タイムトラベル
「こやつですか!あろうことか姫様の寝所に潜んでいたという不届き者は!」
鬼もかくやという真っ赤な怒りの形相で日本刀を振り回して近づいてくる男を見て、
俺はもうすっかり生きる希望というやつを投げ捨ててしまっていた。
俺が今いるのはどこかの城の中層に位置する小部屋。
座敷牢のように畳の敷かれた床を木の檻で囲んだその中に放り込まれた俺には
この侍然とした風体の刀男とやり合う手段は残念ながらなかった。
俺が唯一この時代に持ってきた仕事道具――大木でも一刀両断できる
恐ろしい切れ味の片手斧――はここに幽閉されるまでのドタバタ騒ぎの間に
俺の手から零れ落ち、今はこの侍男の腰の後ろに縄でくくりつけられている。
まさに万事休す。死の旅立ちまでのカウントダウンが少しずつ少しずつ
減っていっているように感じるのは気の迷いでもなんでもない。
そうしている間にも遂に男の手が、その延長の刀身が檻の隙間を通り抜けて俺の喉元へ・・・
「待て、兵吉」
間一髪、かけられた制止の声は少女のものだった。恐る恐る、俺は固く瞑っていた目を開けた。
よかった。どうやらまだ首は胴体にくっついたままのようだ。
「これ兵吉よ、わらわは決して急いでこの者の処遇を決めるなと申したはずであろう。
曲がりなりにも人の命、あからさまに怪しいものだとしても
軽々しく扱うことをわらわは許さぬぞ?」
声の主は豪奢な着物を身にまとった女の子。歳はよく分からないが、
見かけに比べて言っていることはだいぶ大人びているように思える。
どうやらこの子が処刑寸前の俺を救ってくれたようだ。なんと寛大な器の持ち主だろう。
「し、しかし姫様!こやつの風体は明らかに常人とは違っております。
もしやどこかの国の間者か、さもなくば天狗の類ということも・・・」
「あー悪いんだけどそれはどっちも外れてるぜ、おっさん」
ようやく口を挟める空気になってきたのを俺は見逃さない。
こういう訳分からん状況ではなるべくさっさと事情説明を済ませて
誤解を解いた方がいいんだ。
「貴様、何を申すつもりか」
おっさんの――さっきから姫さんが呼んでいるところの「兵吉」さんの声は
恐ろしいまでに低い。威圧感に満ち満ちたそれに腹の底の方から
冷却されていくような感覚に襲われながらも、なんとかそれが表情に出るのだけは
食い止めて俺は勝手に自己紹介を始めさせてもらうことにした。
「えっと、まず俺の名前は『ベッドの下の男』。少し長いけど
まだ個人名は付けてもらってないんでこれで勘弁してな。
で、次に俺の仕事なんだけどこれも『ベッドの下の男』。
なに、言ってる意味が分からん?兵吉さん頭固いなぁ・・・って姫さんも分からない?
もっと丁寧に分かりやすく説明しろって?ハイハイ分かってますよ、
今のは自分でも流石に端折り過ぎだったと後悔してますよ。ん~じゃあそうだな、
どっから説明したもんか・・・よしっ。じゃあまず姫さんに一つ質問。
『ベッド』って知ってるか?知らない?そりゃあそうだよなぁ
なんたってここ戦国時代初期の片田舎だもんなコンチクショウ!!
あ?泣いてねぇよ。大丈夫だよ姫さん俺全然泣いてねぇよ・・・(グスン)・・・
あ~、で、どこまで話したっけ?あぁそっかベッドについてまでか。
えっととりあえずベッドってのはあれだ、寝具の一種だ。
外側に木なり金属なりの枠があってその上に布団が乗ってる西洋式の・・・
この時代なら南蛮式って言えばいいか?とにかくそういう寝る道具があんだよ。
で、その下の空いてる空間に斧持った男が潜んでるっていう都市伝説が
未来にはあってな、俺はその都市伝説から生まれた存在・・・簡単に言えば妖怪だな。
おいこら兵吉さん、いきなり刀抜かない。妖怪でも今の俺は丸腰なわけで
そんな相手斬ったら武士失格よ?
それで、だ。都市伝説由来の妖怪ってのは『自分で次どこに顕現するか選べない』って
厄介な特性があってな。俺の場合今どきの――あぁここで言う『今どき』は
俺がもといた時代な?こっから何百年もあとの未来。
とにかく今どきの家ならベッド率は十分高いし、どこに行くことになっても
大丈夫とか思ってたわけよ。なのに今回顕現したと思ったらまさかの戦国時代だもの!
ベッドなんてあるわけないもの!そもそも時間超えちゃってるもの!!
