【魔女ローゼマリー伝説】外伝~乙女がお見合いに情緒不安定になるのは当然です~
大陸暦1118年3月。
ファインダ王国の王都リオーネは、ようやく厳しい冬の終わりを告げ、柔らかな陽光に春の訪れを感じさせるようになっていた。
新年祭の喧騒も今は昔、街は穏やかな日常を取り戻している。
そんな長閑な午後の日差しが降り注ぐ王宮の一室。
テレサ・ファインダは従姉妹であるマーガレット王妃から差し出された山のような書類を前に、優雅に紅茶を嗜む余裕もなく困惑していた。
書類の束は小規模な雪崩のように小さな執務机を覆い尽くし、重みに年季の入った机がミシリと軋む音を立てている。
「えっと、姉様。これは何でございましょう……?」
対面で優雅に紅茶を嗜む金髪の美女、マーガレット王妃はにこやかに微笑みながらテレサに告げる。
王妃の微笑みは春の女神のようでありながら、どこか獲物を定めた狩人のようにも見えた。
「貴女ももう25歳です。そろそろ身を固めなければいけません。そう、お嫁にいくのです」
テレサは口に含んでいた紅茶を勢いよく噴き出してしまう。
熱い雫が、普段彼女が好んで身に纏う清楚なシスター服の胸元に飛び散る。
一瞬、テレサの整った顔には純粋な驚きと、それから深い動揺が入り混じった表情が浮かんだが、すぐにいつもの快活な笑顔を取り繕った。
「ケホケホッ……! は、謀りましたね、姉様! 私をこのリオーネに呼び止めたのはこの為でございましたか! 新年を迎え、王立学校の件も落ち着いたこの頃合いで、お見合いの話を持ち出すとは……! そもそも私がリオーネに残っているのは、私にも都合がいいからで……」
王立学校女子寮事件はローゼ一行の活躍もあり、ひとまずの解決はした。
テレサは紛れもない美女だ。
普段は修道服で豊満なスタイルを隠しているものの、衣服の下には女性なら誰もが羨む、溢れんばかりの胸と引き締まった腰と形の良い臀部が隠されている。
陽光を浴びて黄金色に輝く赤みがかった金髪のロングヘアに、燃えるような情熱を秘めた真紅の瞳。通った鼻筋に透き通るような白い肌。
まさにファインダ王家の血筋を色濃く受け継ぐ、絶世の美女と言って差し支えない。
ファインダ王家の女性は古来より美貌で知られるが、同時に奔放な気性もまた有名だ。
現王妃であるマーガレット自身も、大陸屈指の戦闘集団、アラン傭兵団に所属していたラインハルトと結婚している。
マーガレット王妃の姉であり、本来ならば王位を継ぐはずだったローラ王女は隣国ベルガー王国への留学後、そのままその国の第一王子と恋に落ち結婚してしまっている。
テレサもまた、王立学校在学中に周囲の反対を押し切り王籍を離脱、アラン傭兵団の傭兵となる破天荒な行動で、周囲を大いに驚かせた過去を持つ。
ちなみにローラ王女が産んだ娘こそ、残酷な運命に翻弄され「魔女ローゼ」として冒険の旅を続けるローゼマリーである。
さらにマーガレット王妃の愛娘であり、ファインダ王国第一王位継承者であるレオノール王女も、ローゼを「姉様」と呼び慕い、片時も離れたくないとばかりに、隙あらば共に旅に出ようと画策している、ちょっと困った第一王女なのだ。
「何故に、一番上にグラー将軍の釣書が置かれているのでございましょう……? いえ、決して不満があるわけではございませんが、たしかグラー将軍はもう40歳を超えていらっしゃったかと……」
テレサは書類の山の一番上に鎮座するグラー将軍の紹介状を、細く美しい指で指し示しながら尋ねた。
声には隠しきれない戸惑いの色が滲んでいる。
「独身で功労者です。性格も真面目で、ダリム宰相から何かと都合よく使われ続けておりますから、王家としても彼の長年の功績に報いたいと考えているのです。ハルト様にそのお話をしたところ、あの方は『アイツは熟女好きだが……』などと的外れなことを申しておりましたが、最終的には私の意見に賛同してくれました。お相手は再婚となりますが、この際、それは些細な問題です」
マーガレット王妃は、春の陽だまりのような笑顔を一切崩さずに言い切った。
が、言葉の端々にはどこか有無を言わせぬ冷ややかさが混じっている。
ハルトとはマーガレット王妃の夫であり、現ファインダ国王ラインハルトの本名である。
