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ピジョンスクールに入所していたみんなは、所長のことを「獄長」って呼んでいたね。監獄の「獄」に、所長の「長」さ。意味はそのまんま。この呼び方を聞いただけで、ピジョンスクールの実態が大体わかると思うんだ。
え、なに、獄長の本名? 覚えてないね。本当さ。元々知らないから、覚えようがないさ。
ピジョンスクールのホームページには、獄長の華々しい経歴が書かれていたのは知ってるよね。あれはデマカセばかりで、ぜんぶ嘘っぱち。獄長の本当の経歴を載せたら、だれだって敬遠しちゃうから、載せられないさ。
獄長はさ、大学時代に学生運動に参加していたらしいんだ。安保闘争とか、連合赤軍とか、そんな感じの運動。
一昔前だったら、あ、いや、二昔前だったら学生運動も周囲の賛同も得られたのだろうけど、いまの時代、そんなの流行らないからね。そのころのエネルギーを持てあましていたのだろうね。
だから、獄長はピジョンスクールを創設したわけだ。自分を受け入れてくれる世界がなければ、自分で作ればいいとね。己の手で、己の理想の王国を打ち立てたんだ。
ジョゼフ・コンラッドの闇の奥とか、フランシス・フォード・コッポラの地獄の黙示録みたいな話さ。獄長自身が、王国に飲み込まれたんだ。
ピジョンスクールの施設は刑務所や監獄と同じだったね。妙に広い土地が、高さ三メートルくらいの塀で囲まれていたんだ。高さ三メートルの塀だよ。どうやってあんな施設を建造したのか、いまでも謎だよ。警察の人ですら首をかしげていたくらいだし。
さらに、塀の上には鉄条網が張ってあった。普通の鉄条網じゃないよ。米軍で使っている特殊な鉄条網さ。トゲではなく、カミソリみたいな刃がついてた。触ると大けが間違いなし。あんなものをどこで手に入れたのかも謎だよ。
入所者が住んでいた建物は大きなプレハブ小屋だったね。合宿所という感じかな。個室はなくて、共同部屋。窓は鉄格子つきで、扉は外から鍵をかけられていた。
僕が連れ込まれたころの入所者数は七十人くらいだったかな。みんなそれぞれの事情を抱えていたよ。家庭環境や、病気や、不登校とか。
全員に共通していたことは、全員が金持ちの子供だったという点さ。理想も結局は金さ。
ピジョンスクールでは基本的に集団生活をしていたね。軍隊式ってやつかな。獄長曰く、正しい生活らしいけど。
朝早く起きて、朝食を五分以内に食べて、昼食抜きで内職や農作業みたいな仕事に晩まで従事させられて、晩ご飯を五分以内に食べて、みんなで寝る。昼食や勉強は皆無だった。
獄長はケチだったね。とにかくケチだった。日常生活における生活費を理論上限界まで削ったね。
入所者全員が同じ服を着ていたんだ。ジャージの上下さ。サイズはすべてが同じだった。獄長が一括して仕入れたんだ。下着は全員共有だったよ。
大自然での生活と叫んで、電気を極力使わせなかったね。電灯はもちろん、家電もロクに使えなかった。唯一使えた家電は冷凍庫くらいさ。
獄長は環境保全も重視していたね。お風呂は夏場には二日に一回、冬場には五日に一回だけだった。お風呂といっても、湯船にお湯を張るんじゃないんだよ。手洗いとかで使った生活排水をドラム缶に溜めて、薪で火をおこして沸かしたんだ。
もちろん、残り湯は捨てないで、洗濯に使った。洗濯機が使えなかったから、手洗いだった。洗濯に使った水も、当然のごとく保存した。トイレを流すために使うんだ。余談だけど、使用するトイレットペーパーの長さまで決められていたよ。
男はともかく、女の子は大変だったよ。生理用ナプキンすらなかったんだから。ティッシュやトイレットペーパーとかで代用できるみたいだけど、使う長さが決められていたからね。古くなって、二度と着られないような服を切り裂いて、自家製ナプキンを作っていたよ。
素晴らしい環境保全だったよ。七十人で生活していたのに、光熱費は月四万円で収まった。
食事は基本的に廃棄弁当だったね。獄長が定期的に調達してくるのさ。近所のスーパーや工場から、売れ残って余った弁当を、農業に使う肥料にするという名目で手に入れていたんだ。タダで貰うどころか、処分費用まで請求していたんだから、ある意味凄いよ。
施設にはバカでかい業務用冷凍庫が数台あったんだ。閉鎖された冷凍工場から譲り受けたって話だよ。その冷凍庫のなかには消費期限切れの弁当が山ほど詰まれていたんだ。乱雑に積まれていたから、数年前の弁当が入っていたくらいだよ。その弁当を自然解凍させて食べていたわけだ。電子レンジなんて獄長しか使えなかったからね。
