閑話 彼(あ)の方
――――目の前で水兎さんが消えた。
俺とナナを守るための結界を張って俺たちを守るからって叫んで、ボロッボロに泣きながら消えた。
魔法課の阿呆らがやらかしたせいだ。
無理にどこぞに連行しようとしたんだろ。どうせ、魔法課のどっかの施設に転移しようとしたんじゃないか?
俺が魔法課のあのじじいと口論をしている間に、ナナがうちのクソ上司にすぐ来いと連絡。
むちゃくちゃ早く来たのはいいとして、ここまで収拾つかない状態になるなんてな。
なんていうんだ、こういうの。
水兎さんなら、変わった言葉で表現してくれるだろうか。
ナナと交代で酔って寝た水兎さんの様子を見に行きながら、彼の家で一晩を明かした俺たち。
「取り決めはどうなった。勝手なことをするなと言っただろうが!」
クソ上司でも、怒鳴り声に覇気を混ぜ込めば家が揺れるほどのものを持っている奴で。
その覇気で、初手から魔法課の連中をどうにかしておいてくれたら、今回みたいなことまでにならなかったんじゃないのか? っても、クソ上司も大差ない思考回路だしな。実際、どっちが先にやらかすかって感じだったのかもしれない。
(…水兎さん。どこへ消えたんだろう。無事に逃げられたのかな…)
あの様子なら、”逃げた”という言い方が合ってるだろう。
上司が魔法課の連中とやりあっている隙を狙って、ナナとこっそり話し合う。
「こうしてこの場所に入り込んでいる時点で、魔法課の連中もうちの上司もこの家のことを調べるはずだ。水兎さんの魔法についてだとかの詳しいことは書き残されていないようだけど、俺たちが一泊したのはバレただろうから、報告書をある程度は書かなきゃいけない。……だから、ここで口裏合わせるぞ。ナナ」
「…はい、イチさん」
「姿と声を変えられるアレ、絶対に書くな。きっとあれが、今の水兎さんにとって重要なものになるはずだ。あの人のことだから、そう簡単に見つかるようなことはしなさそうだけど、一晩で理解できた…あのやらかし体質は彼の首を絞めかねない。彼のそばに誰か口を添えるような人間でもいれば多少はいいのかもしれないが、それでも…あの人は危うすぎる」
「…ですね。心配ですよ、ホント」
「…ああ」
二人とも一晩で水兎さんがやらかしたいろんなことの中から、取捨選択をして報告をする。俺とナナの二人からの報告書が出されることになるはずだ。片方に報告があって、片方にないもの。そういった矛盾から、水兎さんの本当の実力を把握するために。
「結局のところ、『今期の決算前の漂流者』ってのが、どういう存在なのか。どういう扱いをするつもりでいたのか。それもハッキリしていない。うちのと魔法課の方とで、どうにも水兎さんの扱いが違う気がしてならない。最終的に俺たちの部署で取りまとめすることになるんだとしたって、それがわからないことにはどうしても動きは鈍くなる」
「その影響が、今回のこれで顕著に出たって感じですもんね。とっとと情報まとめて、こっちによこせって話ですよ。じゃなきゃ、中途半端なマニュアルばっか作るハメになる。情報が更新されるたびに、データ書き換えってメンドクサイ仕事が増えるだけ。…ったく、どういうつもりなんだ」
「上の方でフラフラされたら、下はどうにも動けなくなるってことを、いい加減に理解しろってことだな」
「デスヨネー。…ほんと、その辺の情報次第じゃ、水兎さんを守ることだけに特化して近くにいられたかもしれない気がするんですよ。俺」
「あー……、俺もなんとなくだけど思ってた。言わなかったけど」
「こういう予感って、結構当たりません? 俺らの勘って、バカに出来ないってか」
「…わかりすぎる」
話をしながら、自然と家の中に視線が向いてしまう。わずかな間とはいえ、水兎さんが過ごしていた場所だ。
「ちゃんと食ってるといいですね」
「ああ」
こんな立場同士じゃなきゃ、もっと違う話が出来ただろうか。
「いつか一緒に飯、食いに行けたらな」
ナンバーズってことで、本当の自分ですらいられない俺たちとは、どうあってもどこか距離がある付き合いになってしまっただろうな。
「その時はナンバーズじゃなくなってた方がいい」
安定している今の仕事を捨てでもしなきゃ、それは叶わない。
「…そう、ですね」
ナナがためらうように返してきたことに気づいたけど、俺は知らないふりをする。
仕事を失う=食っていけなくなるってことだ。当たり前だけど。
貯金があるか、次の仕事を探せているか。それがなきゃ、生きていくには不安がつきまとう。これも当たり前だ。
ナナは、まだ若い。そこまで貯金もないだろう。だから、もしも俺が今の立場を退くとしても、一緒に行くか? なんて言えるはずがない。人の人生にそこまで踏み込めない。無責任でしかないからな、そんなの。
