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閑話 その人がいない場所で



「…よっし。今月も、期日までに仕上がりそうだ」


キーボードをタターンッと気分のままに、勢いつけて叩きつけて。


データを保存して、離れた場所にあるプリンターの方の使用状況を確認してみたら、あと30分くらいは使わせてほしいと聞かされ。


「それじゃ、終わり次第、俺が使ってもいいですかね」


「大丈夫じゃないかしら。急なコピーでも入らなきゃ、使ってもよさそうよ」


「そうですか。じゃあ、頃合い見て様子見に来ても?」


「あー…いいわよ。終わったら、書類届けついでに声かけるから。課の方に戻る途中にあるでしょ? そっちって」


そういいながら、俺が出てきた作業場の方を指さす彼女。


二階の方でコピー機が使われてて、一階に下りてきたら空いていたからまわりに確認をした上で使わせてもらってたの…という話だ。


「ごめんなさいね、二階のがふさがっていたばっかりに」


「いいんじゃないですか? こっちが困っていたら、今度は二階に行くかもしれないんですし。持ちつ持たれつっていうんでしたっけ? こういうの」


なんて俺が言えば、クスッと小さく彼女が笑ってこう言った。


「いなくなっちゃった彼とも、こうやって話したことがあったのよね」


急に振られた話題に、体が反応した。


「いなくなっちゃった…って、俺の前任者のことですか?」


「…そうね。いい子だったのよ、いい子って言われるような歳じゃないんでしょうけど」


とどこか寂し気に彼女が呟いたタイミングで、プリンターのトナーが切れたとメッセージが出る。


「あ、俺がやりますよ。もしも手が汚れたら大変でしょ?」


そう言いながら、ネクタイの先端をポケットにインして、腕まくりをしてから手順に従いながら交換していく。


トナーを軽く数回振ってから、フロントのカバーを開けて…っと。


トナーの向きを確認してから差し込み、指さし呼称をして「…よしっ」とうなずいてからフロントカバーを閉じる。


「多分大丈夫だと思いますけど。…俺、念のため手を洗ってきますね」


「…そういうとこも一緒ね。助かったわ、本当はトナー交換って苦手なの」


「俺、そんなに前任者とやってること一緒なんですか?」


何の気なしに聞き返せば、ごめんなさいねと謝られる。


「人と比べられたり一緒にされるの、誰だって嫌よね?」


と。


「あー…いや、違うんですよ。俺、前任者の話で耳にしてきたのが、あんまよくない話ばっかだったんで」


俺がバツが悪そうにそう言えば「やっぱりそうなのね」とどこか悲しげな顔で呟く。


手を洗ってきてから、なんとなくそっちにまた戻ると、彼女はまだ作業をやっていた。


出てきた印刷物を二人で横に避けて、プリントアウトしながらページごとに十字に重ねていく。


「なんていうのかしらね、孤軍奮闘? そんな感じだった。いつも遅くまで残って、必死になって前任者が中途半端にやった引継ぎにもならなかった情報を頼りに、誰からも必要な情報をもらえず。それで作った資料を理由に文句を言われていた様は、見ていた心が痛かったわ。……あなたの前任者の前がね、元々三か月の引継ぎ期間を設けてたんだけど、妊娠初期にある体調不良で急遽入院になってね。そのまま辞めたのよ。引継ぎ用のノートを作るって言っていたのを聞いていたんだけどね、つわりのせいで思ったようには進まなくて、そのまま後任の彼が来て。そうして一か月あったかなかったくらいで、入院したはず。とにかく、誰かに仕事を置いていくには短すぎたの。彼女が任されていた仕事は、彼女の出来がよすぎたか、まわりがそれでよしとし過ぎてしまってね。彼女以外にわかる人がいなかったのよ。……だから、あの子は相当苦労したと思うわ」


