いつか止むもんだ
雨男だと幼い時からやたらからかわれて、イベントのたびに雨が降れば俺のせい。
降らなきゃ降らないで、今日は大したイベントじゃないから降らせてもよかったのにと言われ。
(あの、雨女雨男ってシステムは、一体誰がいつから言い出したんだろうな。っていうか、科学的な根拠よこせって話だ)
高校あたりになった頃には、そんなことを言われてもスルー出来るようにはなっていた。でも、小学校の時には結構傷ついたっけ。
遠足が延期になって、授業になり、昼は持参してきた弁当を教室で食べて。
外で食べた方が美味しいのに、雨男か雨女のせいで教室での弁当だな? とか、配慮が感じられない教師のせいでさらに悪化していた記憶がある。
余計なことをいうなって、内心何度も思ってた。そして、イベントなんかなにも無くなればいいのにとも思ってたし。
雨の中を歩きながら、ぼんやりと昔を振り返ってみては、またため息をこぼす。
「雨が降るといい思い出はあまり思い出さないよな」
ぼやきながら元のとこのそれによく似た信号を、まわりの様子を見ながら渡っていく。
ここの信号は、色はほぼ同じ。青信号の青がドギツイ青で、赤信号の赤が緋色に近い紅っぽい色。
ハッキリとした色ばかりで、目に優しくはないな。それとも、ここで暮らす人には見やすい色合いなのか?
そして歩行者向けの信号は人の形じゃなく、ここで暮らしている人たち同様で動物の形。獣人っていえばいいのか? その正式な呼称はわかってない。何種類かあって、犬っぽいのやサルっぽいの、それとなぜか蛇。
それが歩いているか停まっているか、で表示されている。蛇のは、一番わかりにくいや。
俺の新居の場所は、あの手続きをしたところからは離れているようにみえる。
遠巻きに見える街並みは、高さがある建物が猫の齋藤と一緒に向かっていたものと、すこし違う気がして。
同じ市内だけど、区画が違うとかそういうあれかな。とか思いながら、自分の家の正式な住所を記憶していないことに気づいた。
「それって、やばいよな? 迷子になっても、誰に聞いて、どう帰ればいいって話だぞ。…大丈夫か、俺」
どこに帰りたいっていう場所が伝えられない=本当の意味で漂流者になりかねん。
このまま出かけるか、今ならまだ比較的近いから戻るか。
さっきから出鼻くじかれっぱなしで、ボロボロだ。
タイミングよろしく足を留めた信号で、青になるのを待ちながら決めかねていた俺。
「あれ? 水兎さん?」
その背中に声をかけてきたのがいる。
「…………」
ここに来ての知り合いなんて、ほぼいない。…の、中での唯一ったら。
「猫…」
今日も長めの尻尾をゆるりと揺らしながら、俺の前に立っていたのは猫の齋藤。
傘を持つ俺とは違って、昨日みたいに魔法でエアーカーテンとかいうので雨を避けているようだ。
「引っ越し諸々の手続き終わったんですよねぇ? どうですか? 新居は。今日はどうしたんですか? 行きたい場所が見つけられなかったら、ナビの仕方がありますよ? マニュアルに書いてあったから、読んだかもしれませんが、わからなかったら教えますよぉ」
猫の齋藤は、昨日は時々変な顔つきで、俺と目を合わせるというよりも俺のすぐそばにあるなにかに目を向けて変な顔をしていたような。
気のせいかなと思っていたけど、本当の俺のまわりに何か見えているのかもしれない。幽霊的ななにかじゃなく、ステータスかなんか。
そして今日も、同じようにどこ見てんの? と聞きたくなるほど上の方へ視線が向いている。
『紫と…黄色。これって一体どういうメンタル?』
そして、また何かを呟いて…。でも、やっぱり聞こえなくて。その様子だけを、見るハメになって。
昨日、別れ際にちょっと口出しさせてもらったけど、猫の齋藤には何の効果もなかったのかもしれない。態度が昨日と大差なさそうだ。
そのひとり言っぽいのを見なかったことにして、猫の齋藤にためしに聞いてみることにした。
「ナビどうこうよりも、困ったことになってて」
ついさっき気付いたことを、猫の齋藤に話してみる。
「俺の新居の住所がわからないから、帰りに困ったことになりそうで。行き先については、とりあえずブラブラしてみようって思ってたからいいんだけど、帰りだけが問題で」
そう話している間に、目の前の信号が青になる。
「ひとまず渡ってしまいましょうか」
猫の齋藤がそういいながら、俺にこっちこっちという感じで少し前を歩いて手招きをする。
