閑話 いろんな意味で変わらない人 前編
例年っていえば、例年通り。まんまでいけば、三日後くらいか。
また、今年もひどい雨の時期がやってくる。水害も例年ひどいやつ。
部署は違えども、この時期だけは応援に入ることもある。今年の俺とナナは、それから外されている。
(それもこれも、俺たちの担当が水兎さんに関することだからってのがあるからなんだけど)
対象者が不在なのにその部署だけが残っている状況の中での、この時期特有の忙しさ。なのに、のんべんだらりと過ごしているようにしか見えない俺とナナ。
ナンバーズの他の連中からは、嫌味やら違う意味での羨望の眼差しやらを向けられることも多い。
そんな目を向けられるのは、別にいいさ。好きに見てりゃいい。
俺たち二人は、あの日から仕事があるようでないんだから、本当ならばそっちに応援に入ってもいいはずだってのに。
(あ…んの、元・クッソ上司が! 後任も大した変わんねえ気がするしな)
水兎さんを捜索している部署から連絡があれば、すぐさま動けるようにと常にフリーでいろとか…地味にキツイ。
時間を持て余すのに、アレはやるなコレもやるな、コッチには連絡付けておけ、コレはほっとけ…って指示がメンドイ。
――――水兎さんが消えてから、もうすぐで一か月になる。
無事にどこかに逃げられてるんだろうか。飯、食えてるかな。
ナナはここんとこ、うたた寝をしているかスクワットなどの軽い運動をコソッとしているのが常になった。
今日は、うたた寝の方だ。陽の光を背に浴びて、気持ちよさげに口を開けて寝ている。
不意にノックが聞こえ、返事をする。広報からの通達だ。
現時点で応援要員になっていない人間へのものだな、特に。ってことは、俺たちへの通達みたいな感じだ。
元・クッソ上司たちは降格になった後、時々なんでか警備の隙を縫ってここまで来る。俺たちに情報をよこせってことだけを言いに。情報を手に入れてから、なにかまだやる気なのか?
たいてい進展なしとだけ返せば早々に帰ってくれるけど、時々もう部下じゃないのに茶を出せとか言い出す。
「暇なんすか」とか嫌味を込めて言えば、無言で睨んでくる。想像に容易いが、転属先で腫れ物扱いでもされてんだろ。…ざまぁ。
水兎さん用にと割り当てられてた予算は、現状維持のまま。その後、使われただろう報告も上がらず。
(そりゃあ、そうだろうよ。専用のカードも何もかもを置いていったんだから)
何かを手にして出ていける状況じゃなかった。まるで、昔の文献にあったような夜逃げってやつに似ている。着の身着のまま、体一つだけで逃げるってあれだ。
この予算の一部から、俺とナナの給料は出ている。というか、この部署の維持費の中に、俺たちの給料が含まれているっていう言い方をした方がいいか。
水兎さんのことがなきゃ、俺とナナも他の奴らのように嵐が来る前の対策に駆り出されていたんだろう?
「……暇」
何度目かの修正版・今期の決算前の漂流者に関するマニュアルを保存して、電源をOFFって。
「ナーナ? ナナ、おい…起きろ。飯食いに行くぞ、飯」
俺とナナは、忙しそうな同僚を横目に部屋を出る。
「んー…ふわぁー…。背中バッキバキなんすけど」
「あんな場所で寝るからだ」
「いい感じに太陽があたって、気持ちよくなりすぎました。はははっ」
「ったく。今でも結構デカいってのに、んな寝すぎたらもっと育つんじゃねえの?」
「ははっ。いいっすね! それ。あの元・上司に負けないくらいにデカくなれますか」
「あー…あの元・クソ上司な? タッパもガタイもいいからな、あれ。…まあ、まだまだこれからの奴と、もう成長はオシマイな奴と。一緒にしなくていいんじゃないのか?」
「それもそうっすね。…イチさん、あの元・上司…マジで嫌いっすよね」
「当然だろ」
「俺もっす」
「ははっ」
「ふははっ」
くっだらない話をして、一緒に飯を食いに行って、ナンバーズが入っている寮へと戻っている途中のこと。
それは、まだ嵐も来てないキレイな夜空で。
野郎二人で何の気なしに空を見上げながら、空に向かって両手を組んだままグググーッと背筋を伸ばすように腕を空に突きあげた瞬間。
チャラッという、軽さのある金属音がした。二人同時に、なんでか後ろを振り返る。そして、前を見て、足元を確かめて。
「…お前も聞いたのか? 今の音」
