04
古田さんの自宅。古い公営団地の一室。古田さんの部屋。
古田さんの机の上には、型落ちのノートパソコンや参考書がある。文庫本もあるが、すべては貸本だ。
さきほど警察署で入手できた情報は皆無だった。
「危ないから、君たちは首を突っ込んではいけないよ」というスーツ姿の刑事――四十歳くらい。妙にとろくさい――のお役所的な回答と警察の名刺を貰えただけだった。
「アンタらがまともに仕事しとったら、事件は未然に防げたはずやろ」という古田さんの怒鳴り声に対して、
「まったくもってその通りである。我々が仕事をしていれば事件は未然に防げたのだ」と刑事は答えた。
話にならないので、古田さんの自宅で作戦会議という流れになった。
古田さんは携帯で電話を受けている。私たちが部屋に入った途端に、彼女の携帯が鳴ったのだ。
彼女は方言ではなく、標準語で応答している。
「あのウチにはそのような人はいませんので、いえ、ですから、この電話をかけてこないでほしいのですが、はい、はい、ですから、ウチにはそんな人いないので」
古田さんが話し込んでいるあいだに、私は事件の情報をまとめることにした。
彼女は既にいくつかの情報を集めていたようだ。複数の新聞、複数の週刊誌、ネット上の記事、ニュースの動画など、考えられる限りの情報だ。
それらを精読し、要約すると、
・泉ケイが殺された。暴行殺人である。死因は窒息死。首を絞められたらしい。
・死亡した場所は東京都村田区の単身者用のアパート。泉ケイはひとり暮しをしていた可能性が高い。
・犯人は捕まっていない。
・泉ケイは高校二年生で、通信制高校の三波学園高等部笠原校というところに通っていた、らしい。留意したいのは、この情報に関しては、一冊の週刊誌だけにしか載っていなかったということだ。
一通り読み終えると、ちょうど古田さんも電話を終えたようだ。
「ホンマにしつこい勧誘やった」と、携帯をベッドに投げつけた。「気を取り直してと、情報のひとつひとつを確認しようや」
「わかったわ」
「まずは泉さんの死亡からや。これに関して、なにか意見はあるか?」
「意見っていわれても、私たちに検死なんて無理よ。指紋の検出やDNA鑑定なんてできないわ」
「そうやな。不本意やけど、科学的な捜査は警察に任せるしかない」
「私たちにできることといえば、関係者から事情を伺うことくらいね」
正直、私には意見があった。たぶん、古田さんにもあったはずだ。暴行がなにを意味をしているかを、私も古田さんも知っている。もう、そのくらいの年齢なのだ。
DNA鑑定というのも、気まずかった。体液で鑑定など、嫌悪感しか湧いてこない。暗黙の了解で、暴行の話題を避けることにした。
「ウチらでも調べられることを考えよう。次は泉さんが住んどったアパートや。これはどうや?」
「アパートに住んでいたということは、泉さんはひとり暮しをしていた可能性が高いわね」
「その通りや。実はウチな、そのアパートを既に見つけとる」古田さんはパソコンの画面を指さした。「ここ見てくれ」
画面には、事件があったアパートの位置情報が映っている。精確な所在地まで突き止めていたようだ。
古田さんはパソコンを操作すると、ストリートビューでアパートを表示した。
事件現場は、平凡な住宅街にある二階建ての単身者用のアパートだ。事件がなければだれも見向きもしないだろう。平凡な二階建てのアパートなど、日本全国どこにでも存在する。存在していないところを探す方が大変だ。
「古田さんはここをどうやって見つけたの?」
「グーグルストリートで片っ端から調べた。手間がかかっただけで、作業自体は簡単や」
「情報はありがたいわ。けど、この情報だけでは不十分ね。アパートの外観が見られるだけだわ」
「そうやな。あとは、アパートまで足を運んで、直接見聞きするしかない。事件現場に関しては現状はここまでや」
「そのようね」
続いて、古田さんは資料を取り出した。なにかのパンフレットのようだ。サイズはA4くらいか。
「次は、泉さんが通っていた高校や。泉さんは高校二年生だったと報道されとる。ウチらは現在高校三年生や。つまり、泉さんは一年遅れで高校に入学したことになる」
「中学から直接高校へ進学しなかったというのは事実よ」
口には出さなかったが、泉ケイが高校へ進学しなかったことを、中学の担任が嫌がっていたのを覚えている。
「浪人して全日制の高校に入学するケースは滅多にないやろ。あり得るのは、通信制か定時制という道だけや。泉さんが通信制高校へ通っていた理由もそれやろ」
全日制高校は浪人も留年も厳しい。留年となったら、通信制や定時制へ転入を余儀なくされることもザラだ。
私たちの高校も、留年生はひとりたりともいない。留年する生徒に、高校側が退学か転学を強要しているのだ。完全に学校側の都合だ。
留年ですらこの有様なのだから、浪人生を入れる全日制高校は存在しないといっても過言ではないだろう。一度でも脱落すれば、残された道は定時制や通信制くらいだ。
通信制や定時制のシステムを、私はよく知らない。通信制高校とは自宅でレポートを作成する、定時制高校は夜に通う、といった程度の知識しかない。
ただ、不良とかヤンキーみたいなのが通っている印象はある。イジメも起きやすそうだ。生徒間でトラブルがあったという可能性も、視野に入れる必要がある。
「古田さん、学校でのトラブルの可能性はどうかしら? 三波学園高等部という高校よね」
「その可能性を考えてな、ウチも三波学園とやらを調べてみた」
「それで?」
「それがな」古田さんは私を見た。「そんな高校が存在しないというんや」
「え?」
「三波学園高等部という高校は存在しないというんや」
「どういうこと?」
「もう一度言ったる、泉さんが通っていた三波学園高等部という高校は、この世には存在しないというんや」
いったい、古田さんはなにをいっているのだ? 泉ケイが通っていた高校は存在しないとは、どういうことだ? 三波学園高等部とは?