「お前ら、戻るぞ。撤収だ。それと、魔法課の馬鹿どもが、呼び出しを食らった」
「呼び出し…ですか。どこからですか」
ナナと見合ってからクソ上司の方へと向き直ると、盛大にため息を吐いてからこういった。
「国王直属の特務機関だ。それと、近衛兵の総団長。そして、国王陛下だ」
ザワッと寒気のようなものが一気に走っていく。
「それは…どういう…」
そこまでの話になっているのか、今回のことが。
「それと、お前らも同時に呼び出しだ。ナンバーズ全員。『今期の決算前の漂流者』に関係する機関、全部な」
ってことは、陛下の眼前…大広間か。あそこへの呼び出しといえば、相当話が大きいということと、秘匿情報だということか。あそこには、防音魔法が何層にもかけられているって話だ。
「アレの情報がほぼ集まったらしい。ひとまずで名付けられていた『今期の決算前の漂流者』という名目から、今後どういう扱いになるのかとどう呼称される立場になるのか。…と、今回の失踪の件で、捜索をどこが取り決めるかなどなど…細かい話も出るらしい」
「捜すんですか、彼を」
「まあな。アレには利用価値があるだろう? どんな能力があるのかこれでハッキリしたら、捕まえておけばなにかにつけ助力を願えばいい。楽に仕事が出来るようになるのも、もうすぐだな。ハッハッハ」
クソ上司はクソだな、やっぱり。
せめて、安否が心配だってくらい言える上司だったらよかったのに。
「で? 懐には入れたのか? お前ら。助力を願うんでも、相手との距離感によっては手間が違うからな」
手間とかいうな、手間とか。助力じゃなく、ご助力っていえ。敬え。
「さあ…どうでしょうね。こればっかりは、彼に聞いてみないことにはなんとも」
んなこと聞けるか! 俺ら、懐に入れましたかね? とかなんとか。
「まあ、そうだな」
そうだなって返してきたってことは、懐に入れたかって誰かに聞いたことでもあるのか? この上司は。
(もしも本当にそれをしていたんだとすれば、相手から距離を置かれるパターンだろ)
目の前のクソ上司を、すこし哀れんだ目で見上げれば「なんだ」と睨みつけてくる。
「なんでもないですよ?」
慣れたもんで、それっぽっちじゃ威圧なんかされないし、微笑みを返せるくらいにはなった。
「とにかく撤収だ。三時間後に謁見になるから、それまでに報告書を書きあげておけ」
「はいはい。わかりました。…この家は、本人が見つかるまで…どこが管理するんですか」
「あ? 多分、うちじゃねぇか? まだハッキリとはしてないが」
「そうですか」
「確定したら、それの割り振りはイチ…お前がやれ」
「了解です」
「ナナ。帰りはお前が転移陣の魔力流せ」
「えぇ…、俺ですか? あんま、得意じゃないんですけどね」
「いいからやれ。時間がない」
「はあ…わかりましたよ。…イチさん、帰りますよ」
昨日までのあの時間が嘘のような静けさ。さっきまでは、違う意味でやかましかった。
もしもこの場所を管理するのなら、俺とナナがメインでやれるようにするか。こういう時にこそ、職権乱用だ。
(っても、こんなとこに戻りたいって思ってくれるか…今じゃわかんないよな)
彼はもう二度とこの街には戻ってこないんじゃないか。そんな気がしているのも正直なところで。
特に言葉にはしていないけれど、ナナも同じことを考えているかもしれない。
こんな風に逃げなきゃいけなかった場所に、好き好んで帰ってくる人間はきっといない。
万が一戻ってくる可能性があるとするならば、よほどの事情つきだ。
命にかかわるとか、大事な人絡みって嫌なパターン。しかも、本人の意思無関係の脅しとかありそうだよな。…昔っからロクな場所に配置されなかったツケが、こんな形で思考に現れるとか。諸々経験しすぎで、嫌な想像ばっか出て来まくる。
(もう一度会えたらと思うのに、帰ってこない方がいいって…思わずにはいられないな。こんなとこ)
複雑な気持ちを抱えながら、転移陣の準備をしはじめたナナの後を追う。
そうして二人で大急ぎで報告書を作成し、提出。話してあった通りに、水兎さんのあの能力については一筆も書かず。
報告書を提出後、程なくして結構な人数が大広間に集められる。
最初に水兎さんを出迎えた、あの制服を着こんでナンバーズ全員数字順に整列し、その時を待つ。
やがて始まった国王陛下からの通達という名の話は、水兎さんが俺たちと友達だとか呼んだらダメそうな人なんだと思い知らさせられる内容だった。
まず最初に魔法課の連中は今まで得られていた権限が半分以下となり、研究費として今年度分で計上されていたものも半分を徴収。
