閑話 それでも甘い人
俺は目の前でほろ酔いになってサイコロを振っては、自作のコマを出た目の分だけ進ませるたびにケラケラ笑っているアペルを見ている。
それと視界の端にある、アペルの側に雑に床置きされた大きな紙を丸めただけのものを。
――少し前のこと。玄関前で起きた、ちょっとした騒動。みんなで作ったゲームで、後は遊ぶだけのはずだったのに。
いきなりやってきたジュノ※元・バ課長が、アペルがあの日あの時に与えた罰のままなら、魔法についての記憶もなきゃ魔力もないはずだったのに、やってきて早々にこちらが願っていない展開を見せた後。
アペルがあることへ少しの時間を使ったかと思うと、その後は何もなかったかのようにゲームを始めだした。止まった場所で起きる、小さなイベント。自身に何かが起きたり、ゲームの中だけだったり。いろんな仕掛けを施したそれは、今まで遊んだことのない物となったのだが。
「次は何飲もうっかなー」
「もうやめときなよ、アペル」
「えー、飲みたい気分だってばー」
「一回さ、水飲もう。水。ほら、俺の方で出したから。アペルがくれてる、美味い水」
「水? やーだーよー。水なんか飲んだら、酔えなくなるってば」
「酔いすぎだって、アペル」
「生きてたらねー、酔いたい時もあるんだよ? 俺はね。これまで何回かあったけど…今も酔いたいの。…聞いてる? サリー。…あ、尻尾さわりたーい。ねー、ねー。尻尾、かーしーてー」
「いいけどさー、アペル相手なら尻尾の一つや二つ。…ったく」
ほろ酔いどころじゃないのかもしれない。思いのほか酔っている。しかも、パッと見はご機嫌。パッと見は。
アペルがこんな感じになった原因は、間違いなくジュノだろう。
最終的にサリーがジュノを拘束した後、アペルがあの日のように闇にも似た目でジュノを見下ろしながら俺たちに頼んできた。
『15分程度でいいから、絶対に動かないように押さえてて。すぐに準備するから』
ため息を吐くようにそう言った後、家の中へと一人で戻っていった彼。
何を? とこちらが聞き返すことも出来ない、重たい空気だった。
三人で見合ったまま、アペルが望む通りにするために動いた。家の中に入って様子を見ることも躊躇うような、アペルが放っていたあの空気。
どうにかした方がいいと頭の端で思っていても、それが正解かは迷うところだ。
俺もサリーも、こんな時の視線の先にはカムイさんがいる。
「アイツが待っててったら、待つ以外の選択肢はねぇよ。なーにするつもりか知んねぇけど、また…傷つかなきゃいーんだけどなぁ」
その言葉に、いつもなら「そうですね」とか返すのに。そんな言葉すら喉に引っかかってるように、すんなりと出てこない。
アペルのために何かをしたいと思っても、それが本当に望んでいるのかが今の距離感の俺には判断しきれなかった。
あのわずかな時間のことを思い出してから、目の前でご機嫌なアペルを横目で見て。
「あー…っつい。脱ぐかなー…と、その前にぃー」
あの時、本当に彼一人だけで家に戻してよかったのかと、後悔を引きずっていた。
一枚、服を脱ぎかけたままで、あの大きな紙の方へと手を伸ばしかけたアペルの体が揺れた。
「んわっ…! っと、んへへ」
かなり酔っているのか、よろけて掘りごたつの傍らに置かれているグラスの方へとよろけた彼を。
「アペル! 危ねえだろ」
カムイさんがとっさに抱きとめた。それに気づいたアペルが、半身をよじってカムイさんの鎖骨あたりに頭を寄せて、思いきり抱きつく。
日頃の席順でいえばアペルの向かいの席にいるはずのカムイさんだが、途中から何かを察していたのかアペルと並ぶように掘りごたつに足を突っ込んでいたのがよかったよう。
「んふふー。カムイさぁん…吸っていい? 一回で終わらせるからぁー。いいでしょ? いいよね?」
かなりというか、悪酔いしてる感じだな。これは。普段なら遠慮していることを、カムイさんの許可なくし始めているのだから。
「おい…アペル! ……………ったく、しゃーねーな…って。おい…。吸うどころか、とっくに寝てんな、コイツ」
カムイさんは今、人化しているのに。アペルが好きだというカムイさんのモフモフした毛はどこにもないのに。普通に(匂いを)吸うとか言い出していて、珍しくカムイさんが慌てていた。
「甘ぁ…ぃ、ムニャ」
いつも甘い匂いがするとか言っているけれど、人化している時にも同じ匂いがしているのかもしれないと思えるような寝言を呟く。
