五月三日 十五時五分
「デッカ!」
耳にタコが出来るくらい聞いたフレーズだ。
声の持ち主と目が合った秋は、あぁさっきの、と、優しく微笑んでみせる。
「あら おしどり夫婦、いらっしゃい。カウンター席しか空いてないけどいい?」
冬葉は「かまいません」と店のおばちゃんに言った。
二人は扉から最も近いカウンター席に通される。秋は腰をかけ、冬葉はポシェットを椅子に置き、秋にお願いをする。
「秋ちゃん、私もパフェお願い。ちょっとお手洗い」
「うん、わかった」
店の奥にあるトイレへ直行した。
一分後、席に戻る途中、一組の親子か、はたまた歳の離れた兄妹に視線がいく。
肌の色は薄めの褐色で、大きな目と直線的な鼻の形は、少し日本人離れしている。
二人はそっくりで、少なくとも血縁関係であることが伺えた。
女の子が夢中でパフェを食べていると、柔らかいフェーブの黒髪が流れ落ちる。
父なのか兄なのか、その子の髪を掬い耳にかけてやった。
「ゆっくり食べなさい」と言った、その眼差しは酷く優しい。
目線を床に逸らし、口をキュッと結ぶ。
そして程なく、カウンター席に腰をかけた。
カウンター席の椅子は高めで、浅く座らないと冬葉は爪先すらつかない。
道中でしていた会話の続きを、秋から再開する。
「で、さっきの続き、日陽先生の好みの女性って?」
「えっとね、あの女優さん、この前の朝ドラに出てた」
「主役?」
「違くって、主役の母親役」
「あぁあの、実力派の色っぽい」
「そうそう、ん? 色っぽい?」
また墓穴を掘ったか。
冬葉は怪訝な顔をみせる。
そんな時だ、助け舟が現れた。
「口挟んでごめんよ。その女優さん、山居聡美だろ?」
カウンター越しから会話に割って入って来たのは、喫茶店のマスターである。
秋は「えぇ、そうです」と、会話の参加を快く受け入れた。
「やっぱ日陽先生も世代だなぁ」
冬葉は「世代?」と返す。
「そう、俺と先生同い年。三十年前にブレイクしてね、国内の映画賞総なめ。海外でも主演女優賞とってね。すごい女優さんだよ」
「凄いのは解るんですよ。色っぽさ?っていうより、正統派みたいな-」
「冬ちゃん、解ってねぇな。なぁ秋くん?」
唐突に同意を求められ、肯定とも否定とも取れる空笑いをした。
そこまで言う店主に、冬葉は問う。
「ではマスター、山居聡美とは」
「山居聡美とは。背中でも演技が出来る女優だな。中でも、哀愁を背負った後ろ姿はゾクゾクする」
「それ、マスターの趣味じゃん」
「違うって、現に先生がタイプって言ってる時点で多数派だろ? なぁ、秋くんもさっき頷いたよな?」
冬葉は秋の方をキッと向くと、秋は首をブンブンふった。
「はいはいはいはーい」と会話を遮り、黒猫パフェを運んでくる高校生くらいの女の子は、冬葉と秋の目の前にスプーンとパフェを置く。
「黒猫パフェ二つでーす」
「ちな、私は冬ちゃんに一票」とマスターに言い、お盆を脇に挟むと、食器を下げにホールへ出て行く。
「俺の血ひいてるくせに、解っちゃいねぇな」
と、マスターは首を傾げた。
他愛の無い会話をして、美味しい物を食べる。
こんな贅沢なことは無いと、冬葉はこのひと時を味わおうとしていた。
そんな矢先だった。
扉の向こうで、不穏な甲高い声が聞こえる。
山居 聡美
年齢: 44歳
日本を代表する女優
国際的な映画祭で主演女優賞、助演女優賞を過去に受賞




