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「来ないの? それとも、来られないの?」

 代わり映えのしない太陽と青空の下、小林君の問いに対して多くの返答を思いついたが、そもそもなんのために答えればいいかすら私にはわからなかった。


 だれもがその名前を知ってはいるが、実際にはそれがどのようなものかだれも知らない、この点で言えば、レ・ミゼラブルと無縁墓地は同じである。

 都内の某無縁墓地。

 ここに泉ケイが埋葬されたらしいが、本当かどうかは知らない。私は、遺骨が埋められるのを直接見たわけではない。泉ケイの遺骨なんて存在するのだろうか? 検死後、適当に処分されたのでは、と思える。そもそも、泉ケイなんて人間がこの世に存在したのだろうか、とすら思えてくる。

 無縁墓地はシステムでしかない。

 容疑者の逮捕後、小林君に連絡をすると、彼はすぐに応じて、この無縁墓地まで来てくれた(親の金で来たと、彼はまた言った)。


 私の沈思黙考をどう解釈したのかは知らないが、小林君は「そう」とだけ短く言った。

 無縁仏の石はなんら加工されていない。墓石にすることだけを考えられて切られたため、だた、人をひとりおおうだけの長さと幅があるだけだ。

 そこには名前はない。

 いずれにしても、この事件は終わったのだ。

 いや、終わっていたのだ。私たちがなにかをしなくても、警察は事件を解決したのだ。むしろ、私たちは捜査の邪魔でしかなかったはずだ。

 そうだ、最初から終わっていたのだ。私たちがなにかをしたところで、泉ケイは生き返ったりはしないのだ。

 私は、ただ時を無為に過ごしただけ。

 とはいえ、今回の事件は、少しくらいは教訓になるだろう。時間を無為に終わらせないためにも、教訓にせねばなるまい。

 胡散臭い連中には関わらないようにしよう、教育業界に跋扈する悪質ビジネスを見抜こう、怪しい詐欺には引っかからないようにしよう、自分は騙されずに生きよう。

 これが今回の教訓だ。

 線香もあげたし、そろそろここから去る頃合いだ。

「あ、そうだ、お姉さん、僕の話を覚えているかな? 以前に会ったときに、手伝ってほしいことがあるって言ったよね?」

「え? ええ、覚えているわ。泉さんの中学時代の話だったわね」

 思い返せば、小林君は泉ケイの中学時代に詳しい人をネットで探していた様子だった。

「そう、泉さんの中学時代の話だよ。泉さんとふたりでピジョンスクールから脱出して、五十キロを歩いていたとき、彼女に謝ったんだ。殴ってごめんなさいって。獄長に命令されていたけど、結局は自分が逃げたいから殴ったんだって。頭を下げて謝ったんだ。そうしたら、泉さんは許してくれたんだ。自分も似たようなことがあったって」

 自分もにたようなことがあった?

「なんでも、泉さんって小学校のころからイジメられてたんだって」

 泉ケイは小学校のころからイジメられていた?

「お金を巻き上げられたり、万引きとか色々やらされたりしたって」

 泉ケイは色々やらされたりしていた?

「中学のころも、小学校と似たような状態だったって」

 泉ケイは中学のころも小学校と似たような状態だった?

「いろいろあって、僕みたいにだれかに謝ることがあったけど、自分は許してもらえなかったって、だから自分は許せるような人間になるって」

 泉ケイはだれかに謝ったが、自分は許してもらえなかった?

「これが僕のお願いなんだ。泉さんが中学のときにいろいろあったっていう話は、僕には詳しくはわからない。けど、泉さんはだれかに許してほしかったことだけはわかるんだ。だから、そのだれかを教えてほしいんだ。だれでもいいから心当たりがないかな? 許されないまま死ぬなんてあんまりだ。僕が代わりに謝るんだ。その人に絶対に許してもらうんだ。これが、僕が泉さんのためにできる最後のことなんだ」

 小林君の話に耳を傾けたかったが、無理だった。私の頭のなかは、中学時代の出来事で溢れそうだった。さらに、無自覚にそれをこぼさないように努める自分がいた。

「古田さんってムカつきません?」

 あれはなんだったのだ? あの「古田さんってムカつきません?」とは、いったいなんだったのだ?

 あれは、自分が抜け出したいがための。

 あのおまんことか、ちんことか書かれていた机の落書きも、そう、あの落書きも、落書き? 落書き。そう、落書き。

 出来事が溢れかえってくる。無自覚こぼさないようにしている自分がいる。自意識が生まれても、決してこぼさぬようにしている自分がいる。

 あの朝、私の机に落書きが書かれていたのは事実だ。厳然たる真実だ。直接この目で見たし、直接この手で消した。

 だが、少なからず私は、あれをだれが書いたのかは確認しなかった。泉ケイが書いたと決めつけたが、彼女に直接問いただしたりはしなかった。

 あの落書きは無駄に達筆だった。

 泉ケイと一緒にアンケートの仕事をしていた女は、泉ケイが悪筆だったと証言していた。

 泉ケイがアルバイト先に提出した履歴書も悪筆だった。履歴書は可能な限り綺麗な字で書くはずだ。

 三波学園高等部の入学願書の名前欄に書かれた、泉ケイという名前も悪筆だった。

 泉ケイは悪筆である。

 達筆の人間は意図的に悪筆にもなれるが、悪筆の人間は達筆にはなれない。 

 もう一度、思い返す。

 あの落書きは無駄に達筆だった。

 あれを書いたのは泉ケイだったのだろうか?

 下駄箱の靴も同様だ。靴のなかに画鋲がギッシリと詰まっていたのは事実だ。片付けるときに刺してしまった指の痛みを覚えている。

 しかしだ、机の落書き同様、私はあれを泉ケイがやったと決めつけ、だれがやったのかは確認しなかった。

 校舎を出た直後、髪の毛にガムを引っ付けられたのも事実だ。振り返って校舎を見上げ、二階の窓から私を見下ろしていた泉ケイ――逆行で彼女の表情はよく見えなかった――を見つけたのも事実だ。

 だが、しかしだ、だれがガムを投げつけてきたのかを、自分の目で直接見たわけではない。

 急に自信がなくなってくる。彼女は、だれかにやらされていたのだろうか? 自分の意志でやったのだろうか? 前提として、だいたい校舎二階の窓際にいた人物は泉ケイだったのだろうか?

 落ち着いて考えよう。学校の二階の校舎から、一階にいた私の頭を狙って、ガムのようなものを当てられたりするだろうか? むしろ、二階のあの場所にいたのが、彼女の無罪の証明ではないだろうか?

 泉ケイは、なぜ謝ってきた?

 もはや、あそこでなにがあったかを確認するすべはないのだ。私が潰してしまったのだ。私自身がこの手で殴り潰してしまったのだ。

 あのとき一言でいいから確認しておけば、あのときああしておけば、この惨劇は防げたのだろうか?

 私のあのときは、私の思う以上にとっくの昔に過ぎ去っていたのだ。

 代わり映えしない太陽の日差しが容赦なく感じられるのは、私の気のせいだ。

 いつの間にか小林君はいなくなっていた。

 どうやら、私はこぼさずに済んだようだ。

 目の前には、私の結果があるだけ。

 私には罪こそあれ、なんら罰はない、私が名乗り出ぬ限りは、私がみずからの意志で自分の名を明かさぬ限りは。

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