寝息の合間に吐かれた寝言に、いつもの表情に戻っていくカムイさん。やれやれという感じで、抱きつくアペルの背中を子どもをあやすようにゆっくりとトントンとしつつ。
「はいはい、好きにしな。ったく」
アペルが望むままに、自分へと寄りかからせていた。
カムイさんは人の姿の時に匂いを嗅がれることはほとんどなく、こんな状態の二人を見るのはなかなか珍しいこと。
「カムイさん、カムイさん。アペルが落ち着いたら、寝室に運んでもいいっすよ? 俺、そういうのはやるんで!」
サリーがそう提案すると、しばし思案してから彼はゆるく首を振った。
「俺がやるよ。多分、今日は俺の方がいいはずだ。起きるキッカケは与えない方がいい」
「そ、っか。うん……うん、わかった。じゃあ、他に助けられることあったら言ってほしいっす。んね?」
こうして会話している二人とも、すこし困った顔つきになっている。
会話が終われば視線の先には、アペルがくったりとカムイさんに抱きついたままで眠る顔がある。
「あー…じゃあよ、酒くれ。そこの。ジャンが飲んでるやつ、水割りだかやってたろ。飲んでみてぇ」
「いっすよ。ジャンさん。そっちの茶色いの…なんだっけ、ウイスキー? ください」
そう言って俺の方へと手を伸ばしてくるサリーに、「俺のも濃いめで」と命じながらウイスキーの瓶を手渡した。
「グラスにー、氷入れて―、グルグルグルグルーっとかき混ぜてー、グラスはしっかり冷やしてー、溶けた分は追加ーっと」
アペルから教わった作り方を復唱しつつ、サリーがウイスキーの水割りを作っていく。
アペルが用意してあるグラスは俺たちが普段使っているものと何か違うのか、氷を入れた時に鳴る音が高くてキレイだ。
「それからーウイスキー注いでー、すぐには水は入れない…っと、氷に馴染ませるとか言ってましたもんね。クルクルクルーっと」
二杯分の、濃さの違う水割りが出来。
「出す前に、これを一旦片づけますか。いいですよね? カムイさん」
テーブルの上にドーンと拡げられているすごろくとかなんとか言ってたようなマップ状のそれを俺が指させば、カムイさんが「頼む」とだけ返して笑む。
それを応として、あらかじめアペルから聞いていた中断する時に押してくれと言われていたボタンを押す。
するとコマなどがその中に吸収されて、まるで最初からそこに描かれていたかのように存在していた。
そうしてそれをゆるく丸めて、テーブルの上から自分の背後の床へと移動させ。
俺のその動きを見ていたサリーが、口角を上げて順にそれぞれの前へとグラスを置いていく。
「ジャンさんの、カムイさんの。俺は…お茶! ってことで、かんぱーい」
それとなくごく自然にコースターとかいうものをグラスの下に敷くのは、間違いなくアペル仕込みだな。
なんて考えていたら、スッと小さなタオルのようなものがサリーからカムイさんへと渡される。
カムイさんは一瞬固まってから、すぐにその意味を察したようで。
「何気に出来るやつアピールか? サリー」
と言いながら、その小さなタオルをグラスにクルッとゆるく巻いてから、また一口ウイスキーを飲む。
「…ん。助かった、ありがとな」
その一連の流れを見て、合点がいく。
グラスに浮かぶ水滴…結露とかなんとかいうのが、胸元に抱きついているアペルに落ちないためのものか。
「アペルが普段やってる何気ない気づかいとか、結構勉強になるんすよ。へへっ」
カムイさんに素直に感謝されて嬉しいのか、それとも照れくさいのか。サリーの耳がかすかに色づいている。酒は飲んでないから、酔ってはいないしな。
「…ふっ」
思わず笑みがもれた俺に、サリーが今度は真っ赤になってツッコんでくる。
「な、なんで笑うんすか! ジャンさん!」
言い切った後は、照れをごまかすかのように一気にお茶を飲んでいた。
「お前は可愛い後輩だよ、サリー」
クックックッと笑いをこらえつつ呟けば、わかりやすくふてくされた顔を見せた。
その顔を見ながら、ふと思った。
(ナンバーズの時には見られなかったが、コイツはこんなにもわかりやすい表情を浮かべるような奴だったんだな)
なんてことを。
「…さて、カムイさん」
飲み物は準備が整った。この後は、情報のすり合わせといこう。
「カムイさんの方には、どの程度の情報が共有されているんですか? ”それ”について」
アゴでクッと示したのは、さっきアペルが手を伸ばしかけた紙だ。わざわざ情報云々と言ったのも、正確にそうなんだろうと伝えられたわけではないが、きっとそうなのだろうと感じられたから。