彼が名を改めてから17年の歳月が流れているが、王妃は未だに彼を親しみを込めて「ハルト」と呼ぶ。
それは誰にも侵されぬ、彼女だけの聖域の表れなのかもしれない。
「は、はあ……ですが、その、私といたしましてはおじ様より、若いイケメンの方がよろしいかなあ、なんて……」
テレサはためらいがちに次の候補者の書類へと手を伸ばす。彼女の手は緊張からか、震えている。
「って! ガードン子爵って、ヨボヨボのジジイではございませんか!」
ペシッ、と小気味よい音を立てて、テレサは書類を机の上に叩きつけた。
音は穏やかな午後の静寂を破るように、部屋に大きく響く。
「あら? ああ、これは別の方にお渡しするつもりのものが混ざってしまっていたようね。茶飲み友達が欲しいと、侍女の祖母が言っていたと耳にしましたので、特別に用意した書類です。ご安心なさい、テレサ。あなたのものは一応、30代から40代の方々で選考いたしましたから」
ニッコリと優雅に微笑むマーガレット王妃の完璧な笑顔の裏に、テレサは何か言い知れぬものを感じ取った。
この従姉は絶対にこの状況を楽しんでいる、と。
けれど長年王家を離れて傭兵生活を送ってきたテレサにとって、王妃の決定に強く反論することは難しい。
「どれもこれも、再婚の方ばかりですね……年上というのはこれだから。……あのう、姉様。出来れば初婚同士で、爽やかなイケメンで、誰にでも優しいというわけではなく私にだけ特別に優しくて、誰ともお付き合いしたことのない、強くて逞しくて、できれば年下の殿方がタイプなのでございますが……」
テレサは自身の胸に秘めた理想の相手像を、段々と弱々しくなる声で、それでも諦めきれずに語った。
「あのね、テレサ。貴女はモーニングスターを軽々と振り回し戦場を駆け巡り、返り血でシスター服を真紅に染め上げる様から『赤き女帝』とまで呼ばれたのですよ? そんな貴女が、一体何を夢物語のようなことを言っているのです」
マーガレット王妃はバサッと音を立てて書類の山から一枚の釣書を無造作に抜き取る。
その仕草は、まるでテレサの淡い夢を無慈悲に打ち砕くかのような迫力だ。
「この方にしなさい。話を進めます。明日、お見合いをしていただきますので、くれぐれも逃げたりしては駄目ですよ、テレサ」
「ええっと……あら? アレックスさん、ですか。年齢は同い年……残念」
「おや? アレックスのが紛れ込んでいましたか。まあ、彼も独身ですし、よろしいでしょう。同い年ではありますが、イケメンで強くて逞しいのは貴女もよくご存知のはず。この縁談が破談にならないことを、心から祈っていますよ、テレサ」
これはもう、どう足掻いても逃れられない、とテレサは天を仰ぎ、心の中で白旗を上げるのだった。
書類に描かれたアレックス近衛騎士隊長の、涼やかながらもどこか堅物そうな似顔絵を見つめ、テレサは深いため息をついた。
***
はあ~、と普段の彼女からは想像もつかないほど深いため息をつくテレサさんの姿に、私たちはリオーネで一番と評判のホレイショカフェのテーブルを囲みながら、若干困惑しつつも御馳走になっていた。
カフェの大きな窓から澄み切った光がさんさんと降り注ぎ、王都の喧騒を優しく包み込んでいる。
テーブルの上には色とりどりの苺パフェや、見た目も華やかなケーキや香り高い紅茶が並び、甘く芳しい香りが私たちの鼻腔をくすぐっていた。
「どうしたんです? 相談があるなんて、あのテレサさんがおっしゃるくらいですから、よっぽどの事が起きたのだろうと想像はしてましたけど……」
口に注文したばかりの特製苺パフェを運びながら、私は尋ねる。
繊細なカットが施されたクリスタルグラスに美しく盛り付けられたパフェは、まるで宝石箱のようにキラキラと光を反射し、見る者の食欲をそそる。
ちなみに、私と全く同じものを注文したのはヴィレッタとクリスだ。
私はローゼ・スノッサと名乗る、しがない旅の魔女。輝く金色のショートヘアに、澄んだ碧眼が特徴。
いつもの白いブラウスに紺色のスカートというのが基本スタイルで、今日はまだ肌寒い季節なので、お気に入りの黄色いニットセーターを上着として羽織っている。