「あ、はい。なんか、金属っぽいのが落ちたってか擦れたみたいな音……で、って…え??」
違和感があったのは自分だけかと思い、まわりを見回した俺にナナも同意…まではよかった。途中でナナが思ったよりもデカい声をあげて、反射的に身を引いて「え? なんだよ、ナナ」と構えた俺に、ナナが言う。
「イチさん! 手首!」
と、自分の手首を見せながら。
「え? …お前、そんな洒落たもん着けてたか?」
見覚えがないものを着けてるなと思ったのと同時に、さっきまで一緒に飯を食っている間に見た記憶がないことに気づく。
「違いますって! 俺のじゃなくて、自分のも見てください」
薄暗い道で、かすかに光るブレスレットか? アレは。
「は? 俺の? ……って、え? は? いつ着けた? 俺」
いつ買った? いつ着けた? 記憶もないほど飲んだつもりもないのに、何が起きてる。
「とりあえず明るい場所に出ません? それか、もうすぐ寮なんで…寮で確かめましょうよ」
「あ? あー…そっちの方が落ち着いて観察できそうだな」
「でしょ? …急ぎましょう」
ナナのいいところが出た。こういう急な状況変化に、年齢や経験が少ない割に冷静に対処できるところだ。こういう部分もきっとナンバーズに選ばれた理由な気がすると、以前から思っていた。
不自然にならない程度の早歩きで、寮まで戻る。他の奴らは、例の嵐の影響であっちに泊まりっぽいな。
俺の部屋で、ナナと二人…念のため鍵を閉めてから手首を露わにした。
「なんだ? これ」
「ブレスレット…ですよね。……って、ちょっと待ってください。イチさん」
ナナがブレスレットをいろいろ触ったり撫でたりしてから、首をかしげた。
「ん? なんだ、ナナ」
「…………これ、俺の本名です」
手の甲をこっちに向けて腕を立てて見せてきたナナの腕に、シルバーのブレスレットがぶら下がっている。それについているプレートっぽいものに、にょろにょろっとした模様が刻まれている。
「これがお前の名前だって、なんでわかんだよ。…見たことない模様だぞ、これ。そもそもで、字なのか? これは」
「とにかく…イチさんも同じ場所に、指で触れてみてください」
「は? こんな怪しいもんに、触れろって?」
警戒心なさすぎないか? ナナ。
「…信じてください。…触れたら、わかりますから」
神妙な面持ちのナナに渋い顔をしながらも、言われたように指先でプレートに触れた。
触れた…その瞬間、理解した。
「水兎さん!!!!」
頭の中にある声が響いた。
一日にも満たない時間しか一緒に過ごせなかったのに、今の俺とナナの頭の中を占めている相手だ。
聞こえた言葉は、最初に俺の本名『ジャン』さんと俺を呼んでから、『水兎です。無事を知らせたくて送りました』と続いた。
「お前のも同じか」
「ええ。俺の方には、『サリー』さんと名前を呼ばれてから、無事を知らせたくてこれを送ったって声がしました」
「一緒だな」
「まったく?」
「まったくだ」
二人見合って、ホーーーッと長い長い息を吐く。
「無事かぁ…、よかったー」
「嬉しいっすね、久々に声聞けて。…これでやっと、ちょっと安心出来ましたね、イチさん」
「…だな。って、なんでこれが自分の本名ってわかった? お前」
ナナが言うことが合っているなら、ここに書かれているのは俺の本名だ。さっきも呼ばれた『ジャン』という名前。
「なんとなく…そんな気がして」
ナナのなんとなくは、意外とハズれない。多分、合ってるんだろうな。互いのプレートを見て、書かれているものが違うことに気づいた。名前だっていうんなら、違うのもわかる。
「鑑定のスキルでも持ってたんすかね、水兎さん。本名バレてたってことは」
「そういうことなんだろうな。…俺たちがイチとかナナとか自己紹介してたのを聞いてた時、どんな顔してたっけな。あの人」
「…忘れましたね。あんま、気になるような顔じゃなかったような? もしかしたら、こっちのこと知ってて知らないふりしてくれてたのかもですよねー」
「あ…、そういう方が合っていそうだな。なんにせよ、無事で…よかった」
繰り返し言葉にすると、じわっと涙が浮かんだ。
「イチさん…泣いてる」
「は? ……って、お前もだろ」
互いにけなしあうけど、どっちの涙もうれし涙だってわかってるから、それ以上は責める気がない。
「俺たちにプレゼントついでに、こんなメッセージ送ってくるって。すごくないです? 水兎さん」
