3-1 お茶と誑惑罪をどうぞ
青年はフィリクスというらしかった。
目覚めたらすぐに出て行ってもらいたかったが、三日間まともに飲食しておらず、頭がふらふらして動けない。
仕方なく、自分用に入れていたハーブティーをフィリクスに差し出す。
「どうぞ」
「ありがとう。良い匂いー」
ソファからなんとか身を起こしてきたフィリクスが、それに口につける。
瞬間、「うっ」と呻き声が聞こえた。
「っな、なにこれ、苦……っ!」
「だからやめとけって言ったのに」
それは、リュシアの母がリュシアの為にレシピを作ったハーブティーだった。
匂いは甘いのだが、調合するハーブの一つであるムコウ草の苦みが強いためかなり飲みにくい。
それなのに「それでいいから」と言って聞かなかったのはフィリクスの方だ。
「今別のお茶出すから待って」
言いながら、別のポットにレモングラスとペパーミント、ハイビスカスローゼルを入れて、お湯を注ぐ。
鮮やかなピンク色に染まったお茶から、爽やかな香りがした。
「うわあ、かわいい色だね」
「これは苦くないから。どうぞ」
グラスに入れて差し出すと、フィリクスがぱちぱちと手を叩く。
「冷まして飲むのがお勧めなんだけど……」
いつもなら氷の効果を持つトウケツ草を使ってお茶を冷ますが、上級魔法士の前で、魔法ではなく魔草に頼る姿は見せたくなかった。
「ふうん、わかった」
フィリクスは頷いて、グラスの上で指をくるくる回す。
指先に青い魔法陣が現れると――やがてグラスに氷が浮かんだ。
それはただの生活魔法だったが、魔草の力を借りなければリュシアにはできない。
――出来損ない
幼い頃、街で通りすがりに投げつけられた言葉が胸に蘇る。
いい加減気にするな、と何度も自分に言い聞かせてきたが、脳裏に焼き付いた言葉はなかなか忘れられなかった。
汚物でも見るようなあの視線を思い出すと、胸をえぐられる。
できるだけ街へ行くのも未だに避けてしまう。
「これ、おいしーぃ」
フィリクスの素直な反応に、胸の靄が少し晴れる。
会ったばかりの変な人を信用はできないが、それでも、その笑顔は本物に思えた。
リュシアはいつものお茶を飲む。苦い。
「ところで、フィリクスって上級魔法士なんでしょ。
熊相手に苦戦してたの?」
尋ねると、深紅の瞳がリュシアへと向いた。
探りを入れるように、その瞳が光る。
「……どうして俺が上級魔法士ってわかったの?」
「だって、それ」
リュシアは留め具の紋章を指さす。
「攻撃魔法を使えば、熊なんて一瞬だったんじゃない?」
「うん、まあ……そうなんだけど……」
ごにょりごにょりと歯切れが悪い。
「何か言えないような事情がありそうですね。
めんどくさい事情なら今すぐ出て行ってほしいんだけど」
「はっきり言うなあ」
冷たく言ったにも関わらず、フィリクスはどこか楽しそうだ。
「ここって魔獣も多いしさ、こんな状態でここ出されたら死んじゃうよー」
「ふざけないで。上級魔法士なんだから、攻撃魔法使えばなんとかなるでしょ」
そこまで言って、はっとする。
「――もしかして、今攻撃魔法が使えないってこと?」
「!」
フィリクスの体がびくりと反応するのを、リュシアは見逃さなかった。
「へえ、そうなんだ」
「やだなあ、そんなわけないでしょ」
「じゃあどうして熊に攻撃魔法使わなかったのか説明して」
「それは……じ、実はもう魔力が残ってなくて……」
「うそ」
「っ」
しばらく目をあちこちさせて、ようやく観念したようにフィリクスがため息をつく。
「………俺、追われてるんだよね。
攻撃魔法は目立つから今は使いたくなくて……」
「熊に襲われても避けるほど?
追われてるって、誰に」
かなり間が開いて、フィリクスがようやく口を開く。
「………………………………魔法管理局」
リュシアは躊躇なく玄関を指した。
「それなら、さっさと出て行って」
「まあまあまあ。一旦話聞いてよー」
すがって来るフィリクス。
あんなに警戒してきていたくせに、リュシアが好いて来ないと知ってからフィリクスの態度は明らかに軟化していた。
「局に追われてる人を置いておけるわけないでしょ」
「俺は何にもしてないんだよ。
魔法管理局の噂とか聞いたことない?
誑惑罪ってやつ」
「……『誑惑罪』 ?」
それは、昔から庶民の間で囁かれる都市伝説的な罪名だ。
魔法管理局は庶民と貴族が対等に働ける唯一の場ゆえ、庶民の魔法士と貴族の間でいざこざが起きることがある。
その時は局が仲裁に入るが、公爵家が相手の場合、局も立場上仲裁できないことがある。
その際、庶民の魔法士に言い渡されやすい罪名が『誑惑罪』。
証拠がなくても罪に問われると、ひそかに噂のある罪名だ。
「……本当になんにもしてないの?」
リュシアの問いに、フィリクスは頷いた。