なんて話を聞いている間に、彼女のコピーが終わろうとしていた。


「後任のあの子を責めるなんて、まわりが一番サポートしなきゃいけなかったのに、誰も…本当に誰一人として責めるべきじゃなかったのに。……気づけば、誰にも頼ることを諦めて。ちゃんと仕上がった資料の時だって、まるで八つ当たりか何かのように文句を言われ続けて。そのうち壊れちゃうんじゃないかって、ずっと心配だったの。…でも、ね。一介の別の課の事務員が言えることなんかないしね。…そうこうしているうちに、来なくなっちゃったから。……来なくなった理由は聞けてないの。どこからも。ただ聞けているのが、退職届も出されていないっていうことだけ。会社を見限ったのか、体調を崩したのか、……それとも違う理由で来られないのか」


プリントアウトしたものを全部取り出して、元の原稿の回収し忘れがないかを確かめて。


「…うん。これでいいわ。どうぞ? プリンター使ってもいいわよ?」


そう言いながら、コピー機の前から去ろうとする彼女に一つだけ聞いてみる。


「彼も、俺みたいにトナー交換したり…したんですか」


人となりを知りたくて、ただそれだけ。


「そうね。どうみても自分の方が困ってるだろうに、他人を優先して助けてくれちゃうような子だったわ。パソコンのことで何回か助けてもらったこともあるの。お礼にお菓子をコッソリ置いておいたことがあるんだけど、お礼もコッソリ置かれていてね。…ふふっ。懐かしいわぁ」


前任者の過去の話をしている時には、どこか悲しげだった彼女。最後の話の去り際には、口元がすこし緩んでいた。


年齢的には、すこし年の離れたお姉さんみたいな年齢っぽい彼女。


前任者をあの子という言い方をしていたけど、何も出来ずとも彼女なりに見守っていたからなのかな。


作業場に戻って印刷の設定をして、データを飛ばす。


少し古いパソコンだけに、同じ作業場にプリンターが置けないとか言われたことがある。無駄にデカいからな、ひと昔前のパソコン。プリンター、小型でもいいからあったら楽なのに。


プリンターの方に向かい、印刷物が出てくるのをボーッと待つ。


最初に出てきたものを一枚取って、問題がないなとうなずいた。


そうして出来た暇な時間で、さっき聞いたばかりの話を思い出す。俺の前任者の話を。


営業マンたちや課長たちから聞かされ続けた話は、仕事が出来ない・仕事が遅い・暗いというものばかりだった。


俺がここに就職して、前任者から直接的な引継ぎが一切ない状態で、上司からもノート一冊だけで後はよろしくみたいな感じで始まった仕事だった。


他に誰かに教わったことといえば、データや資料のありかとファイル名のこと程度。


仕事の始まり方だけでいえば、彼と似た感じだ。


ただ、俺と彼が違うのは、たくさんの書き込みがあるこれ以上ないだろうマニュアルのノートの存在だ。


それと、まわりの評価は俺の方が申し訳ないくらいに上で。


とか思っても、あのマニュアルノートの出来のよさと、それのおかげで初手からすんなり出来た仕事の出来のおかげだ。


彼が得られなかっただろう評価を、俺が横取りしたみたいで申し訳なく思う。


ノートを作りながら、気づいたことや改善点を都度書き込んであった。


いくつもの矢印が引かれ、赤ペンで書きこまれた注意事項。


書いては線で消して…をした部分もたくさんあった。何があって変更したのか、今考えれば彼が理由じゃなく上司か営業マンから何か言われて変更したのかもしれないと思いつく。


俺が作業している時だって、ちょこちょこ邪魔なんだよなってタイミングで何かしら言ってくる。


先にデータよこせとかいうのもいる。


いきなりデータの出し方が変更になって、その流れでファイル番号の変更があったかと思えば、その情報がこっちにきていなかったり。


そんなことをちょこちょこやっていたら、そりゃ資料を作るのに影響出まくるだろう。


「あー…もうそろそろ資料作成の時期ですかぁ? まとめるの、手伝いますよ? 時間あるんでー」


課長か誰かの娘さんだっけ、この子。いつも暇そうなんだよな。


「じゃあ、全部終わったら準備ができ次第、手伝ってもらってもいいですか?」


「はぁーい、待ってまーす」


間延びした声で聞いた返事を、耳障りに思いながらも笑顔を浮かべる。


この子が入ったのは、俺よりも前って聞いていた。俺がここに入ってから二年は経過している。その間、いつも暇そうにしている姿ばかりだ。あれで俺と大差ない給料もらってるとか、詐欺だろ? と内心思いつつ。


