誰が賽を投げた?
「やった! 出た!」
ジュノが子どものように、無邪気に魔法が発動できたことを喜ぶ。
俺は複雑な気持ちを抱えながら、その様子を見下ろしていた。
『今から戻るよ、アペル』
脳内に響く、サリーくんの声。どうやら無事に報告書を手に出来たみたいだ。予想よりも早い。
程なくして、淡い光と共に転移してきたサリーくん。
ジャンさんが近づくと、いつものことのように半分ほどの報告書を彼に手渡す。本当に流れるように、ジャンさんに「はい」とか言わずにいたって普通に。
「これがメインの。それと、あの3日間に紐づく報告書もついでで持ってきた」
そう言ったから、てっきり俺の方へとすぐさまくれるものかと思えば、ジャンさんの方へと先に渡されてしまう。
(…なんで?)
普通に疑問に感じるでしょ? この流れ。
顔をしかめた俺に、かなりな勢いでページをめくって報告書を流し見ているジャンさんが告げた。速読でも可能? と、その勢いで読めているのか不安になるほど速い。
「ここ…ですね。ジュノが本当にあのバ課長なんだとすれば、彼が入っていた檻の状態が書かれている箇所です」
ジャンさんが指さした場所を、ジッと見る。担当したのは、当時のサンさんだ。ナンバーズのバカ上司を回収していった人。自分の上司だった人を、ゴミかクズかって称していた記憶が。
「この時のサンさんは、今は?」
目の前の二人もそうだけど、ナンバーズは実力順で毎回呼称が変わってしまう。だから、この時の…と付けなきゃいけない。めんどうなシステムだな。
俺の質問には、「もういない」とだけサリーくんが返す。
「捜す必要があれば、どうにでも出来ます」
淡々とそう告げるジャンさんの目が、怪しく光って見える。もしかして、怒ってるのかもとドキドキした。
「まあ、内容を読んでからだね。…どこだっけ……ん、と」
ジャンさんの指先に書かれていた部分を読んでいくと、呆れるような内容に空を見上げた。
「めちゃくちゃ報告が必要な状態じゃないすか。あの時、なんて言ってましたっけ。サンの奴」
サリーくんが顔をしかめて、ブツブツと文句まじりに呟くと。
「よく憶えている。特に問題らしい問題はなかった、と。…十分問題あるだろう! 檻の中の床の範囲目いっぱいで血の跡。それも、どう読んでも魔方陣だろ? それ! とツッコみたくなるような形と紋様の血の跡って」
ジャンさんがここにはいないサンさんを睨みつけているかのような目で、地面を見つめている。
「あの人って、一癖も二癖もあった人なんでしょ? その辺を考えてさ、報告書の内容に関してダブルチェックみたいなものはしなかったの?」
俺もこの報告書に目を通してみて、さすがに文句が出てしまう。杜撰じゃないの? と。
珍しく厳しい口調でそう告げた俺へと、サリーくんとジャンさんがほぼ同時に視線を向けてきた。
一瞬の間。
その後に二人とも言いにくそうに、こう呟く。
「いわゆるなるはやで最低限のことをして、ここに向かったもので。ダブルチェックをどこまでしたのか、サンが指せなかったのか否か。ここにこうして二人分のサインはあるものの、本当かは」
って。
あの日のことを思い出す。
自分の役割を終えて、早く家に帰りたくて。帰ってからは風呂だなんだって準備して、そろそろ二人に声かけようって通信飛ばして。後は引継ぎだけって言ってたから、それならそこまで遅くならないかなって…。
「もしかして、俺…急かしたことになっちゃった?」
二人の視線でそう感じた俺がそう言えば、これまた二人ほぼ同時にブンブンと首を左右に激しく振る。
「違う! 誤解させちゃってごめん! そうじゃなくて、俺とイチさんがやること早く終わらせて、呼ばれたらいつでも合流したいって気持ちが先走ってたから」
説明してきたのは、サリーくん。よほど慌てているのか、ジャンさんの呼び方が以前の呼び方になってる。
その後にジャンさんの長ったらしい説明曰く、割り当てさせた場所が悪かったのだろうという言葉で括れるそうで。
「サンのような気分屋に、あの手の仕事は振るべきではなかったと…今さらながら後悔しています。やる時は他の誰よりも完璧に出来る奴だったんですが」
「ということは、その時はダメな日だったと? 気分が乗らなかったとか…みたいな?」
ジャンさんの言葉に思わずそう返す俺の目に、苦笑いを浮かべる二人が見えた。
仕事が出来る人でも、気分で出来が変わるのはどんなもんだろうと同じように苦笑いを浮かべる俺。
「…あれ?」
さっきまでとほんの少しだけ空気が変わったことでか、さっきまで気づかなかったことに違和感を抱いた。
「ん? どうかした? アペル」
すぐに反応したのは、サリーくん。
「あのさ」
と、俺は切り出す。報告書にあった、血で描かれたんだろう魔方陣の存在についてのそれに。
「あの時。バ課長っていうか、ジャンクさんがいた檻に、そんなものが描かれていたのなら……俺、気づくもんじゃないの? その規模の汚れみたいなものがあったら、他の檻との差にもあるし、魔方陣なんてあったら俺が干渉してた魔力に反応してないわけないはずだよ」
檻の真ん前で、バ課長を言い合いしてたはずだ。記憶が確かなら。至近距離で、魔方陣が持つ魔力感知の気配に俺が気づけないなんてありえない。
「まさかだけど、描いてて……隠せていた? 認識阻害とか使えていたっけ? あの時のバカ課って。そこまでの能力持ってた人が? もしくは」
考えたくないけど、誰かが協力していた? 俺と能力値に差はあれど、やれることが似通っていた人が存在してた?
