7-4 今度こそ守りたくて
爆音の聞こえていた方へ、リュシアは駆ける。
倒れた木が、土を割るように散乱していた。
焦げ臭さが鼻の奥を刺し、大地は深く抉れている。
その中心に、フィリクスが倒れていた。
漆黒の鎖に体を捕らわれ、うつ伏せたまま動かない。
周囲の空気がびりびりと震えているようだった。
「っ……」
名を呼ぼうとした声が、喉の奥でつぶれる。
フィリクスの前に、銀髪の青年が立っていた。
張りつめた威圧感。
背後には、十数人の局員たちが倒れ、木の根に体を絡めとられてもがいている。
「攻撃魔法が使えないなんて、不利が過ぎません?」
飄々としたフィリクスの声だけが、異様に明るく響いた。疲れの色が顔に滲んでいるのに、調子は変わっていない。
「俺も攻撃魔法は使ってない」
「ダルセイン様は拘束魔法が得意じゃないですかぁ。
俺は攻撃魔法が得意なんですー」
「お前が攻撃魔法なんか使ったら人が大量に死ぬだろうが」
銀髪の青年――ダルセインは、苛立ったように舌打ちし、手を伸ばす。
「観念しろ、フィリクス。お前を連行する」
その指先が触れる――そう思った瞬間、手に汗が滲んだ。
フィリクスが、連れていかれる。
捕まる。
もう会えなくなる
助けに入ったって、何もできないかもしれない。
でも、放っておいたら一生後悔する。
「待って!」
気づけば飛び出していた。
すべての視線がリュシアへ向き、ひやりと背筋が凍る。
フィリクスの視線を痛いほど感じた。「なんで来たんだ」と言葉にしないで責めて来る。
目が泳ぐでも、止まれなかった。
「フィ、フィリクスは変な《香り》ってだけで、何もしてませんよね。
それで誑惑罪なんて、おかしいです!」
変な香りってひどい、とフィリクスが嘆くのが聞こえたが、今は無視した。
ダルセインはしばらくリュシアを見ていたが、やがて呆れたようにため息をつく。
「フィリクス。お前、また犠牲者を作ったのか?」
「わたし、魅了されてなんか……!」
「こいつを助けに来るくらいには、一緒にいたんだろう?」
「………」
フィリクスは答えない。
その沈黙に、ダルセインが眉をひそめた。そして、リュシアを一瞥する。
「お前は、局員じゃないな」
「!」
鋭い視線に、思わず肩が震えた。
手足が拘束されるような感覚に、後ずさりもできない。
呼吸を忘れた瞬間、ダルセインがこちらへ歩み寄る。
「ダルセイン様、ちょっと待って!」
フィリクスの制止等無視して、彼はリュシアの目の前に立つ。整った眉を顰める。
「……《香り》がしない……?」
重たい空気に、思わず呼吸を忘れた。
問いは、答えを必要としていないようだった。
「そんな脆弱な魔力量で、フィリクスに魅了されなかったのか……」
ダルセインが、リュシアへ手を伸ばす。
その手が肩に触れる、その瞬間。
リュシアはポケットから試験管を取り出し、青い液体をダルセインへ放った。
青い液体はその胸元へ広がり、鮮やかな光を帯びる。
それは、魔草である凍結草でつくった液体だった。
「なっ……!」
「凍結!」
リュシアの言葉に反応して、液体が質量を増す。
ダルセインが、まるで氷漬けになったようにぴたりと止まった。
表情さえ、驚愕したまま凍りついている。
「……あーあ。ダルセイン様、完全に油断してたねえ」
鎖に縛られたままのフィリクスが笑う。
凍結の効果は長くない。
この隙にフィリクスを助けなければ、と駆け寄った。
「フィリクス、大丈夫?」
「やるねえ、リュシア。
でもさ、ダルセイン様って公爵家出身の上に現王の甥っ子だよ」
「………。
え! どうしよう」
思わずダルセインを振り返る。
現王の甥っ子に、この仕打ち。
首をはねられるだろうか。磔だろうか。
フィリクスは「まあ大丈夫大丈夫」と笑っているが、いまいち信用できない。
その時――。
「このできそこないがぁああああ!」
空気を割るような、怒声。
木の根をちぎって立ち上がったジェイドの足元に、魔法陣が浮かんだ。