それについての情報は、本来であればアペルにしかわからない内容。それでも、あえて彼に問いかける。
「あー…コレか? ってー言い方するってことは、いいとこ察しがついてるんだろう? その辺の勘の良さも、元・ナンバーズの力量ってとこか? ジャン」
「いえいえそんなことないですよ、カムイさん」
謙遜しつつ返事をすれば「どうだか」とほんのちょっとの嫌味で返された。
そうして互いに視線を交わして数秒。先に視線を外したのは、カムイさんの方。その視線の先には、自分にくっついているアペルの頭の先。ちょうど、カムイさんのアゴの下あたりにある。
子どものようにスヤスヤと寝息を立てて眠るアペルの頭を、そっとひと撫でしてからもう一度俺の方を見た。
「あー…まあ、なんだ。どの程度ってってもなー、お前らが思ってるよりも結構な情報量が俺の方に来てんだ。…が、アペルから説明させた方がいいのか。アペルがこの内容について、また一人で抱えようとしてんのか。本人の様子で判断出来てない以上、どうしたもんかって感じだな。準備して、ジュノに向けて。それでなんだ? と思ってたら、そのことがなかったかのような行動だったろ? 早くやろうって、俺たちとゲームを始めてよ。こっちから聞く隙すらなかったろ? なんにせよ……あんな奴への《《罰》》のことで、アペルが背負うもんなんて、これっぽっちもねぇはずなんだがな」
ワザとか、自覚なしか。カムイさんはたった今、《《罰》》というワードを使った。それを聞き逃すような俺じゃないと理解してるはずなのに。前者と後者。どちらだろうか。
(もしくは…今、俺はカムイさんによって試されていると思った方がいいのか?)
などと考えたりもし、思わず眉を寄せた。
従魔契約の影響で、カムイさんの方にはアペルの能力やストレージなどがかなり共有される仕組みになっている。
俺とサリーもそれに近しいものになっているはずなのに、精度というか共有範囲が若干違っている。
信用とかその辺の問題なのかと考えてしまうと、まるで贔屓しないでくれと拗ねているようだから言えないのだが。
(意外と狭量だなと、最近思う回数が増えてきたな)
自分へと呆れたように短くため息を吐き、カムイさんへともう一度向き直す。
「俺たちには共有するのは、難しいですか」
そうすべきじゃないと理解していても、それでも一部だけでも大まかでいいからと問いかけた。
「…ジャンさん」
サリーも俺が言いたいことを、本来ならばどうすべきか理解しているのだろう。俺を見て、それからアペルを見、最後にカムイさんへと視線を向けた。
俺とサリーがカムイさんをまっすぐ見つめ、何も音がしなくなったその時だ。
「ん……、ジャンさ、ん…いる?」
寝ぼけた顔をして、ゆっくりと顔だけ起こすアペルの声。久しぶりに聞く、さん付け呼びじゃないか。
「あ、え、います! どうかしましたか?」
今の今まで話していた内容のこともあり、一瞬で緊張してしまいぎこちなく返してしまった。プラス、さん付けで呼ばれて一瞬だけあの頃に戻った気がした。
「ぷは。…っと、サリーくん」
俺の返しが面白かったか、短く笑ってからクシャッと目尻を下げたアペルが、次いでサリーを呼ぶ。
「いるっすよ、もちろんでしょ」
その声を聞いて、今度は満足げに微笑んでからもぞもぞ動き、カムイさんの脚の間に自分の体を収めるように動く。
「なんだぁ? アペル。この俺をイス代わりにでもする気か?」
なんて言いながらも、決してアペルを押しのけたりなどしないカムイさん。これで出会って一年にも満たないとかいうんだから、二人が出会ってからの流れを全部見てみたくなるほどに興味深い。
とかなんとか思いつつ様子を見ていたのは俺だけじゃなく、サリーは二人を見てどこか楽しげに笑っていた。
「いーじゃん、ちょっと一緒に見てほしーもんがあるんだからさぁ。んへへ」
これから何かが起きるかってことなんだろうけど、やはりどう見ても。
「酔ってるよね、これ」
「…ゴキゲンすぎて、逆に不安だぞ。俺は」
サリーとカムイさんが交わしたその会話に、俺も同意とばかりにうなずく。
「なにかの感情を隠している。そんな気がして、なりませんねえ」
そして今度は、俺が呟いた言葉に対して二人がうなずく。
カムイさんを背に鼻歌まじりで何かの魔方陣を描き始めているアペルは、俺たちの心配をよそにずっと口角を上げていた。
