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03

 古田さんに腕を引っ張られるようにして、電車から降りた。捕まれた腕が痛い。彼女のどこにそんな力があるのだろうか?

 彼女はブツブツと独り言をいっているし、様子が普通じゃない。こんな状態で警察に行っても、体よく追い返されるのが関の山だ。

 村田区警察署へ入る前に、彼女を落ち着かせる必要があった。

 警察署の前には、ちょうど喫茶店があった。実にいい配置にある店だ。もしかしたら、私たちのような客が目当てなのかも知れない。意識して観察すれば、立地条件には意味があることがわかる。

 警察署へ向かって歩きながら、少し休憩することを古田さんに提案した。彼女の手を取り、半ば強引に喫茶店へ入店した。

 平日の午前十時とあって、店内にはカップルが一組座っているだけだ。彼らは己の携帯を見つめたまま、互いに一言も言葉を交わしていない、実に奇妙なカップルだ。

 古田さんを落ち着けるために、コーヒーをふたつ頼んだ。カフェインで逆に昂奮するかもと思ったが、手遅れだ。

「あのねえ、古田さん」私はコーヒーを一口啜った。「少しは落ち着いたら? 少しは冷静になってよ」

「ウチはじゅうぶん落ちついとる」古田さんもコーヒーを一口啜った。

「落ち着いてなんかないわよ。あなたは自分がしたことを理解しているの? 平日の朝の授業前に無理矢理連れ出すことが落ち着いた行動といえるの?」

「逆に訊きたいのはウチのほうや。アンタ、ウチがこんなことをする理由がわからんのか?」

「サッパリわからないわ」

「アンタが泉さんの殺人事件を調べなきゃならん理由が、わからんのか?」

「わからないわ」

「ホンマにわからんのか?」古田さんは身を乗り出すと、私の目をのぞき込んできた。

「単刀直入に言ってよ。時間の無駄よ」

「泉さんのことをイジメとったのアンタやろ」

 古田さんは両手でテーブルを叩いた。その拍子でコーヒーカップがひっくり返った。私のカップも、古田さんのカップもだ。あちらこちらに、コーヒーが飛び散った。かなりの騒音だったようで、奇妙なカップルも携帯いじりを止めて、私たちの方を見ている。

「ちょ、ちょっと待ってよ」

 どうやら、なにか重大な勘違いがありそうだ。私たちのあいだには、見解の相違があるようだ。

「アンタ、泉さんのことを教室で殴ったやろ。それに思い切り蹴っ飛ばしたやろ。あれはイジメと違うんか?」

 ようやく古田さんの主張が理解できた。彼女は勘違いをしているのだ。それも痛々しい勘違いだ。だれが被害者で、だれが加害者かを、彼女は理解していないのだ。誤解は解かねばなるまい。

「ねえ、古田さん。まずは冷静になって、私の話を聞いて欲しいの」

「なんや?」

「私は理由もなく泉さんを殴ったわけではないの」

「そうなんか?」

「泉さんがくだらないことをしてきたのよ。それも向こうが先にね。私は反撃しただけなの。意味も無く殴ったわけではないのよ」

 机の落書きのこと、靴の画鋲のこと、髪にガムを引っ付けられたことを説明した。

 古田さんは私の話を聞いてくれたようだ。

「ふうん。そうか、そうやったんか」

「そうなのよ、被害者なのは、私なの」

 古田さんは人がよすぎるな、と思った。一歩間違えれば彼女がイジメられていた可能性だってあったのだ。

 なにかあったとき、私だったら反撃できる。実際、思い切り殴り返してやった。だが、古田さんにはできただろうか? 殴り返せただろうか? おそらく無理だったはずだ。彼女は殴り返せる人間ではないのだ。

 イジメなどがあったとき、刃向かうことが出来ない方が悪いといった意見がある。私はこの意見には賛成できない。これは力の強い者の意見だ。だれもが私のように反撃できるわけではないのだ。人は自分が出来ることを、他人にも出来るものと思いがちだ。それも、いとも簡単にできることなら、なおさらそう思いがちなのだ。