「三波学園高等部が存在しない? どういうこと? 意味がわからないわ。校名が間違っているということ? 所在地が間違っているということ?」
「ウチがいまから説明する。よく聞いとくれ。ウチもな、アンタと同じことを考えたんや。生徒間のトラブルはありそうな線や。学校やったらトラブルを把握しているかもしれんとな。そこで、三波学園とやらにに電話をかけたんや。電話はすぐに繋がった。聞こえたのは男の声やった。ウチは泉さんのことを切り出したんや。泉さんのことを知りませんかと、生徒間でトラブルがありませんでしたか、とな。そしたら、即座に電話を切られてしまったんや」
「当然と言えば、当然でしょうね」
「腹が立ってリダイヤルしたんやど、また即座に切られてしまった」
「取り付く島もない対応ね」
「そうやろ。そこでウチは都の学事課に直接電話したんや。三波学園高等部とかいう高校がまともに対応してくれないとな。学事課の人は一応返事をしてくれた」
「返事の内容は?」
「その返事が、三波学園高等部という高校は存在しません、という回答やった。ほかにもいろいろ聞きたかったんやけど、学事課もお役所仕事しかしれくれなくてな。これでは埒があかんと、ウチは文部科学省まで問い合わせてみたんや。そして、その返答が学事課と同じやったというわけや」
「三波学園高等部という高校は存在しません、という回答ね」
「そうや。けど、おかしいやろ。週刊誌には三波学園高等部と書いてあるやろ。マスコミでは三波学園高等部が存在するというのに、行政では三波学園高等部は存在しないという。矛盾しとる」
「マスコミの誤報じゃないかしら? マスコミが必ずしも常に正しい情報を報道するとは限らないわ。三波学園高等部という校名まで報じているのは週刊誌だけよ。それも一冊だけ。校名を間違えている可能性もあるわ。誤字脱字があるのかもしれないわ」
「三波学園高等部という校名は正解や。一字一句たりとも間違いはない」
「では、都や文科省が間違っているということかしら?」
「なにが正解で、なにが間違っているかは、ウチにはわからん。そやけど、三波学園高等部は存在する。この世に存在するんや」古田さんは断言した。
「なぜ、そう言い切れるの?」
「ウチがいまから、その証拠を見せたる」
古田さんはパソコンの前に座ると、ウェブブラウザを起動し、検索ボックスに入力し始めた。「三波学園高等部」「通信制高校」というふたつの単語だ。エンターキーを押してから一秒もかからないうちに、検索結果が表示された。
検索結果の上部に表示されたのは三波学園高等部、ではなかった。表示されたのは大量の広告だった。「不登校なら○○学園」「卒業率98パーセント以上の△△学院」「だれでも入学、だれでも卒業できる××学院高等部」「通信制高校と同時に専門的な内容も学べる□□校」「高校卒業資格なら▽▽高等院で確実に取得」などなど。画面いっぱいに表示されて、検索結果が見られないほどだ。
「ウチのパソコンは型落ちや。広告が重くてたまらんわ」古田さんはマウスホイールで画面をスクロールさせると、目的のサイトのURLをクリックした。「ここや、これが三波学園高等部の公式ホームページや」
古田さんの言うとおり、三波学園高等部のホームページは存在している。パソコンのモニターに明確に表示されている。
三波学園高等部のホームページの作りは非常に豪華だ。見やすいレイアウトに多用されたフラッシュ、丁寧にトリミングされた画像など、かなりのこだわりようだ。素人が作ったページではない。業者がお金をかけて作ったページだ。
宣伝も豪華だ。「不登校なら三波学園へ」「卒業率98パーセント以上を約束」「だれでも入学、だれでも卒業」「専門的な内容を学べる」などなど。見覚えがあると思ったら、先ほどの検索結果に表示された広告と同じだ。
卒業実績も載っている。前年度の高校卒業資格取得者数約三千人と書かれている。
進学実績も載っている。大学への合格者数二千人以上と書かれている。実際の有名大学の名も併記されている。T大学、K大学、W大学などなど。医学部に合格ともある。
古田さんはパソコンの操作をやめると、さっきのA4サイズのパンフレットを取り出した。