初めて耳にした、彼についてのいい話。そして、あのマニュアルノート。


上司や営業マンたちのくだらない話なんかよりも、よっぽど信じられる話だ。


人を悪くいうのは簡単だ。蹴落とすのも簡単だ。けど、人から信用や信頼をしてもらえることは難しい。ひどく時間がかかる。なんていうか、非効率?


あの彼女じゃなくても、前任者の彼のいい部分に気づけていた人はいたんだろうか。


孤軍奮闘と表現していたその言葉を噛みしめる。


こんな場所で、孤軍奮闘だなんて、俺だったらやってらんない。五年か六年くらいいたんだろ? その間にあのノートを作ったんだろ?


「俺なら、心折れてる。とっくに」


プリントアウトしたものを、近くの机にページ番号順に並べていく。少しだけ重ねておくと、横に移動しながら一枚ずつ流れていくように取っていけば、資料がほぼ出来上がる。あとはステープラで角を斜めに留めて終わり。


そのやり方だって、マニュアルノートに書かれてあった。その手の仕事をやったことがないまま、単に入力だけがあるという業務内容を信じていたら、とんでもない業務量と種類だったわけで。


上司曰く、一連の流れなだけであって、間違った説明ではないはずだとか言われたっけな。


若干遠い目をしつつ、入社して一か月の頃を思い出す。


それを助けてくれたのだって、目の前にいたはずの上司でも誰でもなく、たった一冊のマニュアルノート。


彼は、今どこで何をしているのだろうか。


あれだけ丁寧な仕事ができる人ならば、どこに行っても重宝されると思うんだけど、話を聞いていたらいろいろ飲み込みそうな気もするし。


人のためには動くかもしれないけど、自分のためには何もしないかもしれない。いろいろ諦めるのが早そうな気もした。


とはいえ、それもこれも、この会社がこういう体制だったからというのもあるけど。


(どっか、いい会社が彼を拾ってくれないもんかな)


直接かかわったことはないけれど、俺を助けてくれた彼の幸せを願いたくなった。


そんなことを思ってる時点で、どこか驕った考えなのかもしれないとも考えながらも、それでも願いたい。


俺だけがこんな風に評価されるのはおかしいんだから。


整えられた土台なら、そこで立って、歩いて、走って、動いて…ってなんだってやりやすい。足場の悪さにためらうこともない。


彼がいた場所は、ぐちゃぐちゃだったんだろう? そこを整地して、普通に過ごせるまでにしたんだろう?


それのどこが仕事が出来ないだの遅いってなるんだ。


同じ条件から同じ仕事を同じだけの仕事量をやってみろって話だ。


いっちゃ悪いが、俺には出来る自信はない。


凝り固まった頭のやつらに、やれるもんならやってみろって言いたくて仕方がない。


(でも、それを口にしていいのは俺じゃない。…彼だけだ)


そう思ったとて、彼は今この場にいない。それにきっと何回も口にしたんじゃないか? 相手が相手だっただけで。


「すみませーん。お待たせしましたー。こっち手伝ってもらってもいいですか?」


プリントアウトが終わって、印刷物をページ順にすべて並べ終わってから彼女を呼ぶ。


じゃなきゃ、出来なーいとか甘ったれた声をあげられるから。…あれ、ホント耳障り。


「はぁーい、待ってましたぁ」


そう言いながら、デコったステープラを手に駆けてきた。んなもん、デコってんなよ。印刷物を引っかけたらどうするんだ。


「じゃあ、こっちから…で、ページをよく確認して、同じものを取らないように。留める前に必ず枚数は確認してくださいね」


ページ数を伝え、二人で並んで印刷物をまとめて資料の形にしていく。


他から聞いた話では、こうしてやるのもすべて彼だけでやっていたと聞く。協力してくれる人がいたら、彼はもっと楽が出来たかな。たったこれだけのことでも、誰かが手を貸してくれるっていうことを喜んだかな。