あの時のバカ課の連中にそれが不可能ならば、外部からの協力者がいなきゃ無理な話じゃないのか。
なんて感じでフローチャートのように、YESかNOかを選んで進んでいった先に、その選択肢が増えて。
もしくはと言いかけて、当時のナンバーズに協力者がと切り出せずに口を噤んだ俺。
喉の奥がギュッと絞まったような息苦しさを感じた。
俺たちがそんな話をしている間に、視界の端っこの方ではジュノが地面をこぶしで何度も叩いていて。
「さっき出たのに! あれっぽっちで終わりだなんて…ありえない!」
魔力が尽きたのか、違う理由でか。さっきのように魔法が発動出来なくなったのが、見て取れた。
「ジュノ」
何度も地面に打ちつけたこぶしに血が滲みだしているのを見て、彼女の手首をつかむ。
「やめなよ」
短く、あえて重い声色で告げる。
肩先がビクッと揺れて、彼女は呆然とした顔つきで俺を見ていた。
「…して、よ」
「え?」
小さくて切れ切れな声が、さっきのように勢いを増してぶつけられる。
「教えてってば! 魔法、使えなきゃ…意味がない!」
その勢いは最早怒りにも似ていて、久々にそういった感情をむき出しにした状態でぶつけられたもんだから。
「大丈夫か? アペル」
俺はどんな表情をしてたんだろう。カムイさんが心配そうに俺の肩に腕を回してきて、肩をトントンとやったかと思えば、右腕だけを軽く折って俺の頭を撫でてきたんだ。
左へと顔を向ければ、切れ長ですこしきつめに見えるはずが目尻を下げていて、カムイさんの心情を表しているように見えた。
(本当に心配させちゃってるんだな)
さすがに、カムイさんがそんな顔をしているのは自分が原因なんだなと感じざるを得なかった。
「負の感情を受け流すのは、アッチにいた時から苦手だったからな。俺」
今さら言っても仕方がなことを、ポツリとこぼす。
――あっちの。元いた、地球での俺の職場を思い出す。
営業課の連中や、前任者の業務内容も量も把握しきれていなかった上司たちも、コッチの状況おかまいなしに好き勝手いってくのが日課みたいなもんだったからな。
挨拶でもしてくかのように、だもんよ。
だいぶ薄れてきたあの場所での記憶だけれど、完全には消せない。
あははと苦く笑ってごまかして、言われたことをこなしていけばそれ以上は言われないという目標ともいえない目標を掲げ。
”やり過ごす”日々が、自分にとっての日常だと思い込んでいた。他にはどこに行けばいいのかわからなかったのも、正直なところだったしな。
両親はなく、叔母さんだけが身内として存在してて。生きるためには仕事をしなきゃいけなくて。
この場所とは違う意味で、狭い世界で生きてたな。俺。
「コイツ、やっぱ引き渡すか」
カムイさんが肩を組んだままで、ほぼ耳元で呟く。真横に顔があるから、どうしてもそうなってしまう。
「どうしようね。……その魔方陣を仕組んだのがバ課長なのか、他の協力者がいるのか。その辺をきちんと調査できる人間がいる場所になら、後はよろしくってしたいところではあるけど。わずかかもしれないとはいえ、魔法が使える状態に引き上げたというか……使える状態に整えてしまったというか。なんとなくマズい状況にしちゃった気がするんだよね」
カムイさんへ向けて、そんな感じで呟きを落としていると。
「とりあえず、動けないようにしよ? アペル」
サリーくんが、どこぞから謎のロープに見える光の束を取り出す。
「収納魔法、使えてたっけ」
「収納とはちょっと違うんだけど、俺の家系が使える魔法なんだ。小さくして持っておくというか」
そう説明されて、昔見たことがある冒険や格闘をする男の子が出ていたアニメで、そんなアイテムがあったなと思い出した。
「収納とは違うとはいえ、それはそれで便利そうだね」
そのアニメのおかげでイメージはすぐさま出来たので、何度かうなずきつつその魔法をすんなり受け入れる俺。
「え…。ずいぶんとアッサリ…」
逆にサリーくんの方が、面食らったような顔をしている。
これまで話していなかったことだから、余計に驚いてるのかもな。
