7-6 優しさの代償
「リュシア……っ」
何度名前を呼んでも、声は返ってこなかった。
治癒魔法を流し込んでも、手ごたえはない。
リュシアの体は小さく震え、ひゅうひゅうと浅い呼吸を繰り返す。
苦しそうな様子に、ぎゅっと胸が詰まった。
自責が、じわじわとフィリクスの心を蝕む。
――俺のせいだ
リュシアが殺されると思った瞬間、考えるより先に特級魔法を唱えていた。
魔法の矢からなんとか彼女を守り、その笑顔を見て今度は守れたとほっとした矢先――胸に巣食ったのは、ジェイドへの殺意だった。
リュシアを出来損ない呼ばわりし、あまつさえ殺そうとしたあの男への怒りに、理性があっさり吹き飛んだ。
そこからの記憶は曖昧だ。
リュシアに腕を取られたのはぼんやり感じたが、止められなかった。いや、止めたくなかったのかもしれない。
結果、リュシアが無理をすることになった。
彼女は魔法を使って、フィリクスの特級魔法を消去した。
それだけではない。局の人間の魔法も消去し、操って森から追い出したのも彼女だ。
魔力のない彼女が、どうやって魔法を使ったのかは分からない。
しかし、特級魔法の強制消去にどれだけ力がいるかは、想像に容易かった。
ぐ、と拳を握りこみ――ふと、リュシアの右腕に巻かれていた包帯が外れているのに気づく。
焼き付けれらたような魔法陣が、そこに見えた。
繊細な紋様は、見たことのない構造をしている。
「……なんだ、これ」
これを発動させたのか?
――いや。考えるのは後でいい。
まずは……
「リュシア、帰るよ」
そっと、彼女を抱き上げる。
過ごした時間は短いが、彼女はもう失えない存在になっていた。
優しいと言われてむきになって怒った表情が、やけに脳裏にこびりついて離れない。
リュシアと過ごした時間は、優しくて、暖かかった。
あの時間を失いたくない。
できるなら、ずっと――
手に伝わる彼女の体温がやけに熱くて、胸がざわつく。
慎重に、しかし急いでフィリクスは家へ向かった。
◆◆◆
目を覚ますと、見慣れた木目の天井が目に入った。
自分の部屋だ、と気づいて、ほっとする。
フィリクスがここまで連れてきてくれたんだろう。
窓の外から、柔らかい光がさしこんでいた。
朝か、夕方か。静けさの中で、鳥の声が遠くに響いている。
ふと、左手に柔らかい重みを感じて視線を落とすと、そこに、フィリクスがいた。
リュシアの手を握ったまま、ベッド脇でうつ伏せに、眠っている。
編みこまれた紅い髪がほどけて、頬にもかかっていた。
きっと、ずっと付き添ってくれていたんだろう。
名前を呼ぼうとしたが、喉がひどく乾いていて声が出ない。
「フィ……ス」
「!」
やっと出た声は掠れていた。
それでも、フィリクスはがばっと顔を上げる。
驚きと安堵の混じった瞳が、リュシアを捉えた。
「リュシア……?」
そっと、その手が頬へと伸びる。
近い距離に、息が止まった。
その指が頬に触れ、思わず肩がすくむ。
「フィリクス……?」
やがて、力が抜けたように彼は肩を落とした。
「……よかったぁ」
心底ほっとしたように、息をついている。
「ここまで……運んでくれたの?」
「うん。でもそれだけじゃないよ。
あれから、もう三日もたってるんだから」
「三日も?」
「そう。その間、ずっと看病してたんだよ。治癒魔法をかけても全然起きてこないし」
なじるように、フィリクスの眉が寄る。
けれど、その声はかすかに震えていた。
責めるような瞳にいたたまれず、起き上がろうと体を動かす。しかし、全身が軋んだ。痛い。顔をしかめると、気づいたフィリクスに肩を押さえられた。ベッドに戻される。
「無理しなくていいから。お水、飲める?」
「……うん。ありがとう」
差し出されたコップのストローに口をつける。