(まねき猫…)
とか、ちょっとくだらないことを考えながら、その背を追う。
「さ、て。水兎さま、持ち物を確認してもよろしいでしょうか?」
信号を渡ってすぐに、猫の齋藤は体を反転させて俺の方を向く。
そうして差し出された手に、俺は時計と鍵と傘とカードだけを持っていると示した。
「あぁ…十分ですね。大丈夫、帰れますよ。なんなら、今すぐにでも」
猫の齋藤は、満面の笑みで俺を見上げる。
「って、この中に俺の住所を示すものでも?」
そう問いかけると、NOを示すように首をゆるく振った。
「引っ越しの際、初回限定のドアから移動になったのを覚えていらっしゃいますか?」
そういえばそんな感じだったなと思い出して、素直にうなずく。
「実は、引っ越し以降は街中に数多くある転送鍵穴にて、自宅へひとっ飛びなんですよ。…本当にマニュアル、読まれました? とはいっても、個人を識別できるようになっているので、よそのおうちの鍵はいくら鍵穴に入れてもどこにも通じないようになってますが。ですから、万が一…万が一! 水兎さまがカギをなくされても、他の誰かが勝手に入り込むなどは出来ません。…たしかマニュアルの後半に書かれていたかと思いますが…」
長々とした説明に、一瞬、カァッと頭が熱くなった。なんだかバカにされた気がした…。
「…あ、っと。申し訳…ありません。そういうつもりはなかったのですけど」
俺のその反応に、猫の齋藤はすぐさま反応して謝罪の言葉を述べる。
「……それさ、なんなの? 俺の何を見て反応してるわけ」
俺を見ているようで見ていない謝罪。誰に対して謝ってるのかが伝わらない。
「俺に悪いなって思ったのが、俺の何かを見て…で。自分の気持ち的に俺に嫌な気分を味わわせたと気づき、それは謝るべきだと思った上での謝罪ならいい。……でも、昨日の様子もそうだけど、俺じゃない何かを見て判断してるだろ。出会った最初には砕けた口調だったのが、急にご丁寧な感じになったのも変だったし。……猫の齋藤さん?」
傘をさしながら、二人で路上でなかなか終わらない話を続ける。
もう一度、きちんと言葉にして問いたくてあえて名前をハッキリ呼ぶ。
「…はい、なんでしょう。水兎さま」
今日はきっと勤務中でもなく担当内でもないはず。それでも声をかけてくれたこと自体は、本当にありがたかったし嬉しく感じたのに。
「アンタさ。誰の何に向き合って悪いって思ってんの? 誰と……会話してるのさ」
悲しく、戸惑いもあり、悲しすぎて腹立たしくもなった俺。
「俺だから…声、かけてくてたんじゃなかったの?」
こうやって猫の齋藤に話しかけながら、複雑な気持ちになる。
(こんな風に元いた場所でも言葉で向き合おうとしてみせたら、俺の毎日はいくらか気分良く過ごせたのかな)
なんていう、今更なことを思い浮かべてしまう。
「困っていそうだなって思ってくれたこと自体には感謝してるよ。……でも、やっぱ…なんか違わなくないか」
自分の顔が歪んでいくのがわかる。
『……青、一色』
ポソッとまた何かを呟いて、猫の齋藤が呆然とした顔つきになった。
俺の何を見たんだろう。何を見たら、そんな顔になるんだよ。
猫の齋藤をまっすぐに俺を見上げてきた。顔を歪めたままで、それでも目を合わせてこようとするのをそらす気はなくて。
「申し訳…ありません。水兎さまを悲しくさせ…ガッカリもさせ……」
そうして、頭を下げてきた。
街中でやるもんじゃない。
悪目立ちしてるってのがわかる。
「…やめてくんない? 引っ越してきたばっかで、目立ちたくないんだ。俺」
「すみま…っっ」
謝罪の言葉をまた言いかけて、手で口元を覆い隠し。
バツが悪そうに、無言で頭をもう一度下げてはすぐに上げた。
「……水兎さま」
「…なに?」
猫の齋藤の声が重たく低く聞こえる。声はどっちかっていうと、すこし高めだから低くなるとわかりやすいや。
ひどく緊張しているさまがみてとれるくらい、猫の齋藤の目がネコ目なのにへにゃりと申し訳なさげに下がっていた。
「悪意は…ないんです。水兎さまに心地よく過ごしていただくことが、今回の目的の一つでもありますし」
猫の齋藤が言っていることの意味を、昨日散々聞かされた役所っぽいとこの窓口で聞かされた言葉で返す。
「予算を使ってもらわなきゃいけない相手が俺…だからね」
ここに召喚というか転生? 転移? をさせた一番の理由がそれで、おまけみたいな理由があの日記っぽいのに書かれていた自分癒しなんだろ?