アイツらが水兎さんの家を強襲したのだって、くっだらない私情からの攻撃だったのが判明した。やっぱりな。
あの家の修繕費は、魔法課の課長もちに。
魔法のエリートだか知らねぇけど、頭が固すぎ、プライド高すぎ。そのせいで自分らの行動含めて、何もかもを狭める結果にしちまったんだからな。自業自得っていうんだろ? こういうのを。
国王陛下が、静かでいて重い声で言葉を放つ。
「お前たちには失望した。…今回のことは人間だろうが獣人だろうが、欲をかくとロクなことがないということの見本でしかない。彼の方についての情報が、どこでどう曲解された内容になったのか。…お前たちがしてきた対応は、すべて間違いだ。……そもそもで、お前たちが利用できる、恩恵に預かれるなどとと思っている時点で烏滸がましい。――――本日、この場でハッキリさせよう。彼の方は、大賢者に相当する能力を持つ者だ。敬意を払うならばいざ知らず、自白剤を盛ろうとし、また自宅に押し掛け魔法攻撃で無理に連れ出そうとするなど…言語道断!」
大広間に、ざわつきが伝播していく。
(まさかの大賢者…って、水兎さんが?)
相当するというのがくっついていても、大賢者といえば数千年に一人現れるか否かと言われている人材だろ。
んな人相手に利用価値がどうとかとか…言ってたのかよ、クソ上司。
魔法課の連中は、あの時のまま捕縛状態でこの話を聞いている。顔色が青さを超えて白くなっている。
クソ上司の方がまだ何か考えていそうな顔つきだな。水兎さんなら懐柔できるとか高をくくってんじゃねぇだろうな。
話の流れで、自白剤を盛ろうとしたのはうちの上司や施設の所長ではなくて、所員の誰かが指示されたという話らしく。所長じゃなきゃ、誰が指示したんだか。思惑はどこだろうな。
なんにせよ、その裏付けはまだ取れていないよう。
(仕事、遅ぇな)
ひとまず、水兎さんの立場を明確にして、これ以上の事を起こさないようにって牽制の場…ってことで合ってるのか? これは。
普段偉そうな上司がガミガミやり込められているのは、なるべく顔に出さないようにしているけど実はかなり面白い展開だ。
特別すごく出世したい訳でもなけりゃ、金が有り余るほど欲しいわけじゃない俺。
楽して得をしてやれと思ったこともない。うちのクソ上司はそれをやろうとして、今回みたいなことになったんだろ?
(やれやれって感じだ)
姿勢を正したままで話の続きを待っていれば、どうやら今回の水兎さんが消えたことについて、近隣の国家間の話にまで発展しているとかなんとか。
水兎さんを見つけ次第、保護。捜すのも保護が大前提ゆえに、ということだ。本人が移住を求めれば、即時、即対応。現時点ではまだ、この街に移住してきた扱いになってるから、移住するようなら諸々の手続きと費用は移住先もち。国家間無関係で、水兎さんが利用したものへの支払いはその国で負担。金額によっては、近隣国間でまとめて負担。
相当昔に現れた決算前の漂流者=水兎さんと同等の大賢者扱いたる人物が使った金額を、現在の貨幣価値に換算して算出されていたのが、現在の予算で。
それがいつまでも減らないこともあって、数年後には予算が減らされるような話があがり。今回の召喚で現れた対象者には、かなりな期待が寄せられていたと。
予算が年々下がっていくと、今後その手の召喚が必要になった際の予算が減ったとしても急に予算を組めないという結論に至ったらしく。そのあたりの流れで、当たりがよければ予算を使いきってくれる人物が来るだろうというのが、今回の召喚だった…って、どの召喚の時だってピンポイントでそれっぽい人間を指名して喚んだわけじゃあるまいし。
んな、国の予算の使いどころを、行き当たりばったり的な誰かに背負わせるなって話だ。しかも、どれくらい使ってくださいっていうことすら、相手は知らないわけだ。
水兎さんも、どうすりゃいいのか困っただろうな。まあ…あの性格じゃ、予算を伝えられたところで使いきるような大きな買い物なんかしなさそうだったな。
それ以外の漂流者に関しては、こっちに来たところで予算は普通の金額で普通に暮らせる程度はもらえてて、それ以上を求むなら働けってなっているのは知られている話のはず。
転移か転生か、それによって手に入る能力に差はあったんだろうか。水兎さんは、どっちだったのかな。もしかしたら、本人も把握していないかもしれないよな。気づいたらここにいた…とかさ。
話を聞きながら、アレコレ考える俺。結局、何のために召喚してるのか…謎な部分が多くないか? なんてことも。
いつかまた大賢者がやってきて、困った時には知恵を授けてくれるかもしれないーーー…とかぬるい思考で、数年おきに召喚やってるとか…言わないよな?
