ガチギレーヌ・フンヌー公爵令嬢とストマキー・ヨワッティル王子の婚約破棄
その夜、王城では成人したばかりの貴族子女を集めた夜会を開いていた。
派閥やサロンが違う子女を交流させるのが狙いの夜会だった。
開会の挨拶を務める第一王子は、いつものように緊張で震えながら人々の前に立つ。
バイブレーション機能が搭載された王子の震えはいつものことで、招待客たちは気にも留めていない。挨拶をすませてしまえばここまで緊張することがないと知っているからだ。
「こ、ここここに夜会の開催を宣言する! ついでに、ガチギレーヌ・フンヌー公爵令嬢との婚約の破棄も宣言する! 次の婚約者にはウルスラ・ネトリーを指名したいと考えている!」
広間にいた招待客や給仕、余興とダンスの音楽を奏でるために広間の片隅にいた楽団の一同、そのすべての人間が動きを止めて第一王子へ視線を向ける。王子の全身バイブレーション機能はオフになっていたが、プレッシャーに弱い王子の足だけが生まれたての小鹿よりもぷるぷると震えていた。
集まっていた若い男女は、王子へ向けていた視線をそれぞれ別の方向に向ける。
それは第一王子の婚約者であったり、王子の次の婚約者に指名されている女性だったりさまざまだ。
第一王子は人々の視線から受ける圧が幾ばくか減ったことで肩の力を抜き、現在の婚約者へと目を向ける。
そこには怒りで目を細める令嬢がいた。
王子の婚約者であるガチギレーヌはどこからともなく取り出した釘バットを肩に乗せ、トントンと肩を叩いている。いつもは猫のようなぱっちりとした瞳が獲物を狙う肉食獣のごとく王子を睨んでいる。
「てめぇなに言ってやがるんだ、ストマキーさんよぉ。脳みそつまってんのか?」
「ヒィッ」
第一王子のストマキー・ヨワッティルは、チンピラのごとき婚約者の圧に負けて腰を抜かした。
性格が合わないガチギレーヌと会った後はいつも胃薬を愛用している胃虚弱の男は、婚約者に頭が上がらない。怒ると怖いからだ。第一王子であるのにいまだに王太子になれないのはこの繊細さと精神の弱さが原因だった。
フンヌー公爵家はストマキーを傀儡にする家ではないが、その親戚はそうではない。外戚の操り人形になる可能性があるストマキーは、社交力か精神力を鍛えない限り次代の王になることは難しい。
王城の夜会でチンピラムーブをかましたガチギレーヌだったが、誰もその言動を気にしてはいない。
フンヌー公爵家は代々武門の名家で、特に練兵に一家言を持つ家系だ。フンヌー公爵家に生まれた子供は性別に関係なく兵士の訓練に混ざって自らも体を鍛える。その過程でどうしても荒っぽい性格になるのだ。
「まあまあ、落ち着いてガッティ。ストマキー殿下の言い分も聞きましょうよ」
「聞くまでもないわバッティ。タコ殴りにして正気に戻したほうが早くてよ」
ガチギレーヌのチンピラムーブを止めたのは隣にいた女性だ。髪色と髪型が違うその女性はガチギレーヌと同じ顔をしている。
ガチギレーヌの双子の妹、バチギレーヌ・フンヌーだ。
「ば、バチギレーヌ! そなたからも言ってくれ。ガチギレーヌとの婚約をなかったことにしたい。というか、フンヌー公爵家との縁を切りたい!」
「どうしてかお聞きしても?」
王子をタコ殴りにするために歩き出そうとする姉の腕を押さえながら、バチギレーヌは聞いた。
「王城の治安が悪くなっているからだ!」
ストマキー王子の叫びに、その場にいた一同の心が一つになる。
「わかるわ」
「それはそうね」
双子はそれぞれ深くうなずいた。
見守っていた貴族子女も同じようにうなずいている。なにかと用事があって王城を訪れるとチンピラのような風体の騎士が練り歩いていて、若い女性はナンパされ、若い男性は喧嘩を売られるのだ。