(ま、こっちのは本当に暇そうな人だから、給料泥棒にならないように労働してもらってるだけだけどな)


どこにいるのかわからない彼が、どこかで誰かに頼れてたらいい。甘えることなんかもあったらもっといい。孤軍奮闘なんて言葉が似合いの人じゃなく、一致団結ってほどじゃなくても誰かと一緒に何かを為せるような場所にいたら…。


(俺が願ったところで、それが叶ったかどうかを確かめる(すべ)はないんだけど)


ボンヤリしつつも作業をこなしていた俺の目に、ぐちゃぐちゃの資料が目に入る。


「すみませんがね、最後にこう…して整えてから留めてください」


釘をさす。じゃなきゃ、二度手間三度手間になる。


「読めればいいじゃないですか」


「そういう問題じゃないんですよ。…自分が合ってるかどうか、上司に確認を取ってもらってもいいですよ?」


ここでいう上司は、いわゆる身内。それに聞けってことで、この答え次第じゃ上司の公私混同がハッキリするだけなんだけどな。


「嫌ですー」


「俺が言ったことが理解できなくて、納得もできてないんですよね? 多分」


「……そんなこと言ってませーん」


「なら、こちらが話したことは他の誰でもやれる仕事上の些細な注意事項です。同じようにやっていただかないと、困るのは俺じゃなくてあなたです。たとえ、仕事を任されているのが俺なんだとしても、こうして一緒に作業をしているのは、みなさん見ていますしね」


俺よりも年上らしい彼女は、俺のこの説明に子どものように口を尖らせて面白くなさそうにしている。


「たった一つ、作業を付け加えるだけなんですけど、それも難しいようでしたらお手伝いはしていただかなくても構いませんよ? たった一つだけ、書類をこうしてトン…トン…とキレイに整えてから、というものですけどね?」


説明をしながらも、俺は手を止めることもなく作業を進めていく。


「やるもやらないも、ご自身で決めてくださってかまいませんよ? お手伝いしていただけるのなら、その資料を整えて留めちゃってください。……作業が進みませんから」


最後の一言にだけ、ほんのすこしの嫌味を込めてから、もう一言…顔も見ずに言葉を続けた。


「お手伝いをしにきたのか、邪魔をしにきたのか。どっちかに決めてくださいね?」


淡々と作業を進めていく俺。


乱れたままの、ただ重ねただけで印刷物から資料へと変われていないモノを手に、彼女は俺の様子を見ているんだろう。


またスタート地点に戻った俺の耳に、机の上で紙の束を整える音と、それに続いてステープラで紙を留める音が続いた。


俺はそれだけで、特に何を言うでもなく順に印刷物を重ねていく。


左に彼女の気配を感じながら、口角をほんの少し上げて作業を進めていく。


俺も最初は知らなかったこれらを、教えてくれた彼という存在がいたから知ることが出来た。経験が積めた。


左から印刷物を重ねてくる彼女には、誰も声をかけなかったのか、かけられなかったのか。彼女も誰にも聞かなかったのか、聞けなかったのか。


始まりの頃を知らないけれど、誰かや何かが差し伸べてくれるものがあったかなかったかで、こんなにも差が出るんだな。


(俺は、彼に助けられて…ここにいるんだ)


偉そうに講釈をたれるつもりはないけれど、これくらいなら別に口出ししていってもいい気がした。


(それよりも、本人が聞いてくるのが一番いいんだけどな)


とか、多分現実になりそうもないことを思い浮かべながら、間もなく資料は出来上がろうとしていた。





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