それは、普段のアペルをよく見ていれば、不自然と感じられそうなほど笑みに見えない笑み。
「…っと、これでリンクさせたら……」
小さな魔方陣を一つ、”あの”大きめの紙へと指先で弾くようにして飛ばす。白いような、黄色いような。淡い光を含んだ魔方陣だ。
その後、この部屋の中で唯一窓も何もない方の壁へと違う色合いの魔方陣を飛ばす。それが壁に貼りつくのかと思えば、何か弦を弾いたようなピー…ンという音をたて、壁に触れたのと同時にはじけた。
それが光の粒子へと姿を変えて、その高さに留まったままで淡く光りながら範囲を拡げていく。
ある程度の範囲まで拡がったかと思うと、それ以上は拡がることがなかった。その大きさは、丸める前の紙の大きさほど。ザックリではあるが、ほぼ四角の形に近い。
その四角い光の粒子の塊を指さし、アペルはまた「んへへ」と笑う。そうして指さしたものを示しつつ、「あのさ」と切り出した。
「んとね? 俺とさー、ちょーーーっとしたもの、見ない?」
何を? と誰かが口を開く間もなく、”それ”は映された。
こちらの応否もない状態で、アペルが何かに巻きこんでくること自体も珍しい。さっきから今までにないアペルの姿に、一瞬たじろいた直後。そこに映された人物に、表情が自然と元へと戻る。
「…………ジュノか」
カムイさんの声が重たく、低い。その瞬間、カムイさんは映されたものが何なのかを察せたようだ。それも従魔契約の影響か、単に勘がいいのか。
「これねー、3周目なんだよねぇ。…んへへ。予想通りで、魔法使ってるなー。なんだかんだ言っても、どんだけこっちでアレコレやってみても、あの人は魔法から切り離せないんだねぇー。…ある意味、尊敬しちゃうよなぁ」
3周目と、アペルは言った。
「やってるのって、もしかして?」
遠慮がちにアペルに質問したのは、サリーだ。
「そーなんだよねー。さっきまでみんなでやってたのと似たやつ。でもねー…死ぬまで終わらないんだよねー…んへへ」
死ぬまで終わらない? と疑問に感じたままに聞こうと思えば、カムイさんの方が行動に移すのは早くて。
「魔法、至る所に仕掛けたってことか。しかも……いくつも」
目の前でサイコロを振っては前へと進んでいくジュノの姿に、一人で遊んでいるようにしか見えない《《それ》》にある違和感に、気づける者がどれだけいることか。
カムイさんのその言葉に、何度もうなずいてウトウトしはじめるアペル。
俺たち三人は、何も言わずにジュノがそのゲームを進めていく様をただ見ていた。
どれほど経ったかわからない頃、ジュノの方に変化が起きる。思わず目を瞠るような光景が、そこにあった。
違和感は、必ず4つあるサイコロが同じ数字のものだけになった時に。最初のうちは、その変化にジュノ本人は首をかしげるだけで、何も気づいていない様子だった。
それが回数を重ねていくと、どんどん大きな変化となったのか気づいたようで。
「……魔力? あれって。同じ出目だった時にだけ光ってるの、魔力じゃ?」
サリーがほんのすこし前のめりになって、その方向を指さしながら俺への意見を求めてくる。
俺はというと同じことを考えていたので、短く息を吐いてから「多分な」とだけ返す。
その変化が起きて何回目だろう。5回目か6回目あたりになると、ジュノがサイコロよりも魔法の方へと心が向いていく。
これがさっきアペルがもらしていた言葉につながるのかもしれないな。
アペルがジュノの現状を見えるようにしてすぐに呟いていたことの意味が、すぐには理解するのが難しかった。けれど、こうしてその経過を観察していけば、そういうことかと合点がいく。
「あのねー」
半分寝ているアペルが、アレと例の丸めた紙を指さしてから告げた。
「あの中にいるんだ、バ課長。あの中での話なんだー。…んへへ。すごくない? 俺。あの中に閉じ込めてさー、ずっとずーっと……独りにしてさー……」
遠い目をしてボンヤリしつつ、あの紙とどこかの空間がつながっていて、そこにいることがジュノへ与えられた罰としたという認識でいいんだろうか。
「あの中にいるだけ? それだけで…いいの? アペル」
俺と同じことを察したんだろう。サリーが、それは甘くないかと暗に聞いていた。
「えー……。どうなんだろ。わかんないや」
そう言ってから、カムイさんの右腕に自分の腕を回して、そのままギュッと腕を抱き寄せてから顔を伏せてしまった。
何かを堪えて見えるその姿に、かける言葉を決めかねていた。




