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それって、どうよ。


脳内に浮かんだ、自分でもバカバカしいほどの妄想を一旦解除する。


だいたいちょっと考えたらわかるもんだろ?


(猫が、あのスーツ着て、絶妙な色っぽい丈のタイトミニスカなんか履いてる訳ないって)


おかしなことが起きてるから、俺の頭の中も何かおかしな状態になってるんだろ?


「…はあ」


受け取ったコップで水を飲み、一息つく。


「おかわりは、いかがですか?」


最近聞きなれなかった丁寧な言葉に、「十分です」とか喉の渇きはまだ潤ってもいないのに嘘をついた俺。


(ひとまず一杯分とはいえ水は飲めた。なら、次に気になることを聞けそうかを探ってみなきゃ)


混乱している中でも、情報不足を痛感している。


元の場所でなら、パソコンだスマホだでいくらでもわからないことは自力で調べられたからな。


けど、ここには俺が持っていたはずの便利なツールは一切手元にない。


たった一冊の日記っぽい本のみだ。


それに、俺の姿がそれまでの俺とは違うこと。下手すりゃ俺の名前も違う誰かになっている可能性だってあるだろ。


(さっき変な言葉が出てきたな、この猫の口から)


『今期の決算前の漂流者』


漂流者っていうのは、今の自分の状態には合っている気がしなくもない。漂流者に対して自分が持っているイメージとはどこか違っていても、君は漂流者と押し切られたら折れなくもない。


それくらいの許容範囲の言葉だ。


問題は、そっちじゃない方。


今期って? 決算って? それって、どうよ。なんなの?


そして、もしもその問いに俺がうなずいた場合は、これからどうなるんだ? どこかに連れて行かれるのか?


その手の小説やマンガを読んだことはほとんどないけれど、こういう場所に飛ばされた人間には何かしらの使命が課されるんだよな? 


『魔王を倒してください』


『この世界を平和に導いてください』


『聖女として役目を果たしてください』


『荒れ果てた大地を蘇らせてください』


だいたいが、こんな感じか?


たまぁーに聞いたことがあるのが、勇者とか聖女だけを召喚しようとして無関係の人まで来ちゃうやつ。


逆にそのおまけの方が話の主要人物だったりするパターンも聞いたことがある。


(ま、お呼びじゃないやつは、城からはじき出されるってパターンがあることも耳にしたから、俺がそっちのタイプにはならないことを願う!)


癒しの旅へだのなんだの書かれていたけれど、目的があるようでないってことだ。


ゴクッ…と唾を飲み、猫に向かって思いきって話しかけてみた。


「えー…、あの…お名前は?」


自分の口から出た言葉なのに、内心、ツッコミを入れざるを得ない。


最初の質問がそれって、合コンか何かかよ!


(名前じゃねえだろ!)


と。


さっきの言葉の意味と、俺がここに来た理由を知っていそうなこと。それから、最終的にはここはどこなんだ? ってこと。


「あ、あぁ。申し訳ありませんねぇ。ワタクシ、名を齋藤と申しまして、一番ゴチャゴチャしている文字の方の齋藤です。多分…水兎さまの世界にある文字で書かれている齋藤の文字と同じです」


とか長々と聞いて「はぁあ?」とツッコんでも問題ないよな?


「サイトウ? は? あの齋藤の齋藤?」


日本と同じ文字だってことか?