実はベルガー王国の元王女ローゼマリー・ベルガーというのが私の本名であり、ファインダ王国のマーガレット王妃とは叔母と姪という間柄でもある。
つまり、目の前で深いため息をついているテレサさんとも、血の繋がりのある親族なのだ。
ファインダ王家の血を引く女性は美貌と抜群のスタイルに恵まれている、と巷ではよく言われるが私もご多分に漏れず、自身の容姿とスタイルにはかなりの自信を持っている。
と、まあ私についてはこのくらいにしておこう。
ヴィレッタは腰まで届く艶やかな濃い青髪のロングヘアが印象的な、スレンダー体型のクールビューティー。
今日は深い青色のエレガントなワンピースに、真っ白なロングコートをさらりと羽織っている。
いつも背筋がピンと伸びていて、凛とした立ち姿はまさに高嶺の花という言葉がふさわしい。
クリスの正体は強力な赤竜である。
今日は落ち着いた色合いの赤いロングコートを身に纏っている。
長身で、少しボサボサ気味の赤髪ロングヘアがトレードマークの、おっとりとしたのんびり屋さんだ。
最近は人間の姿で、人間の街で暮らすことにもそこそこ慣れてきたようで、以前のように所構わず服を脱ぎ散らかしたりしなくなったのは大きな進歩と言えるだろう。
うんうん。これまでの私の苦労が、ようやく実を結んでくれて本当に嬉しい限りだ。
リョウは紅茶一杯のみという質素な注文だ。
漆黒の髪に同じ色の瞳、いつも黄土色の古びた革鎧に身を包み、愛剣である漆黒の剣を腰の鞘に差している。
女の子に囲まれて旅をしているからか、一部ではハーレムクソ野郎などという渾名を付けられている。
実際は私たち女子メンバーからよく怒られたりして凹んでいる姿の方が多く、女の子の扱いを致命的に間違え続ける、ある意味残念な性格をしている。
まあ、そこが良いところでもあるし……おっと、心の声が漏れてしまった。
ともかく、私たち全員がリョウの戦闘スキルに関しては絶大な信頼を寄せているので安心してほしい。
ベレニスとフィーリアは遠慮という言葉を知らぬとばかりに、テーブルいっぱいにケーキを複数注文していた。
様々な種類のケーキが小さな塔のように積み重なり、見ているだけで幸せな気分にさせてくれる。
ベレニスは高貴なるエルフの女王だ。
人間とは明らかに異なる、長く尖った耳が特徴的で、まさに超絶美少女。
今日もいつもと同じ、緑色の旅装を着こなしている。
ぺったんこな胸もまた、彼女の魅力を増大させる要素の一つであり、黙ってさえいれば、動かなければ、いつまでも眺めていられるくらい最高に可愛いんだけどね。
彼女は優雅な手つきで銀のフォークを運び、ケーキを一口味わうと、満足げな表情を浮かべた。
フィーリアは元気いっぱいのドワーフの少女である。
鮮やかな緑色の髪を短いツインテールに結んでいる、大きな茶色の瞳が印象的で、小柄で細身なのに、子供体型らしいぷにぷにとした頬はつい触りたくなってしまうほど愛らしい。
自称11歳でパーティー最年少でありながら、知識量は私以上。商人として長年大陸各地を旅してきた経験からか、妙に大人びていて、複雑な状況でも冷静に物事を整理するのを得意としている。
彼女は小さな手でフォークを握り、ケーキを一口ずつ丁寧に味わっている。
もう1人、パーティにレオノールという私の従妹がいるのだが、本日は勝手に私たちに付いて旅した罰として、王立学校女子寮の清掃を担当している。
目に浮かぶよ……灰色の髪とヘーゼル色の瞳以外、私とそっくりなレオノールが、大声出しながら女子寮の廊下を雑巾拭きして走り回ってるのを。
と、想像していると、テレサさんが口を開いた。
「それでですがローゼ。恥を忍んで頼みます。明日、王宮の中庭に強力な魔法を放ち、焦土に変えてはいただけませんか?」
ぶほっ、と口に含んでいたパフェを盛大に噴き出してしまう。
ゲホゲホと激しく咽せながら、私は慌ててヴィレッタから差し出されたハンカチを受け取る。
「い、いやいやいや、それはいくらなんでも処刑待ったなしの危険行為じゃないですか! 嫌ですよ、私!」
「いえいえローゼさん。ローゼさんはマーガレット妃のお気に入りっすから、処刑はされないと思うっすよ。処刑されるとしたら、きっとリョウ様ぐらいっす」