 やられっぱなしで反撃できず、だれかに相談することもできずに、泣き寝入りするしかない人もいるのだ。古田さんも、そのひとりのはずだ。

「古田さん、聞いてほしいの。泉さんはね、なるべくしてなったのよ。ああいった人たちには相応の最後なのよ。君子危うきに近寄らずというし、一番なのは関わらないことよ」

「ウチには理由がある」

「ないわよ。一切ないわ。断言するわ。さ、学校に戻りましょう。急いで学校に戻れば、午後の授業には間に合うわ」

「ウチな」古田さんはうつむいて言った。「ウチはな」

「なに? 時間は大切よ」私は椅子から立ち上がった。

「ウチ、泉さんのことをイジメとった」

「え?」

「ウチは泉さんのことをイジメとった」

「どういうこと?」私は椅子に座り直した。

 呆然としている私をよそに、古田さんはだれかに向けて語り始めた。彼女がだれに向けているのかは、私にはわからない。

「ウチな、小学校のころな、家庭がうまくいってなかったんや。ウチからすれば、ウチは普通の家庭だったと思っとる。一軒家住まいで、両親と子供ひとりの三人暮らしやった。

 それがある日な、父親が急に家出したんや。なんの知らせもなく、本当に急にフッと消えてしまったんや。

 ウチは最初、ちょっとした夫婦間のケンカかなと、思っとったんや。両親がケンカすることがよくあったし。

 そやけど、一週間経っても父親は帰ってこなかったんや。連絡すら一切取れんかった。携帯に繋がらなかったんや。

 おかしいと思って調べてみたら、とんでもない事実が発覚したんや。ウチの父親はギャンブルにのめり込んどった。借金をしたり、会社の金を横領したりしてまでギャンブルしとったんや。

 ウチには信じられんかった。ウチの父親は決して悪い人ではなかった。間違いなくいえる。普通のサラリーマンをしとったし、ウチの勉強をよく見てくれとったし、ギャンブルにのめり込むような人間には見えんかった。

 ウチはギャンブルのことはよくわからん。そやけど、ギャンブルが娯楽とかいう話は嘘や。絶対に嘘や。ギャンブルとかいうもんは、善良な父親を破壊したんや。ウチの家庭を崩壊させたんや。

 父親が逃げたのは、最後の良心だったと、ウチは思うとる。家族に迷惑をかけたくなかったんやろ。

 実は、借金をするだけやったら犯罪やない。合法的に借りとったし、返済すれば罪にはならん。

 そやけど、横領だけは別や。アレは犯罪や。民事事件ではなく、れっきとした刑事事件や。弁償すれば済む問題ではない。弁償したとしても、刑事罰が待っとる。最悪、家族にまで警察の手が伸びる。

 父親が勤めていた会社も、被害届を出す直前やった。

 そやけど、直前で助かったんや。

 母親が尽力して、金策に努めて、なんとか弁済しようとしたんや。家財一切どころか、持ち家まで売却したくらいや。

 会社側も面倒なことは嫌だったろうし、「不幸な勘違い」があっただけで済んだ。まあ、被害額の三倍も払えば当然やな。地獄の沙汰も金次第や。

 母親は自分を責めとった。父親とケンカすることもあった。口論もあった。とどのつまり、自分が相談されるような人間になれなかったと。だから、父親ひとりで悩ませることになり、こんな事件に繋がったんだと。