「ええ、そうですねぇ。地面に書きましょうか? えー…まずは、鍋の蓋を書きまして、その下に刀、海外の文字のYに似たこれを書きまして。氏の文字が横棒が足りなそうなものを並べまして。その下にですね…」


地面に指先から出した爪で器用に書きながら、齋の文字から説明していく。


「そして、次に藤ですがぁー」


ガチで説明をしていく猫の手に、俺の手を重ねる。


「ストップ! わかったから」


そういいながら、ふかふかする白い毛並みの腕をつかんだ。


そして、新たに生まれた疑問を追加で聞く。


「俺の名前、なんで知ってる?」


さっき、コイツは間違いなく俺の名を呼んだ。


「どこかに名前が書いているわけでもないし、俺は自己紹介もしていない。…何故、俺の名前を知っている?」


知らずに手に力がこもっていたようで、「痛いです」とつり上がった目がへにゃりと垂れたように見えて思わず手を離す。


「わ、悪かったな」


手の行き場をなくして、肋骨の下あたりを横断するようにして左腕の肘を右の手のひらで軽くつかむ。


顔を背けて、視線を地面に落とせばその頭上から声がした。


「どうしてもこうしてもないですよ。水兎さまが今期の決算前に漂流者として登録されていたからですね。先ほど確認したのは、転入者を管理する立場なのでお顔を見ながらの確認のためですね。一部しかお見せ出来ませんが、こちらには水兎さまの顔写真付きの情報が…このように」


よく見れば、この猫の胸をクロスするように幅広の紐がたすきみたいに垂れ下がってて。その先には、メッセンジャーバッグっぽいのがあった。


腰のあたりにバッグ本体を下げていたから、パッと見、バッグがあるとか思わなかったんだな。


バッグから取り出した書類は、三枚ほど。


そのうちの一枚目を俺に手渡してきて、「ほら」と爪を引っ込めた猫の指先で示してくる。


「水兎……しか書いてない。俺の名前が。………………あれ? ちょっと待て。俺、水兎って名前の前に名字が書かれてないのは?」


というか、俺自身、水兎って名前以外を思い出せないでいる。


水兎というのが自分の名前だったことすら、ついさっき思い出したに近い。そういえばそうだなって感じで。


「そっちの書類には、書いてないのか?」


視線を上げて、猫が持っている他の書類へ気を向ける。


「いいえ? その情報はありませんねぇ」


間延びしたような語尾に一瞬イラッとしながらも、それ以上聞くことも出来なそうな雰囲気に口を噤む。


一枚目のそれを無言で猫に返し、後頭部をガリガリ掻く。


一体どうすればいいんだ? と二の句を紡げないでいると、カラカラと明るい笑い声が聞こえる。


「あ、あぁ。お手洗いですかね、そろそろ」


なんて、言いながら。


「……は?」


話題が変わり過ぎだろ、さすがに。


「誰がトイレに行きたいって言ったよ」


ここに来てから、食べるものも食べていなきゃ水分はさっき飲んだ水だけだ。その環境下でも、もうそろそろトイレなんてものがあればと思わなかったわけじゃない。


…が、どう見てもこの場所に用を足せそうな場所がないだろ? 


あれか? 洞窟から離れた草むらとかで、野グソとか立ちションでもしろってことか?


「あぁ、いえ。特におっしゃってませんが、見ればわかりますとも」


どこでしろってことだ? と思い悩みつつあった俺に、この猫は更なる疑問を提供してくる。


「見ればって、俺のどこかにウンコとかトイレとか書いてあるのかよ!」


冗談っぽいけど、それが事実だったらどうする? もよおすたびに、バレてんだろ? なんらかの方法で、俺の尿意や便意がバレるとか恥ずかしすぎる。


「俺にだって羞恥心ってもんがあるんだよ!」


体中が真っ赤になってるのがわかる。


「もしもそうだったら、自分から聞くっての! なんでわざわざそっちからまるでガキンチョにいうみたいに、そろそろ行っとこか! みたいなノリで言われるんだよっ!」


恥ずかしい。


穴があったら入りたい。


「穴はどこだ! 穴!」


入る穴が見つからない。


「あ、あぁ。穴に出すんですか? お手洗いにご案内しようと思ってたんですか、穴の方が? 水兎さまは、開放的な場所でのお手洗いを望まれるんですね? では、外からも見えるような外観のお手洗いを準備…」


