28
男は延々と説明を続けている。三波学園の素晴らしさと、私たちの入学を急かす宣伝を、延々と続けている。終わりそうもない。
胡散臭いな、と私は思った。宣伝が過剰すぎる。インチキ臭い。
掃除も整頓もされていない掃きだめのような事務所と、男が熱弁している美辞麗句にまみれた宣伝話には、相当の懸隔がある。風俗街にある雑居ビルのワンフロアを間借りしただけの薄汚い事務所で、素晴らしい宣伝話をされても、説得力に欠ける。逆に、胡散臭さが倍増している。
こんな話を信じる人がいるのだろうか? 男は先ほど、私たちを含めてこれで合計十六人と言った。私たちの前に、十四人もの生徒と保護者が騙されたのだろうか? 十四人もの人間が、この胡散臭い話を鵜呑みにしたのだろうか?
とはいえ、私たちも男を騙している真っ最中だ。男は、私たちが入学希望者だと完全に信じ切っている。
たしかに、人は簡単に騙される。いつかの泉ケイも騙されたのだろう。この胡散臭い話を信じ込んだのだろう。
一緒に説明を受けている古田さんも、私と同じ考えのようだ。男を訝しんでいる。彼女は男の話を聞きながら、汚い事務所を見渡している。天井――薄暗い――を見て、壁――ポスターや合格者一覧が魔除けのように張られている――を見て、男――熱弁中――を見て、そして、ある一点で目を止めた。ゴミが満杯になっているゴミ箱だ。
古田さんに釣られて、私もゴミ箱に目を向けた。凝視すると、ゴミの山のうえには、なにかがあるのがわかった。ビリビリに割かれた、白い小さな紙片だ。目を凝らすと、文字が読み取れた。警察の二文字だ。あの紙片は、警察の名刺だ。
警察がここに来たのだ。警察は三波学園高等部を調査したのだ。警察も三波学園を怪しんでいるのだ。警察は泉ケイと三波学園の関係を疑ったのだ。
男からすれば、警察の調査は迷惑だったはずだ。警察から貰った名刺の扱い方が、その証拠だ。丁寧に扱うどころか、ビリビリに破り捨て、ゴミ箱に捨てたのだ。
男にとっても、三波学園にとっても、殺人事件は非常に迷惑な話だったのだろう。
あまりにも不適切な設置場所、胡散臭い男と胡散臭い宣伝、警察の捜査。これらを情報を勘案すると、泉ケイは三波学園でなにかに巻き込まれた、という結論に至る。
私の思考をよそに、男の説明は止まらない。彼は三波学園への入学を勧める宣伝に終始している。どうやら宣伝以外は聞けそうにない。
そろそろ、本題を切り出す頃合いだ。泉ケイの話を聞き出すのだ。
それでも、いざ切り出そうとすると、ためらってしまう。
この男の必至さには、哀れさと滑稽さが漂う。男は、口臭と唾液をまき散らしながら、熱心に勧誘している。当然だ。目の前に二匹もカモがいるのだ。必至にもなる。
この男にも、仕事や生活があるのだろう。あのとき、ああしておけばと思っている人間なのだろう。
男は二枚の紙を取り出した。入学願書と書かれている。私と古田さんの分だ。男は勝手に願書を埋め始めた。私たちに断りも入れずに、志望動機を埋め始めたのだ。慣れているのであろう、綺麗な字で手早く書き込んでいく。
「僕が代わりに書いてあげるよ。ええと、君たちの名前や学校名を教えてくれるかな?」
入学願書まで代筆するなど、常軌を逸している。いくらなんでも、おかしすぎる。
もう、潮時だ。男の話を断って、真実を言うべきだ。私たちは泉ケイを調べに来たと、正直に言うべきだ。