フンヌー公爵家騎士団の訓練に混ざったことがある騎士が、中途半端に染まったせいだ。身内以外へチンピラ成分を出さない教育を上下関係と共に叩き込むフンヌー公爵家のやり方を、隊長クラスの一部が自分に都合のいいところだけ取り入れた結果がこれだった。
ガチギレーヌとストマキーの婚約は、かつて軍部を仕切っていた先王の弟。王叔父にあたるハニトラウス・ヨワッティルが、名は体を表すの精神でハニトラに引っ掛かりまくったせいで軍部が解体の危機に陥ったために結ばれている。
練兵に優れ、国軍に迫る数の兵士を抱えるフンヌー公爵家騎士団の一部を国軍として組み込むのが目的の婚約だ。
平民で構成される国軍の前に、貴族子息で構成される騎士団がフンヌー公爵家の訓練を受けることになった。それで元から行儀がよろしくない一部の騎士がチンピラに染まってしまったのだ。
実力主義のフンヌー公爵家騎士団は、爵位の有無に関係なく実力で序列が決まる。強さで上下が決まるフンヌー公爵家には合っているチンピラムーブは国の騎士団には合っていなかった。
チンピラと化した騎士から受けた被害をどこにぶつけるかというと、それは当然、騎士の雇い主である王家だ。
ガチギレーヌと婚約して以降、ストマキーの仕事は増えた。
ただでさえ、性格が合わないガチギレーヌに気をつかっているところにチンピラ騒ぎだ。以前から愛用していた胃薬の量は日に日に増えている。
薬師からはこれ以上増やすことができないし、これ以上強い薬を出すこともできない。これ以上薬を摂取すると体を蝕むと警告されているがストマキーが胃薬を手放すことはできなかった。
「頼むから解放してくれ! そして、癒しのウルスラ嬢と婚約させてくれ!」
「ストマキー殿下はわたくしの好みではありませんからお断りいたします! それにわたくしには婚約者がおりますのよ!」
名指しされたウルスラ・ネトリーは不敬を承知で反論した。前半はともかく、後半は断る理由として正しい。
「どうして!? あんなにしょっちゅう出会うからてっきり君も私のことが好きなのかと……」
「わたくしがお会いしたかったのは殿下ではありません! 護衛をなさっているゴッツィ・ガッティ卿ですわ!」
「ゴッツィだと!? あの男爵子息のどこがよいのだ! 地位なら私のほうが勝っているぞ! 私なら君に贅沢をさせてあげることができる。ゴッツィに嫁いだら苦労するのが目に見えているではないか!」
「わたくしは地位など気にいたしません。人柄を重視しておりますの」
先祖代々、男女関係で問題を起こしがちなネトリー伯爵家で良心と呼ばれる男女関係が清い一部の人がいる。ウルスラの評判が広まっていない今までは、彼女は多くの人からネトリー伯爵家の良心だと思われていた。
そんな中、一人の男がそれに一石を投じる。
ウルスラの婚約者、メイセキウス・ヒョロス侯爵子息だ。
「ウルスラ嬢! 君はまだガッティ卿の尻を追いかけているのかい!? あれだけ抗議されているのだから、いい加減にやめてくれないか! この調子では我々の婚約を継続することも難しいだろう」
近衛騎士ゴッツィ・ガッティはウルスラのストーキングに悩んでいた。知り合いの知り合いであるメイセキウスに直接相談するほど困っていた。
ゴッツィは婿入りが決まっていて結婚が目前となっている。ここで浮気を疑われて仕事と婿入り先の両方を失うことはできなかった。なにより、婚約者の令嬢を心から愛しているのだ。
男女関係で問題を起こしがちなネトリー伯爵家の令嬢だというのにこれまで大した問題も起こしていなかったウルスラが、結婚間近の男性を追いかけていたことに会場は騒然となった。
「やはりネトリー家の方はそうですわよね」
「あの家はどうして決まった相手がいる人を好きになるのだろう」
「我が家もあの家の人間に目つけられて修道院に入るしか逃げ道が無くなった親戚がおりますよ」
「ネトリー家の良心と言われる方々は本当に善人で、仕事もできるし信頼もできる人ばかりだというのに。ネトリー家の本性と呼ばれる方々のせいで肩身の狭い思いをされているのが不憫でならない」
