7-5 命をけずる『おまじない』
黒い力が渦をなし、フィリクスを中心に巻き上がっていた。
「フィリクス!
特級魔法なんて放って死人が出てみろ!
上層部は本気でお前を殺しにかかるぞ!」
「――へえ。じゃあ、してみたら?」
挑発するような、静かな微笑みだった。
ダルセインが舌打ちし、即座に魔法陣を展開する。広範囲の結界魔法。局員たちも、木の根から逃れた者から慌てて加勢し始めた。
更にダルセインが詠唱を続ける。彼の足元に青い魔法陣が広がり、不穏な光を放つ。
魔法が使えないリュシアにも、それが攻撃魔法だということは分かった。
――フィリクスが、殺される?
「フィリクス、もういいからやめて!」
「大丈夫だよ。ダルセイン様のは当たっても意味ないから」
「そういうことじゃなくて……!」
「や、やめろ、頼む! つい頭に血が上って……許してくれ!」
腰を抜かしていたジェイドが、額を地につけて必死に叫び始めたのを、フィリクスが鼻で笑った。
「つい? 君、彼女を殺しかけたって自覚ある?」
深紅の瞳の奥が翳る。
自責、憎悪、悔恨 。様々な感情の混じった暗い光に、フィリクスが沈んでいくのが分かった。
詠唱しているのはフィリクスなのに、まるで特級魔法が彼を呑みこんでいるようにさえ感じる。
強まる闇に、リュシアはフィリクスの腕を掴んだ。
「フィリクス、わたしは大丈夫だから。
お願いだからもう……!」
しかし、フィリクスはこちらを見ない。リュシアの声は、届いていないようだった。
漆黒の魔法陣は膨張し、空気を震わせる。
圧倒的な力の気配に、思わず身がすくんだ。
フィリクスの瞳に移る、ほんの少しの狂気。
こんなに近くにいるのに、手を伸ばしても声が届かない。
どうすれば、フィリクスを止められる?
どうしたら……
その時。
ふと、頭の奥で母の言葉が蘇った。
『おまじないを唱えてね』
そう、母はリュシアに教えてくれた。
『ムコウ草と、この魔法陣。
これがあれば、魔草の力を借りて望んだ魔法が使える』
魔法陣は、右腕の包帯の下にあった。
幼い頃、貴女を守ってくれるものだと母が焼き付けたものだ。
『でも、気を付けて。
このおまじないは貴女の命を削るの。
だから、使うのは本当に必要な時だけ。いいわね』
ポシェットからムコウ草を取り出す。何かあったときの為に、出かけるときはいつも持ち歩いていた。
じわり、と手に汗が滲む。
おまじないを唱えたことは、まだ一度もない。
どうなるのかも分からない。
怖い。
それでも――フィリクスをこのまま放っておけない。
フィリクスが捕まるのも、誰かを殺すところも、見たくなかった。
フィリクスは、魔法一つ使えないリュシアを馬鹿にしなかった。
尊敬すると、誇っていいと言ってくれた。
その言葉に、どれだけ救われたか。
だから――
リュシアはムコウ草を口へ放り込み、おまじないを――詠唱を紡ぐ。
「――我が身に宿る、古き魂よ――」
唱えた始めた瞬間、右腕の包帯の下が熱を持ち、黄金の光が溢れた。
やがて、全身から光の粒子がふわりと立ち上る、体の奥底から、何かが湧き出すようだった。
詠唱を続ける。
足元に淡い魔法陣が浮かび、ゆっくりと広がる。
それは静かに、しかし確実にフィリクスの巨大な魔法陣を飲みこんだ。
すべてを覆った瞬間――ふっと漆黒の魔法陣が霧散した。
「!」
我に返ったように、はっとフィリクスがリュシアを見る。
その瞳からは翳りが消え、ただ戸惑った瞳ががリュシアへ向いていた。
「特級魔法を、消したの……?」
フィリクスの問いに答えないまま、リュシアは局員たちへ向き直る。
「あなたたちは、もう森からでて行ってよ!」
右腕の魔法陣が、再び淡い光を放つ。
ダルセインと局員が張った結界も魔法陣も、淡い魔法陣に喰われて霧散していった。
次の瞬間。
ダルセインの体が、ぎこちなく揺れる。
「――あ?」
理解できないといったように、ダルセインが眉根を寄せた。
ダルセインの体が、まるで糸で操られているかのようにガクンと傾ぐ。そして、そのまま森の出口へと足が動いた。局員たちも同様に、森の出口へと向かっていく。
「――は? おい、フィリクス!
攻撃魔法を仕掛けるふりしてお前……どういうことだ卑怯者が! 解け!」
完全にフィリクスの魔法だと思い込んでいるらしい。
フィリクスは毒気を抜かれたようにぽかんとし、やがて噴き出すように笑った。
「じゃーあねー」
フィリクスが手を振る。
ダルセインたちは森の出口へと消えて行き、さっきまでの騒音が嘘のように森に静けさが戻った。
そして、フィリクスがリュシアへ振り返る。
真剣な瞳。
「……今の、リュシアだよね?」
リュシアは小さく頷く。
「母が教えてくれた『おまじない』なの。
いざという時に唱えなさいって。
どうなるかは、知らなかったけど――」
言い終わる前に、ふいに視界が真っ暗になった。
どくん、と心臓が波打ち、ぶわり、と全身から脂汗が噴き出す。
体が震え、膝が落ち、リュシアはそのまま地面に倒れこんだ。
鼓動が激しく鳴っていた。
息ができない。
「え、リュシア……リュシア!」
フィリクスの慌てた声が聞こえる。
大丈夫、と言いたかったが声が出ない。
フィリクスの声がどんどん遠のいて――そのまま、すべてが闇に沈んだ。
次回、明日11/21投稿予定です。
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