・・・と、まぁこんなわけでうっかり・・・でもないんだがまぁ予想も望みもしない
時間旅行に巻き込まれた俺は『ベッドの下に隠れて気付いた人間を驚かす』という
権限終了(=次の場所へ移動)条件を満たすこともできなくなり
この時代に骨をうずめるしかなくなったのでしたと。
すんません、やっぱ自分で言って辛くなってきたんで泣いていいですか」
情けない俺のそんな弱音にしかし姫さんは「構わぬ」と深く首肯してくれた。
その背後では兵吉さんも少し表情から険しさを消してきてくれている。
正直俺が一方的に喋りまくっただけでこの二人には内容の何割も
正確には伝わっていないのかもしれない。けれど姫さんは鍵を開けて
俺を座敷牢から出すと手を握り「大変だったのだな・・・」と優しい声で慰めてくれた。
それだけでなんだかさっきまで自暴自棄になって失いかけていた
「生きる気力」みたいなものが回復してきたような気がした。
その時、事件は起こった。
バン!という鈍い音と共に狭い部屋の中に幾人かの黒装束の人間たちがなだれ込んできた。
数は全部で六人。顔をマフラーのような布で覆い隠したいかにもな忍者スタイルが
少年の心をくすぐる彼らはだが手に手に持ったクナイやら小刀やらを
俺たち三人へまっすぐに向けている。
ぶっちゃけ表情が読み取れない&数が多いだけにさっきの兵吉さんwith刀より
こっちの方が危険度はさらに高そうだ。
「姫さん、こいつらは?」
「さぁ?大方織田かどこかの回しものではないかのう。
いやぁこの時期になると次から次へと不法侵入者が湧いて困るわ」
なるほど、だから俺がいきなり寝室にの天井のあたりに顕現して落ちてきたときも
平然となさってたんですね、と普通に考えれば妙な形で納得する俺。
そうこうしている間に間合いを詰めてきていた忍者の一人が俺たちに斬りかかってきた!
咄嗟に隣の姫さんを右腕で床に押し倒しつつ、残った左腕で彼女を狙っていた小刀を
白刃取りしてやると初めて忍者に動揺の気配があった。
「斧を持った殺人鬼」という特性を含むだけに俺、というか『ベッドの下の男』という
妖怪はすべからく刃物の扱いにかけてはプロ級の腕前を持っている。
日常的には料理や散髪くらいにしか使いどころのないその特技を存分に生かし、
俺は奪い取った小刀でまず一番近くの忍者の足を狙う。弾くように投擲された小刀は
寸分の狂いなく忍者の太ももに突き刺さり、一瞬苦しみに動きが止まったそこへ
兵吉さんが刀の峰打ちを叩きこむ。比較的平和な時代からの来訪者である
俺はともかくとして、戦国時代の割にこのおっさんが本気で殺しにかからないのは
多分目の前で姫さんが見ているからだろう。逆に主君の目とか制止がなければ
酒の勢いで一晩に何人も殺しそうな極悪人面だ。
姫さんもよくこんな男を側近にしておいて安心していられるもんだ。
そうこうしている間にも俺と兵吉さんは
いきなり合わせたにしては上出来な連係プレイで次々に忍者を戦闘不能にしていく。
奴らが使ってくる刃物を俺が受け止めあるいは奪い取り、そこへ兵吉さんが
力任せにとどめの一撃を御見舞いする。その連続で六人中五人まで倒し終わると
最後に残った一人は状況の不利をようやく悟ったのか一目散に逃げ出していった。
意識を失ったままの仲間達は置いてけぼりだ。
「なんつーか、やっぱり現実の忍者って薄情なんすかね。
仲間回収しようともせずに逃げるとかクズじゃねぇか」
「そう見えるかもしれんが、忍にも忍の規範やらなにやら面倒なものもあるじゃろうし
一概に言うのも酷な話じゃぞ。あぁ兵吉よ、こやつらはさっさと地下牢に連れて行け。
よいか、殺すでないぞ」
「・・・承知」
納得いかんとでも言いたげな顔をしつつも呼びつけた部下たちと一緒に兵吉は
倒れた忍者たちを担いで連行していった。その様子をなんとはなしに眺めていたら
クイッ
と姫さんに服の裾を引っ張られた。
「なんだよ姫さん?」
訊ねると彼女はしばし「あー・・・」とか「そのー・・・」とか熟考するように
しばらく唸ってから決心したように俺をまっすぐに見て
「のうおぬし、しばらくわらわの下で働いてみぬか?」
そんな風に俺は突然に就職のお誘いを受けたのだった。
【21世紀のあるテレビ番組の冒頭】
「時は戦国。現在の東北南部から関西北部までという日本史史上に残る巨大勢力だった
○○家に仕えた一人の名将。勇猛果敢にして知略に富み、戦場では斧を振るい
政治の場では先進的な制度を幾つも投入。
そのまるで未来を予知していたかのような先見性は多くの人間を引きつけた。
本日の歴史特番は
『戦国一の将にして予言者?
出自不明の万能武将 別道下男の謎に迫ります』」