ネトリー家は男女関係の問題がなければ優秀だと評判の家系だ。たまに生まれるURネトリーことネトリー家の良心を目的に婚約を結ぶ家は後を絶たない。が、たいていの場合は痴情のもつれで婚約が解消される。ネトリー家に生まれた者の約半数が問題行動で修道院に入っていて、専用の修道院が領地にあるレベルだった。
「そんな!? 君もしょせんはネトリー家のご令嬢だったということか!」
第一王子のストマキーが叫ぶ。癒しの子熊だと思っていた女性が狂暴な肉食獣だと知った悲しみがこもる、魂の叫びだった。
「申し訳ありません殿下。婚約者を御しきれませんでした」
「メイセキウスの責任ではない。君は私の補佐としてよく働いてくれているじゃないか。それに、婚約者を御しきれないのは私も同じだ」
「ストマキー殿下……」
似た者同士がわかり合って見つめ合う中、突然なにかを叩く鈍い音が広間に響いた。
音の出どころはガチギレーヌだ。
「おうてめぇら。美しい友情はいいがなぁ。こっちの話が終わってねぇんだよ」
釘バットの先端部分を床に叩きつけて剣を構える彫像のようなポーズをとっている、名は体を表すガチギレーヌのガチギレだ。
「夜会のなぁ、開幕の挨拶でよぉ、婚約破棄たぁ、どういう了見だ? お?」
言葉を区切るたびに釘バットが床を叩く「ゴッゴッ」というリズミカルな音が広間に響く。
あまりにも正確に拍子をとっているせいか、リズムに合わせて楽団の一部がひそやかに音楽を奏で始める。その音楽は、古典的なサメが一般人を襲う映画のサメが登場するシーンを彷彿とさせる音色だった。
不穏な音楽をBGMに、ストマキー王子は奮い立つ。
「こここ婚約は、破棄してくれ! わたし達の性格が合わないと君もわかってるだろう!?」
「そんなこと百も承知だ! なんで夜会で言うんだよ! 親を通して普通に解消しろよ!」
「そんなことしたら弟が王太子になるじゃないか!」
「てめぇは王の器じゃねぇんだよ! メンタルラ殿下のふてぶてしさを見習え!」
ストマキー王子の弟であるメンタルラ・ヨワッティルは名前に反して図太い神経を持っている。少々ノンデリで、これを外交に出すとまずいのでは? という空気が高位貴族の中にあるせいで王太子になっていないが、国王の器という点で見るとストマキー王子より断然向いていた。
「やだやだ! なんのために胃薬という相棒と二人三脚で頑張ってきたと思ってるんだ! 国王になるためだ! 一番偉くなって誰にも怒られない立場になるんだ!」
「馬鹿じゃねぇの。国王陛下だって王妃陛下にしょっちゅう怒られてるだろ」
ぎっくり腰になりやすく、発生する条件がある程度絞れているにもかかわらずしょっちゅう地雷を踏んでぎっくり腰になっている国王を、王妃はよく叱っている。運動不足でぎっくり腰になる国王に歩け、動けと発破をかけているのだ。
「愛がある怒られならいいんだよ!」
「条件を後付けするな!」
「愛がある人に『めっ』って叱られたいんだよ! ガチギレーヌみたいに怒ったら魔神になるのは嫌なんだよ! 怖いんだよぉ! もっと優しくして!!」
「きも」
小さくつぶやかれた一言に、繊細なストマキー王子は膝から崩れ落ちた。
「『きも』はダメだろう。禁止カードだよ……うっ」
膝から崩れ落ちて四つん這いになっていた王子が腹に手を当てる。ストレスで胃が痛んできたのだ。
痛みを感じたストマキー王子は速やかに立ち上がる。
そして何事もなかったかのようにキメ顔で宣言した。
「ちょっと用事を思い出したので先に退出させてもらう。皆は夜会を楽しんでくれ」
第一王子は胃薬を摂取するために夜会から立ち去った。
すべてを中途半端に投げ出し、逃げた。
「……あいつ、王太子になるの絶対に無理だろ……」
突然王子が逃げ出したことで会場にいる全員が呆然となる中、ガチギレーヌはつぶやいた。