「…すごいよな、たしかに。…今、何してんだろうな? 水兎さん。どこにいるんだろな」
本人の知らない場所で、国王陛下によって大賢者に相当すると言われている水兎さん。大賢者とか言われているんなら、それだけの能力があってもおかしくないっちゃーおかしくない。
ブレスレットを指先で撫でながら、水兎さんのことを互いに懐かしむ。
「俺たち、大したこと出来なかったのに…こんなもんくれちゃって」
「イチさんとお揃いっていうのが、ちょっと嫌なんすけど。カップルみたいじゃないすか」
「おいおい。それは俺のセリフだっての」
「冗談でしょ? イチさん。俺のセリフですって」
「ははっ」
あの日からもうすぐで一か月の頃合いでの、嬉しい報告だ。肩の力が抜ける。
「これ、魔石か? ついてるものも一緒か?」
二人で腕を向かい合わせるようにすれば、手首で光るブレスレットがチャラッと鳴った。
「赤と…青の魔石みたいすね」
「…かな」
指先でトン…と何も考えずに魔石を叩いただけ。
「…は?」
フォン…と小さな風のような音がして、俺とナナのブレスレットの赤い魔石が光った。
「………水兎、さん?」
また脳内に声が響き出した。
『もしも、今…話が出来るなら…赤い魔石を三回、指先で叩いてください』
さっきは流れることがなかったメッセージ。
「この魔石に触れたからか?」
俺が首をかしげていると、ナナが首を振る。同じことをさっきしたらしいが、無反応だったらしい。
「じゃあ…なんらかの条件つきで発動したとか、か?」
「そんな通信機、俺…聞いたことないっすよ。こんなブレスレット型の」
「俺もだ」
二人で顔を見合わせ人差し指だけを立てて、赤い魔石を三回叩く。「1・2・3」って言いながら。
ノイズのような音が数回した後に、まるですぐ近くにいるような声が頭の中で聞こえた。
『イチさんとナナさん…ですか?』
でも、聞こえた声は、さっき俺たちの名前を呼んだあの声じゃない。
「水兎…さん? それとも水兎さんの知り合いの方ですか?』
警戒しつつ、声をかけてみる。
『あ…っ、ちょ…ちょっとだけ待ってて! …ちょっとカムイ! 笑ってないでよ。…ったく…解除』
なんて感じで聞こえてきた会話は知っている水兎さんとは思えないような明るいもので、俺とナナはすこし面食らっていた。
『あー…えっと、今度こそ俺です。すみません。声、戻すの忘れてた』
と聞いて、思い出した。あの夜の、三人の秘密。水兎さんの能力だ。
『……すみません。相変わらずで、驚かせちゃって』
腰が低い感じなのも、変わってないや。
「ううん、いいよ。そういうとこ、知ってるから(笑)…な? ナナ」
「はははっ、水兎さんが水兎さんで安心したわー。俺」
二人とも顔がゆるむ。
『あの……イチさん。俺…』
と言ったっきり、水兎さんが黙ってしまう。知っている水兎さんの声よりも、すこし低めになった声。それは、今の水兎さんの心情を物語っていた。
ナナと目を合わせてから、しょうがないなぁって感じで口角を上げる。
「水兎さん。…無事でよかった。ちゃんと食べてる? それと、これ…ありがとね」
「イチさんとお揃いってのだけは、いただけませんけどねー」
「お前なぁ」
なるべく離れる前の空気を醸し出させる。その方が、水兎さんの緊張を解いてあげられるかなって思えたから。
『俺…二人に…なんのお礼もお別れも言えないまんま…で…ズズッ…ほん、と…ごめ、んな…』
水兎さんが言いかけた言葉に、ナナが言葉をかぶせる。
「違うよ? 水兎さん。俺たちの間に、ごめんねは要らないよー。また声が聞けてよかった、嬉しいって思ってくれんなら…いいなってさー。ちなみに俺は今、めちゃくちゃ嬉しい! 水兎さんは?」
明るいナナの声に、水兎さんが鼻水をすすりながらボソッと呟いた。
『俺も…嬉しい』
って。
これは、素直な言葉だよな? 一か月間、どこでどう過ごしていたのか知らないけれど、水兎さんが思っていたよりもいい方向に変化しているように思えた。
「これって、どこで手に入れたの? すごいね、どういう仕組みなの?」
ナナが遠慮なくどんどん話を振っていくと、水兎さんがあの時のように変わらずアワアワしながら説明をしてくれたのはいいんだけど…いろいろ問題が多いなぁ。そこも相変わらず、か。いや…もっと悪化してる?