「じゃないわ、バカか!」


俺が求めるのは、その穴じゃねぇ。


そうじゃない。論点がどうにもズレてる気がする。


「俺は、いたって普通の思考回路の人間だ。トイレだの飯だの諸々含めて、今までと何ら変わらない普通のものを求めたいだけ。ってか、ここって一体どこなんだ? 漂流者とか言ってたが、この場所で俺は生きてくしかないのか? 生きるために必要なものは、どうやって手に入れる? 俺はこの場所でどうやって」


一気にまくしたてておきながら、最後の言葉を言い淀む。


どうやって、生きていけばいい、か。


ここに来る前の記憶の中に、両親を亡くした後の毎日や、就活してみれば誰にも頼れない場所だった職場だったことなんかがある。


生きてりゃなんとかなった。キッツイ毎日だったけど、とりあえず生きてた。叔母さんの飯以外、楽しみもなんもなかったけれど、それでも死にたいって思ったことはなかったはず。


笑うことを忘れていた、多分。そんな毎日を繰り返していたっけなと思い出してから、さっきの表紙に書かれていた言葉を思い出した。


心と体を癒す、か。


世間一般でニュースになっていたような、自死を選ぶほどじゃなかったけれど、それでもあの会社にい続けていたら心が死んでいたかもしれない。


誰にも頼れない、甘えられない職場。救いはなく、仕事が出来ない人間扱いだけされて、コッチの苦労をわかろうともしてくれずに詰るばっかりの営業マンや上司たち。


限界といえば限界だったのかもしれない。


叔母さんの飯が食えていたから、生きていただけかもだしな。


じゃなきゃ、疲れた上にめんどくさがって飯なんかまともに食っていなかっただろう。


ただ、生きてただけ。


そんだけだ。


(疲れてたんかな、俺)


なにがあってここにいるのか、誰が連れて来たのか知ったこっちゃないけど、大っぴらに癒してもいいですよと言われてるんなら、お疲れさんと言ってやりたくなった。


特別何かをしたいわけじゃないけど、ひとまずゆっくり休みたい。


(のに、来た場所がサバイバルっぽい場所? そうじゃない環境に連れてってもらえるなら、どうにかしてほしい)


「…あのー、水兎さま?」


言葉の続きを待てずか、俺の名を呼ぶ猫の齋藤。


「あー…悪ぃな。あのよ……、とりあえず生きられる場所がどっかにあるのか? それとも俺はここで生きろってことか?」


まずは住む場所の確保もしくは交渉。


「あ、あぁ。いえ、その…ここから移動も可能ではありますが、ひとまずお手洗いの方に行かれた方がよろしいような。…お連れしますので、移動しませんか?」


と、コッチの話さておき、俺にトイレに行けとやたらすすめてくる。


(そういや、俺の状態を把握しているっぽいもんな。…って、俺のどこを見て、トイレに連れて行かなきゃとか思われてんだよ)


さっきからそれについての答えはもらえていない。


(先にそっちの用事を済ませた方が、話を進めさせてくれるってことかもしれないな)


「わかったよ、うん。…じゃあ、ひとまずここから移動なんだな? 移動する前に、一つだけ答えてくれよ」


それでも聞いておきたい。答えが欲しい。これだけは…。


「俺の用が済んだら、ここについての説明が聞きたい。…それは可能? 不可能?」


諸々については順を追って聞いていこう。


「あー…えぇ、いいですけど、説明窓口は別になりますので、後ほどご案内いたします」


斎藤って猫に真面目な顔で聞いてみれば、本気でお役所っぽいことを返してくる。


(マジで事務方っぽいな。こいつらの手順にあったもんなら、回答が得られやすくなる? 扱い方次第、か)


市役所に就職した、かなり長いこと会ってない友人を思い出すけれど、顔が浮かばない。


俺が非情なのか、こっちにきた影響なのか。一部の記憶の、何かが足りてない。


(俺の名字もわからないままだ)


