旅人の呟き
視点:ハージュ・ミ・クオン
Kha:j Mi-Kuon
あの怪我はたった三日で治った。その早さには、あたし自身とても驚いた。
「で、気分はどうだい、嬢ちゃん?」
「…まあ、悪くはないけどさ」
部屋のベッドはもう出て、居間の桟敷に座るあたし。目の前には例の親父が膝を折って座っている。もう『嬢ちゃん』なんて呼び名を訂正させるのは諦めた。どうせ直すつもりなどないのだろうから、この親父は。
「ならいいが、まだ完治はしてないんだからな。過度な運動はなしだ。特に火焔術の行使は」
「…火使えないなんて、嫌になっちゃう」
あたしは溜息を吐いた。親父に言われるまでもなく、今のあたしが火焔を操るなんて体への負担がかなり大きいのは承知している。でも、それよりも火焔使いとしてのプライドの傷つきの方が大きかった。
「火を使ってこそ私は私なの。それなのに、これじゃ…」
ぼやいていると、親父はこう言ってきた。
「…まあ、それが嬢ちゃんにとって一番の強みとあれば、確かに辛かろうな。俺もその気持ちは分からないでもない」
「…馬鹿言わないでよ。親父みたいな無属性者に、能力持ちの何が分かるっていうのよ?」
すると、今度は親父の方が溜息を吐いた。
「嬢ちゃんこそ馬鹿を言うんじゃない。無属性即ち無能力、なんて事は真理ではない」
「冗談でしょ。属性なしに能力なんか… ひゃう!」
苛立ち交じりにそう言って親父の目を見た途端、いきなりあたしの体から力が抜け、危うく床に背中をぶつけそうになった。
「事実、心に関する属性はない。意識操作に関しては、属性で習得出来やしない。その点は勘違いが多いな」
…うっかり失念していた。この親父、たった一睨みであのティオ・ハーグリップの馬鹿を気絶させていたのだった。
「…分かったわよ。勘違いは謝るわ」
一応詫びくらいは入れておく。でないと気が済まないから。
「でも、火のない火焔使いなんて、只の恥晒しじゃない。そんな馬鹿丸出しの間抜けだなんて、格好悪いわ」
「…若い奴が格好だの対面だの、そんなものばかり気にするんじゃない」
親父は溜息を吐いた。
あたしはそんな親父の言葉に少し気分がむかついた。
「あんたみたいなダサい親父なんかと比べないでよ。あたしはうら若き乙女なの」
「…乙女にしては、嬢ちゃんは多少生意気過ぎやしないか?」
「大きなお世話よ。始終よれよれの上着を羽織るあんたみたいな親父じゃないのよ、あたしは」
文句は頭の中から尽きない。言っても言っても、後から次々と湧き出してくる。
「大体何よ。年上だからって、若者に何でも指図できるなんて思ってるの?」
思うがまま不平不満を言い放っていると、親父もまた口を開けた。
「…なあ嬢ちゃん、お前は何か勘違いしてないか?」
「勘違い、って、何が?」
あたしには何を勘違いしているのかちっとも分からない。
「体調不完全で火を使うな、とは言った。だが、金輪際使うなとは言っていない」
「…だから何?」
「つまり、だ。もう少しだけ我慢しろ。高々数日間の我慢じゃないか。それすら出来ないというのなら、火焔使いの資格なしだ」
「分かったような口…」
「分かってない訳がないだろう? 私は医者だ。勿論あらゆる属性を対象にしての、だ」
親父は、焼けるような強い気を周りに放ちながら淡々と告げる。それがあたしに一瞬の恐れを識らしめた。
「…実際、体を壊しながらも能力を使おうとした奴等を今まで何人と見てきたが、大抵は結果として一生ものの傷を負った。もう少し酷ければ、能力を完全に喪ってしまった者もいる。挙句の果てには…」
その先はあたしにも想像出来た。吐き気がする程恐ろしい。幸い、あたしは未だ目の当たりにした事もないけれど…
「…ともかく、今までに無事だった例は一度たりとも無かった。自分の実力を超えてまで物事をしようなど、狂気どころじゃない。言ってしまえば凶気だ」
「…凶気?」
「ああ。凶器と化した狂気。身の滅びをもたらす最悪の精神と言ってしまって構わない」
親父はそう言って溜息を吐いた。
…あたしは浅はかだった。そんな悲惨なシナリオなんて全く頭に無かった。プライドだの何だの言ってたけど、結局は単につまらない意地を張っていただけ。でも、それが最悪の場合“死”に直結するだなんて聞かされたら…
でも、よく考えてみれば、そうとも限らないかもしれない。
「凶器、って言ったわね?」
ただ単に、今まで前例がなかったという、それだけの話である可能性も否めないのではないか。つまらない意地だって、張れば張るだけ強い自信のようなものになっていく。
「じゃあ、親父は凶器が常に人を殺すって言うの? 探せば生かす凶器だって少しはあるんじゃないの?」
すると、親父はこう言った。
「…大方小刀の事を言ってるんだろうとは思うんだが、違うか?」
「そうよ。鉛筆を削って、紐を切って、木を彫って… 世の中人を傷つける刄ばっかりじゃないでしょ?」
あたしは自信たっぷりで言ってやった。流石の親父でも、これだけ言えれば論破できるかと思っていた。
「…そう来ると思った」
けど、あたしは甘かった。
「これも勘違いしているんだろうが、役に立つのは只の道具だ。利益をもたらすものは凶器ではない。凶器は厄災をもたらし、人を傷つけるだけだ。役に立つ凶器なんてものは、端っからある訳がない」
そして、親父は今までで一番強い口調で言い放った。
「何にしても、暫くは能力行使を禁じる。これは医師命令だ!」
あたしはすぐ反論しようとした。でも、親父の眼が視界に入ってしまい、それっきり意識は飛んでしまったのだった。
ツゲフマ・ミ・ロクーネ、無の国のツゲフマ。医師のレカ・ロクーネです。
角刈りに口髭、やや皺の入った顔の中年男性で、普段から紺の背広と灰色のスラックス、その上から黄土のコートを着ています。丁寧な口調の礼儀正しい医師、というイメージが周りからは強いですが、その実、素は乱暴な口調でやや気が短かったりします。
ツゲフマという名前、恐らく誰も付けないであろう名前ですが、事実、『この世に存在しそうにない名前』というコンセプトで設計した名前です。第一、こんな発音しにくい名前を付ける親が現実にいるとは思えませんがね。
さて、無属性のツゲフマ、実のところその彼こそが全編を通しての主人公だったりします。が、前面に現れるよりは、しばらくは狂言回し的立場にいる、と言った方が適切なのかもしれませんね。