『それで…そうやって錬成をしてー』
知らないうちにいろいろやれることが一気に増えすぎな水兎さんは、錬金術まで使えるようになっていた。
「ちょ…ちょっと待って、待って…! 水兎さん、水兎さん! 情報量、多すぎるって」
ナナと困惑しながら、小声でどうする? なんて話しながら、水兎さんの話を聞き続けていた俺たち。これ、俺たちの頭ん中での会話だからいいけど、まるっと聞かれていたらマズい話ばっかじゃん。
素材を自分で採掘に行った時の話もそうだけど、あれもこれも錬成陣でどうにかなるって人…なかなかいないからね?
どうしたもんかとナナと固まっていた時、水兎さんの方から笑い声がした。
『アペル、お前なー…相手困らせるなって言ってんだよ。自分がどんだけ規格外かって、いい加減わかれよ』
『んなこと言われても、ボーダーがわかんないんだから…しょうがないって言ってんじゃん。カムイ』
『しょうがないじゃねえだろ、しょうがないじゃ。…思いつくまま、やり過ぎるなって話だ』
なんて、水兎さんの声に混じって男性の声で。
ん? 今、別の名前…? ちょっと待てよ?
ナナとボソボソと話をして、互いに間違いないなと認めてから。
「水兎さん。いっこ、確認してもいいかい?」
『あ、はい。なんでしょう、イチさん』
さっきまでこれまでの話をしていて、テンション上がりすぎたのかおかしな感じだったのに、一緒にいる人と話していて落ち着いたっぽいな。水兎さん。
「俺たちもアペルさんって呼んだ方がいい? それと……はじめまして。カムイさん…でいいですか? イチっていいます。こんにちは」
「俺は、ナナです。どーも」
さっきから空気を変えてくれている誰かへ、挨拶もなしはよくない気がした。
『お? 俺も会話に入ってもいいのか? カムイだ。ホーンラビットやってる』
が、新しい情報に、「んん?」と思わず声が出た。
「ホーンラビットって、あの?」
慎重になんてなれず、反射的に聞いてしまった。しかも、まるで職業は何ですか? って質問への返しみたいに、ホーンラビットやってるって返すのアリなのか?
『おう。あの、ホーンラビットだ』
ちょっと待て、ちょっと待て。これは…どういうことだ?
「ナナ…ホーンラビットって、会話可能だったか? そこまで知能高いレベルに進化するのって、情報にあったか?」
「ど…どう、なんすか…ね。俺…水兎さんのことだけでも腹いっぱいなのに、これ以上の情報は…」
あまり物事に動じないナナが、珍しく動揺を隠せずにいる。
『今いる場所じゃ、俺が話せるのは問題視されてねえぞ』
そして、謎の情報。一体どこにいるんだ、この二人。同じ世界? それとも、別の次元? どこからの連絡なんだ?
「ちなみに…どこですか? 現在地」
とか聞き返してみたところで、初めての拒絶があった。
『――――言えねえなぁ。お前らで言うとこの水兎が…まかり間違って見つかったら、マズいだろ』
理由が、水兎さんのための拒絶だ。
その瞬間、最初に声を聞いた時よりもホッとした。
しゃべるホーンラビットってのが理解不能とはいえ、水兎さんの味方らしい存在がいる。それがハッキリした。
「了解です。じゃあ、聞きません」
返事もこれだけでいいはずだ。
『…助かる』
くす…と笑ったのが聞こえた。ちょっと口は悪そうだけど、言ってることに不安さは感じられない。
『それよりも、コイツが本題に入りそうにねえから…振るぞ。話題』
そして、急に話を振ってくる。
『ちょ、待ってよ。カムイ』
『あぁん? いつまでも説明ばっかしてて、話も脱線しがちで、今回アレを送りつけた一番の理由に一切触れてねえだろうが』
なんだか向こうで叱られているというか、説教というか、ツッコまれているというか。
「もしかして、安否報告だけじゃなかったんですか? 今回の」
確かめるように聞き返せば、かなり長い間の後に『はい』とだけ水兎さん改めアペルさんが返事をした。
『すみません、本題に入らなくって』
「いいけど…なにか重要な話か相談?」
ナナと、水兎さんの言葉の続きを待つ。…と、出てきたのは意外な話題。現在、うちのナンバーズも振り回されているアレの話だ。
『俺…二人に送ったブレスレットを中継地点にして、どうにか出来るかも…ったら……話にのりますか?』
情報量の多さだけじゃなく予想外の提案に、驚き唾を飲む。ナナを見ると、同じなのか…喉ぼとけが上下していた。
彼が言っていることは、簡単にいえばこの街を救えますという話だろ?
ナナも同じことを考えていそうだなと思っていたら、ナナが先に口を開いた。
「それはわかったけど……いいの? 水兎さん。俺たちだけじゃなく、街を去るキッカケを作った奴らまで救うことになるかもしれないのに」
と。