「何言ってんのさ、サリー。俺がすることに対して、しょっちゅう自分が驚かされてきたからって、同じようなリアクションでも待ってた?」
なんてささやかすぎる皮肉っぽいものを込めて返せば、「ああ、もう」とまいったなぁという顔をされた。
「とにかくそれで縛るのは、サリーにまかせるね。動けないようにしてからどうするのか、悩むな」
短くため息を吐くと、ジャンさんが物騒なことを口にする。
「精神干渉魔法、使っちゃえばいいんですよ」
そう呟くジャンさんの声は、さっきの俺よりも低く重くて。
「もしかして思ってるよりも怒ってる?」
俺が考えた”もしかしたら”が、元・所属先だったから?
「いろいろとツッコみどころがありすぎるのと、どれだけ急いでいたって自分がすべてを再確認すべきだったなと」
そこまで言ってから、チラッと俺を見て。それから無言で空を見上げたと思えば、数秒後には何故か赤くなって。
「え?」
「ん? どうしたよ、ジャン」
「んんんん? ジャンさん?」
普段あまり見ることがない様子に、三者三様の反応をしてしまう。
俺たちのその反応に、わかりやすく嫌そうな表情を浮かべてからジャンさんが呟く。
「こういう時には、知らんふりしてくれればいいのに…何故」
って、ため息まじりに。
それに対して即答したのが、カムイさん。
「面白そうなもんは、イジるに限るもんだろ」
なんて、いかにもカムイさんらしいツッコミ方だ。
「…はぁ」
またため息を重ねて、恥ずかしそうに目のあたりを右手で覆い隠したジャンさんに、カムイさんが質問する。
「で? 何が頭に浮かんで、赤面する羽目になった?」
言葉を一切濁すことなく、ストレートに。
やや間があった後に、目を隠していた手をゆっくりと外し。それから、さっきとは違う感じの嫌そうな顔つきで答えた。
「あの時の自分を振り返ったんですよ。……そうしたら、当時の自分らしくない行動だったことと、その時の自分の頭にあった感情も思い出してしまって。…ものすごく恥ずかしいというか照れくさいというか」
話をしながらも、耳までも赤くなっている。こんな彼を見られることは、そう無いな。
「え? あの時の感情ですか? ジャンさん、何を考えていたんです?」
同じように仕事をすませてコッチへと向かってきたサリーくんが質問を重ねると、「お前だって同じだったはずなのに」と文句のようなことを言い出した。
「え? 俺も?」
なんで自分に矛先が向いたんだと思ったんだろう。サリーくんは、不思議そうにジャンさんを見た。
「お互い、あの時はガラにもなく浮かれていただろう? 水兎さんと…アペルと一緒にいられると」
ジャンさんがそう告げた瞬間、サリーくんが口を手で覆い隠す。
「あ」
って言ったと同時に。
「…だろ? まあ、それとは別にしても…俺ほどのポジションではなくとも、あの時にはお前にだってある程度の仕事が任されてただろう? しかも、バカ課の連中関連の報告書は後からでも俺たちだけは閲覧可能だった。…もっと早く気づけた可能性があったのに。ナンバーズ10人が揃っていて、その中の誰かが裏切っていたとしたって…。他の部署の連中より視野が広いことも、選ばれる理由になっていたのに。実際…俺が選んだ数名は、そういう奴がいたはずなんだ。……なのに、どうして」
ジャンさんが「本当に今更だとしても…」と眉を寄せたその横で、サリーくんも思うところがあるのか同じような顔つきへと変わった。
「それだって、もしかしたら隠ぺい魔法みたいなものが使われていた可能性もあるんじゃない? 一定の期間は閲覧しても、その部分が見えないとか他の分に変わっているとか」
なんとなくで思いついたことを口にしてみる。
「一定期間? 隠すなら、ずっと隠すもんじゃねえの? お前の姿かたちを変える魔法みたいに、理由があるならまだしも」
カムイさんが、俺が出した案に疑問をぶつけてくる。