だが、男の話を打ち切りづらい。これも勧誘の一手なのだろう、断りにくい雰囲気が醸成されている。怪しさを感じたものの、雰囲気に流されて、断り切れなかった人も大勢いたはずだ。
断ったら、危険もありそうだ。私たちが真実を言ったら、男は怒るはずだ。調査のためとはいえ、嘘をついていたのもマズイ。さらに男は怒るだろう。そんな状態で、泉ケイの話を聞き出そうとしたら、男はぶち切れるだろう。
なぜ、こんな事態になってしまったのだ。下手に嘘をつかずに、最初から泉ケイのことを堂々と聞くべきだった。後悔先に立たずだ。
いまさら悔やんでも遅い。泉ケイの話を聞き出すのは諦めよう。仮に訊ねたとしても聞き出せないだろうし、相手を怒らせるだけだ。
最優先事項はここからの脱出だ。
どうやって逃げ出そうとかと頭をフル回転させている私を現実に引き戻したのは、男の動作だった。彼は両手で頭を抱え込むと、髪をかきむしり始めた。その動きは、油を差しすぎた機械を思わせた。
「ここで君たちに残念なお知らせがあるんだ。実は、君たち、三波学園高等部に入学できないんだ。大変申し訳ないんだけど、募集人数がオーバーしているんだ。生徒の募集人数は百人だったんだけど、百五十人も応募者がいて、すでに定員オーバーなんだ。三波学園は困った生徒を助けたいから、全員入学させてあげてしまって、君たちが入学できる余地は、もうないんだ」
百五十人? 定員オーバー? まだ十四人しか集めていないはずだが。
「さらに君たちに残念なお知らせがあるんだ。すでに期日が過ぎてしまったんだ。入学願書の締め切り日は三日前だったんだ。応募時期が過ぎてしまったんだ。君たちはもう申し込めないんだ。三波学園に入学できないんだ」
期日? 締め切りは三日前? 随時入学を受け付けているはずだが。
「だけどね、君たち、いま、ここで、この場で、このときに、入学を決定すれば、三波学園へ入学できるかもしれないんだ」
私たちの目の前には、男の手によって勝手に埋められた入学願書があった。空白なのは名前欄だけ。
「入学願書の名前欄に自分の名前を書くだけでいいんだ。それだけで入学できるんだ。これが高校卒業のラストチャンスなんだ」
古田さんは意を決すると、ペンを取り、名前欄に自分の名前を記入し始めた。「古」の一画目である横線を書き、二画目である縦線を書き、その下に口を書いた。こんな状況なのに古田さんが書く字は綺麗だ。どうやら彼女は、いかなるときでも、どんな状況でも、字を綺麗に書く習性があるようだ。「古」を書きおえると、次に「田」を書いた。が、最後の一画を書き終えたとき、手が止まった。少し間があり、彼女の幾分うわずった声が聞こえた。
「ウチらは入学希望者やない。嘘をついたことは謝る」
「え? な、なんだって」男はどもった。
「ウチらの本当の目的は、泉さんの情報や。ここに泉ケイという名の生徒が通っていたやろ。殺人事件に遭った生徒や。アンタも知っとるはずや。警察が調べに来たんやろ。知らないはずはない。なんでもええから、泉さんの話を聞かせ、きゃっ」
古田さんは最後まで言い終えなかった。言い終えられなかったのだ。机越しに、男に胸ぐらを掴まれたのだ。体が浮き上がるほどだ。胸元のボタンが飛んだ。
年相応の少女の、可愛らしい短い悲鳴が聞こえた。嗜虐心をそそるような声だ。古田さんの内面が見える。彼女は弱い人間なのだ。無理をしているのだ。灯火のような勇気を奮い起こしたのだ。
ところで、私は、なにをしている?