フィーリアがあっけらかんと言い、ベレニスはふう、と深いため息をつき、優雅な手つきで髪をそっと撫でた。
「フッ……私が想像するに、これは素知らぬ顔で王宮に潜む悪を断罪しようという、壮大な策というわけね。いいわ、このベレニスに任せなさい。報酬は大金貨1枚でどうかしら? もし失敗したら、そこの傭兵のせいにすればいいだけだし、大船に乗ったつもりでいてちょうだい」
おいおい、フィーリアもベレニスも、いくらなんでも適当すぎるだろう。
リョウの紅茶を飲む手が、カタカタと小刻みに震えているのが見えるぞ。
まだ温かい紅茶のカップから立ち上る白い湯気が、彼の内心の動揺を際立たせているようだ。
「聡明で、女神フェロニアへの信仰も篤いテレサ様です。理由もなく、そのような無謀なことをなさる方ではないと、わたくしは信じております。明日、一体何があるのでございますか?」
ヴィレッタが神妙な顔つきで、上品に盛り付けられたパフェをスプーンで一口食べながら問う。
クリスタル製の器に銀のスプーンが当たる、カランという軽やかな音が、店内の静寂をわずかに破った。
すると、は~、と天を仰ぐような深いため息をついて、テレサさんが重い口を開く。
彼女の美しい真紅の瞳に、キラキラと涙が溜まっていく。
「グスッ……お見合いをすることになったのです……! 私は年下で、私にだけとびきり優しくて、誰からも愛されるような爽やかイケメンで、強くて逞しくて、それに異性とお付き合いした経験なんて全くない、そんな素敵な殿方と運命的な出逢いをして、そのままトントン拍子に結婚するのが夢だったのに……!」
わ~ん、と子供のように泣き出すテレサさん。
彼女の肩は小刻みに震え、彼女の盛大なすすり泣きが、カフェの店内に響き渡り、隣のテーブルのカップルがフォークを止めてポカンとこちらを見てくる。
店主のミレーヌさんやウエイトレスさんたちも、困ったように眉を下げながらも、どこか面白そうに見つめてくる。
えぇ……なんだって? ヤバい。これはヤバい。
ていうか、重たい空気が鉛色の分厚いカーテンのように、店内を覆い尽くしていってるんですけど⁉
ど、どうしようこれ? いや、無理じゃない、それ? ていうかテレサさんも、もういいお年頃なんだから、夢みたいなことばかり言ってないで、そろそろ現実を見つめようよ。
「閃いたよ~。リョウを恋人にすればいいんじゃない~? ほら、年下だよ~」
パフェの鮮やかな色彩に視線を集中させたまま、クリスがいつもの暢気な声で言った。
彼女の言葉は無邪気な子供が悪戯でもするかのようで、重苦しい空気をさらに歪ませていく。
クリス、絶対何も考えてないだろ!
リョウの紅茶を持つ手が、さらに激しく震え始めているぞ。
「イケメンで、優しくて、逞しくて、誰からも愛されるような、そんな方が良いのです!」
いや、そこをそんなに力強く強調しないでくださいよ、テレサさん。
ていうか、みんなも何故か納得したような顔をするのはやめてあげて!
リョウがちょっと涙目になってるのが見えないの!
「えっと、お相手はどなたなんですか? もしかしたら、その方が理想の相手かもしれませんよ。お見合いはいつなんです?」
私が少しでも場を和ませようと、励ますように尋ねる。
声にはできる限りの落ち着きと、精一杯の明るさを込めたつもりだ。
「アレックス・シオーレンです。近衛隊長の……」
アレックス? ああ、あの人なら、なかなか良いご縁じゃないのかな?
イケメンだし、金髪をいつも綺麗に整えていて爽やかだし、長身でスタイルも良いし、何より真面目な人だし。
ただ、ちょっと職務に忠実すぎて融通が利かないところと、人付き合いはあまり得意ではなさそうなところが、玉に瑕かなあ。
そういえば、リョウとは結構仲が良かったよね。王宮の修練場で、よく一緒に剣の鍛錬をしているのを見かけるし。
「ああ、あいつね。いい歳でそれなりの地位もあるっていうのに、いつまで経っても結婚しないから、実は男の人が好きなんじゃないかって噂もあるわよね。私はてっきり、そこの傭兵狙いなんだと思ってたわ」
おーい、ベレニス? それはいくらなんでも、あまりにも失礼すぎるぞ?