猫いじめをしたい訳じゃないんだよな、俺はさ。
カンタンな話で、ちゃんと俺と会話してほしかっただけなんだ。
「齋藤さんがさ、俺と視線合わないのって…意味ある? 俺のそばに、なにかのステータス画面でも出てるの?」
思いきってこの機会に聞いてみる。
「え…」
俺が聞いてきたことが、まるで意外だったように目を瞠る猫の齋藤。
「そんなに意外なこと聞いた? 昨日からなにかおかしいなってことはわかってるからさ、ネタバレしてくれるといいんだけど。知らないとこで勝手に自分の何かを見透かされているみたいで…イヤなんだよね。色がどうとか言いかけていたのも、結局は最後まで話を聞くことも出来なかったし」
話をしながら、どんどん気持ちが沈んでいってしまう。自分が思ってたよりも、目の前のコイツの態度にガッカリしてたんだな。
「ひとつ…確認をしたいのですが」
猫の齋藤が自分のカバンを探りながら、俺に話を切り出した。
「…なに?」
そう短く返事をした俺に、猫の齋藤は手のひらサイズの鏡を手渡してきた。いわゆるコンパクトとかいうやつだろ。
開いた状態でそれを俺に見ろという。
「見ていただきたいのは、水兎さまの髪なんですが」
「顔じゃなくて?」
髪を見ろって、どの辺を見ろって話なんだろ。
「水兎さまの目で見える、現在の髪のお色をうかがってもよろしいでしょうか」
そして、髪色とか言い出す。
「…は?」
よくわからない質問だ。髪色も何も、ここに来てからずっと俺の髪色は。
「アッシュグレーだろ? ちなみに目は淡い紫に見えてる。…って、質問の意味が分かんないんだけど」
それ以外の色合いに見えないけれど、今日は出ていない陽の光でも浴びれば、反射して別な色に見えるのかな。
たった今浮かんだ話をしてみても、猫の齋藤はなぜか俺以上に混乱した顔つきになっていた。
「陽の光を浴びようとも、その色は変わらないはずです。……そうですか、アッシュグレーなんですね?」
含みを持たせた言葉を吐き、さっきまでの混乱からどことなくガッカリした顔つきへと変わる。
そうなった理由も思い当たらない。
「違う風に見えてるって言ってるように聞こえるんだけど。…俺が気にしすぎ?」
俺、どんな顔で話してる? いろんな感情が混在していることだけはわかるのに、どんな思いが一番なのかが、自分の心のことなのにわかんない。つかめない。
「それ…は」
猫の齋藤の目が泳ぐ。なんつーか、こんなにわかりやすい肯定はないよな。
「よくわかんないけど、とにかく…違う色合いに見えてるってことで…合ってる?」
チラッとこっちの様子を伺うように視線を一瞬だけ合わせたかと思えば、すぐさま外してしまう。
どういう原理でそうなってるのかはわからないけれど、何らかの理由で俺の髪色が猫の齋藤には違って見えている。
しかも、それで戸惑ってしまうような感じってことでいいのか?
