見直しても四秒だった。生徒会長の絞り出すような実況が耳に入る。
「……まずくないか? おい救護班! 試合は中止だ! すぐに手当を!」
「え! 何?」
明里は何が起こったのか未だに理解できない。救護班ってどういうこと? たった四秒で救護班? そもそもどっちがどうなってるの? お兄ちゃんは? 燕は?
「一体何なの? これ……」
明里が会場の入り口で立ち尽くしていると、白い白衣に身を包んだ救護班が担架を引きながら近付いてくる。
「ちょっと! そこにいちゃ邪魔だ! 道を開けてください!」
明里は言われるがままに道を開ける。救護班とのすれ違う瞬間、担架に乗せられている人物が目に入った。それは燕だった。燕を見て、会場の中央に立ち尽くす人影を確認する。
「……お兄ちゃん?」
明里はすぐに救護班を追いかけ、担架に乗っている燕へ語りかける。
「燕……、燕! 何があったの!」
「ちょっと、危険な状態だ! 邪魔しないで!」
明里は救護班に注意を受けた。諦めて燕を乗せた担架を見送ろうとするが、救護班が歩みを止める。
「おい! 君!」
「……大丈夫、私は大丈夫だから……、明里」
明里は、か細い声で自分を呼ぶ声の方へ小走りに近付いた。
「燕! 大丈夫?」
「ははっ、大丈夫じゃないわ……。参ったねこりゃ」
「何があったの?」
「何がって? 私が司に負けただけだよ」
「そんな! でも時間が!」
「ああ、何も出来なかった……、電光掲示板には四秒って書いてたけど実際私がやられたのは一秒掛かってない……」
燕は意識を保つことに必死なのか顔を歪ませている。
「燕、こんな時に悪いんだけど、何をされたか教えて! お兄ちゃんは私が知らない能力を使ってるとしか思えない!」
「うん、あーしもそのつもりであんたを呼んだんだ。いいか……? 恐らく司の能力は時を……」
「時を? 何?」
「――時を止める」
燕はそれだけを告げると、意識を失い救護室へと運ばれていった。
「時を……、止めるですって?」
呆然と燕を見送っていた明里だが、こめかみを押さえ考えることに没頭する。
「ありえない。時を止めるほどの奇跡なんてどんな魔法を使用してもできっこない。そんなこと最強の魔法使いである魔女にだって無理だ。でも、もしそれが本当だとしたら?」
無論明里は司に勝つことはできない。明里の能力は先読みと、事象の性質を捉え対応する驚異的な直感だ。時など止められようものなら、それも全部無駄になる。
「違う、絶対何か仕掛けがある……」
明里の視線は通路の先、会場にいるであろう司を睨み付けていた。
もはや会場は熱も冷め白けきっていた。誰もが驚く怪力とパフォーマンスを見せ付けた燕は司に敗れた。一回戦にて燕に破れた明里には勝つ可能性はない。なぜなら司の強さは異常だった。何をしたかすらもわからないのだから……。ギャラリーの誰もがそう感じているだろう。むしろ明里を不憫にすら思っているだろう。負けるとわかってて戦うほど面白くないものはない。誰もが伏し目がちになっていた。しかし、入場してきた明里の姿を見たギャラリーは目を見開く。明里はただ会場中央に歩いて入場しているだけ。しかし、その小さな身体からは気迫が漏れ出ている。「彼女はまだ勝負を捨てていないのか……」とギャラリーの一人が洩らす。その言葉がまるで聞こえたかのように明里は独り言を呟く。
「私は、絶対に負けない。負けられないの。私が負ければお兄ちゃんの優勝が決定する。二位ならまだ免れる可能性はあるけど、優勝なら零組行きが決定する。だから私は負けるわけには行かない」
中央には既に兄の司が待ち構えていた。目が真剣だ。司は本気なのである。正直こんな兄を明里は見たことがない。一瞬、怯えにも似た感情が心を支配しに掛かるが、明里はそれを吹き飛ばす。時を止めるかもしれない。でも初撃を躱す算段はある。その初撃で兄の能力を見破る。明里は覚悟を決め、司の前まで歩みでた。
「危険しないのか?」
「するわけないじゃない」
「怪我するぞ」
「燕を倒したからっていい気になってんじゃない? 私だってあのまま続けてれば燕に勝ってたし」
「そうだろうな。なんであの時降参したんだ?」
「この時のためだよ」
「は?」
「お兄ちゃんを倒すために力を温存したかった」
「……そっか。で? 対策は練ってんだろうな? 俺の能力はお前の先読みを無意味にするぞ?」
「そうみたいだね。でも私を先読みだけだと思ってたら駄目だよ?」
「ああ、あの燕の一撃を躱した時はゾクゾクしたぜ? だから妹だからって手は抜かない」
「優しくないおにいちゃんだね」
「今日だけは許せ。俺は今日負けるわけにはいかないんだ」
「奇遇だね。私もだよ」
互いに開始線まで下がり構える。審判の合図と共に一色兄妹による決勝戦が行われた。