 だが、クヨクヨ悩んだところで、どうにもならん。どうあがいても、時計の針は戻らんし、金も入らん。

 それに、生活もしなきゃならん。自分の生活を打ち立てなきゃならん。学生のウチまで抱えとったから、母親は大変やった。 

 地元では噂が立っていた。父親が家族を捨てて逃げたという噂や。地元で生活していくことは無理やった。なんだかんだで、もっとも怖いのは周りの人間や。

 そこで、気分一新と、東京まで引っ越してきたわけや。引っ越しは簡単やった。自宅はもちろん、家財もなかったからな。重荷と言えるのはウチだけやった。

 時期もよかった。ウチがちょうど小学校を卒業した直後で、タイミング的にうまい具合に中学に入るかたちになった。

 引っ越しはホンマに上手くいったわ。

 そういうわけや。

 スマンな。前置きが長くなって。

 本題に入る。ウチが泉さんをイジメていた話や。

 いまいったとおり、ウチの母親は過労と心労で倒れそうやった。そんな状態で、ウチがトラブルを起こしたと聞いたら、ホンマに倒れてしまう。

 そやから、ウチは中学でトラブルを起こしたくなかった。何事もなく、無事平穏に過ごしたかったんや。

 教室の隅で本を読んで、学費がかからないように必至で独学で勉強する。これがウチの処世術やった。

 アンタが泉さんを殴って教室が騒然となっとったときも、ウチはひたすら教室の隅で読書に没頭したフリをして誤魔化しとった。

 そんな慎ましい生活を送っていたとき、ニヤニヤ笑う同級生の女がウチの元にやってきたんや。

「泉さんってムカつきません?」

 こんなことを、ゆうとった。

 ウチだってアホやない。ニヤニヤ女がなにをしたいのか、即座に理解したわ。イジメなんてアホなことや。卑怯者のすることや。

 否定するどころか、反論したいくらいやった。その場で、ニヤニヤ女を思い切りぶん殴ってやりたいくらいやった。

 しかしな、ウチにはウチの家庭の事情があった。苦しんでいる母親に、迷惑をかけたくなったんや。

 だからな、ウチな、そのな、あの女にな、

「はい」

 と、答えたんや。ホンマにそれだけや。

 ウチは泉さんを直接イジメはしなかった。ただ、黙って見とっただけ。

 泉さんは、金を巻き上げられたり、みんなから無視されとったけど、ウチは一切関与しなかった。本当に見ていただけや。傍観者や。

 そやけど、こんなの言い訳や。

 イジメられてるのを知っていながらなにもせんことは、イジメに参加しているのと同義や。なにもいわない傍観者も、イジメっ子となにひとつ変わらん。

 家庭環境なんて言い訳にならん。

 結局、ウチは泉さんがイジメられているのに、助けもしなかった卑怯者や。それだけや」

 私にはどう答えていいかがわからなかった。

 店員さんがやってくれたのだろう、いつの間にかテーブルは綺麗に拭かれ、コーヒーカップがふたつ新しく置いてあった。

 私の沈黙をよそに、古田さんは鞄を開けるとなにかを取り出した。財布だ。

「アンタには理由があったんやろ。スマンかったな」彼女は財布から紙幣を取り出すと、数えもせずにテーブルに置いた。「これで許してくれ。ろくすっぽ確認もせずに実力行使に出ることは悪いことや。一度確認しておくべきやったな。少し確認するだけでも、アンタに面倒はかけなかったはずや。アンタの貴重な時間を浪費してしまった。すまんな、受験生なのにな」

 古田さんは財布をしまうと、立ち上がった。

「ウチはこれからひとりで調査するわ。もう一度言うけど、ホンマにすまんかった」

 退店する古田さんを見ながら、机に置かれた紙幣を確認した。四千円だった。おそらく、ここのコーヒー代は、ふたり分合わせても千円以下だ。

 泉ケイのことを思い返してみた。泉ケイは私に謝ってきたことがあった。私が無視しても、彼女は頭を下げたままだった。

 あのとき、私が許していれば、泉ケイは死なずに済んだのだろうか? このような結末にならなかったのだろうか?

 いや、ありえない。泉ケイのような人間は、ろくな死に方をしないはずだ。結末は変わらないのだ。そのはずだ。

 しかし私は、髪が以前と同じロングストレートまで伸びたら、泉ケイを許すと決めたはずだ。

 古田さんは警察署へ向けて歩いている。おそらく古田さんは、本当にひとりで調査するつもりだ。

 彼女ひとりだけで危険ではないだろうか? このまま見過ごしたら、彼女も巻き添えを食らう可能性もある。

 まあいい。泉ケイなんがどうでもいいが、古田さんが危なそうだから彼女の手助けをするため。そう自分に言い聞かせると、自費で喫茶店の支払いを終え、退店し、古田さんを追って、こんどは私が彼女の手を取った。

 四千円も返さねば。

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