(まさか…だよな?)
国王陛下曰く、とにかく大賢者の機嫌を損ねることなく、少しでも長くこの世界にい続けてもらうための努力と歩み寄りをしろという話だった。
大賢者が存在してることが重要なのだ、と。
そして、最後に出てきたのが、あの髪色についてだ。
感情に反応するあの髪は大賢者のみのユニークスキルに近いもので、本人には確認できない仕様になっているとか。
(水兎さん、自分でも言ってたもんな。アッシュグレーにしか見えないって)
まわりが大賢者なる彼の機嫌を過度に損ねぬよう、その指針となるものとして在るスキルだと。
にしても、本人は把握できないのに、まわりから変な目を向けられている感じがして…若干可哀想だったな。
顔色をうかがえというよりも、ただの指針にしろってか。
機嫌が悪そうだったら、自然と距離を置かれてしまうかもしれないってことか? 何で機嫌が悪いのかを知ろうとする人が近づくこともなく…か。
たしかに感情がわかるのはいいのかもしれない。楽だ。
(でも、なんか違わなくないか?)
人にも俺たち獣人にも喜怒哀楽ってもんがある。相手のことがわからないからぶつかるし、揉めるし。それはどんな場所でだって同じことだろ?
相手の感情を表情だけですべて読み解くなんて出来ない。だから…会話をするんだろ。
(水兎さんは、そういう機会すら奪われようとしている?)
どうしてこの場所に水兎さんを召喚し、そんな仕様にしたのかまでは把握のしようがないとしても、もしも再会できたなら…俺は水兎さんと会話をした上で…その上で……と思う。
(実際、話をしていて面白かった。気を使い過ぎじゃないかと思いもしたけれど、俺たちへ向けられたプラスの感情は悪い気がしなかった)
長ったらしい話を流し聞きながら、俺は考えていた。
このまま水兎さんを捜索する仕事がこっちに回ってきたならば、絶対に他の誰かに譲る気はない。
もしくは部屋の管理の仕事が回ってきたならば、さっきも考えていたが俺たちか下手な奴には任せる気はない。水兎さんの場所だ、あそこも。
とはいえ、俺たちとかかわることを水兎さんが拒めば引くしかない。水兎さんが自分自身でそう決めるのなら、それでいい。
誰かに振り回され、あんな風に絶望の表情を浮かべながら住処を奪われるような日々は与えるべきじゃない。
(水兎さん本人と出会う前の俺なら、ここまで誰かの未来を想ったことはなかったのにな)
誰かの幸せを願うような生き方に変えられてしまった。
たった一人の、異世界からやってきた人間に。
(ある意味、これも人生の転機とかいうやつなんだろうか)
水兎さんを想いながら話を聞いていた俺の耳に、今回やらかした上層部は全員降格処分と減俸が課せられることとなったと聞こえた。
魔法課だけの呼び出しなんかですまずに、結果的にうちの上層部も一緒に説教食らうことになったな。
(ざまぁみろ。ってか、普通に考えたらクソ上司の下にいる誰かがそのまま昇格だよな)
誰が次の上司になるのか知らないが、どうか水兎さんに敬意を払える誰かであってほしい。
あんなに面白くて、優しくて、楽しくて、危なっかしくて、守りたくなる人は…そうそういない。
聞きたい話は十分聞けたから、さっさと帰らせてもらえないもんかな…とか思いながらこの場の終幕を待つ。
締めの挨拶ほど長くなるってのは、なんなんだろうな。しかもさっきした話の念押しばっかり。
どうでもよさげに欠伸を噛み殺しながら、黙って整列したまま話を聞き続ける俺の頭の中では。
(水兎さんにまた、美味い酒でも教えてもらいたいな)
叶うかわからない未来を想像して、胸の奥をチクリと痛めていた。友達でもなんでもない関係なのにと思い知れば、尚更痛い。
俺という獣人が、水兎さんにとってどんな人物に映ったのかを知ることが出来ないまま、不安な気持ちだけがあることを自覚していたからだ。
見えない気持ちを伝えあうことも叶わない関係だったことを、改めて確認してしまった。
(あー…ぁ)
せめて結界への感謝だけでも伝えられたらと思いながら、また欠伸を噛み殺していた。