「ウチは入学志望者を装って、三波学園に資料の請求をしてみたんや。パンフレットや情報が欲しいとな。そうしたら、即座にこのパンフレットが届いたわけや。アンタも内容を見てくれ」
手渡されたパンフレットを見てみる。
内容は三波学園高等部のホームページとまったく同じで、宣伝ばかりだ。
「三波学園高等部が存在するのは事実のようね」私は資料を精読した。「ホームページは存在するし、電話で連絡が取れるうえに、資料まで請求できる。存在自体は確実だわ」
古田さんは、先ほどベッドに投げた携帯を取ると、私の方に向けた。
「さっきウチに電話があったやろ」
「なにかを断っていたようね」
「そうや。断りの電話や。ウチが資料を請求してから、三波学園から宣伝の電話が来るようになってな」
「三波学園を調べようと思ったタイミングでの電話とは、いいタイミングね」
「いいタイミングどころやない」古田さんは、また携帯をベッドに投げた。「毎日、宣伝の電話がかかってくるほどや」
「毎日?」
「毎日や。朝昼夕方晩に掛けてくるなんて非常識やろ」
「どんな宣伝だったの?」
「パンフやホームページの宣伝と同じや。それに加えて、速く決めろとか、いまだったら優先的に入学できるとかな」
「急かすような言い方ね」
「一度でいいから学校見学に来て欲しいともゆうとった」
「直接現地に足を運んだ方がいいわね。見学ではないでしょうけど」
「ウチはすでに、三波学園高等部笠原校の場所を見つけとる」
古田さんはパンフレットをしまうと、もう一度パソコンを操作した。ブックマークしていたようで、画面には即座に笠原周辺の地図が表示された。
「古田さん、三波学園高等部は本当に笠原にあるの?」
「ある」古田さんは画面を指さした。「ここに笠原東十一ビル二Fが映っとるやろ。雑居ビルのワンフロアが校舎のようやな」
「たしか学校には設置基準があったはず。法律で定められた面積や設備が必要なはずよ」
「ウチも変だと思う。雑居ビルのワンフロアが校舎というのはありえへん」
「存在位置も変よ。そのビルは東京都の笠原にあるみたいだけど、あんな風俗街に学校なんて建てられるの? 学校には立地基準もあったはず。風俗街に学校の設置許可が出るとは思えないわ」
「アンタの言うとおりや。笠原は日本一の風俗街や。あんな場所に行政から学校の設置許可が出るなんてありえん。そもそも、風俗街に学校を建てようとは思う発想自体がおかしいやろ」
「ほかにも変な部分があるわ。三波学園高等部笠原校には学校の地図記号が見当たらないわ。○の中に文が入っている記号ね。ほかの学校にはちゃんと地図記号が載ってるのに」
「そうやな。三波学園高等部には学校の地図記号が見当たらん」古田さんはパソコンを操作して、ストリートビューで笠原東十一ビルを表示した。画面上には、笠原東十一ビルが映っている。雑居ビルだ。多くの看板に混じって、三波学園高等部笠原校という看板も映っている。「しかし、三波学園高等部は現実に存在しとる」
私と古田さんのふたりで考えてみたが、三波学園高等部には妙な部分が多すぎる。
過剰としか思えない宣伝内容。しつこすぎる勧誘の電話。風俗街の雑居ビルのワンフロアという、あまりにも不自然な場所に設置されている校舎。三波学園の公式ホームページによると、笠原以外にも、日本全国津々浦々に校舎を設置しているようだ。笠原校と同様、ほとんどが雑居ビルのワンフロアを間借りしているだけの校舎だ。そして、そのすべてに存在しない高校の地図記号。行政による三波学園の存在を否定。
古田さんはパソコンの電源を落とした。
「ウチは担任の先生にお願いして、三波学園高等部を調べてもらっとる。先生は俺に任せろと快諾してくれた」
あの先生だったら調べてくれそうだ。体育教師だけあって行動力が異常だ。
「私たちも調査を開始しましょう。どこから手をつければいいのかしら?」
調べなければならないところが多くある。事件現場、三波学園高等部笠原校、犯人の足取り。
古田さんは立ち上がった。
「なにはともあれ、確実なところから調査するのがええやろ」
「確実なところ?」
「泉さんが住んどったアパートや。事件現場や。アパートの位置は特定済みや。近隣の住民への聞き込みは捜査の基本やろ。近隣の住民ならば、情報のひとつくらいは持っとるはずや」