リョウが本気でショックを受けてるじゃないか。
「お歳も近しいと伺っております。王立学校ではご接点はなかったのでしょうか?」
そんなヴィレッタの的確な質問。
彼女の言葉が、まるで静かな水面にそっと落とされた小石のように、穏やかに波紋を広げていく。
「資料を拝見しますと、同じクラスだった時期もあるようですが、残念ながら記憶には残っておりません。学生時代の私は、今思えば大変お恥ずかしい限りですが、少々やんちゃが過ぎましたので……」
王族の血を引き、幼い頃から武芸にも秀でていたテレサさんは、後に大陸七剣神に数えられることになる無二の親友イリス・アーシャと共に、王立学校のみならず王都リオーネ一帯を縦横無尽に駆け巡り、立ちはだかる不良たちを片っ端からフルボッコにしていたらしい。
テレサさんの勇ましい姿を想像するだけで、周囲は思わずごくりと息を呑んだ。
……そりゃあ、普通の男性は近寄れないし、恋人なんかできるわけないわな。
「アレックス近衛隊長はきっと当時の私のことを覚えていらっしゃって、快く思ってはいないに違いありません。思い返せば、リオーネに戻ってきてから何度か職務上のお話をさせていただく機会がございましたが、彼の態度はどこか余所余所しく、私はきっと嫌われているのだと感じておりました。今回のこのお見合い話も、きっと王妃であるマーガレット姉様が、無理矢理彼に引き受けさせたに違いありません! そんな重苦しい空気の中でのお見合いなど、耐えられる気がしないのです……! ですので、中庭をぶっ潰して、お見合い自体を中止にさせたいのです!」
ええ~……いやいや、お願いだから落ち着いてくださいよ。
う~ん。まあでも、まずはお相手のアレックスさんがどう思っているのか、それを確かめるのは大事なことだよね。
私だって相手が自分の立場を守るためだけに、嫌々お見合いを引き受けたなんて知ったら、すごく不愉快な気持ちになると思うし。
「ねえリョウ? アレックスさんと、そういう話とかしないの? ほら、異性の話とかさ?」
私の質問に、リョウはそ~っと盗み見るようにテレサさんの様子を窺うと、震える手で紅茶を一口飲み、それから同じように震える声で、途切れ途切れに語り出した。
紅茶のカップが震える手に触れて、カチャカチャとかすかな音を立て続けている。
「ぶ、武具についてなら……少々。テ、テレサさんの武具についても、もし戦うことになったら、どう戦うか、などとは語り合ったことが……」
おいおい。いくらなんでも、女性に対してその想像は不味いんじゃないかろうか。
「ほう? 私に勝てるとでも?」
テレサさんの射るように鋭い視線に、リョウはさらに言葉を失い、顔面蒼白になった。
「い、いえ! た、単なる雑談です!」
リョウの額から、冷や汗がだらだらと流れ落ちる。
ほーら言わんこっちゃない。
「いやあ、リョウ様もアレックスさんも、本当に生真面目っすねえ。でも、未婚で恋人もいない男性2人が、異性の話のひとつもしていないっていうのは、逆にちょっとキモいっす」
「ちょっとフィーリア。逆じゃなくて、普通にキモいわよ。たしかにアレックスって男はイケメンだけど、私のイケメンセンサーが警報を鳴らしたのよね。こいつは駄目だって」
「うんうん。ベレニスの言うこと、わかるかも~。こっちが近づくと、あの人、なんだか逃げるんだよねえ~。他の女の子たちも、あの人は女の子が嫌いなんじゃないかって噂してたし~」
「クリス。噂話というものは話半分で聞くものです。アレックス様は、ただ単に女性に対して苦手意識がおありになるだけかもしれませんから」
ヴィレッタが、そっとフォローを入れる。まあ、私もどちらかと言えばそう思う。
でも、あれ? テレサさんとの職務上の会話は間に仲介者を挟んでいなかったんだよね。
だとしたら、これは案外、脈アリなんじゃないのかな?
「はあ……せめて年下の方であったなら良かったのですが……せめて、優しくて爽やかで、武勇だけでなく知略に秀で、絵に描いたようなイケメンな方であったなら、私も、お見合いに対してもっと前向きになれたと思うのですが……」
なんかまた、理想の相手の条件が、しれっと追加されたような気が……?
ま、まあいいか。ともかく、こうして私たちを頼りにしてくれたんだし、最後までテレサさんに協力してあげよう。
そう心に固く誓った私だったが、まさか、あんなことになるなんて、この時は思いもよらなかったのだ。
翌朝、いつもなら宿の裏庭で剣の鍛錬に励んでいるはずのリョウの姿が見えないことに、少し変だなあとは思ったが、私もクリスと一緒に冒険者ギルドへ行く用事があったため、まだ寝ているベレニスが目覚める前にと、急いで朝食を済ませて宿を後にしたのだった。
***
騒ぎを知ったのは昼過ぎ、夕刻から行われる予定のテレサさんのお見合いを何とか成功に導くべく、まずは相手であるアレックスさんの動向を確認しようと王宮へと向かったのだが?