「どんな技を使ったか知らないが、お前のような者がダルセイン様に術を放つなど無礼を知れ!」
「……それ、攻撃魔法じゃない?」
「や、めろ……っ!」
フィリクスが呟いたのと、ダルセインの制止は同時だった。
ダルセインの声が届く前に、ジェイドの怒気が膨れ上がる。
怒りで燃えた、瞳孔 。
リュシアへ、ジェイドが吠える。
「【雷撃の矢】!」
「!」
空間が裂けた。
青白い光の矢が、幾重もリュシアへ向かった。
◆◆◆
死ね、という怒号が耳を打った。
まばゆい矢が迫る。
思考が飛ぶ。
逃げられない。息ができない。
「っ」
リュシアが死を覚悟した、その瞬間。
目の前に、人影がうつる。
フィリクスだった。
強く抱きしめられ、そのぬくもりが伝わる。
《香り》は知らない。ただ、彼の柔らかい匂いが胸を満たす。
驚いている間はなかった。
向かってくる、青白い光の矢。
「フィリクス!」
しかし、叫ぶより先に、光の矢がはじけ飛んだ。
弾けた矢は逆流するようにジェイドへ向かい、そのすぐ傍で爆音と共に落ちる。
「……良かった。今度は間に合った」
耳元で聞こえた声に、胸が締め付けられた。
途端に、泣きそうになる。
死ぬかと思った。
フィリクスが、死ぬかと思った。
フィリクスの背中に手を伸ばし、抱きしめる。
「フィリクス、怪我は?」
「それは俺のセリフでしょ。
大丈夫。ないよ」
抱きしめる手に、力がこもる。
「拘束されてたのに、どうして?」
「それはね、これのおかげ」
フィリクスの腕が離れて、視線を落とす。
そこには、黒い魔法陣が浮かび上がっていた。
フィリクスを中心に浮かんだそれは、空気が震えるような圧がある。
視界の端に、腰を抜かしているジェイドが見えた。生きてはいるようだ。
「これ、結界……?」
尋ねると、フィリクスは苦笑する。
その迷ったような表情に、ざわり、と胸が騒いだ。
「ねえ」
「――詠唱結界だ」
答えたのは、フィリクスではなくダルセインだった。
「特級攻撃魔法の詠唱結界。
結界魔法の中でも、それに適うものはあまりない。
俺の拘束魔法さえ破壊するとは……忌々しいな」
凍結はとけたらしい。油断ならない相手に唸る獣のように、フィリクスを睨んでいる。
思わず構えると、「心配ないよ」とフィリクスがリュシアの肩に手を置く。
「間に合ってよかったでしょ。
この子、あいつの攻撃魔法のせいで死ぬとこだったんだから」
ダルセインが眉根を寄せ、ジェイドに、そしてリュシアに目を向ける。
「あっ、あの、凍結のこと――」
「言うな。それより、俺の部下がすまなかった。
あいつは審議にかけて早急に処罰を――」
「――いいよ、そんなの」
そう答えたのは、フィリクスだった。
「審議なんてかけなくていい。俺が今、処罰する」
いつもと変わらない飄々とした声。
けれど、底知れない静かな怒りを感じて、リュシアはそっとフィリクスを見上げる。
口角は上がっているのに、その紅い瞳は暗く濁っていて、ぞくり、と背筋が震えた。
ダルセインが舌打ちする。
「お前……まさかとは思うがその特級攻撃魔法……」
「うん。ジェイドにお見舞いする」
「人に攻撃魔法をしかけるのは禁止だと知っているだろう!
「知ってる。でも、先にやったのはジェイドだよ。
これはもう第三者のための正当防衛でしょ。
ねえ?」
フィリクスの視線を受けて、ジェイドがひ、と小さく呻いた。
顔面は蒼白。口はがくがくと震えている。
「どう考えても過剰防衛だろうが!」
ダルセインが叫ぶが、フィリクスは肩をすくめて見せる。
詠唱が静かに、その口から漏れ始めた。
「フィリクス……っ」
名前を呼ぶが、返事がない。
ただ、黒い力が渦をなし、フィリクスを中心に巻き上がっていた。
森の空気は沈み、光が揺らめく、
リュシアは、その背に触れられないまま立ち尽くした。
次回11/20投稿予定です。
また覗いてもらえたら嬉しいです。