「あ、そ。…じゃ、移動しよっか」


様子を探りながら、齋藤って猫が先導していくのにノロノロと付いてく。


洞窟の入り口で、指先から爪をちょっと出して。


「エアーカーテン」


と、言いながら宙に円を描く齋藤猫←呼び方にめんどくささが現れつつあるな。


洞窟から一歩出た猫が、いたって普通に雨を避けて立っている。そうして、やつの頭上にある円形のそれの中心に、ふかふかの指先を触れさせていた。


「もうひとつ出しますね?」


そういってから、またさっきと同じ言葉を呟く猫。


「エアーカーテン。……さ、この下に入ってください。入ったら、見えている円の中心に、指先をあてて認識させてくださいね?」


そう説明されて、つい今しがた目の前でやっていたことを真似てみる。


指先をあててみると、一瞬だけ光ってから、俺の動きにその円状のものが付いてくる。


「この円いの、なんなの?」


首をかしげながら問えば、「よくある魔方陣ですね」と返してきた。


魔方陣、か。


そういえば叔母さんの店先で、足元に現れたのもこんな感じのものだったな。


(ってことは、あれもなんらかの魔方陣ってことでいいのか)


気になっていたことが、一つ解決した。


ただ、どういった魔方陣なのか、誰が俺を連れて来たのかまでは解決していないけどな。


「雨はもう少しの間、止まないとか。このまま歩きますが、疲れたら言ってください。休憩を入れますので」


たかだがトイレに連れて行かれるだけのはずなのに、どんだけ遠いんだ?


(まあ、山の中か? と思えるような洞窟から移動なんだから、すぐに街ってことはないか)


アレコレ考えながらも、猫の後についていく。


「…………」


「…………」


暇だ。


スマホでもあれば、イヤホンで何か曲を聴きながら移動できるのに。


(不便だな。自分の持ち物が一切ない中で、どの程度の生活が可能になるのかな)


不安がじわりと胸の中に生まれていくのを感じる。


「ふぅ…」


聞こえないだろうと思って吐き出したため息を、猫はしっかり聞いていたようで。


「大丈夫ですか? いろいろと」


と、足を止めて振り向き、なぜか俺と視線を合わさずに微妙な場所へ視線を投げている。


(え? これ、本当にステータス画面とか出てるクチ? 俺であって俺じゃないなにかを見ているようにしか見えないんだけど)


ゲームっぽいなと考えながら、「なにが?」と返す俺。


やや間があった後に、猫は「あー…えぇと…ですねぇ」となにか言いにくそうにしてから、俺に聞こえない声量でなにかを呟いた。


『グラデーションにしても、茶色と青って気持ち悪っ』


その言葉を聞きとれない俺は、眉間にシワを寄せて「なに?」と聞き返す。


「あぁ、いえ…その…いろいろ不安だとか心配だとか…あるかと思いますが、サポートはさせていただきますので」


なんて、俺が肩先をビクッとさせるようなことを呟く。


不安、ではあった。感じてた、声をかけられる前に。


(え? なに? どこに書いてあるんだ? 状態とかって項目なわけ?)


きょろきょろと視線を彷徨わせても、一切視認できない。


(それについても説明してほしいけど、何から話してもらえばその話に誘導できるかね)


お役所仕事のカッチリした手順を崩さずに、自分が求める方への話題をずらす。


そんな器用なことが出来たなら、職場でもうちょっと上手く立ち回れたんだろうけど、そういう器用さがどっか足りていなかったから、孤軍奮闘になってたんだよな?


猫との今後のやり取りへ、自分の能力の低さを再確認してしまったことで不安感が増していき、またため息をこぼす俺。


そんな俺を横目でチラッとみては、険しい顔つきになる猫がそっぽを向く。


『青み、マシマシ。配色センス、ないわぁ』


ボソッとひとり言を呟き、「さあ、急ぎましょう」と急に速度を上げ始めて。


「え、ちょ…待って」


態度の急変に、俺は面食らいながらも魔方陣の傘の下で雨を避けながら、どこかへと向かっていた。




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