「おお、クリスにローゼマリーではないか。ちょうどいい、お主ら、アレックスの姿を見なかったか?」
そう言って私たちの前に悠然と姿を現したのは、ファインダ王国宰相にして、クリスの実の父親でもあるダリム・クリムトだ。
「え? アレックスさんですか? いえ、見てはおりませんけれど、何かあったんですか?」
「ふむう。いや、もし見かけたら知らせてくれれば良い」
うわあ、なんだかすごく意味深な言い方だなあ。
「アレックスさんって、今日、テレサさんとお見合いの予定ですよね? 夕刻からだと伺っておりますけれど」
「なんじゃ、お主らも知っておったのか」
「何なに~。もしかして、逃げちゃったの~?」
「いやいやクリス。いくらなんでも、あの近衛隊長のアレックスさんが、お見合いが嫌だからって逃げ出すなんて、ちょっと考え辛い……と思うけど、ねえ?」
ダリム宰相の鋭い視線が、一瞬、虚空を射抜いた。
そんなただならぬ様子に、クリスと私は思わずゴクリと息を呑む。
「は? マジで逃げたんですか⁉ うわっ、信じられません! テレサさんが可哀想すぎます! たしかに、お見合いの成功率はアレックスさんにとっては無きに等しいのかもしれませんけど、それでも女性に恥をかかせるなんて、いくらなんでも最低です! 第一、どの面下げて戻って来ようというのです! マーガレット叔母様の顔にも泥を塗るようなこの行為、近衛隊長であろうが関係ありません! 厳重な処罰を求めます!」
私は感情を爆発させ、両手を大きく広げて激昂する。
そんな私の剣幕に、さすがのダリム宰相も少しばかり驚いたような表情を見せた。
「まあ待て待て、ローゼマリーよ。落ち着くのだ。アレックスは早朝早くに東の城門から、リョウと一緒に釣り竿を担いで出て行った、そういう報告が入っておるのだ。それで、お主たちが何か事情を知っておるのではないかと、そう尋ねただけじゃ」
はあ? リョウは一体、何をやっているんだ。釣り竿を持って?
リオーネの東といえば、大きなリオーネ川が流れているけれど、なんでよりによって今日行くんだよ。
「わかりました! 私たちが探してまいります! クリス、行こ!」
「ん~。なんか面白そうだから、いいよ~。じゃあね~、父さん」
そう言うとクリスは私と一緒に東門へと向かい赤竜に変身し、リオーネ川へと向かった。
そこで私たちは、にわかには信じられないような光景を目にすることになる。
それは身の丈ゆうに50メートルはあろうかという巨大な魔獣ヒュドラーと、果敢に戦っているリョウとアレックスさんの姿だった。
ヒュドラーとは蛇のようなおぞましい頭と、硬い鱗に覆われた巨大な胴体に、9つの頭を持つとされる伝説上の魔獣である。
いや、ホント、一体何をしているんだ? ヒュドラーなんて、まず滅多にお目にかかれるような魔獣じゃないぞ?
圧倒的なパワーもさることながら、9つの頭脳を駆使して人間を翻弄し、熟練の冒険者が束になっても、果たして勝てるかどうかさえわからないと言われる、とんでもない化け物だ。
それをリョウとアレックスさんは剣と槍だけを頼りに、絶妙な連携で何とか攻撃を躱し、隙を見ては反撃し、すでに頭を2つ潰している。
2人の動きはまるで長年共に戦ってきたかのように、息がぴったりと合った華麗な舞のようでもあった。
剣の鋭い閃光と槍の正確無比な突きが、ヒュドラーの巨体を的確に切り裂いている。
ヒュドラーは突如として現れた私たちを感知すると、残った頭の1つを大きく鎌首をもたげ、顎を大きく開けて、こちらに強力なブレスを放とうとする。
まずい!