(俺にだけ比較的まともな髪色に見えていて、実のところすっごい髪色…なのかな)
「ね、聞かせて? 俺の髪色、現時点で…何色?」
その質問と同時に、猫の齋藤の目がぎょろッと大きく動く。
頭の形をなぞるように動いてから、小さく息を吐いたのが聞こえた。
「今は…紫、です」
「紫…」
大阪のおばちゃんかよ。
「その前は、青一色でした」
「青…」
どういう原理だ。
「それがそう見えてるのって、俺以外の全員がそういう風に見えてるのかな」
ふと浮かんだことを聞けば、首をかしげてきた。「さあ」という言葉を呟きながら。
昨日のあの段階から様子がおかしかった、猫の齋藤。
ってことはさ、その状態を知っていたら、窓口で受け付けをしてくれた相手数人に聞くことが出来たじゃないかよ。
「そういうの昨日…話してほしかった」
そうボヤく俺に「それは無理です」と即答する猫の齋藤。
「え……どうして」
そんなに難しいことかよと聞き返せば、昨日の時点でどこまで今期の決算前の漂流者の情報を共有するかが決まっていなかったからという。
ごく稀に召喚される俺のような対象者は、取得可能な魔法だなんだっていろんな意味で毎回パターンが違うもんだから、こうだったらこうしましょうという話は本人が来てからになることがほとんどらしい。
「ですので、その辺の話もまだ…先になるかと。ですので、水兎さまにも詳しい情報はお渡しできないのです」
その辺のやつに聞けばいいんじゃないの? と一瞬思ったのと同時に、そんな芸当を自分がやれるのかどうかってことが頭に浮かんだ。
急に話かけてきた相手が、俺の髪色なーんだ! って聞いてくる時点で、どこか変わったやつ認定されるかもしれない。
そんな状況、俺が耐えられるはずもない。
「……それってさ」
「はい」
「ハッキリしたら、教えてくれるの? 誰かが」
猫の齋藤にそう確かめてみても、曖昧に笑って見せるだけだ。
「ま……下っ端っぽいもんな。齋藤さん」
いろんな事への決定権がなさそうなあたりと、お役所仕事にはいろんな取り決めってもんがあるのは元の場所でもここでも変わらない気がして。
「わかった……。もう、無理に聞き出さないよ。だからさ……俺を見て、変な顔しないでくれると助かる。思ったよりも凹むんだよね、なんで? って思って」
苦笑いを浮かべているんだって思った。顔がヒクついて、変な感じだ。
「…はい」
神妙な顔つきでうなずく猫の齋藤に、ひとつだけ無理かな? と思いながら頼みごとを口にしてみる。
「ね。齋藤さん、齋藤さん」
「はい、なんでしょう」
雨は少しだけ小雨になってきて、傘にあたる雨粒の音も小さくなってきて。
「どっかオススメの店とかない? 食い物でも服でも雑貨でも。それと、さっき言ってた転送できる帰り方を教えてよ」
「あ、はい。それはかまいませんよ?」
「あとそれとさ」
「はい」
テンポが若干よくなってきた気がしたタイミングで、俺はそれを口にした。
「タメグチで話してくんない? 業務外の時だけでいいからさ」
この場所で、肩の力を抜いて過ごすためのひとつ。
「気楽に話が出来る相手の一人でいてほしい。…別に友達になってくれとか言わないからさ。疲れる口調、したくないし聞きたくもなくて」
俺がそう言うと、猫の齋藤が押し黙る。
どれくらいの時間が経っただろうか。
傘をさすほどでもなく、気にしなきゃ全然歩けそうだ。
傘を畳み、紐でくるりとまとめて、傘の先の部分をトン! と地面にあててみる。
水たまりに波紋が広がって、すぐに消えた。
空を仰げば、高いところで雲が早く流れていく。上空は風が強そうだ。
(こんな風に空を見上げたことも、かなり久々だな)
そのうち夜空も見上げてみよう。今までやれていなかったことに手をつけることも、自分を癒すことになるかもしれないし。
「…水兎さま」
「ん?」
その呼び方に、やっぱり無理だったかと肩を落とす。けど、諦めることは慣れてる。こればかりは仕方がなかったんだろう。
返事をしながら、そんなことを考えて気持ちの落としどころを見つけていた俺の耳に聞こえてきた声。
「いえ…水兎さん」
「え…」
戸惑いが隠せない。すぐに変えてくれるだなんて思っていなかった。
「行きましょうか! 行きつけの店がこっちにあるんで。っと、その前に…こっちですよ。転送の鍵穴の場所。出先でわからない時の探し方も、今から教えます!」
タメグチのようで微妙なそれは、きっと互いにギリギリのものなんだろう。
(それでも、いい。ちゃんと考えてから、答えを見せてくれているんだから)
「…ん。連れてってよ、齋藤さん」
「はい!」
一緒に歩き出すけれど、その歩調は俺よりも小さな齋藤さんに合わせてゆっくり目で。
「そういやさ。今日は仕事なの? 仕事じゃないの?」
格好を見たらわかりそうなものだけど、念のためで確認をしておく。
「ははっ。完全にプライベートですね。映画の帰り道です」
そう言いながら、パンフレットっぽいものをチラッとカバンの中から見せてくる。
「いいね、映画。俺も見に行ってみようかな。…今、オススメの映画ってどんなの?」
俺がいたところと同じような娯楽があることにホッとしつつ、猫の齋藤さんオススメの映画について説明を受けながら歩いていく。
風が俺の頬を撫でていって、それがくすぐったく感じて俺は頬をゆるめる。
「雨、やみましたね」
「…ん」
たったそれだけなのに、やけに嬉しくなって俺は自然と笑いかけていた。