なにもしていない。
なにかをすべきだ。だが、足がすくんで動けない。
男はなにかを言いたげだったが、上手く口に出来ないようだった。男の悪意は、あまりに巨大で、多い。裏切られ、嘘をつかれ、無駄な徒労、面倒な話、課せられたノルマ。全身に溜まった複数の巨大な悪意が、喉元を駆け上り、一挙に男の口から飛び出しかけたのだ。が、悪意が口から出ることはなかった。悪意は、あまりに大きすぎて、あまりに多すぎた。悪意は口元で詰まったのだ。男の口から出られたのは、タバコの異臭だけだ。
しかし、悪意は容易には消えない。自分自身で解消できないのだ。口が駄目なら、ほかの部分へ行くのだ。
男の悪意は、彼の顔へ向かった。目から、鼻から、髪から、耳からも悪意が吹き出た。狂気の表情だ。
次に悪意が向かった先は腕だ。手だ。指先だ。
男は、古田さんの胸ぐらを掴み上げたまま、入り口へ向かった。ドアまで着くと、力任せに古田さんを投げ飛ばした。
かなりの衝撃だったにも関わらず、聞こえたのは布の擦れる音と、鈍くて低い音だけだ。近くに居合わせなければ、だれも気づかないほどの音だ。実際の被害と、それを見聞きした周囲の人間が受ける印象は、往々にして一致しないものだ。古田さんは悲鳴を上げないし、雑居ビルの薄汚い廊下も悲鳴を上げない。だれも気にしない。
古田さんは倒れて動けない。大怪我をしたようには見えないが、助けねば。
それでも、私の体は動かない。動けないのだ。まるで、足を杭で打ち付けられたようだ。男が恐ろしい。
男は、立ちすくんでいる私を睨めつけてきた。異様な足音を立てながら、男が近づいてくる。次は私の版なのだ。私が被害に遭うのだ。私が痛い目に遭うのだ。
すると突然、体が動いた。なんの障害もない。いままでの金縛りが嘘のようだ。軽やかに男の脇を抜けると、私はドアの外に出られた。
他人の恐怖にはなにもできないが、自分の恐怖にはなんでもできるようだ。結局、私も自分が大切なのだ。
背後で、全身で聞き取れる爆発音がした。振り返って、舞い散るホコリと、閉じられたドアを見て、ドアを閉める音だったと、ようやく気づけた。男の悪意はドアへ向かったのだ。
「糞ガキどもが」男の悪意は、やっと口から出られたようだ。「デマカセばかり、ほざきやがって。なにが入学希望者だ。嘘をつくなって教わらなかったのか? 親がまっとうな教育をしねえから、あんなゴミが生まれるんだ。まったく、どいつもこいつもトラブルばかり起こしやがって。警察沙汰じゃねえか。こっちがどれほど迷惑だと思ってやがんだ。ろくすっぽ高校も卒業できない人間未満のバカガキどもは、黙って座ってレポート埋めてりゃいいんだ。なんで、それすら、できねえんだ。低能の畜生どもが」
私は断言する。この男は教員として失格だ。社会人としても失格だ。発言といい、行動といい、人間性を疑うレベルだ。この男は、トラブルそのものだ。ここでは、三波学園ではトラブルが日常茶飯事なのだ。
古田さんのうめき声が聞こえた。か細くて、近くに居合わせなければ、だれにも聞こえないほどの声だ。
三波学園の調査も重要だが、まずは古田さんを助けるのが先決だ。生きている人間を優先すべきだ。私は古田さんに近寄ると、彼女を抱き起こした。
「古田さん、大丈夫? かなり打ち付けたようだけど」
「大丈夫や」古田さんはハッキリと受け答えた。「ちょっと打っただけや。たいしたことない」
「でも」
「大丈夫や」古田さんは立ち上がり、両手で服のホコリを払った。「死んだわけやない。泉さんのような目に遭ったわけやない」
「本当に大丈夫なの? 酷く打ち付けたように見えたわ」
「大丈夫や。それよりも、三波学園の調査が優先や。泉さんはここでトラブルに巻き込まれたんやろ。泉さんは騙されたんやろ。アイツの宣伝に騙されたか、断り切れなかったんやろ」
「調査といっても、これ以上の調査は無理よ。あの男が答えてくれるとは思えないわ」
「そうやな。ウチらが聞けたのは、三波学園高等部とやらの宣伝話だけやったな。どうやって調査したら、っと、電話や。なんや、こんなときに」古田さんは携帯を取り出すと、通話ボタンを押した。受け答えは、十秒で終わった。「先生からや」
「先生? さっきの男?」
「そうやない。ウチらの担任の先生や。ウチは先生に調査を依頼しとったやろ。先生は調査してれくていたみたいや。ある程度、調べが付いたって」




