7-7 エピローグ
――魔法管理局
なんだったんだ、あれは。
ダルセインは眉根を寄せたまま、局の最上階――上層部へと向かっていた。
あの操作魔法。解除に想像以上の手間を取られた。
局に戻るまで操られ続けていた部下が何人もいたほどだ。
あいつが操作魔法覚えるなんて思えないが……
疑問は残るが、答えは出ない。
もう一つ気になっている点はある。
フィリクスの《香り》が途切れた件だ。
脳裏をかすめたのは、ティルフォレの森に伝わる幻の魔草――ムコウ草だ。
それは、かつて局員がティルフォレの森で育成した、《香り》を消す効果を持つ魔草だった。
本来別の目的で育成されたらしいのだが、禁忌に触れたとして育成者は処罰を受けた。
その後、森で大調査が行われたが、ムコウ草は一本も見つからなかったという。
ありえないだろうとは思うが……
ダルセインは舌打ちし、思考をやめる。
フィリクスの《香り》が途切れたことについては、誤作動で押し通せる。
それよりも考えなくてはいけないのは、フィリクスの捕獲失敗とジェイドの処分をどう上層部へ報告するか、だ。
余計な報告が増えたことに、つい溜息が漏れる。
正直、フィリクスを捕獲に向かったのは公爵家へのアリバイ作りに過ぎなかった。
数日もすれば、アリシア嬢にかかった《香り》の効果は切れる。
『探している』という体裁を立て、事が収まり次第フィリクスを局へ戻すつもりだったのだが――フィリクスが自ら姿を現したのが誤算だった。
フィリクスが、令嬢に魅了をふりまくことはありえない。そんなことは分かっていた。
過去に貴族令嬢が魅了された時、フィリクスは拷問にかけられている。
あれは痛みにかなり弱い男だ。同じ過ちを繰り返すわけがない。
異性との距離感には、かなり慎重になっていた。
それなのに――アリシア令嬢が魅了された原因が分からない。
やはりただの偶然か、それとも――
思考を断ち切ったのは、廊下の先から聞こえた軽い笑い声だった。
「……?」
空き部屋のはずだ。
覗いてみると、令嬢局員が何人か集まり、カードを広げていた。
昼休みにはまだ早い。
さぼりか。
一応注意すべきかと扉へ手を伸ばした、その時。
「罰ゲームは勘弁ですわぁ」
「罰がなきゃつまらないじゃない。
今はフィリクスさんがいないから面白くないですけど」
息が止まる。
「ほら、この間なんて傑作だったわよね。まさかアリシア様がああなるなんて」
「魔力の《香り》に敏感とか自慢してらしたものね。
ぶつかっただけでああなるなんて、ご愁傷様」
くすくすくす、と下卑た笑いが続く。
視界の端が、静かに赤く染まった気がした。
扉を開けると、思った以上の音がした。
「きゃっ」
令嬢たちが飛び上がり、カードが宙に舞う。
「ダ……ダルセイン様……」
引きつった笑顔の彼女たちに、ダルセインはぐ、と怒りを抑えて微笑む。
「ごきげんよう、ご令嬢方。
楽しそうなお話をされていましたね。廊下まで聞こえていましたよ。
罰ゲーム、とか?」
「ええと………」
令嬢たちの顔が青く染まる。
「た、大したことじゃありませんのよ。
フィリクス様の《香り》が魅了を起こすって噂があるでしょう?
それが本当なのか、少し検証を……」
「検証?」
びき、と血管がきれそうになる。
ふざけんな。
お前らの遊びのせいで、フィリクスがどんな目にあったと思ってんだ。
冤罪。拷問。逃亡扱い。
今だって局に追われてんだぞ、くそ共が。
なんとか言葉は飲みこんだが、抑えきれない怒りが低い笑いとなって漏れる。
固まる空気。
「そうですか。
では、その検証について、ぜひ上層部へ報告して頂きたいのですが」
「ひ……!」
震えあがる令嬢たちに有無を言わさず、ダルセインは部屋から連れ出す。
怒鳴り倒したい気持ちをなんとか抑えた自分に、感謝してほしいくらいだった。
◆◆◆
「あははぁ」
リュシアの体調が戻った頃。
ダルセインからの伝令を読んだフィリクスは、思わず手紙を握りつぶしそうになった。
「どうしたの?」
すぐそばで魔草を仕分けていたリュシアが、横から覗き込んでくる。
「……アリシア嬢の件、容疑が晴れたみたい。
貴族令嬢たちの“罰ゲーム”が発端だったんだって。
『フィリクスにぶつかって、魅了されるか試す肝試し』……とか」
淡々と告げるつもりが、つい嘆息がまじる。
「なにそれ。最低」
リュシアの眉がきゅっと寄る。その怒りが自分のためだと思うと、少し胸の内が軽くなる。
手紙には続きがあった。
この件は令嬢たちの婚約者の耳にも入り、婚約破棄にまで発展しているらしい。
そして――ジェイドについては、爵位剥奪になったという。
「やるなあ、ダルセイン様」
恐らく、彼が裏でうまく動いたのだろう。
なんだかんだ、ダルセインはフィリクスに甘いのだ。
最後に、短い一文が添えられている。
――そろそろ戻ってこい。
「俺、局に戻ってももう大丈夫みたい」
告げると、リュシアの睫毛がそっと伏せた。
「……そっか」
「あーあ、まだ食べてほしいものが、いっぱいあるんだけどな」
口をついて出た本音に、自分で驚く。
引き留めてほしいのだと気づいた瞬間、女々しさに苦笑がこぼれた。
とはいえ、リュシアも少し寂しそう……な気がする。気のせいかもしれないけれど。
「ねえ。シュークリームって知ってる?
中にカスタードがたっぷり入っててね、美味しいんだ。
だから……また作りに来てもいい?」
「え」
「また、一緒に食べようよ」
リュシアはぱちりと瞬きし、頬をほんのりと染めた。
「……うん」
たったその一言で、充分だった。
魅了が効かない彼女を、ほんの少し残念に思う自分が最低で苦笑する。
魅了なんて虚しいだけだとわかっているのに。
「約束ね」
小指を差し出すと、リュシアの細い指が絡んだ。
心臓が、甘く跳ねる。
ああ。
これはもう、仕方なかった。もう、認めるしかない。
「……もし、俺がリュシアを好きになっちゃったって言ったら、それでも会ってくれる?」
「え、なっ……!」
つい出た言葉に、リュシアは顔を真っ赤にして、口をぱくぱくさせた。
「あはは。冗談冗談」
「っもう! 変なこと言わないで」
怒る彼女に、ごめんね、と笑って返す。
リュシアが冗談と受け取れなくなるまで、どれだけかかるんだろう。
しかし、時間がかかることくらいどうってことはなかった。
魅了されるより、ずっと良い。
その隣を、誰かに譲るつもりはないのだから。
窓から、やわらかな風が入り込む。
「さあ、お昼はラタトゥイユにしようかな」
「わたしも手伝う」
リュシアが隣で野菜を準備する。
そんな距離が、たまらなく心地いい。
そして――なかなか局に戻らないフィリクスに、業を煮やしたダルセインから怒りの伝令が届いたのは、それから3日後のことだった。
最終話までお付き合い頂き、ありがとうございました。
ここまで書けたのは読者様がいてくれたおかげです。
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