そう直感的に感じた私はクリスに素早く話しかける。
「クリス! 私を乗せたまま、ヒュドラーの真上まで飛んで!」
クリスの鮮やかな赤い光に包まれた巨大な赤竜の存在感に、さすがのヒュドラーも一瞬だけ動きを止めた。
クリスは巨大な翼を力強く広げて、大空へと雄々しく舞い上がる。
直後、ヒュドラーの口から放たれたブレスが、クリスの吐き出した灼熱のブレスと激しく衝突し、天を焦がすかのような大爆発を引き起こした。
大地を激しく揺るがす強烈な衝撃波が、私たちの全身を容赦なく襲う。
私とクリスはもうもうと立ち込める爆煙の中をものともせずに突っ切ると、ヒュドラーの真上へと急上昇した。
『炎よ! 我が魔力を喰らいて顕現せよ‼』
私はヒュドラーの頭の1つが、再びブレスを吐こうと大きく口を開けているのを視認していたので、そいつの口の中目掛けて、ありったけの魔力を込めた炎の魔法を正確に撃ち放つ。
私の放った炎は生きているかのようにヒュドラーの口の中へと吸い込まれていき、隣接する2つの頭をも巻き込むほどの凄まじい大爆発を引き起こした。
ヒュドラーの断末魔の悲鳴が、リオーネ川に木霊のように響き渡った。
今だ! と言わんばかりに、リョウとアレックスさんが、残る4つの頭を次々と切り落としていく。
ヒュドラーは、最後の恨み言を吐き出すかのように天を衝く絶叫を上げながら絶命し、私たちは地上に降り立ちリョウとアレックスさんと合流する。
「おお! 助かりました、ローゼ様に……クリス様?」
疑問符を浮かべるアレックスさんに、ニカッと太陽のような笑顔を向けるクリス。
「それはさておき、説明していただけますか? なんでまた、ヒュドラーなんかの超大物と戦っていたんですか? それよりも、どうして大事なお見合いの日に、わざわざ釣りなんかに出かけたりしたんですか? ていうかリョウも、今日がアレックスさんとテレサさんのお見合いの日だって、ちゃんと知ってたよね? なのに、私にも黙ってこんな所に出かけたって、一体どういうこと?」
クリスが、ビクッと肩を震わせて、おもむろに川遊びを始めてしまった。
お~いクリス? 逃げるなんて私がこれから惨劇を起こすみたいじゃないか。
「い、いや、ローゼ。こ、これには深い理由があってだな……」
「ほう? 理由、ねえ。で? 一体どんな素晴らしい理由なのかな?」
ニッコリと、満面の笑みを浮かべて問い詰めると、リョウはブルルッと全身を震わせる。
「ローゼ様! リョウ殿を借りたのはこの俺です! どうか罰はこの俺だけに!」
「アレックスさんは少し黙っていてくださいますか? 私は今、リョウに聞いているんです」
死を覚悟したアレックスは心の中で思った。
このような筆舌に尽くしがたい目に、リョウ殿はいつも遭っているのであろうかと。
美少女たちに囲まれて冒険の旅をしていて、ハーレムクソ野郎などと不名誉な渾名で呼ばれているリョウだが、実際は美少女たちからいつもこうして怒られたり、理不尽な目に遭わされたりしているのだと。
「ヒュドラーは知らん。いきなり襲われただけだ」
おお、リョウ殿! なんと堂々たる態度! さすがは歴戦の勇士。俺ならば、土下座してでも許しを乞うであろうに、とアレックスは心の中でリョウを褒め称えた。
「ふうん? じゃあ、なんでアレックスさんと一緒に釣りに出かけたりしたの?」
リョウはスッと目線を足元へと逸らす。
クリスは思った。これだから、みんなリョウに本気で怒るんだよなあ~。
面倒なことに巻き込まれないように、もうちょっとだけ離れていようっと、と。
「へえ? それって、何か隠し事がある時の、リョウのいつもの癖よね?」
まだ白を切ろうとするリョウに、ローゼは再びニッコリと、それはもう美しい笑みを向ける。
アレックスは思った。なぜ、あのような天使のような笑みで、人を殺せそうなほど冷たい目をすることができるのか、と。
ここで大きな水飛沫が上がったのは川遊びを始めたクリスによる、華麗なる現実逃避の表れだ。
「ロ、ローゼ様! この俺が、リョウ殿に、くれぐれも口外などせぬようにと、固く頼んだのでございます! け、決して、お見合いのことを忘れていたなどというわけではございません! いえ、むしろ、テレサ様のお見合いのお相手として、自分を選んでいただけたことは光栄の至りであります! ですので、テレサ様のお好きな魚を釣り上げ、より一層仲を深めようとした結果……ヒュドラーに襲われてしまったのでございます!」
「ふうん? それで、そのお魚はどこにあるんです?」
「ヒュドラーに、全て食べられてしまいました……この時期の川魚の代表格である、ヤマメを釣りに来たのですが……」
ヤマメ、ねえ。じゅるり、たしかに美味しいよね。
「俺の故郷のパルケニアではこの時期定番の川魚だ。テレサさんも、よく美味しそうに食べてたよ」
アラン傭兵団で、寝食を共にしたこともあるリョウとテレサさん。
なるほど……要するに、その繋がりでアレックスさんにテレサさんの好物を聞かれたリョウが、ヤマメ釣りを提案したってわけか。
はあ~、全く、どこまでも人騒がせな男だ。ていうか、それならそうと、もっと早く正直に言えばいいものを。
「でも、もう釣りをしている時間なんてないんじゃない?