冷たい水が喉を通り、体中に染み渡った。
「おいしい」
「うん。よかった」
小さく笑った彼の表情は、どこかぎこちなかった。
ふと、その瞳が遠くを見る。
何かを思い返しているような、瞳。
「――あれってさ、なんだったの」
静かに落ちた声。
彼の視線は、リュシアの右腕をじっと見ている。
追って見ると、包帯が外れて、魔法陣が露わになっていた。
「あ……」
「ごめん。外れてたから、見た。
それさ、何? 誰がやったの?」
どう説明すればよいか、言葉に迷う。
右腕の魔法陣を、そっと撫でた、
「――これは、母がしてくれたの」
「お母さん?」
「うん。
この魔法陣は、魔草の魔力を体内に貯められるようにするものなの。
ムコウ草を食べて、おまじないを唱えれば、望んだ魔法が発動する。
いざというとき、自分の身を守れるようにって、母が。
わたし、魔力がないから。
使うときは気をつけろって言われてたんだけど……」
頬をかきながら笑ってみせる。命を削る、と言われていたことは口にしなかった。
フィリクスが深いため息をつく。
「詠唱中の特級魔法を消去するのって、その魔法以上の魔力がいるんだよ。
ダルセインたちにかけた操作魔法だって上級魔法の類なのに、それをあんな人数分……負担がかかるに決まってる」
「……だって、フィリクスが詠唱やめてくれなかったから……」
「!」
小さく反論すると、フィリクスの目が見開いた。やがて、その目が伏せる。
「それは……それはそうでしょ。
リュシア、殺されるところだったんだよ?
そんなの、俺だって……」
震える声。
その言葉に、何も返せない。フィリクスが歯噛みするように呟く。
「会って間もない人間のために、無茶なんてしなくていいんだよ」
「それは、お互い様でしょ。
フィリクスが無茶してなかったら、わたしも無茶してない」
「そんなの……っ」
フィリクスが困ったように頭を掻く。
「俺はね、天才だから放っておいたって大丈夫なの。
誰も俺を殺せはしないから」
飄々とした、いつもの笑顔。
しかし、もうむっとはしなかった。
「でも、フィリクスだって痛いのも人を殺すのも嫌でしょ?
わたしも、フィリクスに人殺しなんかしてほしくない」
フィリクスが、一瞬虚を突かれた顔をする。
やがて、紅い瞳が柔らかな弧を描いた。
「やっぱ優しいね、リュシアは」
「っ別に優しくなんて……!」
「はいはい」
軽くいなされ、けれどやけに甘い瞳に見つめられて、リュシアの顔にいっきに熱が集まる。
こんな顔、見られたくない。
けれど、フィリクスの瞳から目を離せない。
あの時の狂気の色が微塵もないその瞳に、ほっとしている自分がいた。
ふと、彼が首を傾げる。
「それにしても……君のお母さんちょっとすごすぎない?
魔草の魔力を体内に貯める魔法陣なんて、聞いたことないんだけど」
「実は、母も魔法管理局で働いてるの。上級魔法士として」
「え」
「しばらく帰ってきてないけどね。研究が忙しいんじゃないかな」
「……そうか。だから上級魔法士の紋章を知ってたんだね」
うん、とリュシアが頷くと、フィリクスは深く息をつく。
そして、リュシアの額に手を置いた。
「――熱、まだあるね。
元気になったら、またフレンチトースト作るよ。一緒に食べよう」
「うん」
窓の外が、木漏れ日できらきら光っている。
台所へ向かうフィリクスのの背中を見送りながら、リュシアは目を細める。
やっぱり、フィリクスがいると家が明るく見えた。
優しくて、時々ひやりとするほど冷たい目をしていて、強くて、弱くて、やっぱり彼は変な人だった。
でも、まだ一緒にいられると思うと、胸の奥がじんわりと温かくなった 。
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