味は察してくれるとありがたいよ。僕はそれをさらに茹でこぼして食べなきゃいけなかったから、最悪だったよ。この弁当のせいでトラブルが起きて、結果的に施設から脱出できるなんて思いもしなかったけど。まあ、これは後の話だ。
仕事は基本的に農作業だった。無農薬の野菜を作っていた。獄長はその野菜を売りさばくというシステムだった。野菜は非常に高値で売れていたみたいだよ。施設云々とか、無邪気な子供達が作ったとか、無農薬といえば、宣伝になったのだろうね。だれだって、不幸話には弱いからね。少しくらい寄付もしたくなる。
こんな生活を続けるわけさ。すると、みんな思考停止に陥って、洗脳状態になるんだ。みんな王国の一員になるわけさ。みんな思考停止の状態で王国の仕事を手伝って、王国は繁栄するわけだ。
獄長は入所者を利用して多大な利益を上げていたのにも関わらず、さらに保護者に多額の費用や寄付金を請求をしたんだ。
請求する金額は入所者によって違ったね。入所者の家族の経済状態ごとに請求する生活費を変えていたんだ。獄長はさじ加減が上手かった。非常に裕福な家庭には、月に百万円も請求していたくらいだし。
施設での生活が困らないようにと、保護者からの差し入れがときどきあった。テレビとか、布団とか、食品とかね。ぜんぶ獄長が奪い取って、食べ尽くしたけど。
保護者の善意につけ込んだ獄長は、高級外車を要求したくらいさ。なんの疑問も抱かずにプレゼントしちゃう保護者もアレだけどね。
これがピジョンスクールの実態だった。
ユートピアという言葉を知ってるよね? 理想郷という意味で、だれもが知っている言葉さ。だけどさ、本当のユートピアがどのような場所であるかを、みんなは知らないんだ。ユートピアという小説を読んだ経験のある人は少ないと思うんだ。トマス・モアのユートピアを是非とも読んでほしい。ピジョンスクールは、まさに小説中のユートピアだった。
ところで、なんでこんな施設から脱出しなかったのかって?
脱出しなかったんじゃないんだ。できなかったんだ。
外部と連絡できる手段は、獄長の携帯だけだった。パスワードが掛かっていて、奪っても無駄だった。月一くらいで家族に電話もできたけど、常に獄長が真隣で見張っていた状態での通話だった。変な事を喋られると困るからね。
施設を囲っている塀を跳び越えるのは無理だった。高さが三メートルもあったし、鉄条網もあった。施設の出入り口はひとつだけだったし、施錠されていた。鍵は獄長が厳重に管理していた。
たとえ、施設の外に出られたとしても、困難が待ち構えていたんだ。施設は山奥にあって、近隣の住宅まで五十キロもあった。歩いて五十キロも移動するなんて、考える時点で間違いさ。
それでも、脱出を試みた入居者はいたんだ。塀を乗り越えようとしたんだ。
逃げようとした人を、獄長は即座に捕まえた。
入所者全員の目の前で、見せしめとして罰を加えたんだ。
獄長のオシオキは酸鼻の極みだったよ。
顔面を痛めつけると傷跡でばれるという理由で、背中を痛めつけるんだ。背中なんて、だれも見ないからね。見えない出来事は、存在しないのと同じさ。
素手で殴ると怪我させちゃうから、道具を使ったんだ。ベルトを三枚束ねて作った、自家製の鞭さ。鞭の先は赤黒く染まっていて、擦り切れていたよ。
獄長は脱走しようとした人を、その鞭で滅多打ちにしたんだ。手加減なしで滅多打ちにしたから、その子の皮膚が破けて、出血して、あたり一面が血まみれだったよ。
悲鳴はなかった。その子は気絶しちゃって、悲鳴を上げられなかったんだ。
見ていた全員が、なにも言えなかったよ。歯をガチガチ鳴らしていた子もいたし、足をガクガク震わせてた子もいた。
しかも、そのまま丸一日放置したんだ。翌日には、得体の知れない虫が傷口に大量に湧いてた。
見せしめの効果は絶大だった。だれもなにも言えなくなった。みんなが獄長に従った。
僕も例外じゃないさ。僕も獄長に従った。僕も王国の一員になったんだ。
前置きが長くなって悪いね。けど、いまの話は泉さんと関係があるんだ。
殺人事件という結果は、点ではないんだ。線の最後の部分なんだ。途中が一部分でも途切れていれば、防げるんだ。事件は防げていたんだ。泉さんは殺されずに済んだんだ。
警察の人の受け売りだけどね。
さあ、では本題である泉さんの話に入ろう。