クリス! みんなを乗せて、急いで王都に帰ろう!」
川遊びを満喫していたクリスが、ざばーんと大きな水飛沫を上げて水面から浮上した。
口には数十匹のヤマメを含む様々な種類の川魚が戦利品のように咥えられている。
でも濡れちゃったぞ。おにょれクリス、いや、こら逃げようとするな。
「おお! ヤマメ! ありがとうございます、クリス様! では早速戻るといたしましょうぞ!」
「あ~。クリス、アレックスさん。悪いけど、先に帰っていてくれる? 私はちょっと、この濡れた服を乾かしてから帰るからさ」
ポン、と手のひらに小さな炎を灯し、濡れた服を乾かしながら言う。
『わかった。じゃあ、先に行ってるね、ローゼ、リョウ』
そう言って、クリスは再び巨大な翼を広げ、アレックスさんを乗せて空高く羽ばたいていった。
「あ、その、なんだ……心配かけたようで、済まなかったな」
「別に、もういいって。ていうかリョウも、全身ずぶ濡れなんだから、こっちに来て。そんな所に突っ立ってたら、風邪ひいちゃうよ」
「あ、ああ……」
「それにしても、ヒュドラー、ねえ。このクラスの強力な魔獣に、偶然襲われたっていうよりはこんな場所に、わざわざ潜んでいたっていう方が、なんだかビックリする話かもね? もしかしたら、『真実の眼』と何か関係があるのかも」
「そうかもしれん。大陸の各地で魔獣が以前よりも、さらに活発化しているという報告も入っている」
「……なんとか、しなくっちゃね」
そんな真面目な話をしてはいるけれど、私の心の中はドキドキが止まらなくて大変なことになっていた。
はあ~。別に、何も起きるわけがないのはわかっているんだけど、なんだかな~。
「そういえば、アレックスさんて、女性の人が苦手っていう割には私とは結構普通に会話ができてるね」
言ってから、しまった、と内心で舌を出す。
こ、これ、リョウがジェラシーしてるかどうか、チェックしようとしてるって、思われちゃったりしないかな?
なんて、あたふたしてしまったが、さすがはリョウ。全くもって、これっぽっちも、そんな私の意図には気づいていない。
「アレックス殿は自分に上目遣いをしてきたりするような女性が、特に苦手なんだと前に言ってたな。俺はそういうふうにされたことなんて一度もないから、どういうことなのか、さっぱりわからんが。ローゼは怖いとしか思ってないから、きっと大丈夫だったのだろう」
この野郎。怖いって、一体どういう意味!
「い、いや、だから、ローゼはそういう媚びへつらったりするような女性では断じて無い、という、ただそれだけの意味だ。それにアレックス殿からすれば、ローゼは仕える国の王族の血筋だしな」
慌てふためくリョウの姿を見て、私は思わずクスッと笑ってしまった。
「テレサさんとアレックスさんのお見合い。上手くいっていると良いね」
そんな私の独り言のような一言に、リョウもまた、「ああ、そうだな」と、どこか遠い目をして呟いた。
ちなみに後日談となるが、テレサさんはアレックスさんが命懸けで持ってきたヤマメに対して、「ええ、まあ、これしかなかったから、仕方なく食べていた時期があるというだけで、別に好きでも嫌いでもありませんけれど」と、バッサリ述べたそうな。
ああもう、アレックスさん! その言葉にショックのあまり、彼は放心状態になってしまい、お見合いはそのまま気まずい雰囲気の中で終了したそうだけど、何故にそこで諦めずに、もっと積極的にアタックしたりしないのかなあ?
テレサさんは結局そのヤマメを全部、美味しそうに平らげたっていうのに。私がその場にさえいれば、もっと上手くフォローできたのに!
王都に帰還してから伝え聞いた2人の顛末に、私は心底頭を抱えて、翌日、新年に続いて見事にまた風邪を引いて寝込んだのであった。
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