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夜会の数日後、ストマキー第一王子とガチギレーヌ・フンヌー公爵令嬢の婚約は無事に解消された。
二人の婚約の代わりにフンヌー公爵家の親戚の家から養女を迎え、メンタルラ第二王子の婚約者へと据えた。第二王子と親戚の女性は相思相愛で、ガチギレーヌが第一王子と婚約しなければすんなり婚約できるはずの二人だったのだ。
ストマキー王子を王太子にするためにガチギレーヌをあてがい起きた不幸は、あるべき姿へと変わった。
そしてストマキー王子は爵位をもらって王領を治めることになり、ガチギレーヌは王国が鉱物を輸入している国の人間と新たな婚約を結び無事に結婚して他国へと渡った。少々荒っぽい気風の国とガチギレーヌの相性は良く、水を得た魚のごとくイキイキと暮らしている。
ガチギレーヌの双子の妹バチギレーヌは幼いころから婚約していた男性と結婚して相手の家に入り、ネトリー伯爵令嬢に目をつけられていたゴッツィ・ガッティは愛している婚約者と無事に結婚できた。
ストマキー第一王子の側近であったメイセキウス・ヒョロスはネトリー伯爵令嬢との婚約を解消。王太子になったメンタルラの部下として王城に勤務する傍ら、新たに婚約を結んだ女性と無事に結婚して幸せに暮らしている。
ネトリー家の良心枠だと思われていたのにネトリー家の本性丸出しだったウルスラは、激怒した両親によってネトリー家専用修道院へと入れられた。決まった相手がいない、独り身の男性に興味を持つようになれば修道院から出られるかもしれない。
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夜会から数年後の王領にある離宮で、ストマキーは読み終わった弟からの手紙を畳んで執務机の引き出しにしまった。
王領経営や国政以外でもこうして手紙を送ってくる筆まめな弟に、思わず笑みがこぼれる。
手紙をしまったストマキーは、ふと気になって隣の引き出しに目を向けた。
「ここ、なにを入れてたっけ?」
しばらく開けていない引き出しの中身を忘れたストマキーは、おもむろに取っ手を掴んで引っ張る。
引き出しの中には、たくさんの薬包が整然と並んでいた。胃薬置き場だ。
「そういえば最近は飲んでないな……」
性格が合わない婚約者と離れ、国政から離れ、社交から遠ざかったストマキーはストレスが減って薬に頼ることなく生活できるようになっていた。
ストマキーは、ふと、あの醜態を晒した夜会のことを思い出す。
当時の婚約者へ婚約破棄を突き付け、狙っていた令嬢を指名したのに断られ、子供ように地団太を踏んだ挙句に逃げ出した夜会のことを。
あのときの醜態が原因で、今でも妻どころか婚約者もいない。たまに立候補する女性が現れるが、実家か本人に問題があって話が流れている。そんなことが何度も続くうちにどこからも話が来なくなった。
ストマキーは一人で寂しくないかと聞かれると寂しいと答える。
けれど、考えるのだ。
婚約して、相手との距離を測りつつ親交をもって、相手の親族の話の裏を穿ったり警戒したりする生活が自分にできるのか、と。
ストマキーは引き出しに並ぶ薬包を一つ取り出し、しげしげと眺めた。
婚約して、結婚して、親戚付き合いをして、社交に出て、と考えたところで胃が痛んだストマキーは取り出した薬包を一つだけ机の上に出した。念のための胃薬を確保して引き出しを閉める。
「父上かメンタルラが言ってこない限り、婚約はしなくてもいいか」
私は結婚に向いてない。
そう考えた元第一王子は、穏やかな笑みで今の静かな生活が続くことを願った。
よろしければリアクション評価をお願いします!
ガチギレーヌの釘バットは収納魔法と黒子で決めかねたため明記しておりません。