「俺だってそう思うけど、ずっとそれが出来るだけの効果は無かった…とかは? 俺ほどの能力じゃなかったけど、一時的にでも隠せたら…って発動したとかさ。一旦受理された書類は、何かない限り再確認することもないはずだし。…事件とかでも起きないと」
と言いかけて、「あ」と思い出す。
「ジュノと会うことがなきゃ、書類を見るキッカケすらなかった可能性…あったりして」
今回、こうして当時の報告書を確かめることになったのは、ジュノの存在だったじゃないか。
「「「「………………」」」」
四人して、無言になる。
知らないところで何かのキッカケになる出来事が起きていて。
一向に始まらない某・すごろくっぽいアレじゃないけれど、誰かが賽を振ってしまっててさ。
ゲームはとっくに始まっていたのに、プレイヤーだと気づいていない俺たちが無関係とばかりにどこへも進んでなくって。
(なんだか気持ちが悪いっていうか、気味が悪いな)
ジャンさんとサリーくんでいえば、元・身内みたいな誰か。
目的がなんなのかはまだハッキリしないけど、ジュノというかバ課長は結果だけでいえば利用されてしまったんだろう。
『ある意味純粋な人間の方が、使い勝手がいい。それと、お人好し。あとは、偽善者』
なんて言ったのは、誰だったかな。元の職場の誰かだった気はするのに、どんどん薄れていく記憶の中から名前も顔も浮かばない。
「ちっとも出来る気配がないな、ゲーム」
サリーくんが、目尻を下げてどこか悲しげだ。
「まぁ、そうだね」
俺もそれにうなずいてから、ジュノの方へと視線を向ける。
「一度準備を終わらせてしまえば、やれる時にやれる。…そう思うことにしましょう。正直やりたいんですけどね、とても…すごく」
サリーくんの肩を手のひらでポンと叩いてから、ジャンさんが最後の言葉をものすごく低い声で吐いた。ドスの利いた声っていうのかな。
「俺が作ったコマがゴールする様を見せつけられねぇのは、心底残念だ」
片眉を上げて、ちっとも残念じゃなさそうなのはカムイさん。
「俺は、マスに止まった時に何が起きるのか…見せたかったし、体験させたかったー」
とか言いながら、全体的に魔法をかけて臨場感を増してもいいかもなと考えていた。たった今、その効果を思い浮かんだばっかりだけどね。その効果をガッツリつけちゃったら、終了するまでかなりな時間がかかりそうだと不安を過らせつつ。
「体験って、お前。普通のゲームで終わらせる気なかったな?」
カムイさんが即座にツッコんできて。
「最初は普通に元の世界でのやり方でと思ったけど、ちょっとだけ仕掛けをとか思ってはいたんだ。…でも、どうせならもっとリアルにって思いついちゃったから……ねえ」
曖昧に笑いながら、そう言い返すと「ねえ、じゃねえわ」とカムイさんのツッコミが早すぎる。
「アペルに任せて大丈夫なものと、不安なもの。その差と不安な場合の理由がちょっと」
「え? なんでサリーまで」
呆れたように、サリーくんがカムイさんに続く。
「ですねぇ」
そこにジャンさんが同意する。
「ちょっと」
全員同意見だと言わんばかりな態度に、俺はガキみたいに口を尖らせる。
「なんだよ、もう」
とかなんとか言いつつ。
そんな俺をなだめるみたいに、ジャンさんが俺の頭をイイコイイコした。
「もう!」
完全に子ども扱いじゃん。
「ふ…はは」
カムイさんが楽しげに笑ってから「さ。いつも通りに話を戻すぞ」と慣れたように話を切り出す。
「コイツを一旦どうにかするぞ、アペル。場所作れ」
サリーくんが取り出したロープ状の光で縛られたジュノを見下ろして、小さく息を吐いてから。
「俺も一旦、元の姿に戻ることにする。眠いわ、腹減るわで、頭回んなくなるの避けてぇからよ」
そう呟き、見慣れたホーンラビットの姿へと戻る。
これも慣れたもので、カムイさんがその姿になると俺の腕の中に納まることが多いので。
「…ほらよ」
カムイさんがピョイとジャンプした瞬間、俺は腕を広げて受け入れ体勢を取った。
抱きとめた後は、習慣かのように自分の顔へと近づけて。
「……はぁ。いつもの甘い匂いがする…」
カムイ吸いをして、嫌がるカムイさんに足蹴にされるまでが1セット。